名馬物語
セニーニャはレースが大好きです。F1、陸上、水泳競技・・・。競馬も
それらと同じです。しかし、ギャンブルとしての一面を持ち合わせているため、
スポーツとしての魅力が浸透しきれないような気がします。馬も、それに乗っている
騎手も生き物です。それだけに、競馬には独特のドラマがあるのです。
ここでは記憶に残る名馬達のエピソードを紹介し、競馬に対する偏見を持っている人に、
スポーツとしての魅力を少しでも知ってもらえたらと思います。
なお、馬は上から時代順に並んでいます。馬名をクリックすると、解説が下に出ます。
(随時更新予定/現在12頭表示)
生涯戦績 13戦11勝
逃げ馬である。逃げ馬には2種類ある。1つは先頭に立たないと機嫌良く走れない気性型。
もう1つは他馬と能力の絶対値が違うので、結果的に逃げている様に見える能力型。
カブラヤオーは気性型であった。しかも馬群を極端に怖がったため、逃げないとレースに
ならなかったのである。事実出遅れたオープンは11着と惨敗であった。
最も象徴的なのは日本ダービーである。彼は前半の1000mを58秒台(普通は1分少々)
という猛烈なスピードで逃げた。おそらくへばっていたに違いない。しかし、馬群に沈む恐怖
がそれを上回り、ふらふらとよれながらも彼は逃げ切ったのである。戦績から見て、能力も
一級品だったことは間違いないが、原動力は別の所にあったのである。
生涯戦績 10戦7勝
逃げ馬であるが、こちらは能力型。しかも勝ち方が凄まじい。圧巻だったのは桜花賞である。
スタートから当然かの様に先頭に立ち、じりじりと差を広げる。後は一人旅であった。実況の
杉本アナウンサーが、「うしろからは何にも来ない。うしろからは何にも来ない。」と叫び、
ゴールした後には「いやぁ恐れ入った、恐ろしい馬です。」と脱帽したほどの強さだった。
着差は測定不能。オークスでも7馬身差で圧勝したが、その後調教中に心臓麻痺で死んだ。
この馬を、牝馬最強というものは多い。
生涯戦績 8戦8勝
他馬に影も踏ませない圧倒的な能力型逃げ馬。8戦して2着につけた着差はなんと合計61馬身!!
しかも、生まれつき脚が少し変形していたため、脚部不安が付きまとい騎手がしっかり追えなかった
という事情があってこの戦績である。
最も印象的な勝ち方をしたのが日本短波賞である。いつも通り快調に馬なりで逃げていた彼は、
第3コーナーの標識をゴールと勘違いし、流し始めたのである。当然他馬が追いつき、場内は悲鳴
に包まれた。慌てた騎手が手綱をしごくと、再び加速し最後の直線だけで7馬身ちぎったのである。
このときの2着馬が後に菊花賞をレコードで制するのだから、この馬の凄さがわかるであろう。
史上3頭目のクラシック3冠馬
この馬の特徴は誰も真似出来ない脚質にあった。まず、スタート直後は死んだふり。最後方からレース
を進め、終盤の第3コーナーあたりから猛然とスパート。全ての馬を抜き去って第4コーナーに入り、
最後の直線で逃げ切る。観ていてる人をハラハラさせた。菊花賞の実況で杉本さんが
”大地が弾んで、ミスターシービーだ!!”と叫んだのは有名。
史上4頭目のクラシック3冠馬 / 生涯成績16戦13勝
競馬史上最も記録に残る“皇帝”である。負けたのは菊花賞から中2週で出走したジャパンカップの3着
と、翌年負傷休養明けの天皇賞(秋)の2着、それに脚部不安をおして出走した米国サンルイレイSの
6着のみである。クラシック3冠を含めた、G1レース7勝の記録は未だ破られていない。
ルドルフ
は自分でレースを組み立てられた。日本ダービーでは、岡部騎手の手綱に反応せず、第4コーナー
を過ぎても
馬群の中。誰もがピンチかと思いきや、直線でしっかり伸びて勝った。また、日経賞(G2)では、
周りの
馬が自分より格下と悟ったか、スタートするなりいきなり先頭に立ち、そのまま逃げ切った。
あまりの強さに、かわいげがないというイメージを持たれてしまった、ちょっとかわいそうな馬かもしれない。
生涯戦績 32戦22勝
競馬に詳しくない人でもこの馬の名前なら聞いたことがあるであろう。現在の競馬ブームの立役者で、
記録にも記憶にも残る名馬である。元は地方(笠松)馬であったが、中央に参戦してからも破竹の連勝
は続いた。勝負根性がもの凄い馬で、最も印象に残るのが5歳のときのマイルチャンピョンシップである。
最後の直線でオグリはバンブーメモリーに交わされ、3馬身もの差をつけられた。手ごたえもいっぱいで
完敗か
と思いきや、内からジリジリ追い詰め、なんと最後に鼻差で差し返したのである。直線で一度、おいて
いかれたにも拘らず
再び差し返すのはこの馬以外には見たことがない。さらにこの壮絶なレースの一週間後、
長距離輸送を経て、
ジャパンカップに連闘で挑戦したオグリは再び壮絶な叩き合いを演じ、世界記録で
同タイムの
2着に食い込むのである。非常にタフでもあった。
そんなオグリも燃えつき始めた6歳の秋、6着、11着と惨敗の後に迎えた最後の有馬記念。オグリの
最後を見ようと
いう18万人の観衆の前で、武豊と燃え尽きたはずのオグリキャップは一着でゴールした。
実況アナも観衆も
みんな泣いていた。一つの伝説が完結した瞬間だった。
生涯成績12戦9勝
“皇帝”ルドルフの初年度産駒として大いに期待されていたが、幼駒の頃から他の馬とは異なる抜群の
身のこなしをしていた。2歳の頃、幼駒には飛び越えられないはずの牧柵を飛び越えたという、エピソードが
残っている。
デビュー後は期待通りの快進撃を続け、日本ダービーまで無傷の6連勝し、父同様クラシック3冠も夢では
なかったが、脚の骨折に泣かされた。その後も、さらに2回骨折を繰り返したが、1年休養明けの有馬記念で
奇跡の勝利を修めるなど、父以上に記憶に残る名馬となった。
生涯成績8戦7勝
能力型の逃げ馬。血統的には平凡であったが、丈夫な馬だったので坂路調教でビシビシ鍛えられて強くなった
努力型でもある。前年のトウカイテイオー同様、日本ダービーまで無傷の6連勝を果たし、距離適性に疑問が
あった
菊花賞に挑戦したが、長距離適正が抜群だったライスシャワーにかわされ、惜しくも2着となりその後、
故障が
発生し、そのまま引退となった。悲運の名馬としてファンも多い。
史上5頭目のクラシック3冠馬 / 生涯成績21戦12勝
3歳から4歳にかけて無敵の強さを誇った馬。1歳上の兄に天皇賞馬ビワハヤヒデがいたこともあり、デビュー
当時から期待されていたものの、そのインパクトたるや凄まじいものがあった。3歳のG1を制した後もクラシ
ックでは皐月賞3馬身、日本ダービー5馬身、菊花賞7馬身(レコード)差でそれぞれ圧勝。セニーニャ自身も
彼が出走する度に今度はどのくらい離して勝つかに注目し、そしてその勝ちっぷりにしびれたものである。
5歳になってからは股関節炎を患い往年の強さは形を潜めたが、6歳の春阪神大賞典にて前年の年度代表馬
マヤノトップガンと、3着以降を9馬身ちぎる壮絶な叩き合いの末に制し、世紀の大マッチレースとして人々の
記憶に強く残ることとなった。種牡馬としても怪物2世を期待されたが、引退してから2年足らずでこの世を
去った。
生涯戦績 16戦9勝
最初はただの気性型の逃げ馬だった。新馬戦こそ圧勝したものの、サンデーサイレンス産駒特有の気性難が
災いし
勝てない競馬が続いた。才能が開花したのは5歳になってからである。忘れもしない98年金鯱賞。彼は
競馬史上
最も凄まじい、病的な逃亡劇の末圧勝するのである。
現代、調教技術も格段に進歩して馬の実力差がつき難くなったにもかかわらず、マルゼンスキーやテスコガビー
を彷彿
とさせる能力型の逃げ馬の誕生であった。さらに、その年の毎日王冠では当時4歳馬だったエルコンドル
パサーやグラスワンダー
に影も踏ませない圧勝劇を演じ、最強馬の名を欲しいままにした。
しかし、最期は突然訪れた。その年の天皇賞(秋)。いつも通り彼なりのマイペース(1000m57秒台の殺人ペース)
で逃げて
いた彼は第3コーナーで突然、左前脚粉砕骨折により、そのまま天国へ駆け上がった。後に武豊は
歴代最強馬にこの馬を挙げた。
生涯戦績 15戦9勝
まだ3歳だった頃の彼の走法をみてハッとした。前脚が異様に上がるのだ。この馬はものが違う、と思っていた矢先の
朝日杯3歳ステークス(G1)。圧倒的な1番人気での出走。実況アナが「どこまでちぎるんだ、この怪物は!!」と叫び、
背筋が凍りついたことを記憶している。あのマルゼンスキーのコースレコードを19年ぶりに更新したのだ。
その後骨折が判明し、万全でないうちにサイレンススズカ、エルコンドルパサーと対決し敗れたものの、その年の
有馬記念に勝利し、以後グランプリ3連覇を果すなど、まさに怪物の名に相応しいレース人生であった。
生涯成績11戦8勝
血統が凄い。先祖5代の父系、母系に5頭も同じ馬がいる。かなりの近親配合である。吉とでるか凶とでるか。
注目の新馬戦が凄まじい。第3コーナーまで先頭から10馬身差の最後方だっだものの、ここから異次元の走りで
2着に7馬身差の
圧勝。同期のグラスワンダーの陰に隠れていたが、NHKマイルカップ、ジャパンカップを制し、
一気に4歳最強の称号を得た。その後
活躍の場をフランスに移し、さらにG1を2レースを制し、現役最強とまで
言われるようになった。
最後のレースである世界最高峰の凱旋門賞では、世界最強のモンジューと壮絶な叩き合いの末、惜しくも
2着に破れた。
しかし、海外でこれほどの実績を挙げた馬はいない。負けたレースが全て2着であるということも、
この馬の強さを物語っている。