本文へスキップ

新晃工務店は○○○○○○○○を専門とする○○○○○○○○会社です。

TEL. 0791-72-3894

〒671-1621 兵庫県たつの市揖保川町正條405

会社方針CONCEPT

会社方針

極楽のあまり風

棟梁に成りたい

「自分がいったい何者なんだ」なんてはじめて考えたのは、中学2年でした。

ぼんやりと部屋の真中でいつものように寝っころがりながら、不意に思ったわけです。

そうすると、ずーと見慣れたはずの屋根裏の暗がりから、「上棟式 昭和36年吉日 名村朝次郎建造 大工棟梁 佐々木松雄」という文字がふいに浮かび上がってきました。

私の部屋、といっても納屋の2階を中学生になってからあてがわれただけの話なのですが、天井が張ってありませんでした。毎夜毎夜見つめ続けてきたはずの天空から、それこそ一筋の光が差すように「上棟式 昭和36年吉日 名村朝次郎建造 大工棟梁 佐々木松雄」という文字がぼくにふってきたのです。そのとたん、まだ僕が幼稚園に入る前のころ、我が家の納屋が建替えているときのおじいさんの姿が思い出されました。二階の壁に土を塗るために、梁に滑車を吊るして、土の入ったバケツをロープで引き上げているおじいさんの姿です。おじいさんは、左官屋の手伝いを生業としていたといいます。それからまもなくして、そのおじいさんが亡くなった葬式のとき、僕はおばさんとその納屋の端で泣きじゃくってこんなことを話しました。

「おじいさんは、みんなの家を建てよったから(職業として建築に携わっていた)天国に行けるはなぁ・・・」

それらのことが、パァと思い出されてきたのです。

 「これや!大工の棟梁や」

こんなふうに梁に名前を書いてもらえるのは、その建物を建てるに当たり従事した職人のうち大工の棟梁だけ、そしてその建物が無くなるまでその梁に名前が残る・・・。

 将来の夢は大工になることではなく、大工の棟梁になることが僕の天職に思えたきっかけです。そうすると一日も早く、専門的な知識を身につけたいとも考えました。当然、高校進学は、「竜野実業高校 建築科」と迷わず決めました。

 さて、そんなわけでふみこんだ棟梁への道なのですが、助走時代の高校時代に学んだ想い出といえば、担任の松本先生の口癖です。

「建築は、住宅に始まって住宅に帰る」、そして「土木は文明で、建築は文化」。

もうひとつは、2年の文化祭でクラス作品として教室の中に実物代の茶室を作ったことでしょうか。高校に入ったときから大工になりたいとみんなに言ってたものですから、この茶室の段取りをぼくは任され、建築史の森川先生に茶室の本を借りて勉強したり、茶道部に行って作ったあとの茶室でお茶を点ててもらえるように交渉したりして、その当時の自分としては満足の行く作品が出来たことが、今から思うと「数寄屋」との出会いだと思います。

さらにこの取り組みがきっかけで、松本先生にはアルバイトを紹介してもらい、師匠である福岡親方に出会えさせていただきました。

さて、卒業後は、いよいよ棟梁に向けての修行です。

親方には、大工の基本「仕事は教えてもらうものでは無くて、盗むもの・・・」と「瓜畑で靴の紐を直すな・・・」の二つの心構え、そして何より基本中の基本である手仕事を「手仕事のできるものは機械を使う工夫が出来るが、機械しか使えないものは機械に使われるしかない」のだと、身をもって教えて頂きました。

 しかし、高度成長期の申し子ともいえる新建材にいつしか疑問を持ち始めました。修行をはじめて3年目のそんなころに施主として出会ったのが、小林操さんでした。それこそ実の子のようにかわいがってもらいました。なにげない会話や食事から、いつのまにか作法を教わり影響を受けたのでしょう。さらに気持ちの中でどんどん大きくなってきたのが、生まれ育った藁屋根の家や、高校時代につくった茶室の存在でした。

そうこうしているうちに、5年の年季奉公と1年のお礼奉公を終えました。

そのころには、あとで詳しくお話する「数奇屋」にすっかりひかれてしまっていましたから、数奇屋の基本を学ぶために、今度は黒川棟梁の門を叩き、2年間お世話になりました。

 そして、野々村邸新築工事を機に独立をしました。

 昭和604月のことです。

新建材の疑問

 人工的に作った素材は、新品の時が1番きれいなわけです。たとえば、プラスチックで作られ表面に木目の模様がついた物や、合板の表面に薄いタン板を張って鉱物性塗装(たとえばペンキ、ニス)で表面に強度と光沢を持たせた物は、時代が経つにつれ色があせますし、キズがつけば下地が出てきます。

 それに対して自然素材(木、竹、草、土、石)は、適材適所に用いると、時代が経つにつれ日焼けとか手垢によって味が出てくるのです。それからキズや、使うことで磨り減ったり、風雨にさらされて柔らかい夏目だけが減って洒落てきても、中味まで本物ですから、それはそれで景色になるわけです。それにも増して、無垢の木に紅柄や蝋、酒などを塗って拭き込むと、何ともいえない色艶がでてきます。

感性の差といってしまえばそれまでなのですが、ぼくにすれば、人工物は出来上がった段階で完成品、自然素材は出来上がってなお完成品へと生きつづけていくというわけです。

地球環境と健康住宅

 土に返る素材で家を造りたい。

たとえば木の場合。高度成長期以前の使い捨て文化がない頃であれば、家を造るために山で木を切って材木として家を建てる。その後老朽化して建てなおす事になった時、まだ使えるものは再利用をし、使えないものは燃料として燃やす。そしてそこに残った灰を肥料として田や畑に撒く。こんなふうに自然のサイクルがあったからこそ、廃棄処分なんてことは考えなくてよかったわけです。森林は水源であり二酸化炭素を蓄積する環境資源です。木は、成長する過程で苗木から30〜50年ぐらいの間が成長期で、光合成による酸素の吐く量が多いといわれています。この成長期を過ぎた木を伐採し植林することも、二酸化炭素を減らすことになるのではないでしょうか。

だからといってむやみに木をきるのではなく、太くて年輪の込んだ木は良い材料となるので木を育てて使う適切な管理こそが、自然と人間が持続的に共生してゆく道でもあります。日本列島の3分の1が森林でおおわれているとはいっても、現在の日本の材木自給率はおよそ2割なのです。

 

 百年以上は持つ家を造りたい。

その為には、その木の性質を見抜くことが大切です。使おうとする材料が、引っ張りや圧縮に対しての強度はどうか、水腐れや白蟻に対してはどうか、手触りや見た目はどうか、それにその木がどちらの方向に曲がりや捩れたがっているか、またその曲がりや捩れは強いか弱いかという事などです。これについては、法隆寺の棟梁であられた西岡さん(故人)が言っておられるように、「木組は人組」、「山の南に生えた木は建物の南に」、「材木は地元で」が、まさしく的を得た表現ではないかと思います。

それに、構造材を見せることは、かえって維持管理をしやすくします。どんなに良い建物でも建てっぱなしでは駄目ですから、国宝級の古い建物が幾度となく修理をくりかえせるのも構造材をみせているからでもあります。さらに、構造材をみせることにより、緊張感と安らぎを感じさせることができます。特に太い柱の近くにいると、柱が依代(よりしろ)の感じがして安心するのです。

 

四季を暮らす家を造りたい。

素材のなかには 木、草(畳、紙)、土、炭などのような湿気を呼吸しやすい素材と 石、焼いた土(瓦)、漆、柿渋などの湿気を吸収しにくい素材、そして土のような断熱効果のある素材があります。これらの素材を上手に使うことと、自然の恵みである日光と風を利用することで、梅雨時期の湿気、屋内外の温度差による結露、直射日光による屋内のほてりを和らげ、決してクーラーのように完全空調は出来なくとも、不快感の少ない住まい造りがめざせます。

ところで高断熱、高気密、完全空調の住まいが、自然に生かされているはずの人間のからだに本当にいいのでしょうか。住み手が人工的な空間にたより過ぎることで軟弱になり、自然環境に順応出来なくなってしまわないかという疑問がはなれません。

本当の健康とは何でしょう・・・

数奇屋

数奇屋のひとつの意味は数を寄せるということです。

私が正條に生まれてよかったと思うのは,春には菜の花で揖保川が黄色の絨毯でいっぱいになること、夏には竜野の花火大会をせせらぎ公園の階段に座って見ると山下清画伯の花火の絵そのもののように見えること、秋の渡り鳥が雁行をなして飛んでゆくのが見えること、正月には日出を水門近くから見ると日の出が水面に映ること,冬には雪が降ると土手にあるムクの木の枝に積もってキラキラ輝くこと、これらはみんな不揃いの美で、ひとつひとつの 花、花火の落ち火、鳥、雪の積もった枝、水面に映った太陽のきらきら。みんな個性的で、自由にもかかわらず、全体でみると何ともいえない調和が感動をあたえてくれます。

違う素材はもちろん、同じ素材でも色、形、木目、節、不揃いの材料を一つ一つ見て最良の適材適所を探すこと、そしてそれを自然に見せることが数を寄せることですが、たとえば 石を使おうとしたらただ単純に並べるのではなくて、この石とあの石とどっちにしょうかとか、これに似合う石はどれかとかものすごく工夫をしなければなりません。自然のものをそのまま持ち出して表現しただけでは自然には見えないのです。自然のたたずまいに見せるための技術。基本的に、日本建築はそういう技術にささえられて出来てきているのだと思います。現場で素材とにらめっこしながら造る職人技、それが数奇屋風といってもいいかもしれません。机上の、図面どおりにつくる工業製品、大量生産とは異なり、ひとつひとつの素材が顔をのぞかせる、その楽しみのうえになりたっているのです。

 もうひとつの意味は透き通るということです。

室内と室外の一体化、つまり家の中でも季節を感じることの出来る住まい。たとえば軒下は日本人の好きな「結構です」のことばのようにyesともnoともいえない空間で、室内とも室外ともいえない空間があるからこそ、部屋内と庭の一体化、そして借景を利用して部屋内と自然の一体化が実現したともいえる。

 また深い軒と、冬と夏の太陽高度の違いによって日差しの調整をすることで、夏は涼しく冬は暖かい住まいができます。

 又もうひとつの意味はです。

言うまでもなく風流な人が好む建物のことですね。

 せっかく季節の在る日本に生まれたのだから、四季を空調機などで征服しようとするのでなく四季を楽しみましょう。

 数奇屋といえば、京都です。竜野の街にも江戸時代から京料理と薄口醤油の関係から京都風の数奇屋がたくさん残っています。

しかし、ぼくは、播州の風土を生かした播州の数奇屋が造りたいのです。

極楽のあまり風

住まいを造る仕事にかかわって、なにが幸せかと聞かれたら・・・。

「極楽のあまり風」とでも、ぼくはこたえましょうか。

夏の暑い無風の日に汗をしながら仕事をして、やっと終わって腰を降ろしたとき何処からともなく、

さわやかな風が吹いて来ると、心から安らぎを感じるのです。ここに生きる素材、ここで生きる人たち

のなごやかな声が、その風にのって聞こえてきそうな気さえします。  


CEOメッセージ

CEO

ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。

ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。ここにCEOメッセージが入ります。


会社沿革

20**年
ここに会社沿革が入ります。ここに会社沿革が入ります。
20**年
ここに会社沿革が入ります。ここに会社沿革が入ります。
20**年
ここに会社沿革が入ります。ここに会社沿革が入ります。
20**年
ここに会社沿革が入ります。ここに会社沿革が入ります。
20**年
ここに会社沿革が入ります。ここに会社沿革が入ります。
20**年
ここに会社沿革が入ります。ここに会社沿革が入ります。
20**年
ここに会社沿革が入ります。ここに会社沿革が入ります。
20**年
ここに会社沿革が入ります。ここに会社沿革が入ります。

バナースペース

新晃工務店

〒671-1621
兵庫県たつの市揖保川町正條405

TEL 0791-72-3894
FAX 0791-72-6460