俳 誌 探 訪

中央俳壇の選者が主宰する俳誌の中から、「百鳥(大串 章)」・「海程(金子兜太)」・「古志(大谷弘至)」 の主宰の掲句を鑑賞してみたい。会員たちはこの主宰の指導の下で、ひたすら師を敬慕して一途に励んでおられる。
『百鳥』 12句
城址の碑秋風の吹きはじめけり
・平凡。つきすぎ
萩の花咲かず先師の忌の近し
・平凡。つきすぎ
★林火忌や書架の句集に叱咤さる
・書架に先師の句集を並べてある。句集そのものが先師の存在であり、常に激励されている思い。
稲の花稽古囃子の流れくる
・豊作を願う「風の盆」だろうか。「稽古囃子」の単語はない。
「稲の花稽古の囃子風に乗り」
鯊釣の父と子釣果競ひけり
・平凡。
生涯に定年なしと稲を刈る
・「定年なしと」が俗。
「生涯に定年はなし稲を刈る」
★草紅葉防空壕へ続きけり
・草が青々と茂っているときは気がつかないが、草が萎れはじめて防空壕の存在が見えてきた。含蓄の手法。
蜩のこゑ宙に沁み水に浸む
・宙(そら)は大きいが実感が伴うかどうか。
「蜩のこゑ空に沁み水に浸む」
水澄むや白雲深く沈みゐる
・つきすぎ
秋日傘池の中より現れしごと
・秋日傘=真夏は日傘をさしていてもなお暑い感じだが、秋は十分涼しさを感じる。それが「池の中」。
比喩「ごと」が弱い。断定した方が引き立つ、
「秋日傘池の中より現れし」
秋日傘長屋門見て立ち去りぬ
・長屋門=武家屋敷に続く長屋の一角の門。
ただごと?鑑賞不能。
★大寺の蝉の穴より秋の声
・あれほど蝉が賑やかであった寺を訪れた。寺を包む木々の葉も色づいて、ふといくつかの蝉の穴に気づいた。
その穴には再び戻ることはない。一抹の無常観、侘びしさに秋を感じとった。
『海程』 7句
★今も余震の原曝の国夏がらす
・原曝の国=原爆に曝された国 の造語か。何事もないように鴉はのんびりと。その中で人間は絶え間のない余震に怯えている。
★被曝の牛たち水田に立ちて死を待つ
・8/7/4 の破調が牛たちの悲惨を強調する。
★平凡な都市緑陰に僧構える
・「僧構える」は「僧住める」では平凡。大衆はゴミゴミした市街地に住むけれど、大衆の心のよりどころとなるべき修行僧は、清閑な緑陰に居を構えている。イロニックな一句。
蝉時雨きつねのかみそりの居場所
・蝉たちが夏を謳歌している林の、陰にひっそりと目立たないきつねのかみそり。ただ、何を比喩しているのかこのままでは不可解。
一室に徹底の人寝待月
・一句の動機と対象が曖昧。辛抱強い人を「寝待ち月」に喩えるだけならば理屈に落ちる。
★検査入院明月が待っているとは
・7/5/7 の疑似定型の効果。入院病棟の部屋に満月が射しこんでくる。「異常なし」を月に願いながら仰いでいる。ひしひしと迫るものがある。
長江に映る灯を名の妹死す
・漢語での名(みょう)は 呼び名。揚子江に映る街灯りにちなんだ名前の妹が死んだ。その時のことを思い浮かべている、ということか。はー、難解(汗)
『古志』 15句
月光の果てまで一寸お使ひに
・頼まれて使いに出る。「月光の果てまで」によって、煌々と降りそそぐ明月の状景が浮き立ってくる。
★竹を伐る竹より青き心もて
・竹より強靱な意志がなければ、うまく伐れないだろう。心理を描いた一句。
清らかな水に肥えたる馬ならん
・季語「馬肥ゆる」。「清らかな水」は美しいが平凡、詩にならない。競走馬を外れた馬肉用のものか。
イロニックに、「節水の水に肥えたる馬ならん」
鯉の口ぱくりと秋を一呑みに
・食欲旺盛な鯉の口。「ぱくりと秋」は面白いが、「一呑み」が重複。
「鯉の口ぱくりと秋を一口に」
鶉より早く目覚めて旅立たん
・鶉を飼っているのか、それとも近くの里山にいるのか。ともかく早く出立しなければ、との思いが滲む。
砂町はまだまだ暑し新豆腐
・東京の歴史も古い下水処理場がある。この一帯は秋なお暑し、なのだが処理水は雑用水・海洋放水となり飲食用ではない。
「砂町はまだまだ暑し鴨渡る」
桔梗や波郷の弟子にあらねども
・桔梗(きちかう)が波郷の弟子ではないけれど、と音便の類似をいうのか。であればとりとめもない駄句。
惜命の杖もて秋のただ中へ
・惜命の杖 にすがって秋の最中へ一歩を踏み出す。足もおぼつかない様子を詠う。「惜命」は造語か?。
どの家の飾りとなるや今年藁
・文体より「なるや」は なる?。興味の分散が弱点。
「わが家の飾りとなるや今年米」
★みちのくの牛も新藁敷くころか
・原発の災禍に巻き込まれ殺処分された牛たち。生きておれば気持ちよく新藁に寝ているはずなのに。
いぼむしりまだまだ腹が空くらしく
・まだまだ は口語調。いつもむさぼり食う感じが眼目 だが句柄は浅い。
「いぼむしり未だに腹が空くらしく」
銀杏の実夜風もさらひ尽くせざる
・風にポロポロと落ちるが、なかなか全部は落ちない。浅い寸景。
ふるさとはこよひ芋でも食ひをらん
・平凡。
鉦叩恋してゐるか念仏か
・平凡。
而して大悪人の涼新た
・而して(しかうして)。接続詞「そうして」大悪人は人並みに涼しい秋を満喫している。大悪人 は原発の責任者か、と憶測するが、深読みを期待しては句は成り立たない。
【所 感】
百鳥、海程の主宰は今の俳壇の最先端をゆくリーダー的存在。その実力と人柄は誰しも太鼓判を押す人物。各界からは引っ張りだこなので忙しすぎる。俳誌に明らかなように優秀なスタッフがしっかりと支えている。いずれも芭蕉を研究し「不易流行」を念頭に新しい俳句の世界を目指している。
『百鳥』は定型を厳守して「美しい詩情」を、『海程』は定型にこだわらずひたすら「アニミズム(生き物感覚=宇宙に存在する生き物は全く対等)」を追求する。
『古志』は最近主宰を交替している。俳句の「新しみ・値打ち」は必ずしも年齢には無関係であるが、前主宰の意図は選句に追われていたのでは学ぶべき事が学べない、という思いが強いだろう。自ら「力の伴わない選者」であってはならないと、困難に身を晒す覚悟が見える。真似のできない偉さであろう。
とはいっても若干35才の新主宰の責任は重い。机の上だけの知識をもって、厚い感性は望めないからである。
俳誌には12句、7句、15句 であるが、はたして自信(会員に範を示す)の作品だろうか。会員に劣る作品を恥ずかしいと思わないのかどうか。むしろ三句でもいい、自句の鑑賞を添えることのほうが会員にとっても学習になるのではないだろうか。
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