意見〜交換


 こんにちは、ご質問ありがとうございます。                                         H23/12/22
俳句をはじめた当初は「わからないことがわからない」。だんだん一つひとつ疑問が生まれ「疑問が新たな疑問を呼び」知識は広がりそれに連れて作品も変化し形を整えてゆく。これは永遠に続くようです。でも疑問を抱かなければ何ら進歩がない、と言えるでしょう。

満智子さん(和歌山):素十系の句会に十二年。選者は女性(77才)で添削はしてくれるけれど何故いいのか悪いのか 具体的な説明がないし、最近は虚子の句を中心に教えるようになりました。主宰の句は素十に似ており、引き継いでるようです。今はどちらを目指せばいいのか迷っています。

香奈さん(東京):秋桜子系の句会に八年。選者は男性(72才)です。
秋桜子が虚子の「ホトトギス」を離れた、と選者に聞いたのだけどそれは「素十を褒めたたえたからだ」という。秋桜子の作品そのものは虚子の作品とよく似ていると思うので、如何ですか?。青畝、誓子も似ています。
また句会も口だけの説明では頭に入らないので、友人5人でほかの句会を探しています。
句会や結社の経験を教えて下さい。

ご質問はこのようなことでいいでしょうか、あくまで今現在の私の見解ですので、的確ではないかもしれませんがチェックをお願いします。以下〜


○各俳人の代表句を鑑賞してみます。
1、虚子の句
白牡丹といふといへども紅ほのか  
〜一物仕立て。白牡丹は豪華で美しい。しかしよく見れば純白ではなく、ほのかに紅 の部分がある。人物についても「清潔な人」と見られていても必ずしも真実ではな くそのように見えるだけのこと、を暗示する。

流れ行く大根の葉の早さかな
〜一物仕立て。写生句の典型であるが、美しい寸景ではなく「つまらない捨てられた大根の葉」の動きに着目し生命を吹きこむ。即吟の一句。

去年今年貫く棒の如きもの
  〜一物仕立て。心象の主観句。去年から今年に年は移るけれど、人・生活・自然界そのものには何ら変化はない。時間経過が一本の棒のように貫いただけのこと。
この一句で季語「去年今年」の誕生。

 虚子の「ホトトギス」は明治、大正にかけて一世を風靡した。その間「台所俳句」なるもので女性俳人を誕生させた。それまでは男性の独壇場であったのでこの功績は大きい。子規没後、芭蕉を学ぶ虚子は「客観写生」を提唱。子規の「写生主義=景物を写しとるのみ」であっては瑣末(つまらない)なスケッチに過ぎず、写生+主観 の句を推奨した。

2、素十の句
方丈の大庇より春の蝶
〜一物仕立て。うららかな春日和。どこかの寺の中にいて、蝶が舞い下りてきた瞬間 を捉えたもの。
 蝶は四季を通じて使われるが、春の蝶の「春」の語感もマッチしている。
 作品は美しく・柔らかい。
 素十はありのまま「引き写す」写生なので、季語に忠実な実景描写。
 
3、秋桜子の句
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
  〜取り合わせ。
   啄木鳥の音を耳にしながら、ちらちら舞い落ちる牧場を囲む木々を眺めている。
   啄木鳥の「コツコツコツ」の連続音と「ふらふら」静かに舞う落葉の対比。またま   るで啄木鳥が木の葉をゆすって落としているようにも詠める。「牧」の言葉で広々   とした景色の西洋画を見るようだ。「落葉をいそぐ」が主観。
   作品は美しく・柔らかい。
   まるで雅(みやび)な和歌のしらべである。
秋桜子は知識を総動員して自在に「造形(イメージの組合わせ)写生」なので実景でない場合が多い。
彼の唱えた「文芸上の真」がこの作句法である。

4、青畝の句
案山子翁あちみこちみや芋嵐
  〜一物仕立て。人柄だろうか、目線が低い。案山子に「翁」と丁寧に擬人化する。
   里芋の葉が強風に煽られている中で、案山子も揺れて視線も動く。「あちみこちみ」   が主観。神仏を敬愛する作者らしい。微笑を誘う句(ユーモア)も多い。
  作品は暖かく・繊細。 

5、誓子の句
流氷や宗谷の門波(となみ)荒れやまず
〜一物仕立て。「や」は間(ま)を設けたもの。「荒れやまず」が主観。
 船にあって宗谷海峡の中ほどにさしかかったとき、目の前は高波の中を流氷がうねっていて「この船は大丈夫なのか」、と緊張が走る。
 彼には大胆な即物的風景句が多い。
 作品は瞬時の巧みな構成力。

・満智子さん
  素十の作品のほとんどが一物仕立て、動詞終止形止め。季語と素材の間に「切れ」を 設けて取り合わせ(響き合い、連想)の句は皆無です。一つの物事を徹底的にみつめて それを「柔らかく・美しく」表現すること、写生に徹しています。
「写生」は俳句の基本なので初心者は必ず「写生句」を学びます。
 その後誰もが『俳句とは何か?』のテーマにぶつかります。新聞の文芸欄、俳句雑誌、 全国大会などいくらでも俳句に接することができる。その中でプロの選んだ「秀句」は 参考になりますが、素十系の写生句は全く見られない。「詩情」のない俳句は俳句とし て認知されないのです。単純写生はカメラにまかせておけばいいのです。
 大分の最寄の結社も現在、俳誌をみればわかるように選句のほとんどが「ホトトギス」に近い主観句です。会員は単なる写生句では「類句」が溢れていることを自覚し 、結社は会員をつなぎ止める手段として主観句を認め、またいろんな俳句大会において 「類句」を入賞させているのが実態です。
俳人関係の(旧式の政治的)力 が作用。虚子→立子→汀子 の世襲「ホトトギス」の衰退は免れないでしょう。選句の実際(HP に載せてます)
 これには愛好者も注目しておくべきだと思います。
 今の選者が虚子を教える。とのことですが、虚子の作品をしっかり指導できれば、これは「初心者の域」から一歩前進と考えるべきで歓迎いたします。
 
・香奈さん 
1、秋桜子の「ホトトギス」離脱
  昭和の初期、秋桜子は「自然の真と文芸上の真」を発表してホトトギスを退いた。そ の後、俳誌「馬酔木」に力を注ぐ。
虚子は当時「客観写生=写生+主観」を唱え多くの指示を得て「ホトトギス王国」とさ え言われた。しかし同時に「主観」を重視する俳人が現れはじめ、また江戸末期のよう な季語を軽視する傾向を恐れていた。そこで季語中心の素十を讃え「主観重視」へのブレーキに利用した。虚子ならではの政治的はからいであったとみえる。

  素十は「実物写生」、秋桜子は主観による意識的な「空想写生」。句柄は、やわらかく ・うつくしく・・・「絵画的抒情」である。
虚子は偏った素十に満足してはいなかったが、観念の「空想」より「実景」を評価した ものと思われる。
青畝、誓子、秋桜子たちは、虚子のどちらかといえば意識的造形が制限されている「花 鳥諷詠」ではもの足りず独自の道を歩みはじめた。

  四S の作品には表現は巧みであるが、俳句の生命ともいえる「生活の味わい=喜怒哀 楽」が薄弱。これも彼らの生い立ちに無関係ではない。

2、句会について
  私も俳句を始めた当初(6年前)は最寄りの俳句会に入り、勧められて最寄りの俳誌 「蕗:師系(野素十)」を購読、同時に娘の高校のテキスト「奥の細道」を読み進めました。6ヶ月で蕗をやめて、とりあえず中央俳壇の大串章「百鳥」(2年・同人退会) →長谷川櫂「古志」(1年半失望退会)→ 無所属。

  句会は4個所でしたが、昨年より3つの介護施設(習字、俳句)へ行くようになって 今は2個所。目的は「素材の発見」「人(人物)を知ること」にあります。
 結社の選択は「芭蕉に最も近い主宰」をモノサシにしました。
 俳句の全国大会に応募する場合、結社への掲載作品は認められない(HPに掲載中)。 
 香奈さんが言われるように選者(指導者)のいる句会、いない句会など。  
 そして

  選者がいても著名な俳人の資料をコピーして配る人、メンバーが質問してもわからない 人、口頭だけの説明、勝手(作者の動機にそぐわない)な添削、などは最寄りの句会で はやむを得ない実態かもしれません。
 その点プロの選者を交えた句会は、選者、メンバーとも対等な投句・選句のもとで高得 点の作品は光っている(感想です)。しかし議論の場がないのであまり収穫はありませ ん。
  結社と句会は決して上達の近道ではなく、むしろそれが足かせになるケースが多いのではないか。結論は「自習(好きな俳人の作品を味わう)+公募への投句」。

  時折、大分から福岡まで足を伸ばすので野菜の種代が犠牲になっています(涙;)。
  
  最寄りの句会も運営次第。選者が時間を設けて、白板などで例えば「いい句よくない句」などに検討を加えたり、議論のテーマを提供したり工夫すればいいのです。句座(メ ンバーの質)によっては高得点が必ずしも相応しくない場合も多い。時間は「5句投句 5句選」→「3句投句3句選」でも1句選でもいい、そのほうが効果的です。
工夫がなく、寄り集まって時間をつぶして帰るのもゲーム感覚で楽しければ、それはそれでいいけれど、「学ぶ」に関しては百回出席しても進歩はない。大多数が「井戸端会 議」の時間つぶしで満足するサークルならばそれを尊重したい。他を探すべきでしょう。
 
  師の選択にあたっては「個人の好み」が優先されるので、いろんな俳風の中から選ぶ ことになりますが、その過程で「

俳句の真実」を探らなければなりません。

  句会や結社をあてにしていては力はつきません。「いい俳人(歴史の風雪に耐えた) の作品を学ぶこと」(自習)意外に

上達の方法はないと確信します。できればサークルに中央俳壇において入賞された人、前向きで意見交換のできる人

居れば近づいてみればいかがでしょう。ヒントが得られます。(ただし私は俳句以前に人間性を優先します)。

私の求める俳句は「生活の詩情+自在な表現力」、やはり「松尾芭蕉の俳句」です。


・以上。 多分ご質問に対して不十分ではないか、また異論もあろうかと思いますのでやりとりの中でお互いに学んでいきたいですね。香奈さんの過去の質問でHPに追加充実しております。