芭蕉の足跡(紀行文)



                                              かしまの記
                                          

 『鹿島詣』『鹿島紀行』とも。貞享四年八月、曽良・宗波を伴い、鹿島根本寺の前住職仏頂を訪ねて、名月を賞した折の作。
和漢の古典を踏まえ新しい俳文の創作を試みた文章に、その折りの発句などを添えたもの。底本には、二次の推敲後成稿に達した天理図書館蔵の芭蕉自筆巻子を用いた。

 京の俳諧師貞室が、須磨の浦の月を見に行って、「松陰や月は三五夜中納言」と詠んだという、その風狂

人の昔も懐かしく思われて、この秋、鹿島の山の月を見ようと思い立ったことがあった。同行の人は二人、

浪人の武士と雲水の僧である。

僧は鳥のような黒染めの衣に、頭陀袋を襟に引っかけ、長い杖を鳴らして、禅の修行の難関である無門の

関も妨げるものなく易々と通り抜け、天地の間を一人闊歩して出立した。

もう一人、つまり私は、僧でもなく、俗人でもなく、言わば鳥と鼠の間でどちらともつかない「蝙蝠」と名をこう

むるようなもので、諺にいう「鳥のいない島で幅を利かせる蝙蝠」のように、つきを詠んだ先人もいない鹿島

に渡って月見の風流を決め込もうと、深川の芭蕉庵の門口から舟に乗って、行徳に着いた。



 昼から雨がしきりに降って、名月は見られそうにない。鹿島山の麓に、根本寺の前住職仏頂和尚が、今は

隠居して、ここに住んでいらっしゃるというのを聞いて、草庵を訪ね入り泊まった。杜甫が、大いに「人に深い

反省の思いを抱かせる」と詠んだとかいう。

その詩のようなこの草庵の風情に、しばらくの間、清浄な心を得たような心持ちになった。

明け方の空に少し晴れ間が出たのを、和尚が起こし目を覚ましてくれたので、人々も起き出してきた。月の

光、雨の音、ただしみじみと趣き深い様子ばかりが胸にいっぱいになって、どう句に詠んだらいいか言葉も

出ない。はるばると鹿島まで月見に来た甲斐もなく、不本意なことである。あの何とか言う有名な歌人の娘で

さえ、ホトトギスの歌を詠むことができず帰りかねたという話は、句を作りかねている私にとっては心強い見

方であるよ。

参考文献:尾形仂・著「芭蕉ハンドブック」