芭蕉の足跡(紀行文)



                          更科紀行

                                          

 貞享五年秋、『笈の小文』の旅の帰途に、尾張から越人とともに木曽路を経て信濃国更科の姨捨山の名月を賞した四泊五日の旅を、昼と夜に書き分け、文末に旅中の発句若干を添えたもの。人生の笑えぬ笑いの姿と、無情の相の中で詩に殉じようとする覚悟とが、さりげなく語られている。三点の小異ある本文が伝わるが、底本は芭蕉自筆草稿巻子によった。

 更科の里姨捨山の月を見ようという思いを、しきりにかきたてる秋風が心の中に吹き騒いで、渡しと一緒に風雅の上に心を狂わす者がもう一人おり、名を越人という。木曽路は山が深く、道も険しく、旅寝を続ける体力も必要だと、(かけい)さんが下僕に命じて送らせてくれた。命名が誠意を尽くしてあれこれ気を遣ってくれるけれども、旅のことは不案内な様子で、どちらも頼りなく、物事がしどろもどろで手順が前後するのも、かえって興味深いことが多い。


  
 夜は旅宿をして泊まり、昼のうちに句に詠もうとあらかじめ考えておいた景色や、作りかけて途中で放棄してある発句などを、矢立を取り出して、灯りの下で眼を閉じ、頭を叩き、うなりながらうつむいて苦吟していると、あの世捨て人の坊さんは、旅心の辛さに物思いしているのだろうかと推量して、私を慰めようとしてくれる。若いときに巡礼して回った土地や、阿弥陀様の尊い利益談などをあらん限り取り集め、また自分が奇端と思った体験談などを延々と話し続けるのが、私にとっては詩情の妨げとなって、何も読み出すことができない。とはいっても、句案や話に紛れて気がつかなかった月光が、壁のやぶれから木の間を漏れて差し込んできて、鳴子の音や鹿を負う声もあちらこちらで聞こえてきたのは、まこと秋という季節の本意が、ここに極まった感がある。
「さあ、それでは、月見のお仲間たちに酒をご馳走しよう」というと、宿の者が杯を持ち出してくる。通常の杯よりもひとまわりも大きくて、稚拙な蒔絵が施してある。都会の人は、こんな物風情がないといって、手にも取らないのだが、私にはそれが返って思いがけぬ感興を誘い、中国の詩に見える碧(みどり)の碗や玉で作った美しい壺のような気持ちがされるのも、ひなびた山中の場所柄のせいである。

あの中に蒔絵書きたし宿の月

・あのまん丸の中に、この盃のような蒔絵を描いてみたいものであるよ。この山中の宿で眺める名月の中に。月(秋)

参考文献:尾形仂・著「芭蕉ハンドブック」