朝日俳壇3/7
選者の〜選句
朝日新聞の毎週月曜日。文芸欄ー俳壇を四選者が担当している。金子兜太・大串 章・長谷川櫂・稲畑汀子の四氏である。
10句を入選とし、そのうち一席、二席、三席の秀逸句に寸評を加えている。
選句=創作でもある。これらから選者の力と俳風も見えてくる。
稲畑汀子・選
@寒明や公暁の銀杏蘇り
寸評)厳しい寒がようやく明け立春となった。気がつくと木々の芽が燃えだしている。鎌倉鶴岡八幡宮の公暁の大銀杏も蘇って新芽を吹いた。季節の推移を感じる。
Aやはらかに春風の吹く命惜し
寸評)心地よい春風を身にまとい生きている喜びの実感がわき上がった。
Bスコップもすぐに売切れ雪の朝
寸評)雪の積もった朝、はやスコップが売り切れと知った。
・平凡。
C降り足りし朝の春光濡れてをり
・平板。
D探梅や卑弥呼の国へ迷ひけり
・平凡。
E山の辺の道に摘みたる蕗の薹
・平凡。
Fものの芽にもらふ元気でありにけり
・平凡。
G立話弾んでをりし雪間かな
・平凡。
Hその先は道の展けて野梅かな
・平凡。
I風さへも消えていまひし春の野に
・平凡。
★10句の中の私の眼
☆なし
☆@寒明や公暁の銀杏蘇り
〜名所で効果を出す手法には賛成できないが、「銀杏蘇り」の効果。
☆Aやはらかに春風の吹く命惜し
〜「春風駘蕩」の言葉のように、春風といえばやわらかな風。重複している点が難だが、「命惜し」の効き目。
◎「所感」:高齢ながら虚子の血統を守って第一線で活躍されている。
「ホトトギス」は子規が創設したものだが、虚子は西洋風の写生の平板を嫌って、写生に心情を投影するいわゆる「客観写生」をうち立てた。詩情を持たせたのである。
選者の能力にも係わるが、詩情のない俳句は含蓄に乏しく平凡・平板である。祖父である虚子とは格差が大きい。
注意しなくてはならない点は、俳句入門者は先ずわかりやすい「写生」から学ぶのだが、これに留まっていると含蓄・余韻のある「 詩情の句」を作れなくなることだ。いくらキャリアを重ねても・・・。
この方が今の俳壇の一線に顔を置く。世襲の権威主義のみを引きづっている。
金子兜太・選
@秋よりも彼方へ去りし白の蔵王
寸評)長谷川氏。冠雪して、さらに一層空にその存在を鮮やかにした蔵王。清浄の感極まりなし。
A熊蜂のようなドクター詩集読む
寸評)大谷氏。「熊蜂」の喩えが個性的。「詩集」は少し付きすぎ。
B東京やクーデターみたいに冴え返る
寸評)峠谷氏。妙に実感あり。何故か。
C春の夜の彼の水べりの火のぢごく
寸評)井原氏。水べりで燃やされている火の激しさ。
・なんで火を焚いているのか、が今一つ。
D椿咲く深海の古代船静か
・不明。
E真空のやうな真夜中春の雷
F春立ちぬ僧と歌いし涙さうさう
・平板。
Gきさらぎの色きらきらと赤子かな
H炬燵寝に覚めしサッカー優勝す
・平凡。
I男根は一本の神葱坊主
寸評)桜井氏。愉快。ただし葱坊主がまだまだ。
★10句の中の私の眼
☆@秋よりも彼方へ去りし白の蔵王
〜秋の紅葉より遠ざかって見えるが、清浄一色の景。
☆Gきさらぎの色きらきらと赤子かな
〜そういえば確かに赤子は「未来」に輝いている。かな表記「きさらぎ」と「きらきら」に敬服。
☆A熊蜂のようなドクター詩集読む
〜「熊蜂」と「ドクター詩集」の対比の効果。
◎「所感」:毎週の選を拝見して、さすがに若い頃から勤め人、戦争体験をされただけあって、甘い辛いに通じ「痒いところに手がとどく」。私の求める余韻を踏む俳句ではないが、瞬時のインパクトが冴え、選も一貫して冴えている。尊敬する選者である。
あと100年は活躍して日本の俳界に刺激を与えつづけていただきたい。
長谷川櫂・選
@母猫や乳房ゆらして子のもとへ
寸評)優しい母猫である。こうした子への愛によって、生きとし生けるものは命をつないでゆく。
Aうすらひの影にひかりのありにけり
寸評)陰っているかと思えば、ほのかな光を帯びている。薄氷のかすかな暗さ、明るさをとらえた。繊細な一句。
・加工した一句。春の薄氷を果たして持ち上げることが出来るかどうか。俳句は理屈ではないが、詩的な内容のつじつまが合っていることが前提。
B春愁とふ春終りても消えぬもの
寸評)季節をいえば、やや早すぎるのだが、こんな春愁もある。そのまま五月のメランコリーへ。
・「春愁」は春の内、「春終りても」は過去形だから夏。句意も曖昧。つじつまも合わない。
C春寒や音一つなき蔵の中
・平凡。
Dおおと遇ひ熱燗二本で別れけり
・平板。
E春眠や口もあいとる目もあいとる
・ユーモアであるが平板。
F厠上に杜甫の律詩や春立ちぬ
・めずらしい句柄だが、季語が動く。
G洗濯機朝より廻る春の水
・平凡。
Hひとくちの越後の新酒病みあがり
I今年竹まだかりそめの竹の色
★10句の中の私の眼
☆@母猫や乳房ゆらして子のもとへ
〜犬は二匹、猫は五匹ほど産む。待ちかまえる子のもとへ・・・、臨場感。
☆Hひとくちの越後の新酒病みあがり
〜挨拶句ともいえる。おそるおそる好物の酒を口に運ぶ。
☆I今年竹まだかりそめの竹の色
〜今年竹の背丈は一人前だが、青二才の色を帯びている。
◎「所感」:芭蕉の評論など著書が多く、読ませていただいた。現代の俳人100人の句に観賞を加えた本も読んだ。
確かに学んだ知識を総動員した「観賞文」は読み応えがあった。しかし、選者の立場における実績を拝見するとき、まだまだ確 たる俳風を捉えていない。「詩」を獲得するには知識と願望だけでは不可能であり、「庶民の生活体験」、焼けた舗装道路を裸 足で歩く苦しみも味わってこそ「感性」産まれる。
「おねだり」や「余韻のない説明」の句を選ぶところに自覚のない甘さがある。このような選句にきっと金子氏は唖然としていると 思われる。逆説的には選ばれた作者の句は、正当を欠いた「貧弱な一句」とみなすことができる。
能力の有無を別にして、まだ己を見直せば挫折する年齢ではない。
大串 章・選
@軒つらら聖者の杖の如きかな
寸評)比喩「聖者の杖」が想像の世界へ誘う。この太い氷柱を一振りすると、流氷が裂けて道が出来るかもしれない。
A揚げひばり野がステージの声楽家
寸評)揚雲雀と競うように、声楽家が野に立って歌をうたっている。
○「揚げひばり」を人にみたてた一句、とも見える。
Bインパネス着てあいまいな男来る
寸評)近頃インバネスとは珍しい。「あいまいな男」という言い方がなんとなくわかる。
C立春や俳句の鬼となりきれず
・俳句に俳句を詠う。感心しない手遊び。
D雛の間となりし仏間の華やげる
・平凡。
E異国語の飛び交ふなかの春愁ひ
・異国で詠んだ句なのか。やや曖昧。
F春雪に旅の予定のかき消えし
G日輪の懐の中日向ぼこ
○巧み。
H水温む水描かざる鯉の絵も
○鯉だけの絵。
I人面のやうな木の瘤日脚伸ぶ
・やや季語に無理がある。
★10句の中の私の眼
☆@軒つらら聖者の杖の如きかな
〜寸評の通り、詩的空間を醸し出して、想像をかきたてる。
☆Bインパネス着てあいまいな男来る
〜季語と「あいまいな男」の見事な響き合い、滑稽味。
☆A揚げひばり野がステージの声楽家
〜寸評の詠みと私の詠み。「野がステージ」の拡がり。
◎「所感」:選者の「わかりやすい俳句入門」を手に入れた。芭蕉を追求している姿勢が伺える。しかし、結社の月刊誌に顔が見えない。それだけ指導者の層が厚いわけだが、それほど忙しいのだろうか。選句も的を得ている。
「蕉風」を継承する先頭に立っていただきたい。
![]()