「秋」;あらかじめ候補を選び、その中から選句 ・印
8/22ーF公民館
○・老いたりと思ふ夜となる花火の夜
〜若き頃の花火見物は胸がはずんでいた。あの当時を思い浮かべ、花火の音を聞きながら改めて自分の老いを噛みしめている。「夜」が二つは要らない。
添削例) 老いたりとしみじみ思ふ花火の夜(・類)
○・おはぐろやスローライフの一日過ぐ
〜ハグロトンボの動きが、少し飛んで止まりまた飛んで止まる。スローライフの人間に準えている。
ただ「おはぐろ」が江戸時代の女房の歯。なのでハグロトンボがいい。
添削例) ハグロトンボスローライフの一日過ぐ
◎・廃校の尊徳像や萩の花
〜廃校の片隅に尊徳像が昔のままに遺っている。付近は大きく茂った萩がやはり昔のまま咲いているのか。小学生の頃、その近くで遊んだ状景を思い出している。
○・磨崖佛秘めたる歴史風は秋(類)
〜岩に彫り込んだ仏像の彫り跡は、そこここが欠けて風化し荒んでいる。まさに弱い人間の神仏への信仰の歴史。「風は秋」がぴったり。「秋の風」では思い入れが軽薄になる。
○・蜩や天領へなほ山一重
〜蜩が天領日田の山中で鳴いており、もと天領らしく一層高らかに聞こえる。ここで「山一重」といえばやや遠くから眺めることになる。遠ければ蝉の声も聞こえないので、山の夕日が暮れてゆく状景に、
添削例) 蜩や天領へなほ山暮るる
○一世紀梁のうべなふ魂祭(類)
〜とある寺院での魂祭り。寺の梁のややくすんだ色合いが一世紀の歴史を語っている。一世紀ではインパクトは薄いけれど「うべなふ」の表現の効果。この場合、ウソをついて六世紀 とかすればグンと一句が引き立つ。逮捕されることはない。
添削例) 六世紀梁のうべなふ魂祭
○さざ波に雲の影置く赤とんぼ(類)
〜雲の影がさざ波に写り込んでいる、その上では赤とんぼが群れて舞っている状景。であるがこのままだと正確には「赤とんぼがさざ波に雲の影を置いている」となる。俳句の注意点の一つは助詞(て・に・を・は)によって大きく意味が変わることと、掲句のように上五、中七、下五 が一体となって的確に句意が表現されているかどうか。リズムだけにとらわれて句意を失えば悔?が残る。
言葉を入れ替えて「切れ」をいれる。
添削例) さざ波に置く雲の影/赤とんぼ
○手先まで遊女に化身盆踊
〜遊女は芸達者でもあった、という。「手先まで」であるからしなやかな体のひねり具合もすべて。遊女は鏡の前で一人でも努力を惜しまなかった。作者は経験者なのか、でも・・・。
○歳月の指よりこぼれ萩の花
〜月日があたかも何かが指よりこぼれ落ちていくようにとりとめもなく早い、萩には楚々とした可憐な美しさと、散るときはあっけない脆さが見える。「こぼれ(自動詞、下二段、連用形)」が効果を発揮している。
○鈴虫の庭に配され餅の臼
〜餅の臼が庭の隅っこに置かれている。その中から、または付近から鈴虫の声、が句意。
このままでは「鈴虫が庭に置かれている。そこに餅の臼がある」と解釈される。句意を正確に表したい。
切字「や」をいれる。
添削例) 鈴虫や庭に置かるる餅の臼
所 感;とりあえず今の時点で(類)を記入した。サイトアップすれば全国の俳句愛好者から指摘が集まるので、その都度記入して いきます。
いつも句会で不思議に思うこと。それは選句のとき、すべてを書き写している人を見かける。句会において観賞力(句意と値打ちの判定)を養うための大切な時間帯である。じっくりと詠み取る時間が無駄になると思えてならない。リーダーも会の進行を考えて落ち度がないように、と書き取っているようだが、その必要はない。
8/26ーH公民館
句会は月一度(金)、15人くらい。5句投句+席題1句で6句選句。
○・竹管の皿の山女の化粧塩
〜ありのままを詠う。でも珍しい写生句と見た。写生句であっても「おやっ」と思わせる工夫が要る。
たいてい焼くときに死んでいても体がうねるし、そのときもがくので尾ひれが反り返る。悶絶を想起させる。
添削例)竹管の皿の山女のくねりかな
○・蝉時雨止む一瞬のしじまかな(類)
〜とりわけ油蝉や熊蝉は騒々しい、一匹でも。鳴き声が止んだ瞬間のホッとした静寂をとらえたもの。これは誰もが一句にしやすいので類句が多い。逆に秋の蝉(蜩、法師蝉)が鳴き急ぐ風情をだしてみたい。
添削例)暮れなづむそのひとときの秋の蝉
○・幼子の雷といふ大花火(類)
〜大きな音は大人でも雷か、と間違うことがある。それだけに類句も多い。季重なりであるがこのケースは大丈夫。ただどちらの季語も必然であることが条件。感動詞「ああ」とすれば臨場感が出る。
添削例)幼子の雷といふああ花火
○・終戦日戦艦大和語りつぐ(類)
〜戦艦武蔵とともに国力を注入して造った大型戦艦。第二次大戦で活躍したが、数十倍の戦力を持つアメリカにして撃沈された。
しかし、これによって敗戦を決意したわけではない。決定的なものは広島。長崎の原爆であった。
戦争末期に沈没されたので、原爆とかみ合わせてもいい。
添削例)原爆忌戦艦大和語りつぐ(・類)
◎・浄土へのハート一発揚花火
〜天空を浄土と見立てた一句、着想がいい。若いカップルは愛情、老いた人は浄土を描く。「ハート一発」が優れている。
席題 : 朝顔
☆・朝顔の咲いた数だけ子の笑顔
〜「咲いた数だけ」には二つの意を含む。一つは、咲いた数(またそれ以上)の子供がいる。二つ目は、子供は一人でもたくさん咲いたような笑顔。若い人だが素晴らしい、将来が楽しみな秀句。
◇自句鑑賞
俳諧、俳句を職業としてきた、またしている「俳人」は江戸時代〜現在まで386人。生存して活躍している人がおよそ100人、その中で中央俳壇(伊藤園、朝日、毎日、日経、NHKなど)で名声を得ている人が約40人。名声を得るにはまさに政治家的な裏道をたどる例も聞こえる。
先ず結社への裏献金で「賞」を重ねる(句は主宰の影の添削で提出)。文芸家協会や推薦者とのコネクションなど。実力は勝っていても中央俳壇に顔を出せない俳人の多くは貧困層、金のある俳人は俳論、句集などの著書(出版費用の割に印税は限られる)を発刊してアピールする。人の世常?。
幸い「てんゆうの俳句」をサイトアップして多くの「真実の俳句を追及する俳人」の声と出会うことができた(現在16人)。むしろ中央俳壇の選者のほうが見劣りがする(大串章氏、金子兜太氏、鷹羽狩行氏を除いて)。
投句には5句のうちいくつか、サイトで交友している俳人の洗礼を受けたものも投句(♪)。
「本人の投句をみたい」との声もあるので掲載する。
酒をよぶ茗荷の花をとりにゆく
〜茗荷は豆腐に振りかけたり天ぷらにしてもおいしいが、そのまま醤油とラー油をかけてのお摘みがお酒にピッタリ。酒といえば茗荷、茗荷といえば酒、の人生。
ふつと見れば鏡の裏に亡母(はは)の貌
〜無季。有季定型は基本であるが、句柄によっては稀にではあるが無季でなければ思いを的確に表現できない場合がある。これがその一例。例えば「桃の花」や「月影」などと取り合わせの句を見かけるが、自分にとって母の面影は、ある特定の場面だけのものではなく、四季を通じての「母の風貌」が焼きついている。
なお、副詞「ふつと」は思いを強調するためであり「ふと」では弱い。
灼熱の道に死ぬるか秋の蝉(・類)
〜命が尽きる寸前の、道路にひっくり返って羽をバタバタさせている蝉。道は焼けているのでダメージも大きいだろう。でも蝉にとっては生まれた山の中の方が本望ではないか。
♪月の風呂この手この足この体
〜ある露天風呂での吟。美しい月の下の風呂の水に、生まれたままの自分をみつめている。とりあえず生きているのでお粗末ながらこの手、足、体は自分であることを実感する。そして100年後も月は同じように地球を照らしているだろう。その時ここには今と同じように誰かがこうしているだろうか。
初秋の蚊頬寄せあへるふくらはぎ
〜夕方、大分の若草公園をうろついていたとき、木陰のベンチで若い(年齢不詳)カップルが顔を寄せていた。ふと浮かんだのは「蚊」、たぶん足に刺しているはずだ。蚊取り線香を置く必要がある。
こんな発想は紛れもなく老齢化の証拠ではあるまいか?
席題:朝顔
あさがほのその眼裏の長崎忌
〜句意は二つ。一つは朝顔は昼頃にはしぼむ。原爆は11時過ぎに投下されたがこれを朝顔は見ている。一つは人が毎日の朝顔の美しい姿を眺めていたその目で思いも掛けず恐ろしい原爆を目の当たりにした。その人は被爆したが辛うじて生き残った。
あえて季重なりを選択。原爆忌にはこの「あさがほ」は絶対。
所 感;俳句ではすでに立秋を過ぎて一月たつが、中には相当数の「夏の季語」が目立つ。句会の通例は当季雑詠に限られる(全国共通)。
また季語以外の植物名を季語として詠っている人もいる。歳時記は見ているのか、それとも句会に臨む態度がいい加減なのか?、少しずつでも進歩してほしい。
8/27ーK公民館
◎・夏逝くや草生に沈む捨て小舟
〜夏も終わりの頃、川辺の生い茂った草むらに小舟が放置されてある。寿命が尽きて捨てられたのだろうか。「草生に沈む」の措辞が並ではない。句柄のインパクトは薄い。「夏逝く」と「捨て小舟」も付き過ぎ。月に照らされている侘びしさを、
添削例)夏の月草生に沈む捨て小舟
◎・あぶら蝉感謝感謝(シェイシェイシェイシェイ)と誰想う
〜「感謝感謝」が思いきった表現。鳴き声はむしろ熊蝉であり「誰思う」が疑問。
添削例)熊蝉や感謝感謝(シェイシェイシェイシェイ)と日もすがら
○・女湯をパトロールおはぐろとんぼ(類)
〜俳句は俳諧から生まれた。俳階=滑稽(おかしみ)を求めて確立したもの。本来の中七と下五に並べた方がリズム感も生まれる。
添削例)女湯をおはぐろとんぼパトロール
○・かまつかの彩震はせて風遊ぶ
〜かまつか=鎌の柄・ツユクサ・葉鶏頭・川魚 など意味が重なる。作者は葉鶏頭を詠う写生句。とりわけ一物仕立てはわかりやすくしたい。「彩」は読者の想像に任せる。
添削例)風遊ぶ葉鶏頭を震わせて
○・河鹿鳴く峡の湯宿の星あかり(類)
〜星の夜、湯宿にいて河鹿の美しい声を聞いている。「星あかり」を下五に置けば焦点が「河鹿」と「星あかり」に分散される。
添削例)河鹿鳴く星の湯宿の端居かな
△涼しさやガラスの皿のうすみどり(類)
〜皿の色を見て涼しい気分になった。季語「涼しさ」は藍色でも透明でも適応する、ということは季語が動く。少しひねって読者に暗示を与える。
添削例)涼しさやガラスの皿のガラス色
△片陰や井戸端会議なお続く(類)
〜正直過ぎて面白くない。
添削例)片陰の井戸端会議はたと止み
○人も木も草もだれゆく土用かな
〜土用の鰻で夏ばてを防ぐ。俗語「だれゆく」の進行形を「だれたる」の断定にしてインパクトを、
添削例)人も木も草もだれたる土用かな
△送り火や裳裾をゆらし風逝きぬ
〜御霊を送る送り火を焚いている、その裾を風が揺らす。読者は「だから何ですか」と思うのみ。ひねる、
添削例)送り火の火影の揺るる裳裾かな
◇自句鑑賞
秋立ちぬ順風無風向ひ風(類)
〜やっと秋の気配。しかし人生の旅路は一筋縄ではない。いろんな試練も待ち受けている。
群すずめ首なき案山子遠巻きに
〜諧謔の句。首が無いので雀も気持ち悪い。
♪露の世の指紋のごとき一句かな
〜わずかな現世にただ一途に「自分だけの一句」を目指す。
愛してる言いつつ秋の蚊を叩く
〜ベンチのカップル。蚊に気づくような愛では、おぼつかない?
セシウムの色無き風にまぎるるか
〜今回の福島の放出したセシウムは、広島の169倍という。当時より一貫して「ただちに害にはならない」に隠蔽された実害はボロボロとこぼれ出てくる。
所 感;最近畑の近くでやってると聞いて参加してみた。時間の制約があるとはいえ選者の投句もなく一方通行なのは極めてめずらしい。選者の力(創作力)が見えないし初心者の投句に○印をつけるだけでは選者の役割は果たせない。何よりも選者は初心者の上達をはかる工夫を常に念頭におかなければならない。最も効果的な方法は、ホワイトボードを使っていい句とそうでない句を例示してみんなの意見を求めながら具体的な鑑賞を加えることが大切である。
○手花火に大きな未来見る子供(類)
〜小さな手花火であるが実は大きな未来を湛えている。小と大の対比も効いている。
○出征の靴音のまま終戦日(類)
〜類句は多いが、この訴えは閉ざしてはいけない。
◎俳句結ぶ縁の糸や衣被
〜季語「衣被」の比喩。ねばねばと、このような季語で縁(えにし)がある。
◇自句鑑賞
広がらぬ花火のごときパートナー
〜恋愛はすべてがうまくいくわけではない。でも一緒に花火見物に出向いたがいまいち・・・。
手花火やきらりと光る涙の目(類)
〜叱られて泣いていたが、「さあ、花火だ」の一声で勇んで表に出る子供心。
〜自分の腕前が一瞬で決まる。またこの瞬間が仕事を生活を左右する。緊張感。
セシウムのシャワーの中の子供たち
〜「直ちに被害はありません」の言葉も空を舞う。最大の被害者は罪もなく無知な子供たち。
10/10F公民館
○・三歳の先制パンチ秋高し
〜取り合わせ。子供を叱ったらいきなり殴られた驚き。それだけ婆ちゃんと良く馴染んでいる光景である。「高し」でパンチの音を表明しているようだが、やや付きすぎ の感じ。このパンチで秋の侘びしさを吹き飛ばす感じを出したい。
添削例)三歳の先制パンチ秋の暮
◎・容認は悟りの一歩秋日向
〜取り合わせ。自分の思うようにならないことが多いのだが、これにこだわれば自分自身も不愉快な思いをする。全てを受け入れて「悟り」の境地になりたい、願望を詠う。日向にいて・・・。含蓄がある。
「日向」は付きすぎ。むしろ柔らかな気分を出せば、
添削例)容認は悟りの一歩秋日和
◎・木の葉髪空返事して従はず
〜高得点句。取り合わせ。年齢を重ねた夫婦などは、なかなか昔のようにはいかない。特に女性の方がその本来の強さを発揮してくる。「木の葉髪」と「従はず」との取り合わせの発想がいい、含蓄はないが反語表現にインパクトがある。
○・負けぬ気の強い二女です椿の実
〜取り合わせ。ある日ある時口論をしたのかもしれない。ほとほと二女の強情さに手を焼いた。取り合わせ の場合、1、一貫してイメージを通す手法 2、イメージを軽く外す手法 3、二物衝撃(逆のイメージの季語)を狙う手法 があり、多くの場合 付きすぎ が問題になる。
その兼ね合いは難しいところであるが、3 の方に秀句が多い。
また季語が動けばいけない。意志の固さを「椿の実」は「胡桃の実」「銀杏の実」へも動くし、これも 付きすぎ を招く。本来の名月でなく芋名月とひねる。また口語調はやや軽すぎるので文語調に、
添削例)負けん気の強い二女なり十三夜
○・秋灯やどこに座しても遺影の目(類)
〜一物仕立て。「や」は「の」でもいい。仏壇の遺影を前に、灯りの下どの方角にいても目線が合う。まるでこちらの心まで見透しているようだ。心配してくれているのかもしれない。
含蓄はない。「秋灯」は、「秋彼岸」「秋深し」「秋の昼」などいくらでも動く。さりげなく晩秋の雰囲気を出し「目」を強調する。
添削例)秋惜しむどこに座しても遺影の眼
○コスモスや熱き記憶の文学書
〜取り合わせ。「コスモス」と素材との響きがあいまいなので鑑賞できない。何かの文芸書を踏まえているのであればそれを匂わせてほしい。
○蟷螂の眼の中に深き湖
〜一物仕立て。問題は詠む人が「深き湖」と実感するかどうか、一般には「思慮深い」感じを受けるようであるが。でもよく観察すれば「緑っぽい湖」に見えるのかもしれない。しかしこれも単純写生に過ぎない。「に」より「の」の方が深い。
○志高湖の鴨来る前のしぢまかな(類)
〜一物仕立て。鴨(冬)がまだ渡ってきていない状景、捉えどころがいい。
「鴨来る前」がいかにも説明調。また「志高湖」の名称は、歴史上全国的に認知されてはいないので通用しない。
添削例)渡り鳥居ぬみづうみのしじまかな
○売られゆく牛に牛泣く秋の暮(類)
〜高得点句。一物仕立て。現在は肉牛・乳牛を畜産農家が飼育しているが、昔の農家ではこの光景を多くの人が経験している。牛のセリに出すとき、仔牛が無理に曳かれてゆくとき、仔牛も親牛も悲しい啼き声が続く。
一目でわかる初心者向きの一句、類句が多い。句としては、暮れ時ではなくたいていは早朝に連れだす。秋の終りの暮の秋 でもいいが、付きすぎ になるので、泣き声が空に限りなく悲しく響きわたる感じで、「牛泣く」の説明調を「泣く牛」として 切れ を入れる。
添削例)売られゆく牛に泣く牛秋の空
◇自句鑑賞
秋の宵心の振り子首二つ
〜「首二つ」は人と人。良きにつけ悪しきにつけ「心の振り子」は揺れ続けている。
「首二つ」に異論あり、当然の指摘である。確かに普通の感覚では「君とぼく」などとすれば詩的情緒は保たれる。しかし二人を特定するよりも、不特定の二人とすることで、人間同士誰とでも通じ合う 句の広がりが生まれるしまた類句も避けられる。それならばむしろ「顔と顔」の方がよかったかな・・・。
秋夕焼鬼置き去りにかくれんぼ
〜子供の頃はどこも子だくさん。必ず近所の子が集まって遊んだ。夕焼けはすぐに暗くなるのでかくれんぼも中途半端になったり、鬼を置いたまま家に帰ることも度々あった。
♪西行や雲の間に間の十三夜
〜平安時代の後期、出家の身の歌僧・西行は月を眺めて「人生」を詠み続けた。時代は大きく揺れ戦乱の最中にひたすら月を題材に庶民の生活を、また権力の乱れを案じて・・・。その月を現実に我々が眺めている。サイトの高得点句。
銀杏(ぎんなん)や腰曲げてきて曲げて去る
〜銀杏を拾うのが老婆の役目?かもしれないし、それを家族に与える楽しみの一つかもしれない。音もなく黙々と来て静かに立ち去っていった写生句。沈黙の中に老人のひそかな生き様が見える。
子らは散り君なき庭に柿たわわ(類)
〜今は夫婦二人きりの生活であるが、いずれは一人が残る。食いもしない柿だけたくさんの実を成らせている光景。人は減り柿はたわわ、多・少の対比を詠う。
所 感;どうしても句会における選句は、わかりやすい「見え見えの句」を選びがちである。そんな句に限って「含蓄に乏しい句」が多い。短詞型の俳句は短い17文字でどれだけ多くの事を表現できるか、にかかっている。句の値打ちは、ひと言で「含蓄の深さ」と「人生観の広がり」及び「インパクト(おどろき度・意外性)」にある。
全国的に統一された句会の規則。それは投句数と選句数は、選者も会員もみな対等、でなければ選句数を数える意味がない。
ある人物だけが5句のところ6句選句すればその句会は成りたたない。これは常識以前の見識である。
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