お聴きの曲は…『モーツァルト/レクイエム ニ短調 K.626』より、
“入祭文:主よ、とこしえの平和を”です。


アマデウス、そしてサリエリ





 神童モーツァルトの映画といえば、『アマデウス』。

 私があの映画を見たのは中学生の時でした。
 当時、吹奏楽部でトランペットを吹いていた私は、自分の才能のなさにうんざりしていました。
 新しい楽譜をみんなほぼ一週間かけて譜読みをしますが、私が毎日誰よりも早く音楽室に通い、地道に楽譜を読むのに対し、同じパートの一人は、ふらりとやってきて、さらりと楽譜を読み、ものの一時間で曲を完成させてしまうのです。
  
 そんな頃、見た映画が『アマデウス』でした。
 当時の宮廷音楽家サリエリが苦心して曲を作り上げるのに対し、モーツァルトはインスピレーションで美しい音楽を次々に作曲している。しかも、当の本人はその才能とは裏腹にとんでもなく下品で傲慢な若者だった。サリエリに与えられた才能は、後世に残る曲を作ることではなく、後世に残る曲を見抜くこと。サリエリは神を呪い、神に愛されたモーツァルトに殺意を抱く−−。

 初めてあの映画を見た時、鳥肌が立ちました。

 映画『アマデウス』は、伝記映画でも、音楽映画でもなく、どちらかというとサスペンス映画です。
 ところどころにちりばめられた真実と、もっともらしいたくさんのウソで、上質のエンターティメントに仕上がっています。
 さて、実際の宮廷音楽家サリエリはどんな人だったのでしょうか。そして『アマデウス』とは?





 モーツァルトのフルネームは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトです。
 しかし本当の名前は長い。

 ヨハンネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオフィールス・モーツァルト
 Johannes Chrysostomus Wolfgangs Theophilus Mozart
 
 と、いうのが本名です。

 この長ーい名前を付けたのは、『おもちゃの交響曲』を作曲した教育パパ、レオポルドに違いない。

 アマデウス(Amadeus)とは、本名の一部である、テオフィールス(テオ=神が・フィールス=愛する)を、同じ意味を持つラテン語、アマデウス(アマ=愛する・デウス=神が)に変えたもので、モーツァルト自身が自分に付けたあだ名だそうです(参考文献:都築正道著「音楽美学をあなたに」)。
 要するに「神の寵児」という意味ですね。自らをそのように名乗るとは、やはりモーツァルトってお茶目さんなのかも…。





 アントニオ・サリエリ Antonio  Salieri は、イタリア出身の、当時栄華を極めたハプスブルグ家の宮廷音楽長まで登りつめた音楽家です。

 サリエリ自身は、モーツァルトのような後世に残る素晴らしい音楽は残さなかったものの、ベートーヴェン、シューベルト、リストなど偉大な作曲家達の師として足跡を残しました(シューベルトの映画『未完成交響楽』でも、ワンシーン、サリエリが登場しています)。
 また、作曲家兼ピアニストとなったモーツァルトの子供の一人、フランツは、サリエリに師事しています。

 映画の中で、晩年、サリエリは全く無名の音楽家となってしまったかのような扱いですが、決してそうではありません。彼はウィーン楽壇の重鎮として、当時の若い作曲家達に多くの影響を及ぼしたのです。





 さて、モーツェルトはサリエリ扮する黒服の男にレクイエム−鎮魂ミサ曲−の依頼を請けるのですが、それによって徐々に追い詰められ、死に至ります。

 諸説あるのですが、実際にそういう依頼はあったようです。

 夏のある日、モーツァルトは“灰色の服”を着た男の訪問を受けました。その男は、レクイエムの作曲を依頼し、名乗ることもなく去っていったのです。そして日を置かずに現れた“灰色の服の男”は前金として幾許かのお金を支払い、残金は完成時に支払うと言って消えてしまいました…。
 その頃、自分の健康に不安を感じていたモーツァルトは“灰色の服の男”はあの世からの使者であり、自分自身のためにそのレクイエムをかくのだ、という強迫観念に取り付かれてしまった、と言われています。
 しかし、この説にも異論を唱える人もいますし、どこまで本当か分かりません。

 いずれにせよ、モーツァルトはレクイエムを完成させることなくこの世を去ります。夫の死後、妻のコンスタンツェはこれを補作してくれる人を探し、委託された弟子のジェスマイヤによって、曲は完成されます。
 コンスタンツェはこの楽譜を受け取りに来た“灰色の服の男”に渡し、残金を受け取り、さらにこれを出版社に売ったのでありました(なかなかしっかりしてる奥さんじゃありませんか)。





 レクイエムの楽譜を受け取った“灰色の服の男”はワルゼック伯爵をいう人物の使いのものだったと言われています。ワルゼック伯は、このレクイエムを亡妻のための慰霊祭を行なうときに“ワルゼック伯作曲”として公表するために、名を隠して依頼したのです。なんて人騒がせで演出過剰な人でしょう!
 伯爵は“ワルゼック伯作曲のレクイエム”として“初演”したのですが、実際は、伯爵家に渡ったのは写譜であり、オリジナルはコンスタンツェが握っていたのです。
 そうして、オリジナルを出版社に売ったため、レクイエムは“モーツァルトの作曲”として、公然と世に出たのでした。
 映画で妻コンスタンツェは頭悪そうな悪妻という感じですが、彼女はモーツァルトの死後、夫の作品集を刊行するために出版業者と連絡取ってますし、悪妻と呼ばれるような人ではなかったと思います。

 モーツァルトは“死”に対してすごく恐怖感があったんでしょう。「僕にはわかっている。毒を盛られたにちがいない。僕はまもなく死ぬんだ」と涙ながらに語ったといわれています。もともとモーツァルトとサリエリは不仲であったらしく、この発言から、『サリエリによるモーツァルト毒殺説』も生まれます。






1995年3月撮影  サリエリの墓碑
ウィーンの共同墓地の片隅で、サリエリの墓碑をようやく探し当てましたが、周囲の墓と比べても見劣りするほど、地味なお墓でした。
 
 共同墓地には、ベートーヴェンの隣りにモーツァルトの記念碑が建てられていますが、モーツァルト自身の墓は同じウィーンの聖マルクス墓地に葬られています。しかし、はっきりとした所在が不明なため、骨のないお墓が建っています。






 彼自身がどのような人為だったのかは分からないのですけど、故郷のイタリアを渡り、異国のオーストリアで成功して、多くの作曲家達を育てたのですから、他人を妬むような人ではなかったんじゃないかな、と私は思うのです。それは推測でしかないのですが…。

 私自身の中にも、『アマデウス』のサリエリのような部分が存在するのですが、そんな時、実在したサリエリのことを思うのです。

 ウィーンの共同墓地を散策した時、春はもうすぐそこで、芝生のあちこちに黄色い小さな花が咲いていました。どんよりと曇った冬の空の下、「サリエリのような生き方だって悪くないと思うけどな」と思いました。



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