その他

T 音楽の学習

 日本の音楽教育のあり方は現在でこそ「楽しむ」ために学習する人が多いが、伝統音楽の音楽の学習はそういった目的で行われなかった。

 少なくとも明治以前では音楽の学習は「修行」の一つと考えられ、演奏技術の修得に先立って、数々の作法、楽器の取り扱い方(ある意味では楽器を神聖視する)などが重要視され、「修行」そのものであり、現在からみればかなり不合理・非能率的な方法が好んで行われた。

 学習−すなわち修行という考えは、仏教・儒教の思想に由来するものである。

 また、これらのことに対して、流派・家元制度の存在が重要な問題として浮かび上がってくる。
 流派・家元制度については、すでに音楽史の対比で説明がしてあるが、家元・師匠、兄弟子等に絶対の服従は当然のことであったので、家元制度そのものに反抗したり、批判的な態度を取ることは常識では考えられなかった。

 これに伴って、演奏にあたってはいつも上位の者に遠慮して歌いださなければならなかったため、演奏の出だしが揃わないのが普通であった。

 西洋の音楽教育は、支配的だったキリスト教理念に基づいてなされた。特に歌唱に重点が置かれ、一般の学校でも音楽を重視し、音楽の才能がないと教育者としての資格がないとされた。

 しかし、啓蒙主義時代には入ると、音楽教育も合理主義的に考えられるようになった。

 教育が人間の自然性を伸ばすことを目的とし、自然に行われるべきであるという主張により、教会音楽偏重から脱し、教育全体が自由で気軽な楽しいものになった。



U 演劇・舞踊との結び付き

 西洋音楽が分析的・抽象方向に発展し、他の芸術から独立していったのに対し、日本音楽は総合的・具象的傾向を持ち、演劇・舞踊と密接な関係を保ち、発展していったものが多い。

 したがって、音楽の持つ性格がそれらに関係してくる芸術によって大きく規定されているので、日本の音楽のそれらを理解するためには、能楽、人形劇(文楽)、歌舞伎そのものを鑑賞しなければならない。

 それに対して西洋音楽は、その芸能そのものを知らなくても音楽だけで十分楽しめる要素を持っている。



V 楽式他

 西洋音楽は、一般に論理的に組み立てられている。特に古典派・ロマン派音楽は、楽曲の最少単位である動機から出発し、これが発展して楽節となる。

 強弱、緩急、その他の点において、常に「対比」という観念が存在し、楽曲中における変化が判然としている「動的」であり、「合理的」な音楽である。

 これに対して日本音楽は、大部分が歌詞を伴った声楽曲であるところからも、音楽は歌詞に従って組み立てられ、一定のまとまった形式を持たず、動機や主題に相当するものはあり得ない。


 したがって、歌詞に由来する感情の起伏に応じて自由に変動そ、流動的であるから、西洋音楽のように論理的な構成は持たす、数学的に割り切れるものではない。

 また「対比」という観念に基づいて作られていないから、楽曲中の変化がそれほど明瞭ではなく、「静的」な音楽である。