ミュージカル『モーツァルト!』関連解説


■ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
   Wolfgang Amadeus Mozart
   1756.1/27〜1791.12/5 享年35歳

 洗礼名は、
 ヨハンネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオフィールス・モーツァルト
 Johannes Chrysostomus Wolfgangs Theophilus Mozart
 テオフィールスはギリシャ式で、ラテン式のアマデウス、ドイツ式のゴットリープと同名。

この曲はハズせないでしょう。プロローグでもちょっと流れるし。



《アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク》
(K.525 ト長調、セレナード第13番)



 言わずと知れた【神童】。
 なに気にクラシック界のアイドルなのではないだろーか。
 身長は150センチ未満、ブロンドの髪とブルーの瞳。
「僕のこと、好き? 愛してくれてる?」とか、しょっちゅう愛情確認をするようなヒトだったらしい。甘えっこ?

神童モーツァルト

 少年時代のモーツァルト。

 紫地に金モールを施したこの礼服は、もともとモーツァルトの年上のマクシミリアン男爵にあつらえられたものを、ウィーン宮廷で女帝マリア・テレジアから贈られました。

 ミュージカルだと赤いコートだったりするんだけど、実は紫。
 っつーか、コレ藤色って感じだよね。


 三歳の時に、姉ナンネールがピアノを弾いているところを、モーツァルトは誰にも教えられていないのに、三度の和音を弾いたんだそうな。
 5歳で作曲も始めるし。
 対位法以外の作曲法は、すでに自分の中に身についていたらしい。こわっ(笑)。
 その【神童】振りの逸話は数知れず。音楽史上、最強の音感の持ち主です。



 モーツァルトの才能に気付いたパパ・レオポルトはこれを立派に仕立て素晴らしい音楽家にしようと奮起し、旅をします。
 そうして、モーツァルトの35年の生涯のうち、10年余は旅に費やされました。

大まかに分けると…

※6歳から各地の宮廷を廻り、その才能を披露する旅。
  (オーストリアでマリー・アントワネットにプロポーズしたエピソードは有名。おませさん…)

※10代の旅は作品の注文取りとその演奏に立ち会うための旅。

※21歳、パリ・マンハイムへの旅は、コロレド大司教が支配するザルツブルグ宮廷から離職し、求職のための旅(この旅で母アンナ・マリア客死)

※25歳以降、父から離れ、ウィーンに住み、新婚旅行や、作品上演の為の旅。

 様々な土地の旅したモーツァルトは多様な音楽を吸収し、それが才能と結びついて、彼の音楽が生まれます。
 しかし、育ち盛りの小さな少年には馬車の旅は過酷で、彼の体は青年になっても虚弱であったようです。モーツァルトが小柄なのは、その旅のせいだ、という説あり。

 モーツァルト自身は旅好きだったようですけどね〜(以下参照)。
 当時は旅に出なきゃ情報は得られなかったわけですし、旅行するのは必然だったのでしょう。

 凡庸な人間なら旅をしようとしまいと、どうせ凡庸なままでしょう。しかし優れた才能の持ち主は(ぼくが自分をそう考えなかったら、神をないがしろにするというものでしょう)、いつも同じ土地にいたら、悪くなる。

 1778年9月11日、パリ

 自分を“優れた才能の持ち主”って言っちゃうか(笑)。
 モ−ツァルトは自分の才能に自負と誇りを持っていたようです。



 モーツァルトが16歳の時に、寛容であったシュラッテンバッハ大司教が亡くなります。そして、代わってザルツブルグを支配したコロレド大司教は、モーツァルトにとって不快な雇い主でした。

 このコロレド大司教のもとでの仕事に満足出来なかった青年モーツァルトは、他の地に職を求め、一度退職します。
 そして、求職のためパリ・マンハイムへと旅したものの、かの地には思うように職はなく、同行した母アンナ・マリアを亡くしました。
 モーツァルトは父に気遣って、アンナ・マリアの死の直後、最初は母危篤の手紙を送り、時間をおいて、次に亡くなったことを書いた手紙を送りました。しかし、レオポルトは最初の危篤の手紙ですべてを悟ったようです。

 就職も叶わず、母の死、そして失恋などを経験し、レオポルトの勧めで、モーツァルトはしぶしぶザルツブルグに戻ります。そして、再びコロレド大司教のもとに就職します。
 しかし、自分は当代一の音楽家だと自負するモーツァルトは、召使のような待遇に満足出来ませんでした。
 その2年後、作品上演でマンハイムにいたモーツァルトは、女帝マリア・テレジアの葬儀の為にウィーンにいた大司教に呼び出されると、職務怠慢を非難され、大司教と決別をします。

 それ以後はウィーンで自由業的な音楽家生活を送ることになります。



 レオポルト・パパの腐心にも関わらず、モーツァルトは安定した定職につけませんでした。
 もともとこの時代の音楽というのは、上流階級のものであったのです。この時代に権力者とケンカして離職しちゃうというのは致命的ではなかろーか。
 ベートーヴェンが活躍した時期は、フランス革命の後ということもあって、情勢は若干変わって自由業な音楽家生活も可能になってくるのですが、モーツァルトが活躍した時期は、まだ市井の一音楽家として生活するには困難でした。ほんの少しの差なんですけどねぇ。

 モーツァルトと親交のあったグリム氏は、レオポルトにこう書いてます。
「才能はこの半分でいいから、もう二倍も業師だったら、わたしは彼の成功をちっとも心配はしないでしょう」

 でも、概ね音楽家というのはそんな人が多いように思います。モーツァルトばっかりじゃないと思いますわ。

 コロレド大司教から、そして父レオポルトから独立することは、モーツァルトにとって必要なことだったでしょう。


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