ミュージカル『モーツァルト!』関連解説


■アルコ伯爵(コロレドの部下)
  Karl Joseph Maria Felix Arco 1743 - 1830

 ザルツブルクの宮中顧問官をしたあと、ウィーンのノイハウスの管理者および主膳職(料理人頭)に就任した人です。
 レオポルトに頼まれて、なんとかコロレド大司教とモーツァルトの間の仲介をしようとした人として、名を残しています。



 アルコ伯爵は、コロレド大司教と大ケンカの上、ウィーンで独立しようとするモーツァルトを説得しようとします。

「君はここでのぼせ上がっているのですよ。ここのでの人気は長持ちしない。初めはあらゆる賞讃をうけ、金も儲かるにちがいない。だが、それがいつまで続くだろう。何ヵ月かたてば、ヴィーン人はまた何か新しいものをほしがるのだ」

 この予想、おおよそ当たっちゃいます。なかなか先見の明がある人です。

モーツァルトから父レオポルトへの手紙。
 いろんな話の間に、彼(アルコ伯)は自分だってよく不愉快な言葉を呑みくださなければならないことを知っているか? ともいいました――ぼくは肩をすくめて「あなたには我慢するだけの原因があるのでしょうし、 ぼくには我慢しないだけの原因があるのです」といってやりました。

1781年6月2日 ウィーン

 アルコ伯、なんとかモーツァルトを説得しようと、頑張ってます。
 この後も、根気強く、モーツァルトへの説得は続きます。
 が、しかし。

(コロレード大司教が)ぼくを使いたくないというのなら結構。ぼくも望むところです。アルコ伯にしても、僕の請願書を受け取るとか、大司教にお目通りさすとか、自分でおくるようすすめるとか、このままにしておいてもっと考えるようにとか ――何とでもできたでしょうに――そうしないで、事もあろうに、ぼくを戸口に押し出し、尻をけっとばしたのです――こんなことをされた以上、ドイツ語でいえば、ザルツブルグはもうぼくにはなくなったも同然です――

1781年6月13日 ウィーン

 アルコ伯、ついにキレたようです。相当頭にきたものと思われます。
 そうして、『モーツァルトを足蹴にした』という出来事が彼の名を不朽のものとしたのでありました。
 なんともはや…。

 ミュージカルでは、すごく解りやすい憎まれ役です。
 モーツァルトの主張はもっともですが、アルコ伯の言い分も、宮仕えの身として当たり前のことを説いていると思います。

02.04/17UP
04.04/05一部改定



■エマヌエル・シカネーダー(劇場支配人)
  Emanuel Schikaneder 1751 - 1812

 どうやらエマヌエル・シカネーダーという名は芸名(?)で、本名は ヨハン・ヨーゼフ・シッケンエーダーというらしい。

 もともとは劇場支配人じゃなくて、劇場興行師。

 シカネーダーは旅回りの劇団の座頭で、その巡業でザルツブルクを訪れたことから1780年にモーツァルトと知り合いました。
 『魔笛』の脚本を書き、そしてその『魔笛』のパパゲーノ役を演じた、台本作家、興行師、俳優、歌手、バレエの踊り手、作曲家といろいろこなす、多才な舞台人です。

 背が高くハンサムであったらしいけど、肖像画からはピンとこないな〜。
 生涯で100本くらい台本も書いているそうですが、ほとんど残っていないそうです。あと、ドイツで最初のシェイクスピア俳優としても演劇史に名を残していますね。

 シカネーダーは、1789年にウィーンのフライハウス・アウフ・デア・ヴィーデン劇場(Freihaustheater auf der Wieden)の支配人になりました。これが『魔笛』の初演劇場となります。
 その後、テアター・アン・デア・ヴィーン(Theater an der Wien)が建設され、フライハウスの方は取り壊されます。
 これが現在、ミュージカルエリザベートやモーツァルト!が初演されたアン・デア・ウィーン劇場です。

 26歳の時に、エレオノーレ・アルト(1751-1822)という一座の女優と結婚していますが、シカネーダーが大変な浮気者だったので、奥さんはとても苦労し、一度は他の男性の元へと走ります。
 しかし、彼女はその男性が亡くなると、シカネーダーの元へ、フライハウスの劇場主の権利を亡夫の遺産として持ち帰ります。
 それからはケンカしながらも生涯連れ添ったそうです。

 なんか…。スゴイね。



 モーツァルトにオペラの台本を提供した人は、他にも『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』『女とはみなそうしたもの(コジ・ファン・トゥッテ)』を書いたダ・ポンテがいるのですが、 シカネーダーは『魔笛』ひとつ書いただけで、ダ・ポンテより取り上げられることが多いような。
 今回だって、ミュージカル中にダ・ポンテは出てこないし。私はダ・ポンテの方がいい台本書いてると思いますが…(素人意見)。

 やはり、モーツァルトの晩年に関係した人物だということ、そして、それまでしょーもない内容だったジングシュピール(簡単にいうと、ドイツ産“大衆オペラ”)を、モーツァルトが『魔笛』によって芸術作品に変えた、その台本を書いて初演を演じた、ということもあるではないかと思います。

モーツァルトから妻コンスタンツェへの手紙。
 パパゲノがグロッケンシュピールでアリアを歌う時、舞台へいった。今日は自分であれを鳴らしてみたくてたまらなくなったものだから。それでシカネダーが一度休む所で、いたずらしてアルペジオを鳴らした。奴さん驚いて、舞台裏をみて、ぼくをみつけた。 二度目の時はやらなかった。すると今度はだまってしまって、ちっとも先にすすまない。ぼくがまた和音をならしてやったら、奴さんもグロッケンシュピールを叩いて「黙れ、大口野郎」といったものだから、みんな大笑いさ。

1791年10月8日 ウィーン

 この場面は映画【アマデウス】で出て来ますね(ちょいシュチュエーションは違いますけど)。『魔笛』のパパゲーノのアリア【恋人か女房か】の場面です。



『魔笛』よりパパゲーノのアリア
【恋人か女房か】

 モーツァルトは死の直前、この『魔笛』と並行して、『レクイエム』も書いていました(誰もが指摘することですが、この落差!)。

 『魔笛』の初演(1791年9月30日)については、成功とする説と不成功とする説と両方あります。ですが再演され、徐々に人気が上がったのは確かなようです。そして、モーツァルトの音楽は一般庶民のものとなります。
 モーツァルトは魔笛初演の約2ヵ月後にこの世を去りました。

 個人的に、モーツァルトをとりまく人達の中で、このにぃちゃんが一番おいしいとこ取りをしたんじゃないかと思いますわ。
 映画【アマデウス】でも、シカネーダーはなかなかいい味出してますので、オススメです。

 しかしながら、シカネーダーは晩年は精神錯乱を起こし貧困の中で亡くなったそうです。モーツァルトと同じ共同墓地(貧民墓地)に…。
 やっぱり人生いろいろですねぇ。

02.04/17UP
05.01/10一部補筆・改定



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