ミュージカル『モーツァルト!』関連解説


 ここではチラシのキャスト表には出てなかった、『MOZART!』のウィーン版のCDでアンサンブルに名前が出てくる人を紹介してます。

 ※ウィーン版のCDはこちらで購入出来ます→ Original Cast/Mozart(HMV Japan)

 正直なところ、素人が調べるには限界を感じます…(笑)。
 一般書ではなく、学術書じゃないと出てこないような方々ばかりのような気がします。 違ってたらすいません。



【1.Prolog】(プロローグ)に出てくる人

Dr Mesmer メスマー博士(1734-1815)
 フルネームは、Franz Anton Mesmer フランツ・アントン・メスマー で、磁気治療の創始者として有名な人だそうです。ですが、モーツァルトの関わりは薄く、メスマー博士がモーツァルトと関係した関連の記述は、コンスタンツェの夫ニッセンの書いたもので、
“モーツァルトが1768年(12歳)の時、ウィーンで知り合った医師アントン・メスメル Dr Anton Mesmerから依頼されてジングシュピール『バスティアンとバスティエンヌ』を作曲した” 
 と、いうものがあります。
 しかし、この曲の作曲年、作曲動機は不明とする資料も有。
 結局、メスマー博士がモーツァルトに本当に関わっていたのかどうかは分かりません。



【2.Was Für ein Kind!】
(何て子供だろう!)に出てくる人

Gräfin Zinzendorf ツィンツェンドルフ伯爵夫人
 【16.HIER IN WIEN!】に登場している、当時、ウィーンの高官であったカール・フォン・ツィンツェンドルフ伯爵の奥さん?じゃないかな、と。

Antonio Salieri  アントニオ・サリエリ(1750 - 1825)
 イタリア生まれの作曲家。1774年以降のウィーン宮廷作曲家兼宮廷歌劇場指揮者。
 ウィーンのイタリア・オペラの代表格として、当時のウィーンで大きな勢力を持っていました。映画【アマデウス】で主役をはってます。
 実際は、サリエリはその当時モーツァルトの才能を認めていた数少ない人物の一人で、打ち解けた仲だったようです。
 映画【アマデウス】で有名になりましたので、度々その曲が演奏されたり、CD化されたりしています。



【16.Hier in Wien!】(ここはウィーン!)に出てくる人

Josepha Auernhammer ヨゼファ・アウエルンハンマー
 ウィーン時代のモーツァルトのピアノの弟子だった
 Josephine von Auernhammer 
   ヨゼフィーネ・フォン・アウエルンハンマー(1768 - 1820) の、ことでしょう。
 すぐれた女流ピアニストで、モーツァルトに恋心を抱いたのですが、相手にされませんでした(ちなみにモーツァルトは手紙の中で、彼女のことを馬鹿娘だと書いています…)。

Philomena Hofer フィロメナ・ホーファー
 不明。誰やねん…。
 ホーファーという姓はウェーバー一家の長女ヨゼファの嫁ぎ先の姓ではあるのですが、フィロメナという名の女性は今のところ出て来ません。

Georg Christoph Wagenseil  
 ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル(1715 - 1777)

 ウィーン古典派初期の最も重要な作曲家の一人。女帝マリア・テレジアの音楽教師で、1739年宮廷作曲家に就任。
 ハイドンはもとより、幼時のモーツァルトに多くの影響を与えた…らしい。

Marianne Wagenseil マリアンネ・ヴァーゲンザイル
 上記ヴァーゲンザイルの奥さんではないかと。

Ehepaar Wagenseil ヴァーゲンザイル夫婦 
 上記の二人。夫婦揃っての出演らしい。

Catarina Cavaleri カタリーナ・カヴァリエリ(1755-1801)
 サリエリに教育を受けたプリマドンナで、モーツァルト作品では『後宮よりの誘拐』のコンスタンツェ、『ドン・ジョバンニ』のドンナ・エルヴィーラ、『フィガロの結婚』の伯爵夫人を歌っています。映画【アマデウス】でも出て来ます。

Giuseppe Affligio  ジュゼッペ・アフリジオ(1719 - 1787)
 ウィーンの劇場興行師。
 モーツァルトが1768年(12歳)のウィーン旅行の際、皇帝ヨーゼフ2世から依頼されたオペラ・ブッファ『ラ・フィンタ・センプリチェ La finta semplice』(見てくれのばか娘) の上演の際、いろいろと妨害をした人のようです。
 名前から推測して、イタリア人でしょうね。

Pasquale Artaria パスクワーレ・アルタリア
 1780年(1778年という資料も有り)に開業したウィーン初の楽譜専門出版社、アルタリア社の関係者ではないかと思われます。

Gräfin Rumbeck  ルムベック伯爵夫人
 モーツァルトのウィーンでの最初のピアノの弟子。
 モーツァルトは、このド・ルムベック伯爵夫人(Countess Rumbeck)のために、
 K..359 ピアノとヴァイオリンのための12の変奏曲 ト長調
 K..360 ピアノとヴァイオリンのための6つの変奏曲 ト短調
 の2曲を作曲しています。

Graf von Zinzendorf ツィンツェンドルフ伯爵
 当時、ウィーンの高官であったカール・フォン・ツィンツェンドルフ伯爵ではないかと思われます。
 音楽愛好家だったのかモーツァルトの予約演奏会に出席していたらしく、自身の日記にその演奏会の様子を書いている資料有り。
 おそらく、ニコラウス・ルートヴィッヒ・ライヒスグラーフ・フォン・ツィンツェンドルフ(1700-1760)というオーストリアの宗教家の後継ぎなのではないかと推測。



【22.Der Mensch wird erst Mensch durch den aufrechten Gang】(人は直立歩行を始めた時に人となった)に出てくる人

Joseph von Sonnenfels ヨーゼフ・フォン・ゾンネンフェルス(1732-1817)
 当時のウィーンで、大学教授、劇作家及び批評家として活躍。
 モーツァルトの演奏会に出席していた模様。モーツァルトの手紙にもたびたび名前が出てきます。



戻る  

02.4/20UP
04.3/29一部改定