Giuseppe Verdi ジュゼッペ・ヴェルディ




交友人名リスト
ヴェルディ
(カルロ・ジュゼッペ)
1785〜1865
ヴェルディの父親。レ・ロンコレで食料品店と旅館を経営、1805年ウティニと結婚。1813年ヴェルディを、ついで、妹ジュゼッパをもうける。82才で没。
ヴェルディ
(ルイジア・ウティニ)
1787〜1851
ヴェルディの母親。紡績女工をしているとき、1805年、カルロ・ヴェルディと結婚。69才で没。
ヴェルナー 
1768〜1813 
ドイツ文壇の潮流と称される。『アッティラ』(1808)がヴェルディのオペラの素材となった。
カムマラーノ 
1801〜1852 
ナポリ、サン・カルロ劇場の座付役者で1845年以来『トロヴァトーレ』『ルイザ・ミラー』『アルツィラ』『にせのスタニスラオ』 を脚色。
ギスランティーニ 
1824〜1893
ミラノの「ガゼッタ・ムジカーレ」紙の編集長をしていたが、文筆の才を認められ『アイーダ』を脚色、『運命の力』の改訂を行う。
グティエレス 
1812〜1884
『トロヴァトーレ』の原作者。
グロッシ
1790〜1853
『第一次十字軍のロンバルディア軍』の原作者。
ジュゼッピーナ
(ストレッポーニ・ヴェルディ)
1815〜1897 
ヴェルディの再婚相手。モンツァで作曲家のフェリチアーノの娘として生まれ、ミラノ音楽院で学んだ後、ソプラノ歌手としてデビュー、絶賛を博す。引退した後、パリで音楽教師をしているとき、ヴェルディと再会し、1859年結婚、ヴェルディに献身的な一生を捧げる。
スクリーブ 
1791〜1861
 『シチリア島の夕べの祈り』を脚色。
ソレーラ 
1815〜1878
詩人。『オベルト』『ナブッコ』『第一次十字軍のロンバルディア軍』『ジャンヌ・ダルク』の台本を書いた。
トスカニーニ
1867〜1957
リオデジャネイロの歌劇場でチェロを弾いていたとき、<アイーダ>の上演中、聴衆のやじにあって指揮台から下りた指揮者に代わって、みごとに暗譜で指揮し、これが指揮者としてのデビューとなる。楽譜に忠実に演奏することをつよく主張し、“新即物主義”と呼ばれた。
バイストロッキ 
?〜1823 
レ・ロンコレ村の教会のオルガニストでヴェルディの8歳から10歳の間、音楽の手ほどきを行なった。
バレッツィ(アントニオ)
1798−1867
ブッセート・フィルハーモニーを主宰。ヴェルディの最初の妻マルゲリータの父で、マルゲリータの死後もヴェルディの良き後援者となる。
ピアーヴェ 
1810〜1876
ヴェネツィア生まれ。1833年フェニーチェ座の舞台監督となる。『エルナーニ』以来、ヴェルディとコンビを組み『アロルド』『アッティラ』『2人のフォスカーリ』『運命の力』『マクベス』『リゴレット』『シモン・ボッカネグラ』『椿姫』等、多くの台本を提供、後ラ・スカラ座の舞台監督となったが、卒中のため倒れた。
プロヴェジ 
1770〜1833
ヴェルディがブッセートで師事した教師で、ブッセートの大聖堂、サン・バルトロメオ教会のカペルマイスター兼オルガニストをつとめ、ブッセート音楽院教授、並びにブッセート・フィルハーモニー指揮者として実績をあげた。
ボーイト
1842〜1918 
イタリアの作曲家、詩人。ヴェルディと『諸国民の賛歌』『オテロ』『ファルスタッフ』ならびに『シモン・ボッカネグラ』改訂版の脚色を担当。
マッフェイ 
1798〜1855
『マクベス』『群盗』の台本作者。歌曲にも作詞。
ラヴィナ 
1776〜1836
ラ・スカラ座の声楽指揮者ならびに伴奏者となり、1823年音楽院教授に就任した。ミラノ留学時代のヴェルディの作曲家としての天分を認め、対位法を徹底的に教えた。
ロマーニ 
1788〜1865 
イタリアの詩人、台本作家。『にせのスタニスラオ』の台本作家。





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