Richard Wagner リヒャルト・ワーグナー



交友人名リスト
ワーグナー
(カルル・フリードリヒ)
1770〜1813 
ワーグナーの戸籍上の父親。警察書記をしていたが、ワーグナーの誕生からちょうど半年後、当時流行していたチフスで43歳没。
ワーグナー
(ヨハンナ・ロジーナ)
1774〜1848
ワーグナーの母親。生家は製パン業者。1798年カルル・ワーグナーと結婚。カルルの死後、さほど長く経たないうちに再婚し、子を生んだため、ワーグナーの真の父についての疑念が生じている。
ヴェーゼンドンク
1815〜1842 
絹貿易代理業者で、妻と共にワーグナーを援助した人格者。
ウェーバー 
1786〜1826 
ロマン派作曲家。『魔弾の射手』など。ワーグナーは彼の影響を受け、芸術的な意志を継いだ。
ショーペンハウアー 
1788〜1860
意志否定哲学者。厭世観的思想により、19世紀後半のヨーロッパの知識層に大きな影響を与えると共に、世界を盲目的存在意志による表象とみなす非合理主義の源流となった。
ガイヤー 
1779〜1821
ワーグナーの義父。俳優であり、画家で脚本作者であった。ワーグナー家とは特別な親交があり、カルルの死後9ヶ月後の1815年にヨハンナと結婚、その半年後、女子をもうける。
コジマ 
1837〜1930
リストとマリー・ダグー伯夫人(女流作家スターン)の間に生まれる。1857年ハンス・フォン・ビューローと結婚し、2子をもうけるが、1886年はじめにはワーグナーに従ってドイツに行き、1869年ビューローと離婚、翌年ワーグナーと正式に結婚した。ワーグナーの死後もその遺志をついでバイロイト音楽祭を続け、今日の降盛の基礎を築いた。その功により、1909年ベルリン大学より、名誉博士号を贈られた。
ニーチェ 
1844〜1892 
哲学者。伝統的価値の全面的転換を思想使命としてキリスト教と対立。ニヒリズムを徹底して善悪の彼岸に立つ現実的な強さを説いた。一時ワーグナーに傾倒したが、お互いの思想が相容れず、1876年最終会合、友情決裂。
ハンスリック 
1825〜1904
音楽学者で批評家。一貫して自律的音楽美学の確立を主張し、リスト、ワーグナー、ヴォルフらを攻撃。シューマン、ブラームスらの絶対音楽的立場を擁護した。
ビューロー 
1830〜1894
指揮者、ピアノ奏者。ワーグナーの思想に共鳴し、彼に指揮法を学んだ。1857年にリストの娘コジマと結婚する。『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルグのマイスタージンガー』等、歴史的初演の指揮者をつとめたが、コジマとの離婚問題以来、ワーグナーとは不仲になり、ブラームス陣営に加わって、ブラームスの作品を積極的に紹介した。また、ベルリン・フィルの初代常任指揮者であり、その後の指揮法に多大な影響を与えた。
ブラームス 
1833〜1897
北ドイツ生まれ。ワーグナーと対立する。1875年ブラームスの良き理解者だったレヴィは、ワーグナー派に転じてブラームスと激論し、1878年絶交。その代わりにワーグナー派から転向したビューローがブラームスの音楽に心酔し、ピアノと指揮でその作品を普及させた。
彼は当時の大きな風潮であったリストやワーグナーの音楽に無関心だったわけではなかったが、結局彼の気質に本質的に合わなかった。
ブルックナー 
1824〜1896
オーストリアの作曲家。彼のワーグナーの芸術への傾倒は徹底的で、人柄も芸術も世界観も全く異なっているにも関らず、ワーグナーを通じて自己独自の世界を開拓する。しかし、ワーグナー派がブラームスやハンスリック派と対立していたため、しばしば不当な扱いを受けねばならなかった。第3交響曲を1874年ワーグナーに献呈。
マイヤベーア 
1791〜1864
ユダヤ系作曲家。本名はベーア。9歳の頃ウェーバーと知り合い、1814年、ウィーンでピアニストとしてデビュー、後にグランドオペラの第一人者となる。ワーグナーは『リエンチ』においてマイヤベーアのスタイルを徹底的に模倣している。
リスト 
1811〜1886
1820年カルル・チェルニーに師事。1831年パリでダグー伯夫人と出会い、1885年から同棲、3人の子をもうけ、その次女が後にワーグナーの二度めの妻となったコジマである。『ローエングリン』初演の指揮者でもある。ことに交響詩曲で有名。
リヒター 
1843〜1916
母はウィーンの『タンホイザー』初演でヴェーヌスを歌った歌手。1867年ヴァーグナーの推薦でミュンヘン・オペラの合唱長をつとめ、1870年ブリュッセルでの『ローエングリン』初演を指揮、1876年バイロイトで『ニーベルゲンの指輪』の全曲初演を指揮する。それ以来バイロイト祝祭劇場の首席指揮者となる。当時のもっとも偉大な指揮者の一人。
ルートヴィヒU世 
1845〜1886
バイエルン国王。父王の早世によって1864年3月即位。15歳の時、『ローエングリン』の舞台に魅了されて以来、将来ワーグナーの庇護者になろうと決意、即位2ヶ月後、ワーグナーを招聘する。1867年マクシミリアン侯爵令嬢ゾフィー姫を婚約するが、9ヶ月後婚約解消。後年、ワーグナーの没後3年にして精神錯乱状態となり、ベルグ離宮からシュタルンベルク湖へ投身し謎の自殺。
レヴィ 
1839〜1900
ミュンヘン宮廷劇場指揮者で、ワーグナー派。





Menu Verdi Next