Giuseppe Verdi and Richard Wagner




Verdi ヴェルディ 年代
(年齢)
Wagner ワーグナー
10月10日 ジュゼッペ・ヴェルディ第十子として、ブッセート近郊レ・ロンコレに生まれる。
1813 5月22日 リヒャルト・ワーグナー、第九子として、ライプチヒに生まれる。
11月 父死亡
1月 ロシア軍レ・ロンコレに侵入のため、協会の鐘楼に母に抱かれ避難。 1814
(1)
8月 脚本作家のガイヤーと母が再婚、ドレスデンへ移住.
翌年2月妹ツェチリエ生
旅芸人の音楽に惹かれるようになる。 1819
(6)


1820
(7)
早春、ドレスデン近郊、ポッセンンドルフの牧師ヴェンツェル方に寄寓
父親からスピネットを買ってもらう。
ピエトロ・バイストロッキに師事。
1821
(8)
9月 継父(実父?)ガイヤー死。リヒャルト、ピアノ自己流演奏。アイスベーレン移住。

オルガンの演奏に急速な進歩を見せる。 1822
(9)
12月 ドレスデン十字架学校入学。
バイストロッキ引退、ブッセートに移り、父の友人の靴商ブナッタの家に住む(〜1831)。
11月 司祭ドン・ピエトロ・セレッティにラテン語を学ぶ。
1823
(10)

週1.2回レ・ロンコレの協会のオルガニストとして往復。
1824
(11)

大寺院の合唱長、フィルディナント・プロヴェジに師事(〜1929)。 1825
(12)
ピアノ初習。また詩作で優勝。
ブッセート・フィルハーモニーに参加。プロヴェジの門下生として勉強。 1826
(13)
母と姉3人と妹プラハ移住。リヒャルト残る。ギリシャ文学、シェイクスピア劇、ウェーバーへの熱意。
フィルハーモニーの写譜などしながら勉強する一方、マルゲリータにピアノを教える。 1827
(14)
4月 クリスマスにライプチヒに帰住。母妹同居。
ブッセート・フィルハーモニーのために<セビリアの理髪師>序曲など編曲。バリトンとオーケストラのためのカンタータ<サウルの狂乱>、ピアノ協奏曲、歌曲など作曲。 1828
(15)
2月 ニコライ中高校(ワーグナー姓で転入学)、モーツァルト、ベートーヴェンに関心。和声独学とミュラー師事。
秋、ソラーニャ管区教会のオルガニストに任命さる。プロヴェジの代理指揮をつとめる。 1829
(16)
学業を怠ける一方、ソナタ(ニ短、ヘ短)四重奏を試作。

1830
(17)
6月 トーマス学校へ転学、<第九>の総譜写譜とピアノ編曲。
12月 <太鼓序曲>初演。
5月 モンテ・ディ・ピエタ奨学金を申請。 1831
(18)
2月 ライプチヒ大学へ入学登録。放埒生活。
初秋、トーマス教会歌長ヴァインリヒに師事して学理的進歩。
1月 奨学金申請許可される。
6月 ミラノへ出発、ミラノ音楽院受験、ラヴィナ教授を紹介され、対位法を学ぶ。
1832
(19)
初夏、ハ長<第一交響曲>作曲。
晩夏、ウィーン旅行。
秋、プラハで上曲初演。伯爵庶子令嬢に恋情。
最初の歌劇<婚礼>を11月作詞。
12月一部作曲。
4月 ミラノのフィロドラマティチ劇場でのハイドンの<天地創造>を伴奏、マッシーニに認められる。
6月 プロヴェジ没。
8月 妹ジュゼッパ没。
1833
(20)
遍歴時代
1月 <婚礼>破棄。ゲヴァントハウスで交響曲再演の幸運、第二歌劇<妖精>作詞、ヴェルツベルグ合唱指揮者となる
6月 バレッツィなどの希望によりブッセートに帰る。
12月 ブッセートし音楽監督のめぐってのフェルラーリとの争いを好まずミラノへ出発。
1834
(21)
1月 <妖精>総譜完成。
6月 テプリッツ旅行。歌劇<恋愛禁制>草案。
8月 ラウホシュテットでベートマン劇団指揮者となり、後年の妻、女優ミンナに恋。 
6月 モンテ・ディ・ピエタからフェルラーリとの競演を命ぜられ、7月ブッセートに戻る。 1835
(22)
6月 歌手探し旅行でバイロイト初見。
9月からマクデベルクで指揮。
2月27〜28日 パルマで競演が行われ勝利を占める。
4月 ブッセート市音楽監督を命ぜられる。
5月 マルゲリータと結婚、ミラノで新婚旅行。
1836
(23)
1月(?) <恋愛禁制>総譜完成。
3月 マクデベルク劇場で初演失敗、5月以降各地転々。
12月 ミンナと結婚。
3月 長女ヴィルジニア生。
10月 <オベルト>上演をパルマの新支配人に願うが容れられず失敗。
1837
(24)
4月 ケーニヒスベルグ劇場指揮者
5月 ミンナ逃亡再度。
7月 <リエンチ>初案。
8月 リガ劇場就任。
7月 長男イチリオ生。
8月 長女ヴィルジニア没。ミラノカンティ社から<六つのロマンス>出版
1838
(25)
8月 最初の本格作品で唯一の五幕物<リエンチ>作曲開始
2月 家族と共にミラノへ出発。
10月 長男イチリオ没。
11月 <サンボニファッチオ伯爵オベルト>初演(ラ・スカラ座)
1839
(26)
3月 失業。
7月 ミンナと国境脱出。ピラウ港から海路逃亡、暴風雨で難航、ロンドン経由で8月にフランス上陸、マイヤベーアに初対面。
9月 パリ着。
発展期 1840
(27)
パリ放浪時代
6月 妻マルゲリータ没。
9月 <にせのスタニスラオ(一日だけの王様)>初演(ラ・スカラ座)
11月 サン・ロマーノ小広場付近へ移転。
4月 リストに初対面。
7月 「音楽時報」の「ドイツ音楽論」を以て同誌への寄稿始まり、
11月 小説「ベートーヴェンまいり」 
同月 <リエンチ>総譜完成。
10月 <ナブコドノゾール(ナブッコ)>完成。ジュゼッピーナを訪ねる。 1841
(28)
依然各種売文。
4月 パリ近郊ムードン移住。
5月 <オランダ人>作詞。
6月 ドレスデンから<リエンチ>採用の快報。
7月 オペラ座に<オランダ人>草案売却。
11月 同歌劇自作詩の総譜完成。
3月 <ナブッコ>初演(ラ・スカラ座)
<ナブッコ>の総譜をオーストリア、アデライーデ公妃に献上。
1842
29)
4月 パリ退去。ドレスデン着。
6月 <ヴェーヌス山(タンホイザー)>草案。
10月 ドレスデン宮廷劇場で<リエンチ>初演
12月 リストと初親交。
3月 <第一次十字軍のロンバルディア人>初演(ラ・スカラ座)
12月 ヴェネツィアに向かう。
1843
(30)
宮廷指揮者時代
1月 ドレスデン宮廷劇場で<オランダ人>初演
2月 「素描の自叙伝」 ザクセン宮廷指揮者となる。
4月 <タンホイザー>作詞
3月 <エルナーニ>初演(フェニーチェ座)
11月 <二人のフォスカーリ>初演(アルジェンチナ劇場)
1844
(31)
1月 <オランダ人>ベルリンに
3月 <リエンチ>ハンブルグに進出
6月 不利な出版契約。
2月 <ジャンヌ・ダルク>初演(ラ・スカラ座)
8月 <アルツィラ>初演(サン・カルロ劇場)
10月 カヴァルリ邸購入。
1845
32)
4月 <タンホイザー>総譜完成。
7月 <マイスタージンガー>草案。
8月 <ローエングリン>草案。
10月 ドレスデン宮廷劇場で<タンホイザー>初演。
1月 <エルナーニ>上演のため、パリ訪問。
3月始め、北キタリアのレアコロで静養。
3月 <アルツィラ>上演(フェニーチェ座)成功
フィレンツェのペルゴラ座から<マクベス>を依頼される。
1846
(33)
4月 <第九>画期的指揮。
7月 <ローエングリン>作曲スケッチ
3月 <マクベス>初演(ペルゴラ座)大成功
6月 パリを経てロンドン着。
7月 <群盗>初演。女王が来臨し大成功。
11月 <エルサレム>上演(オペラ座)レジオン・ド・ヌール勲章を受ける。
1847
34)
10月 ベルリンで<リエンチ>指揮。
5月 農園を購入、パリに出る。
8月 パッシーのラネラグ通りに住む。
10月 ビクトリア通りに移る。
同月 <海賊>初演 不成功。
12月 ローマへ。
1848
(35)
1月 母死亡。
4月 <ローエングリン>総譜完成。
1月 <レニャーノの戦い>初演(アルジェンチナ劇場)成功。
カムマラーノの窮状を救うため、サンカルロ劇場のため<ルイザ・ミラー>の作曲を計画。
12月 <ルイザ・ミラー>初演。
1849
(36)
亡命時代
4月 国王の両院解散を機としてドレスデン革命騒乱起こる。参加、活躍して亡命。
5月 チューリヒ着。大いに文筆活動。
フェニーチェ座のために<リゴレット>の作曲を計画。
12月 <スティッフェリオ>初演(テアトログランデ)失敗。
1850
(37)
3月 ボルドーで人妻ジェシー・ロソーと恋愛。
4月 妻ミンナを避けて逃亡、各地転々。
7月 チューリヒ着。
8月 ヴァイマール宮廷劇場でリスト指揮下による<ローエングリン>初演
10月 ビューロー20歳で指揮法入門。
円熟期 1851
(38)
5月 <若いジークフリート>(のちに“若い”省略)初案。
6月 歌詞
10月 4連作への拡大に連到。
3月 <リゴレット>初演。かつてない成功で21回続演。
6月 母没。
2月 パリでデュマの<椿姫>の初演を見て心を惹かれる。
3月 ブッセートへ帰る。
5月 フェニーチェ座と<椿姫>の作曲を契約、台本をピアーヴェに依頼して<ラ・トラヴィアタ>と変更。
7月 カムマラーノ没。
11月 <トロヴァトーレ>の総譜を持ってローマへ。
1852
(39)
7月 <ヴァルキューレ>作詞。後にイタリア旅行。
11月 <ラインの黄金>作詞。
12月 4連作<指輪>朗読会。
1月 <トロヴァトーレ>初演(アポロ座)大成功。
3月 <ラ・トラヴィアタ>初演(フェニーチェ座)失敗。
同月 サン・アガータへ出発。
10月 パリに出発。
1853
(40)
2月 <指輪>私版発行。再び朗読会。
10月 リスト次女コジマ16歳に初対面。
12月 <ラインの黄金>作曲開始。
10月 <シチリア島の夕べの祈り>完成、リハーサルに入る。 1854
41)
9月 <ラインの黄金>の総譜完成。
10月頃 ショーペンハウアーの「意志と表象の世界」に接し、終生的影響を受ける。
6月 <シチリア島の夕べの祈り>初演(フランス語 オペラ座)大成功。
12月末 サン・アガータへ帰る。
1855
(42)
秋 顔面丹毒。
冬、前年の<トリスタン>案が明確化。
2月 <ジョバンナ・ディ・グズマン>再演
3月 フェニーチェ座で<椿姫>を再演、大成功。
1856
(43)
3月 <ヴァルキューレ>総譜完成。
仏境モルネーで丹毒治療。
10月 リストを祝って人前で歌う。
<リダ>(<レニャーノの戦い>の改訂版)上演(ラ・スカラ座)不成功、それ以来、原作に帰る。
1月 <トロヴァトーレ>のフランス語版<トルヴェール>を上演(オペラ座)
3月 <シモン・ボッカネグラ>初演(フェニーチェ座)不成功、のちエミーリアで再演し、大成功を得るが、あとは不成功。
1857
(44)
3月 ブラジル行きの奇想。
4月 <パルチヴァル>(のちの<パルジファル>)草案。
同月 「隠れ家」入居
6月 <ジークフリート>途中で総譜化中断(再着手は1865)
1月 <仮面舞踏会>完成。ナポリに赴いたが検閲の許可が降りず、4月末サン・アガータに帰る。 1858
(45)
1月 パリ行き。
7月 ビューロー夫妻が「隠れ家」入居。
8月 「隠れ家」退去。
2月 <仮面舞踏会>初演(アポロ座)
8月 ジュゼッピーナと正式に結婚。
1859
(46)
8月 <トリスタン>総譜完成。
9月 パリ住。
11月 妻ミンナ、又同居。
12月 カヴールから国会議員に出馬するように依頼される。 1860
(47)
5月 <トリスタン>第二幕試演会にベルリオーズも来聴。
7月 ザクセン以外は追放解禁。
1月 第一回国会議員選挙で国会議員となる。
6月 国会のためトリノに到着。
1861
(48)
3月 <タンホイザー>パリ版3回上演、大妨害にあう。のち各地転々。
ロンドンに招かれ、万国博覧会のために<諸国の賛歌>を作曲。
5月 女王劇場で初演。
10月 ペテルブルグへ出発。
11月 <運命の力>初演(ペテルブルグ帝室劇場)
4日目に皇帝が君臨、聖スタニスラス十字勲章を贈られる。
12月 ペテルブルグを出発。
1862
(49)
1月 <マイスタージンガー>歌詞。
3月 完全な追放解禁。
11月 ゲヴァントハウスで<マイスタージンガー>序曲指揮。
同月 妻ミンナとはからずも最後の別れ。朗読会でハンスリック、敵となる。
1月 マドリード着。
2月 <運命の力>マドリード初演。原作者リヴァス公爵出席。
パリにおける<シチリア島の夕べの祈り>改訂上演中止。
1863
(50)
1月 <指輪>歌詞公刊序文。
2月 ペテルブルグ。
3月 モスクワ。その後も各地転々指揮。
12月 ベルリンの馬車内でコジマと秘契。
エスクディエから<マクベス>改訂の依頼を受ける。 1864
(51)
国王殊遇時代
5月 旅館へルートヴィヒU世の招聘使来訪。以後国王から処遇を受ける身となる。
7月 コジマ、続いてビューローも同居。
国王が<指輪>を正式委嘱、破格待遇で敵対者激増。
4月 <マクベス>のフランス語改訂版上演(リリーク座)不成功
11月 パリへ出発。
1865
(52)
2月 反対派激化。
4月 人妻コジマとの間に長女誕生。
6月 ミュンヘン宮廷劇場で<トリスタン>初演。
7月 「わが生涯」口述開始。
12月 ミュンヘン退去後転々。
3月 独伊軍と墺軍の戦火を避けて5月ジェノバに移り、さらにカウテレーで<ドン・カルロ>の作曲を続け、11月に完成。 1866
(53)
1月 正妻ミンナ、ドレスデンで57歳没。
3月 ジュネーブでコジマ3週間同居(以後度重ねて同居)
4月 トリープシェン移住
5月 国王来訪2泊。 
1月 父没。
3月  <ドン・カルロ>初演(オペラ座)不成功。サン・アガータに帰る。
7月 義父没。ピアーヴェ卒中で倒れる。ラ・スカラ座で<ドン・カルロ>成功。
1867
(54)
2月 次女誕生。
4月 ビューロー宮廷指揮者。
6月 老齢歌手の件で国王と摩擦。
10月 <マイスタージンガー>総譜完成。
5月 サン・アガータへ帰る。
6月 30年ぶりにミラノ訪問。続いてスペイン旅行。
8月 ブッセートのヴェルディ歌劇場落成。
1868
(55)
6月 ミュンヘン宮廷劇場で<マイスタージンガー>初演。
9月 コジマとイタリア旅行。
11月 ニーチェと初対面。
2月 <運命の力>改訂上演(ラ・スカラ座)大成功。
12月 ボローニャで<ローエングリン>を見る。
11月 スエズ運河開通式。
1869
(56)
2月 <ジークフリート>12年ぶり着手。
5月以降、ニーチェと親交。
6月 長男ジークフリート誕生。
9月 不本意な<ラインの黄金>初演。
完成期 1870
(57)
5月 バイロイト旧劇場の存在を事典で知り、4連作初演を思う。
6月 不本意な<ヴァルキューレ>初演
7月 ビューロー夫妻法的離婚。
8月 コジマと結婚。
12月 <ジークフリートの牧歌>
7月からギスランツォーニの<アイーダ>の台本を得て作曲に入る。

12月 <アイーダ>初演 絶賛を博す。 1871
(58)
2月 <ジークフリート>総譜完成。
3月 <皇帝行進曲>
4月 バイロイトで旧歌劇場を視察、新劇場建設を決意。
5月 「祝祭劇場上演について」(緑のパンフレット)
12月 バイロイト銀行家から土地提供を応諾。
同月 ヘッケル創設の最初の「ワーグナー教会」のためマンハイムで演奏。
2月 ラ・スカラ座で<アイーダ>を上演、パルマで再演。
11月 ナポリへ出発。
12月 サン・カルロ歌劇場で<ドン・カルロ>上演中止。
1872
(59)
大成時代
1月 ニーチェ「悲劇の誕生」
敷地変更、現在地決定。「バイロイト祝祭劇場管理委員会」成立。
5月 起工式。講演と<第九>指揮。
9月 リストと親交。
3月 弦楽四重奏ホ短調作曲 1873
(60)
1月〜5月 求人の目的も兼ねて演奏旅行。
8月 祝祭劇場上棟式
10月 各地の「ワーグナー協会」代表者総会。
5月 ミラノのサン・マルコ寺院で<レクイエム>初演、ラ・スカラ座で3回再演。 1874
(61)
2月 国王発意で「劇場管理委員会」に10万ターラー信用供与。
4月 私邸ヴァーンフリート入居。
12月 「神々の黄昏」総譜完成。
歌詞起筆以来、26年間で4連作完了。
4月から8回、パリ、オペラ・コミーク座で、
5月から3回、ロンドン アルバートホールで、<レクイエム>演奏。
レジョン・ド・ヌール・コマンダー勲章を受ける。
1875
(62)
5月 リヒターがウィーン宮廷歌劇場指揮者で新任活動後、
7月 バイロイトで4連作稽古
この費用、作曲者が自弁。
5月 ピアーヴェ没。 1876
(63)
3月 ウィーン、ベルリンで指揮。
6月 4連作稽古開始
8月 総練習をルートヴィヒU世来聴。
8月13日からバイロイト祝祭劇場で<指輪>全曲初演、独帝も来聴。
20日から第2回、27日から第3回上演(ルU世再来聴)
9月 イタリア旅行。ヴェネツィアへ概算12万マルクの欠損第一次報告到着。
12月 帰国。
5月 ケルンのライン音楽祭<レクイエム>指揮。 1877
(64)
2月 旧名<パルチヴァル>を<パルジファル>と改題し、歌詞完成。
夏、ドイツ各地旅行。

1878
(65)
8月下旬からマイゼンブーン約50日宿泊
11月 4連作ミュンヘン初演。
12月 私邸ヴァーンフリートで自指揮の<パルジファル>序曲初演。
4月 ミラノ交響楽協会設立。 1879
(66)

3月 パリで<アイーダ>上演。
レジョン・ド・ヌール・グラン・オフィサー受ける。
<主の祈り><アヴェ・マリア>初演。
1880
(67)
1月 イタリア各地滞在。
7月 「宗教と芸術」。
3月 <シモン・ボッカネグラ>改訂版、ラ・スカラ座で初演。
音楽教育改革委員会の委員を請われるが辞退。
1881
(68)
1月 パレルモで<パルジファル>総譜完成。
5月 バイロイト着。
7月 祝祭劇場で<パルジファル>初演。
8月 第16回最終上演の途中から自指揮。
9月 ヴェネツィア滞在。
2月 ワーグナー没。哀悼の意をもらす。
<オテロ>の作曲の着手。
1883
(70)
2月13日 「人間性における女性的なものについて」を執筆中狭心症発作。午後3時半頃死去。
翌日デスマスクをとる。
17日 遺体バイロイト着。
18日 私邸ヴァーンフリートの新墓所に埋葬。
1月 <ドン・カルロ>改訂版(四幕版)初演(ラ・スカラ座)。 1884
(71)

11月 <オテロ>改訂。 1886
(73)

2月 <オテロ>初演(ラ・スカラ座)
<ドン・カルロ>再改訂版(イタリア語による五幕版)完成。
1887
(74)

<聖衣への賛歌>作曲 1888
(75)

11月 <ファルスタッフ>の作曲を発表。 1890
(77)

<ファルスタッフ>完成。 1892
(79)

11月 <ファルスタッフ>初演(ラ・スカラ座)
4月 ローマ初演、国王に拝謁し、「ローマ名誉市民」となる。
1893
(80)

ボーイト「音楽家憩いの家」設計。 1896
(83)

妻ジュゼッピーナ没。 1897
(84)

4月 <聖歌四篇>初演(オペラ座)
5月 トリノでトスカニーニの指揮による再演。
1898
(85)

ラ・スカラ座でトスカニーニ指揮<ファルスタッフ>を上演、ヴェルディを感激させる。 1899
(86)

12月 ミラノでクリスマスを近親者達と過ごす。 1900
(87)

1月21日 ミラノ、ホテル・グランデで卒中のため倒れる。
1月27日没。
翌日ミラノ記念墓地に葬られる。
3月 ラ・スカラ座でトスカニーニにより追悼演奏会開催。
1901
(88)

2月 「音楽憩いの家」に改葬。 1902





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