諸事情により山から遠ざかっていたため、正月に八ヶ岳に入って以来、実に半年ぶりの本ちゃんとなった。
昨年、初めてあこがれの奥又白に入り、W峰正面壁をやった。その時の奥又白ノ池の楽園ぶりが忘れられず、今年も恩田さんから誘いがかかった時には二つ返事で「やる!」と答えた。
奥又に入るということだけ先に決まって、さてどこをやるか・・・。W峰正面は昨年やったから、今年は前穂東壁。で、右岩稜古川は崩壊しちゃって、新ルートは結構しょっぱいらしく今の自分だとサダイ登りになるかな〜、ということで、冬の登攀の下見も想定しつつDフェース/都立大ルートにすることにした。
2〜3年前に冬季登攀の記録がメーリングリストにアップされていたし、ルートはそこそこ安定しているのだろうと安易に考え、ま、奥又白谷上部の入り組んだルンゼのアプローチだけ間違わずに取り付ければなんとかなるだろうってな感じだった。
8月2日(土)
前日の夜に横浜を出発、相模大野で恩田さんを拾い、中央道へ。しかし例のごとく慢性寝不足のため境川PAで玉砕。なんと5:00過ぎまで寝てしまう。でも、今日は奥又白池までだし、お昼までに上高地を出発できれば余裕だしぃ〜、と鼻歌を歌いながら松本ICまで飛ばす。沢渡で車を降り、丁度上高地に上がろうとしていた2人連れとつるんでタクシーに相乗り。沢渡から上高地まで、四人で乗ると一人だいたい1,200円くらいで、往復2,000円のバスに比べると少したかいけど、駐車場の中から乗れるし、待つこともないので納得価格である。
さて、上高地には8:00過ぎに着く。朝イチで出発する勤勉登山者の群はもうどこにもおらず、トップシーズンだと言うのにバスターミナルはガラガラでちょっと気分が良い。時間を外して出発するのも一案だな〜と思った。水を汲んで出発。
もう歩きなれたいつもの道を明神、徳沢と進んでいく。今年は梅雨明けが遅れたため、この週末が初めての夏らしい快晴だとのこと。日頃の行いが善いのじゃ!と勇んでいると、同じ事を恩スケ氏もつぶやいていた。
空のコバルトブルーとキラキラと照り返す梓川の水面がひどく夏らしく、さらに夏らしさを増幅させるさわさわと頬をなでる涼風に気分を良くしながら歩いた。初日に奥又までの計画では、時間的にも精神的にも余裕がある。上高地の美しさを満喫できる。
明神を過ぎ、徳沢へ。いつもおとおり芝の緑がまぶしく、さらにあそこにテントを張って日がな一日寝っころがってのんびり暮らしたらどれだけステキだろうという妄想にかられながら徳沢ロッジの前で休む。行動食を少し口にし、水を汲む。縦走者らしい人たちにはアイゼン、バイル、ヘルメット、ザイルをザックにくくりつけた我々が奇異に見えるのか、何処を登るのですかと何人かに聞かれた。前穂の東壁、というと、かならずあの名作「氷壁」を思い浮かべるのか、合点のいく顔をしていた。
徳沢を流れる小川のせせらぎを聞きつつ、森の葉の隙間にゆらぐ木漏れ日を感じながらゴキゲンな休憩時間を過ごし、しかしこのまま根を生やすとビールに手を付けだしそうだったので後ろ髪を引かれながら立ち上がる。一路新村橋へ。
新村橋を渡り、梓川の右岸を少し溯り、パノラマ新道に入る。ガレ沢の右岸沿いのイメージよりは傾斜のある道をテクテクと上がる。林道チックな広さの道がやがて登山道っぽくなり、開けたガレに出たところでパノラマ新道とお別れ。奥又白池へ続く中畠新道に入る。分岐点で休憩。
パノラマ新道はガレ沢をほぼ真横に横切り、慶応尾根に向かって行く。中畠新道は松高ルンゼと奥又白谷の間の小尾根に取り付く。小尾根の末端に向かって少し上がると、マーキングがうようよ現れるので迷うことはないと思う。
中畠新道は昨年につづいて二度目。毎年、シーズンはじめには一定の整備が入るのか、ところどころ険しく、また大手を振ってあるけるような道ではないが安定している(と思う)。出だしは若干の急登でまだ標高も低いせいか汗が噴き出してくる。尾根筋ではところどころ肩状に緩やかになる箇所があり、ハダカになって休憩を取りながら進んだ。途中でパトロールの人とすれ違った。前穂東壁に入りますというと、「人は少ないと思います。この先結構ガレている場所があるので気を付けて下さい」と言って下さった。
やがて奥又白谷雪渓と一体となっている斜面に尾根が吸い込まれ、目の前の視界が晴れる。前穂・北尾根各峰の当面の岩場が姿を表す。毎度のことだけど、ここからの眺めは壮観である。登攀意欲をかき立てられるものがある。
今年も視界は良く、かなり細部まで眺めることができる。甲南バンドがくっきりと見える4峰正面壁とその左側のC沢の位置を確認し、インゼルから続く小尾根を挟んでB沢を確認。B沢は下から十分詰められそうであったが、トポとかには途中にゴルジュ様の狭いところがあり、落石が集中するのでさけるべきとのことだから、多分そうなのだろう。雪渓は去年よりは多い感じだった。冷夏の影響だろうか。
明日詰めるC沢の状態も確認し終えたので、楽園:奥又白の池へ。と、例のごとく原はキジを催して草むらに消える。恩田さんに先に行ってもらう。
奥又白の池には13:00頃に着いた。テントは去年より少なく、3張り程度。1張りは写真家の方のよう。相変わらずの楽園ぶりである。夏の午後の太陽を浴びつつ、ハダカになってビールを空ける。最高のひとときである。
遅い目の昼食、とかいって、ツマミを作り、飲んだくれて午後を過ごした。遠くには、見事にピラミダルな常念岳から派生する蝶ガ岳の山並みが映え、山腹の緑と通り過ぎる夏の雲がすずやかだったし、前穂方面を見上げると、高山植物をちりばめた緩やかな草原の傾斜の上に三本槍の威容がそびえ、そんな風景を見ながらビールと焼酎をかっくらって酩酊するのは、この世の至福この上なかった。にやけた顔面にやがて精神のタガも緩み、日がやや傾き始めるころにはマットの上で熟睡モードに入っていた。
<奥又白の池>
8月3日(日)晴れ
<奥又白谷上部からの日の出>
朝3時に目覚める。辺りは真っ暗闇の中、テントの中で食事を作る。起き抜けの惚けた状態でもあうんの呼吸でてきぱきと食事の用意に取りかかれる。恩田さんとの山行も回を重ねたのだな〜と思う。
食事をし終わって、3:30。さすがにまだ真っ暗だし、光のない雪渓を進のはちょっと気が進まないので、横になったまま少し微睡む(今思えば、ひと思いに出発してしまえば良かった・・・)。4:00起き出して用意をし、テントをたたんで4:30頃ヘッテンをつけて出発。おそらく雪渓に降り立つ頃には日が昇り始めるだろう。
今回もバイル、12本歯アイゼンと完全装備なので、雪渓のど真ん中をザクザクと進む。未明の雪渓はまだしっかり締まっており、快適だし早い。早く行動しようと思ったら、やっぱり12本歯のアイゼンは強力な武器だろうと思う。
<c沢からV・Wのコルを見上げる>
c沢を目指して行く。雪渓を上り詰めて行くと、c沢押出の境目で雪渓がバックリ割れていたが、今年は残雪が多く、繋がっているので容易であった。ここで原はクソをする。きっと数ヶ月後には奥又白の本谷の流れに乗るのだろう(^^)
c沢に入ると、一箇所滝のガレガレの左岸を巻かなければならないところがあったが(U〜V−くらいだろうか)、その上は延々と雪渓が続いていた。若干急勾配の雪渓も、切れ目のセッピの見極めを誤らなければ、12本歯、バイルの装備であれば余裕の登高。ただし、傾斜は急なので、息はあがる。
インゼルに這い上がる手前の滝で雪渓が切れる。行けるかなとのぞき込むと、セッピの末端をクライムダウンしつつ難なく乗り越えられた。ここからアイゼンを外してU級程度の滝を越え、ガラガラで劣悪のインゼルを跨いでB沢側に入る。それより上では、C沢の雪渓がさらに続いており、V・Wのコルに至っている。しかしこの急雪壁を冬に下るとなると、相当悪そう。新雪が少しでも乗ったら降りれないだろうと思う。
<インゼル上部>
インゼル上部はガラガラで足場が悪く、B沢への下降にはちょっと躊躇するも、恩田さんの果敢なルーファイで突破。B沢に降りて、再びアイゼンを付け、上部を目指す。B沢は、なるほどインゼルの真下がかなり狭いゴルジュ様になっていて、さらにB沢上部に真っ直ぐにルンゼが延びているので落石の巣であるのもうなずける。大規模な落石があっても逃げ場がないので、たしかにB沢は詰めるべきでないと思った。また、ここらへんはルーファイ力が必要。我々も奥又白谷の上部を詰めるのは初めてて、ルーファイは慎重に行った。
狭いB沢をずっと詰めると、有名な右岩稜のカンテをやり過ごす。ここがあの有名な古川ルートがあった右岩稜かと見上げる。あの1998年の地震で大崩壊してしまった岩だが、なるほど白けた岩肌が新しい。先般、新古川ルートが拓かれたようだが、立ち止まって確認するタイミングは逸した。
<取り付きからDフェースを見上げる>
さらに上がるとDフェースが見えてくる。どうもB沢とDフェースの下から見て右側のフランケとのコンタクトラインあたりで雪渓が切れているようだ。傾斜が更にきつくなり、さらに幅が狭まり、どんどん詰めてコンタクトライン付近に達する。コンタクトライン付近は二俣になっていて、上に向かって左側に、Dフェース基部をランペ状に沿って延びている小ルンゼがDフェースの取り付き方面へのライン。そのどん詰まりにそびえる壁が前穂北壁である。小ルンゼは雪渓はないが、B沢の雪渓上から乗り移るのに丁度良い高さには3cm幅くらいのスタンスしかなく、しかもガレていてアイゼンでは乗り移るのは気が引ける。雪渓上はアイゼンを外せるような傾斜でもないので、若干傾斜の緩い対岸に降りたってアイゼンを外し、フラットソールに履き替えて雪渓が切れている舌端を回り込んで取り付いた。フラットソールであればラクチンだった。
さて、ランペ状に延びているルンゼを右にDフェースを見ながら上がり、取り付きを探す。が、トポどおり、取り付きは判然としない。上を見上げると、ラインらしきモノは幾つか見あたるが、どうも始点となるアンカーはない。う〜んと悩み、なんどか凹角みたいなところを登ってみたりもしたが、最後に一段上の傾斜のやや強いフェースから右上するラインがそうだろうということになった。ここなら一段下にペツルの真新しいボルトがあるし、おそらく間違いない。ルート図やイメージより若干上目のラインだった。
1P目W+A1:恩田リード。本ちゃんは久しぶりだから最初は恩田さんにリードを譲る。ランペ状を2段くらい上がってDフェースに取り付く。Dフェースに取り付いたあとは、傾斜が強くなる。右上するラインに沿っていくが、草がぼうぼうに生えており、悪そう。出だしから苦労している。というのも、ピンは出てくるが、どれもこれも老朽化していて信用ならなない。クリップしたら抜けるようなハーケンや、いとも簡単にお辞儀をするハーケンが多かった。無論、アブミは使えない。恩田さん、あまりの悪さに途中でザックを降ろしてリード。右上を突破し、下から見るとコブのように突き出たテラスの左側のクラック状を登り、テラスの上で切る。30m〜35m。テラスの支点も悪く、恩田さんは緑エイリアンで補強していたが、どうしても次のピッチでそのエイリアンを使いたかったので、回収。そのかわり、ジャンピングでドリリングし、リングボルトを一つ足しておいた。このおかげで時間を食った。
<2P目をフォローする恩田さん>
2P目W−A1:原リード。この上もピンが悪そうで、全装備を背負ったザックはキツイので空荷でリードする。テラスから真上に延びるシンクラック沿いを上がり、中間スラブ帯に行く。出だしの2本目で緑エイリアンを使う。その後はクラックに沿って人工。ピン間隔はさほど遠くないが、とにかく老朽化しているので気が抜けない。ときどき打ち変えられた新しめのボルトやハーケンが出てきてホッとする。そういうところではすかさずランニングを取る。15mくらい延ばすと頭をハングに押さえつけられ、ここから右に向かって真横にトラバース。ザイルの流れに気を配り、さらに老朽化したピンに気をつけながらハング下を進むとカンテに押さえられ、そのカンテを乗り越して少し右上するとアンカーが現れる。カンテに入る一手が抜ける寸前のピンですこぶる悪い。カンテを乗り越えてからは、え〜い、行ってしまえ〜とランナウト。だいたい40mくらいか。
3P目W+A0:恩田リード。ここも空荷。トポではA0となっているので、出だしで手こずっている恩田さんに「え〜、A0でしょ〜」とかチャチャを入れてみたが、行ってみると確かにA0はキツイ。我々の技量だとA1(っていうか、あれA0は相当な腕力が必要?)。支点から一段上がった出だしのバンドも右下が100mくらいスッパリ切れており、高度感抜群。その後のハングもピンが取れそうで怖い。ハングを乗り越すと凹角に入るが傾斜は緩まず、A1でさらに進み、チョック状の岩に頭を押さえつけられたところでこれを右に回り込む。そのカンテに沿って数手這い上がると突如傾斜が緩み、視界には顕著なT・U峰間リンネが飛び込んでくる。T・U峰間リンネの入口まで延ばしてコール。40m。なお、このピッチは終了点と始点ではコールが届かないので注意が必要。ホイッスルやトランシーバーがあるとスムーズ。
出だしのルーファイ、思いのほか悪いピン、荷揚げ、と時間を食ってしまっているので休み無くそのままT・U峰間リンネを進む。ガラガラで、U級程度が更に悪く感じるが、ノーザイルで行ける。落石には十分注意が必要。U峰からの懸垂ラインが印象的なT・Uのコルに出て、これを左に取ると、しばらく登って前穂の頂上。すっかり日が傾き始めていた。
恩田さんを迎え、ガチャを分ける。やっと落ち着いて行動食が取れるわい!と行動食をほおばりながら時計に目をやるとなんと16:50。今日中に東京まで戻らなければならず、ぎゃ!とか一声上げて一目散に下山。例のごとく重太郎新道を奈落の底に落ちるように駆け下り、岳沢ヒュッテに17:40。新記録を作ってしまった。ここで上高地のタクシーに電話し、一台確保。あわてたものの、どうもゲートが完全に締まるのは20:00で、その後も中に残っているタクシーが遅れた登山者をゲートまで運んでくれるらしい。ま、であればビールを飲む。生ビールを一気に飲み干し、さらに缶ビールを空けてのどを潤し、アルコールパワー全開になって更に上高地に向かって走った。18:30過ぎにはバスターミナルに着き、沢渡までのタクシーに身体を横たえた。
沢渡では、この時期風呂には入らないと帰れん!ということで、閉店間際の沢渡温泉に「15分で出ますので」と頼み込んで入れてもらう。その後、コンビニ弁当で食事を済ませ、一目散に中央道を駆け下る。と、談合坂から渋滞にハマリ、道志経由で帰宅。町田に午前1時。横浜に1:30でした。翌週の仕事はすこぶるきつく、でもなぜか幸福な一週間であった。
<総括>
アプローチの雪渓、ルーファイの難しい入り組んだルンゼと、これぞアルパイン!という感じのルートだった。実際3ピッチだけだけど、Dフェースは東壁のなかでも奥に位置しているため、アプローチも含めある程度の総合力がいると思った。
ルートは、全体的にピンが多かったと思うが、老朽化が進んでいると感じられた。特に1ピッチ目は取り付きも、初めの10mくらいのラインも判然とせず、ピンも悪いので注意が必要かと思う。フリーも草ぼうぼうのフェースなので快適でない。2ピッチ目は終了点間際のピンが悪かったし、なかった。3ピッチ目は一番安定していたかもしれないが、トポより難しいと思う。
1・2峰間リンネはガラガラなのでラクに注意が必要。
<前穂頂上で 左:原、右:恩田>
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