会津駒ケ岳滑降
(2006.4.9)
メンバー:石田(一同心)、原(ARI)
バックカントリースキー


 二週連続のバックカントリースキーとなった。
 石田さんは顔が広く、矢板山岳会の人々と友達になったということ。一緒に会津駒を滑ることになったので一緒に行かないかと誘ってくれた。

 会津駒ケ岳は尾瀬の北側に位置する山で、檜枝岐歌舞伎で有名な檜枝岐村にある。位置的には上州武尊と尾瀬をはさんで裏側にあるので、東京からだと関越道を沼田で降りて401号線を行けばよいような気がするが、このいわゆる沼田街道は尾瀬で分断されており通り抜けることができない。途中で車道は途切れ、また檜枝岐村の奥地から再開している。尾瀬を含めてすばらしい自然を保全するためだからしょうがないし当たり前なのだ。というわけで、このエリアは東京からは距離のわりに遠く、東北道を西那須野塩原ICまで行って塩原温泉郷を抜けることとなる。

<季節はずれの大雪で雪まみれ>
 土曜日の昼過ぎに横浜をたち、途中宇都宮近辺のサービスエリアで餃子を食べ、西那須野へ。石田さんと合流して車を一台にまとめ、一路塩原温泉郷を越えて行った。日光街道から会津高原に出て、途中湯の花温泉に立ち寄って温泉に浸かり、ところがどうしたことかここがぬるくなかなか出ることができずに時間を食った。檜枝岐に入る頃からなんと雪が降り始め、みるみるうちに吹雪になってしまった。僕のパジェロ君のタイヤは2月にかえたばかりのオールランドタイヤなのでチェーンもはかずになんら問題はなかったが、車道はまさに豪雪地域の様相でスタックしている車もいた。いやはや、石田さんのエスティマにしなくてよかったのだ。

 檜枝岐のレストハウス前は山屋さんのテントが2張くらい張られていて宴会で盛り上がっている。おそらくバックカントリースキーヤーであろう。我々も石田さん仕込の七輪と豚バラやらなにやらいっぱい買い込んであるので宴会を始める。しかし炭火はテント内というわけには行かないので外で宴を広げたが、屋根があるものの吹雪の中で寒い寒い・・。おかげで日本酒がみるみるなくなっていった。宴も盛り上がってきたところで矢板の稲葉さんパーティーが合流。4人でさらに盛り上がり、いい加減酔いが、まわってきたところで宴を閉め、テントにもぐりこんだ。



<矢板の人々についていく>
2006.4.9(日) 晴れ
 朝起きてみるとすでに周りのテントの人々は出発準備だった。我々は矢板山岳会の方々を待つためにゆっくりめのスタート。天気は昨日の吹雪がうそのように晴れだしていた。

 矢板の人々と合流し、昨日新雪がたんまり降ったということもあり、また矢板の方々の中にはスノーシューで参加する人もいることもあり、当初予定していた大戸沢岳滑降ではなく会津駒に転進することにした。 この山域は初めてということもあり、まったく土地勘もないので矢板の方々の後ろからえっちらおっちら付いていく。 国道401号線を尾瀬方面に進み滝沢登山口へ進む。この時期、当然車は奥まで入ることはできず、国道から少し入った駐車場にデポ。ここで用意をして、林道らしき道に入っていく。


<正面の尾根に這い上がる>
 谷筋を進むとすぐに二俣。右手は源六郎沢のようで帰りはここを滑って帰ってきた。が、登りは左手へ。沢筋をずんずん進むとすぐにどん詰まりになり、傾斜を稜線に向かってつづら折れに上がっていく。こういう細かく急な登高だとフリートレックは便利で上りやすい。シールアイゼンで滑らないし、ターンも楽チンである。

 天気がよく、白銀の山肌に木々の間から降り注ぐ春の日差しがまぶしく、まあご機嫌なスキー登高である。本当に気分爽快で楽しい限り。大パーティーでの行軍も久しぶりだったので、それも楽しかった。

 稜線に上がりきると、本来の登山道沿いに戻ったと感じられ、しばらく稜線どおしに進むと鉄塔のたった広場に出る。アンテナ広場とかいう名前がついているらしい。檜枝岐方面の眺望がすばらしかった。ここで小休止。石田さんは最高のコンディションのパウダーにたまらず一本ドロップしていた。登り返しが大変そうだったけど。


<最高のパウダー。石田さんたまらずドロップ準備>
 小休止をへて稜線を一路山頂へ。傾斜もそこそこの斜面であるが、バックカントリースキーのメッカでもあり、すでにスキートレースはばっちりついている。しかし雪が深く、こりゃあこんな短いフリトレじゃあ埋まりまくって大変だなぁ〜と滑降のことを思った。

 森の中をフンフンご機嫌に登高していると、やがて先頭に立ってしまった。脅迫的に歩いているわけでもないのに、矢板の方々からは早いですね〜と言われてハタと気がついた。でも矢板の方々もそんなにも遅れずに来ていたのだから、やはり登り込んでいる方々は違うなと思った。

 で、この登高中に頭上をヘリコプターがブンブン飛んでいるのでどうしたのかな、何か事故でもあったのかなと思っていると、肩の小屋も近くなったところで捜索隊に出くわした。なんでも1名行方不明になっていらっしゃるとのこと。安否が心配である。



<滑り出し。大パーティーは楽しいのだ>
 標高をあげるにつれてガスが出ていて、風も出てきた。雪も少しぱらついている。やはり昨日の気圧の谷の名残が標高の高いところだと残っているのかもしれない。肩の小屋手前であまりにも後続が遅れているので休止して待つ。風も出て寒く、凍えそうであった。

 全員が到着したところで今後の予定を協議。天気も悪化しているし、頂上にいってもなにも見えない、ということで、ここら辺で降りますかということになった。

 みなおもむろにシールをはずして滑降の準備。矢板の皆さんはなれたもので、立派な兼用靴と山スキーといういでたちである。わたしゃあ先週に引き続き、ゲレブーにフリトレとなんとも心もとない。その懸念どおり、滑り出した途端、見事にみなにおいていかれた。88cmのフリトレはこの深雪ではまったく機能せず、もうはまるはまる・・・。ずぶずぶ埋まってぜんぜん前に進まなかった。




<華麗にターンを決める矢板のエキスパート>
 これは皆についていくのはあきらめましょうと、まずはコツを掴みにかかる。結局、とにかく後傾してトップをあげ続ければなんとかまともにすべることに気づき、以降はすいすいと滑れた。まあターンはできませんでしたが。

 しかしスキーを始めて以来、前傾・スネ圧と意識し続け、後傾はへたくその象徴という意識があったので、これだけ後傾して滑るのも新鮮であったが、まあ新雪すべりとはこういうものだろうという発見でもあった。登ってきた尾根筋をしゃかしゃかと下っていくのはまあ爽快であった。下るにつれてガスも切れ、再び春の日差しが戻るようになった。

 アンテナ広場手前で、ずいぶん先を滑っていったみなさんに合流。石田さんは当然皆さんと一緒にうっひょうっひょ滑っていた。アンテナ広場に僕が滑り込むと、「ああ、思ったより早かったじゃん」だって。相当はまっていたように見えたらしい。

 さて、ここで小休止。矢板の方々はビール持参で、ビールとつまみで檜枝岐の早春の絶景を堪能している。まあまあ原さんも飲んだら、といってビールを分けてくれた。本当に感激して、またこういうビールはめっぽううまくて顔はにやけまくりだった。

 しかしアンテナ広場から眺めても会津の山々は深い。標高こそ日本アルプスほどはないにせよ、山の深さという点ではアルプスをしのぐ感じがある。本当に奥深いのだ。じっくり沢を攻めてみたいとも思ったりした。


<源六郎沢へ。僕はチョッカリしかできません・・・>
 さて、持参のビールも飲み干したことであり、さらに滑降を続ける。ここからは登ってきたルートを外れ、源六郎沢に向かってドロップ。深雪で大変だけど、沢への急斜面になりフリトレでもすいすい下れた。んが、ターンはまったくできず、トップを浮かせながら直滑降。はああ、惨め。来年はちゃんと山スキーを用意するのだ!と心に誓った。

 ルンゼ状を抜けて本谷に合流するとすぐに堰堤がある。これを右から巻いてくだり、平坦になりはじめると、またフリトレは地獄である。進まないしすぐとまる。なんとか皆さんについていき、えっちらおっちら。登山道と合流して、やがて滝沢登山口にたどり着いた。

 登山口では新聞記者が待ち構えていて、遭難事故について取材を受けた。やはり昨日から行方不明になっている方がいるようだ。車の周りで荷を解きながら、山行の無事を祝って皆さんと握手。また一緒に登りましょう、といって別れた。

 帰りは10年来の憧れであった秘湯、木賊温泉に寄って帰った。木賊温泉は開けた田園に流れる河原にあり、なんともいえない生活感があり趣があった。


 

<総括>
 先週に引き続きバックカントリースキーのポピュラールートのトライ。会津駒の滝沢登山口からのルートは人も良く入っていてこのシーズンであればスキーでの入山に問題はないようである。ただ、コンディションが悪いときに沢筋に滑り込むととんでもないことになるので、今回われわれがたどったように尾根状をすべるという判断が必要だろうと思う。尾根上は広くはないがさほど狭さも感じず、快適な滑降が楽しめると思う。
 アンテナ広場からの源六郎沢への滑降が今回のハイライトであった。広い凹状のバーンで新雪パウダーにうっひょうっひょ言いながら滑降した。
 しかし会津の山々は奥深いのだ。シーズンを問わず、入ってみたいと思っている。




<滝沢登山口で>





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