春と棒ラーメン(2001.3.18)
そろそろ山にも春の兆候が見られる。
気温は上がり、雪もゆるむ。なんといっても、日が長くなる。夕方遅くまで行動できるから、これはありがたい。
春は光から始まるという。
2月末、まだ気温や雪の状態は厳冬期そのものなのだけど、光だけ明るくなる。
木漏れ日も太く、はっきりと光のラインを描くようになる。冬の、申し訳程度の光筋とは、あきらかに違う。
光の春。
っていう季節が、2月下旬から3月上旬に訪れる。
それに誘われるように、気温の高い日がたまに訪れるようになり、雪もゆるみ出す。
ゆるんだ雪が、再度訪れる冷え込みによって締まる。
この繰り返しで雪が安定する。そして登りやすい春山の季節となる。
でも、雪崩には気を付けなけりゃいけないね。新雪が乗った直後なんかは、絶対に入っちゃいけない。
と、詩的に春を語ったところで、初春のできごと。最近の山行でめちゃくちゃ腹が立ったことがあった。
久しぶりに山にマルタイラーメンを持っていた。
そう、あの棒ラーメンである。
年末山行の準備をしているときに、本牧のスーパーでふと見かけ、「おお〜、なつかしい!!」と悲鳴を上げて思わず買ってしまったものだった。年末山行で敗退し、その後も消化しなければと思いつつ「う〜ん」と手が出なかったのだが、このまま捨ててしまうのももったいないので、八ヶ岳でとうとう封を切った。
「・・・・・」
僕は山では食べ物をいとわない。特にアルパインなんてやっていると、軽量化ということもあるけどジフィーズを嬉々として食わなければならない場面が多々あり、それでも極限状態ではうまい、と感じられる。下界に降りると途端に食べる気をなくすのだけどね。
というわけで、インスタント系の粗食には慣れているし、そんな食事をとることによってすこぶる惨めな気持ちに陥ることもないのだ。しかし・・・
なんていうんですかね。「こいつ、けしからん!」って、ちゃぶ台をひっくり返したくなるような味?
麺は粉っぽいし、ツユは胡椒の味のみ。
むかし読んだ村上春樹の「ノルウェイの森」の中で新幹線で売られているサンドイッチを「あんなもの飢え死にしかけたウマでも残すわよ!」ってののしる場面があったけど、そんな生やさしいものではない。この棒ラーメンは飢え死にしかけたゴキブリでも残すと思う。
しかし、たしか昔は食ったよなあ。サラリーマンになって、毎月稼ぎが入るようになって、ちょっとは裕福になって、僕の舌まで高級になったのかな。って、こんな棒ラーメンごときでそんなこと感じるのも悲しいのだけど。
で、まずすぎて全然食が進まない。
パートナーの遠山さんに差し出しても、「オメー、喧嘩売ってんのか!」と怒鳴られそうな勢いだったので、すごすごと何本かすすって、捨てた。食べ物を捨てるのなんて、人生で3回目くらいだ。たぶん。
いやはや、棒ラーメンの威力を思い知った
おそるべき棒ラーメン。
今でも大学の山岳部連中は食ってんのかな〜。
しかし、良くまだ製造してるよね、マルタイさん。
そうそう、まだ一袋残っているから、欲しい人は連絡下さい。送料こっちもちで無料で進呈します。
produced by tthara
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