八ヶ岳/広河原沢/中央稜
(2006.2.25〜26)
メンバー:岡野、原
(ARIアルパインクラブ)

 某大作家である井上ひさし氏が、とある誌面上のなにかの批評に「わたしは”癒し”という言葉は甘ったれのにおいがぷんぷんとして嫌いであるが・・・」と記していたのを見て激しく同感したことがあった。僕は、最近異様にブームとなっているこの「癒し」という言葉が井上氏と同様大嫌いである。なにか首筋がかゆくなるというか、背筋がぞくぞくするというか、そういう嫌悪感があって、街中に氾濫するこのコピーを見ては「けっ」とかいって吐き捨てていたのであった。
 ところが!
 人間はやはり弱いものである・・・。
 昨年の7月にボストンから帰国してからというもの、とんでもない激務が続き、年を越してもなお続く徹夜仕事にとうとう、
 「ああ、癒されたい・・・」
 と吐露するようになってしまった。かつての威はどこへやら(^^;;;
 まあ、要するに癒しという氾濫語は現代社会のなかでフィットしているのかもしれないのであって、さらに僕は井上某のような大人物でもないからしてここは世間の渦に巻き込まれようではないか、そうだ、癒されるのだ!と叫んで、昨年ARIに入った新人の岡野嬢と向かったのが広河原沢/中央稜であった。
 普通「癒し」であれば温泉とかなんとかだろう・・・、と突っ込まれるかもしれないが、そこは僕も山屋さんの端くれなのであって、癒されるのは山なのだ。で、ぎりぎりのところまで自分を追い詰めるのではなく、ゆっくりのんびり、肉体的にきつくなく、それでいて充実感に潤われるところを探したら広河原沢/中央稜にいきついた。って、実は1月に広沢寺で墜落して骨折した右手中指の状態がまだ完治していないというのも理由だったりするのだけど。

 この広河原沢/中央稜は、通常は広河原沢の奥壁のバリエーションルートを登った際の下山路として使われるルートである。最近の一般のガイドブックには無雪期には縦走の延長線上のルートとして紹介もされているが、積雪期には一応バリエーションルートとして捕らえるべきだろうとは思う。が、よほど状態が悪くなければアンザイレンの必要はない。一定のルートファインディんグ力があれば踏破することは出来ると思う。

<船山十字路で>
 2月25日(土)
 相模大野駅で岡野嬢を拾って一路船山十字路へ。途中出光のガソリンスタンドで給油をした途端エンジンがかからなくなってしまったりしてどうなるかと思ったが、なにもしていないのに結局直った。その後なんともないので、おそらく給油した出光のガソリンの品質が悪かったのだろう。船山十字路への道は途中雪と氷に覆われていたが、チェーンを装着することもなく迷わずに到着。車が一台停車していた。単独者らしい。

 車で仮眠して、明るくなる頃におもむろに起き出し、準備をする。隣の単独の方は一足先に出発していった。我々も出発。一応軽い登攀道具とザイルを一本もって行くことにした。




<台地状ピーク手前で。もう傾斜はゆるい>
 ゲートを越えて広河原沢へのびる林道を詰める。雪はそこそこ多かったが、この時期になると程よく固まっていてラッセルという気分でもない。先行者のトレースもあるのでらくらくと林道終点まで。そこから広河原沢沿いの道に入る。トーレスに導かれてほどなく二俣。中央稜の末端である。

 中央稜へは、ここから左俣を少し詰めて開けたルンゼ状を詰めるルートと、右俣に入って枝沢の横の支稜から取り付くルートと2種類があるが、二俣で考えた末に右俣を詰めることにした。

 右俣には先行者のトレースがあった。トレースに沿ってずんずん詰めていく。地図とにらめっこしながら、地形を分析しつつ中央稜の取り付きを探る。途中、右岸上の木にマーキングを発見し、これかと思うがあまりに深雪だったので先に進んでしまった。しばらく進んでやはり行きすぎかなと思いなおし、岡野嬢を残してザックもおいて一人で偵察に遡行。見覚えのある3ルンゼの出合いまで遡行して行きすぎを確認。で、さっきのマーキングが取り付きだろうと判断して戻った。

 これが八ヶ岳か?と思うほどの深雪をラッセルして少しばかり枝沢を詰めると、すぐに右側の支尾根に向けてルートが取れそうな地形になる。ここらへんルーファイ力が必要かも知れない。えいやと支稜に這い上がると、木々の間にルートっぽく拓かれた筋があり、ところどころマーキングを確認することができた。稜に上がると雪も少しはすくなくなり、膝程度。でも八ヶ岳にしては多い。この領域はなぜか雪がたまる領域として知られているが、そのとおりだった。

 ぐいぐいと稜を上がると、やがて台地状の小ピークに這い上がる。ここで視界が一気に開け、阿弥陀岳や広河原沢が一望できる。雪が深く難儀する。ここで休憩。


<中央稜から阿弥陀岳>
 ここから先は明瞭な中央稜がどーんと摩利支天に向かって延びている。雪は深くなるがすねから膝くらいの雪をラッセルしながら稜上を進む。体重の違いか、岡野嬢では沈まないクラストした雪面も、僕が足を踏み入れるとズボっと抜ける。まったく疲労がたまってしまう。でもトレースの稜にラインを引くのは気持ちの良いものだ。

 稜は徐々に傾斜をまし、やがてアイゼンがほしくなってきたのでアイゼンを装着する。装着してから、時たまフロントポイントで立ち込むくらいの傾斜になり、とにかくグイグイと高度を稼ぐ。傾斜がさすがにバリエーションだなと思わせるくらいになったところで第1岩壁にぶち当たる。

 第1岩壁は右側からまく。ルートファイディングしながらトラバースをする。クラストした雪のしたは柔らかい新しい雪で、その下に弱層があってトラーバースはいやらしい。少し悪いルンゼを上がり、第1岩壁基部に達してこれをへつって回り込むとルンゼに飛び出る。ルンゼは核心部をはずしてハイマツの生え際を進み、ハイマツと立ち木の間を縫ってえいやと登っていくと第1岩壁の上部に出ることができる。



<第2岩壁の抜け口>
 稜に戻ってグイグイと進むと、すぐに第2岩壁に出る。ここは左を巻く。最初は樹林帯をトラバース。トレースをつけていくのは爽快だけど、やはり最初に足を踏み入れるときには少し緊張する。岩壁の右側に出ると、ランペ状のバンドを上がり岩を回りこむ。回り込むと傾斜が一気に増して、「クライミング」という感じになる。岩壁とザレの上に不安定な雪が乗っていて悪く、ザイルを出そうかと思ったが一気に行ってしまう。岡野嬢もなんとか付いてきた。この第2岩壁の回りこみは雪の状態が悪いとそこそこなグレードになると思うので(まあ木登りで行けますが・・)、こと初心者が入ることが多いこのルートでは核心と言えるかもしれない。この切り立った壁を15mくらい登ると第2岩壁の上に出る。抜け口はやせた稜なので注意。

 第2岩壁を抜けると高度感と爽快感がすばらしい。まるで後立の尾根を歩いているような爽快感が味わえる。八ヶ岳の中では随一ではないだろうか。空に向かって進むようなバージンホワイトの稜にトレースをつけていくのは最高の気分であった。稜上は広河原沢右俣側に雪庇が出ているが、大きくはない。

 やがて摩利支天が近づいてくる。稜はこの摩利支天をその頭としているが、吸い込まれる壁が一瞬悪そうに見えるが近づいてみるとたいしたことはない。2、3歩悪目のトラバースをするとすぐに摩利支天の岩角を掴むことができ、御小屋尾根に出る。振り向くとはるか下方に延びていく中央稜が結構長大で、なかなかのもんだと思った。





<阿弥陀岳のてっぺんで>
 そのまま御小屋尾根を進み、阿弥陀岳の頂上へ。晴天の空のもと、北アルプス、乗鞍、木曾御岳、中央、南アルプスまで見渡すことができ、爽快なパノラマだった。縦走者が一般ルートを上がって来ていた。

 さて、時間はまだ早いので、中岳を越え、赤岳に向かう。阿弥陀岳のくだりはいつものことだが悪いと思った。一般道であるが、冬は十分な注意が必要だろうと思う。中岳を越え、赤岳の登りに差し掛かるとさすがに疲労が出てくる。岡野嬢が遅れがちになるが、まあ一般道だからと少し置き去りにしてしまった。いつも風が強く吹きぬける竜頭峰の登りで少し岡野嬢を待つ。赤岳の南峰頂上は人がたくさんだったので、北峰で休みを取る。阿弥陀岳を眺めながら暖かい日差しにしばし呆けた。


 赤岳を地蔵尾根方面に下る。今回は「癒し」がテーマなのでのんびり展望荘に泊まることにする。展望荘は通年営業。稜線を一気に駆け下り、展望荘に到着。個室をあてがわれ、濡れたものを脱いで乾かし、テント泊では味わえない快適さとくつろぎを得る。まずは休憩室でビール片手に乾杯。赤岳の夕景を見ながらガバガバとビールを空けて酩酊し、ああこれぞ「癒し」と痛感した。赤岳鉱泉では見れないパノラマ景色を眺めながら、暖かい部屋の中でビールが飲めるのもこの展望荘の醍醐味だと思う。夕食も暖かいものをたらふく食って休んだ。本当に「癒し」であった。



<猛吹雪の展望荘付近の稜線>
 2月26日(日)
 朝起きると、ひどい吹雪であった。横岳方面への縦走は取りやめ、下山することとする。こんな吹雪であっても暖かい小屋で目覚め、のんびり朝食を取って出発できるとはなんと贅沢なことか!でもいいのだ。癒しなのだ。

 外に出ると、これまで経験したことものない暴風雪であった。息をするのも難儀するくらいである。小屋ではすべての宿泊者に行動する場合には下山するよう呼びかけ、出発する人一人ひとりをチェックしていた。我々も下山したら美濃戸山荘でかならず管理人に報告してくださいと言いつけられた。

 とりあえず地蔵尾根への降り口を目指す。小屋から目と鼻の先であるはずのこの数十メートルが長かった。時折耐風姿勢を取り、身を確保しながら進む。なんとか降り口に達し、地蔵尾根に踏み入れると佐久側からの暴風が少し和らぎ、体感温度も上がる。さらに地蔵尾根を下って行くとどんどん風は収まってきた。冬場の八ヶ岳の暴風は有名であるが、とにかく自分が経験した中では最強のものだった。


 地蔵尾根上部は若干悪いものの、ピッケル、鎖、梯子を駆使して降りれば問題はない。森林帯に入ってからは一気に駆け下り、行者小屋に達し、さらに走って美濃戸山荘まで下った。美濃戸山荘で名前を告げると、トランシーバーで展望荘に連絡をしてくれていた。こうして宿泊者一人ひとりの安全を確保しているのであろう。

 まだ午前中の下山である。のんびり温泉につかって、そばを食べ、さらには午後のお茶まで楽しんで帰京。まさに小淵沢のおしゃれなカフェでの午後はまさに癒しのひと時であった。

<総括>
 主に下山路として使われる広河原沢中央稜であるが、良いルートだなと感心した。特にトレースがなければ初級者のルーファイトレーニングなどにはもってこいではないかと思う。
 下部取り付きは地形を観察して見極めればさほど難儀しないと思うが、地図と地形を見る能力は必要だと思う。また下部は八ヶ岳にしては雪が多いので注意が必要。
 稜上も第1岩壁までは特筆すべきところもない。第1岩壁のトラバースは雪の状態には注意。特にルンゼに出てからは雪が悪いと雪崩れるであろうから気をつける必要がある。
 第2岩壁は岩を回りこんで稜上に這い上がる15mの壁が悪い。雪の状態にもよるが注意が必要。ザイルは不要だと思うが、場合によっては出しても良いと思う。
 摩利支天への最後のトラバースは楽勝である。
 使い古されたクラシックなルートだけど、とても良いルートだと思った。





<阿弥陀岳からの赤岳。結構な迫力である>


















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