阿弥陀岳/北西稜【敗退】(1999.12.18〜19)メンバー:福島、原(ARIアルパインクラブ)

 阿弥陀岳北西稜敗退記(1999.12.18〜19)


 先週(南稜)に引き続き、八ヶ岳に入ることにした。
 相変わらずの残業の毎日で、圧倒的な睡眠不足に悩まされてはいるものの、年末の剣を考えると週末をボケッと過ごすわけにはいかない。今回は先週の反省もあり(原が集合の相模湖駅に3時間(!)も遅れて到着した)、パートナーの福島とは別々に(それぞれの車で)美濃戸に入ることにした。週中に雪が降り積雪量は多く、美濃戸口までたどり着く前にチェーンを装着。残業からぶっ続けで車を運転してのチェーン装着作業は堪える。朝の5時に美濃戸口についた。いつものとおりの疲労度で、寝袋にも入らずエンジンをかけたまま仮眠。

 朝の7時に起床。すでに準備を終えた福島が、「こいつ、いつまで寝てやがんだ!」と言いたげに睨んでいる。自称「ジャニ顔」の九州男児は、なまはげ級の顔をこちらに向けて威圧してくるのだが、我が体は思うように起きあがらず、ふにゃふにゃ言いながら車から這い出る。トランクにはありったけのギアが詰め込んであり、いつものことだけど現地でパッキング。すべてが車に積んであるので、忘れ物がないのが利点だぜ!

 峰の松目沢へ入る予定の登高研、榎本さんの車で美濃戸山荘まで乗せてもらう。原が散々出発を遅らせたため、かなりの重役出勤になってしまった(反省)。美濃戸山荘に着くと、同じく峰の松目沢に入る予定の木元、星ペアが首を長くして待っていた。キリンかと思った。

 駐車場に車を止める。今年から駐車料金を徴収するということで、榎本さんが1000円を支払う。料金は除雪代等に使われるらしいが、本当だろうか。駐車場だけでなく、きちんと美濃戸山荘までの道を除雪してくれるなら高くはないとおもうけど・・・。こんど確かめてやろう。そしてきちんと除雪されていなかったら、駐車料金をごまかしてやるのだ。見ておれ!

 駐車場でプラブーツを締め直し、雪が多いのでここでスパッツも装着する。北沢を詰める峰の松目沢組と別れて一路南沢を行く。8:20出発。先週北西稜を登った雨宮@ARIのメモに従い、行者小屋手前の「赤と黄色のテープ」のあるところから北西稜への道に入る。寄り道があったため(原のせいです)、ここで10:20。分岐の入り口は若干樹林が帯状に切れており、すぐにそれと分かった。この先の急登に備え、ここでアイゼンを装着する。

 しばらくはルンゼを詰める。比較的雪は多いのだけど、まだ季節が浅いので締まっていない。川床の石のデコボコがアイゼンにあたり、歩きにくい。しばらく行くと傾斜がきつくなり、右手の尾根への斜面にそって帯状に樹林が切れている箇所にたどり着く。たぶんここが「雨宮メモ」にある「北西稜へ這い上がる場所」なのだろうと思い、そのまま進む。しばらく行くと樹林の切れ目がなくなってしまったので斜面をトラバースするように上に進む。ところがこの道はルンゼに戻ってしまい、再び北西稜に這い上がる地点では70°くらいの壁にぶちあたってしまった。まあ、樹林が豊富なので木登りで這い上がれるが、ここはやはりトラバースせずに樹林を突破するのが正解。稜に這い上がると「道」とおぼしきものがそれとなくわかり、上に延びている。新雪に足を取られながら稜線上を進むとやがて傾斜がかなり急になり、森林限界を迎える。肩状の少し開けた地形が現れ、ここがトポ等にある「森林限界のピーク」。ここでハーネス等ギアを付ける。12:55。

 天気は終始雪が舞っており、強くはないが風もある。霧が出ていて視界も悪かった。が、行けない事はない。突っ込むことにする。とりあえず、右斜面のバンドをトラバースする様に行き、アンカーになりそうな立木のところで支点を作り、アンザイレンする。13:30。

 1P目、福島リード。出だしはかすかなルンゼ状ですぐにリッジに這い上がる。右にバンドも延びているが、福島はリッジ上を忠実にトレースしていった。ハーケンも所々にあり、ピナクル状の岩角も豊富で、そこそこランニングは取れる。雨宮メモにもあったが、このピッチは惜しいところで上部岩壁基部までたどりつけない(50mロープ)。45m位のばしたところで、リッジ上に支点が現れる。福島は雪の中からこれを見つけ、ここで1P目終了。

 2P目、原リード。リッジをそのまま進む。ノーザイルorコンテでも行けそうだったが、コンディションが悪いのでビレイしてもらう。すぐにカンテ状に突き出た岩壁に突き当たる。晴れていて雪が付いていなければ、ここから人工ピッチのシュリンゲがピラピラ舞っているのが上に見えるそうだが、降雪中であり、さらに壁にはべっとり雪がついているので何も見えない。エビのしっぽも結構発達していた。う〜ん、冬壁ってステキ!って感じ。一番簡単なフリーのルートを行くのであれば、ここはカンテ状に対してバンドを左へ進む。しかし、我々は(というか原は)雨宮メモを読み違え、踏み跡の濃い右へのバンドを進んでいった。支点までもう3mというところでロープが一杯になってしまった。しかたなくコンテに切り替え、ハーケンが2つ打ってある支点にたどり着く。

 ここから直上するルートもあるようだが、これは明らかに人工登攀ルート。我々は右に少しトラバースした急峻なガリーにルートを取ることにする。

 3P目、原リード。ルンゼを横切るようにトラバース。これが悪い。ランニングもなく、脆い。しかも雪がべっとり付いている。やや左岸寄りのラインを取ることにし、上へザイルをのばす。アイゼンの前爪で立ち込みながら岩壁に付いた雪を払い、必死にランニングを探すがハーケン一つ見つからない。ランニングが取れそうな岩角もない。ハーケンを打てそうなリス等もない。しょうがないのでランナウト。20m位のばし、一段上のバンドに這い上がったところでやっとシュリンゲのかかった支点を発見。ここで切る。結局このピッチは、丁度中間あたりに自分で打ったバカブー1本以外、ランニングを取ることが出来なかった。

 4P目、原リード。見た目なんとか行けそうだったが、取り付いてみるとすこぶる悪い。しかもこのピッチもランニングが取れない。アイゼンの前爪で立ち込みつつ、必死で雪を落とすが見つからない。ふくらはぎはパンパンに張ってくるし、雪は降り続くし、岩を掻きすぎてオーバー手袋の指先には穴があくしで地獄の思いだった。本当に気が狂うかと思った。20M弱ランナウトでのばし、傾斜が更に急になり、クラック状に突入する手前でやっとハーケン3本の連打を見つけた。ラッキー!生き返る思いだった。辺りは日没間際。ここならヘッテンを取り出せる。ランニングにクリップし、しっかりしたハーケンでセルフを取り、ザックからヘッテンを取り出そうとする。ところが、なかなか取り出せない。思わず手袋を外す。すると、一瞬にしてオーバー手袋ごと手袋が凍ってしまった!あまり意識はしていなかったが、降雪中であり、突風ではなかったが風もそれなりに吹いていたのだろう。しかし、やばい。元に戻そうとするが、ガチガチに凍ってしまい戻らない。当然、手を通すことはできない。すでに3ピッチ目の取り付きで、濡れてしまった手袋を交換しているので、もう替えはない。ってことは、素手・・・。
 この時点でこれより先の登攀をあきらめる。抜け口は見えていて、あと5m位なのに・・・。でも、何が起こるかわからない。素手のままこの乏しいランニングで墜落したら、その方が怖い。ここなら3本のハーケンを使って懸垂できる。敗退するなら今だ。
 「もはやこれまで。」と、敗退を決した。17:30。あたりは真っ暗で、風とともに雪だけが不気味に舞っていた。

 とりあえず、懸垂支点をセットするためアブミを出し、テンションを移す。「懸垂するのじゃ!」と下でビレイしている福島に伝え、50くらいの間隔で縦に2本並んでいるしっかりしたハーケンに、長めのシュリンゲを二本使って流動分散を作り、すこぶるもったいなかったが非常時なので泣く泣く環付きカラビナを使い(より分散効果を高めるため。)、懸垂支点をセットした。そこにセルフを取り、メインロープを外し、一本を下に投げ、もう一本を懸垂支点にセット。ここでロープを二本とも落としたら一巻の終わりなので基本に忠実にメインをはずす前に支点に結んでおく。こういうときは焦ったら負けだ。いくら風雪で寒くても、暗くなっても、だからこそ基本に忠実にゆっくり動作を行わなければいけないのじゃ!タケヒロ!と、自分に言い聞かせた。ATCをセットし、懸垂の準備を整え、テンションをかけてロープの掛け違えがないことを確認し、セルフを外し懸垂を始めた。

 次のピッチもロープ一本で懸垂。支点はしっかりしているが、こんな非常時だし心配なので捨てシュリンゲを一本付け足した。登ってきたラインに沿って懸垂し、最後のところで右岸にそれる。ラインを忠実に思い出しながら、懸垂の下降路を探っていった。

 バンドまで降りたった。ここからはリッジだが、このコンディションではクライムダウンは自殺行為だ。懸垂することにする。ハーケン2本で支点を作り、50mロープ二本で懸垂。1P目の終了点を目指す。リッジなのでロープを投げたら100%灌木等に引っかかって回収不能となるだろうから、肩に束ねて少しずつロープを出しながら慎重に慎重に降りる。視界を遮る濃霧と風雪が恨めしい。

 1P目の終了点から再度懸垂。ここはもっと悪いリッジなので緊張する。やっぱり肩にロープを掛け、少しずつ出しながら懸垂する。左側はスパッと切れ落ちている。ここで踏み外したらシャレきかんなあ〜、はあ〜ヨイヨイ、と、自分自身を元気づけるように心のなかでボケをかまし、しかしアイゼンを岩稜に軋ませながら懸垂。かなり時間をかけて登攀開始点に到着した。おお、できるできるではないか!などと自分を誉め、すでに福島の無線の電池が切れてしまっているのでありったけの大声でコールする。すると相棒から「はいよー!」と、52万デシベルくらいの大声がかえってきた。美濃戸まで届くんじゃねえか!というような野太い声であったが、しかし相当元気づけられる。

 福島も難なく懸垂をクリアし、ロープを回収。平行エイトの結束はこんな複雑なリッジでも何処にも引っかからなかなった。そのままロープを肩に掛け、森林限界のピークへ。ここでホッと一息という感じ。でも、気をゆるめてはいけない。まだ完全に安全圏には降りていないのだ。ここでビバークも考えられるが、明日はもっと天気が悪くなるという。何があるかわからんから、動けるうちに降りてしまうのが無難だ、ということで下まで下ることにする。とりあえずロープをザックにしまい、気持ちと体に余裕を持たせるために無理矢理行動食を食べる。こんな非常時なのに、大物:福島は至って落ち着いている。とても勇気付けられる。リーダーとして、こんな思いをさせてしまって申し訳ないという気持ちが起こらないでもないが、今すべきことは申し訳なく思うことでも、自分の判断を後悔することでもない。なんとかして安全圏まで降りることのみを考えるべきだ、BY原、と心の中でつぶやき、こういった状況から哲学って生まれるんだよね、と一人ごちた。近々、語録でも出版しよう。
 ここまで降雪&風の中を素手で懸垂を繰り返してきたが、凍傷にもなっていないようだ。我が面の皮、じゃなかった手の皮の厚さに感心。でも、ここからの下降はピッケルを握らなくてはならない。さすがにこの気温で素手で金属を握ることは出来ないので(でも、それまでの懸垂の諸動作では、カラビナやハーケンを嫌と言うほど素手でさわっていたのですがね。)、苦肉の策として替えの靴下に手を突っ込みピッケルを握った。そして、急峻な稜線を下った。登るときに付けた我々のトレースはすでに新雪に消え去っていた。

 樹林帯に入ると風も弱まり、体感温度がぐっと上がる。真っ暗な稜線であったが、忠実に下り、ある程度のところで右側斜面を降下していけば出だしのルンゼに飛び出るはず、と心に言い聞かせ、ルートファインディングしていく。途中、稜線が岩壁となって切れ落ちているところがあったが、方向を見誤らないように左側を巻いてクリアした。
 稜線のコントラストが鈍くなったところで右側斜面を降りていく。道なき道をひたすら下ると、ポンという感じ開けたルンゼに飛び出した。なんと、我々の足跡がかすかに残っている!思わず我が子に再会した母親の気持ちに浸り、早足でルンゼを下ると南沢の一般道に出た。やっと安全圏。どっと緊張が解ける。思わず福島に抱きついてしまった。ここまで来たら、ひとまず安心。平らな雪の上のテントで暖をとるのみだ。唇を求めてくる福島をかわし、いそいそとザックを下ろし、テントを張った。

 テントに潜り込むと、時間は21:00だった。なんとまあ、長い1日だったことか。福島が持参のウイスキーに雪を入れてシャーベットもどきを作ってくれた。すっげーうまい!口当たりは冷たいのだけど体が暖まる。生き返る思いだった。こういうときだけ「兄上・・・」とすすり泣き、感動に打ち震える芝居をしておいた。きっとまた、作ってくれるに違いない。
 結局、二人とも食欲があまりなく、酒を飲みながら適当につまみを食い、ドロドロに疲れ果てた体は眠りへと落ちていくのであった。

 翌日、寝坊しまくって8時過ぎに起床。もう、急ぐ必要なない。ゆっくりゆっくり朝飯を食い、雪が舞う中を美濃戸へ下っていった。

 美濃戸山荘に11:15に着き、すぐに有持さんに連絡を入れる。赤岳鉱泉で落ち合う予定だった木元・星Pが心配してなにか行動を起こしていたら事だと思ったからだった。しかし、「何も連絡はない」とのこと。あまり慌ててはいないようだった。良かった。

 美濃戸口まで降り、風呂(鹿の湯)へ。冷え切った体をゆっくりあたため、敗退したにも関わらず窮地から脱したという異様な安心感と達成感と、そしてやっぱり悔しさに浸りながら東京へ向かうのだった。

 なんだかんだいっても敗退。悔しいし、反省点も多い。が、将来のことを考えたら、このコンディションの中で確実に敗退することができたこの経験は、必ず役に立つと思った。

         

















<核心部のビレイポイントで。左が福島、右が原>



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