槍ヶ岳/北鎌尾根(1998.8.20〜23)メンバー:酒井、原(ARIアルパインクラブ)



  「夏の北鎌?良く行くねえ・・・」
 僕が北鎌へ行く!と言ったら、ほとんどの人がこう言った。
 水はない、太陽はジリジリ照りつける、冬は締まっているガレ場はぐずぐずに荒れる、薮こぎも大変・・・。
 北鎌は冬か春というのも、知っていた。だけど、あえて禁断(?)の夏の北鎌へ挑戦しようと言うのには訳があった。

 だって、北鎌しか行けなかったのだ!

 僕は本格的にザイルを使い初めて一年ちょい。パートナーの酒井はうちの会の新人で、本ちゃんは初めて。まともな縦走さえやったことがないのである。こんなパーティーが「屏風に行きたい!」といっても、先輩からOKが出るはずはなく、かといって化け物みたいな化粧をした縦走ババアが出没するようなコースに行くなど論外。程良く「これがアルパインじゃ!」と実感できるようなルートで、我々のレベルでも行けるところ、と言えば「北鎌」しかなかったのだ。
 
 僕らは資料集めに奔走した。
 岩と雪のバックナンバーをあさり、登山大系をなけなしの金をはたいて買い、インターネット上に転がっている最近の記録を読んだ。

 そして、北鎌へと向かった。


<高瀬ダム。これから長い北鎌が始まる>
 8月20日(木)   信濃大町〜七倉〜高瀬ダム〜湯俣〜千天出会〜P2基部

 前日、新宿から急行アルプスに乗り込み、信濃大町へ向かう。信濃大町からタクシーで七倉経由で高瀬ダムへ入る。
 裏銀座の玄関、ブナ立尾根の入り口でもある高瀬ダム。そこから高瀬川を上流に向かって行くと、やがて辺りに硫黄のにおいが立ちこめるようになり、山奥の秘湯を備える湯俣にたどり着く。
 道はここから一挙に悪くなる。古い釣り橋を渡り、水俣川の左岸に進路を取るとすぐに薮こぎが始まる。沢沿いの緩やかな遡行であり傾斜がないのがすくいだが、やはり夏場の草木の元気なことといったら尋常ではない。倒木がひとしきり折り重なって道を塞いでおり、またいだりくぐったり、時にはよじ登ったりのお仕事を強いられる。いやはや、廃道同然と言うのも頷けるものであった。
 しかし植物攻撃以外のルートの悪さと言う点では聞いていたほどではないという印象だった。途中、一枚岩をトラロープを伝ってトラバースしたり、ワイヤーロープを使ってスッパリ切れた岩場のクライムダウンをしたり、これが名だたる北鎌のアプローチか、と感心はするが、2週間前に行った甲斐駒の赤石沢Aフランケのアプローチに比べたらかわいいものであった。しかし本ちゃん初めての酒井にとってはさぞやきついだろうと思っていると、「妙義山のほうが恐かったですよ。楽勝です」と言っていた。たのもしい限りである。
 川面から高く離れたり近づいたりしながら相変わらず荒れ放題の道を進むと、やがて若干広くなった川原を歩くようになる。そろそろ徒渉かな、と注意深く辺りを観察すると、対岸にオレンジ色の目印が見える。ここが第一徒渉点。寄せ集めた過去の記録では壊れかけた釣り橋があるはずだった。ザックを置いて偵察に向かうとやや上流に橋の残骸がかすかに残っていた。しかし、それはもはや橋とは呼べず、両岸にかろうじてしがみついた基礎が確認出来るのみであった。
                                      
 釣り橋の残骸が使えないのなら仕方がない。水にざぶざぶ入るしかない。4〜5日前の大雨の水はとっくに流れ去ったようで、水量は少ない。これならザイルも張ることなくパンツ一枚になればザックを背負ったまま渡ることが出来そうだ。万が一の時は泳ごうと、海パンにゴーグルまで持ってきた僕は少々拍子抜けだったが、時間は相当短縮できる。
 徒渉は簡単だった。見た目より流れが早くバランスを保つのに苦労はしたが、徒渉初体験の酒井も難なくクリア。ただ、思ったより冷たい水に足が悴み、岩に這い登った後しばらく彼は固まっていた。
 徒渉を終え再び水面より高く道を取り、切れ落ちた川岸の今度は右岸をへつって行くと間もなく千天出合にたどり着く。
 ここでしばし仰天!なんと、立派な看板があるではないか。
 真ん中に「千天出合」。左(上流)に槍ガ岳。右(下流)に湯俣・・・。
 確かにそのとおりなのだけど、こうもあっさり「槍ガ岳」とかかれると何となく「あ、北鎌って簡単なのね」と思ってしまう。いかんいかん。
 かつてこの道は一般道を目指して整備された。その名残だろう。朽ち果てた釣り橋もワイヤーロープもそうで、それが幾度とない台風や急峻な枝沢から落ち込む雪崩によって破壊され現在の有り様になってしまった。唯一残ったこの立派な道しるべに、何となく北鎌の歴史を感じるようでもあった。

 千天出合というのは西鎌尾根の稜線に突き上げる千丈沢と東鎌尾根に突き上げる天上沢の出合いという意味であり、その間にそびえているのが北鎌尾根である。
 北鎌尾根の取り付きであるP2基部へは天上沢右岸を少々遡行する。相変わらずの薮こぎをしばらく続けると、「あれま」と言う感じでぽんと川原へ飛び出す。すると対岸に残置ロープと目印が見える。ここが第二徒渉点。また、沢を渡らなければならない。
 今度の流れはちょっと早い。最新の情報では、何やらチェーンソーで倒した倒木の橋が存在するらしいが、これも跡形もなくなっている。たぶん4,5日前の大雨で流されてしまったのだろう。
 仕方がないので、石づたいに浅いところを選んで渡ることにした。水位は股下位で、飛び石に手を掛けつつ3点確保を保てば、ザックを背負ってもなんとか渡ることが出来た。
 集めた情報では、この徒渉で流されて死亡、という事故がいくつかあったらしい。無事にわたれて、若干ほっとする。

 徒渉をして、ほんの数十メートル上流に向かうと一日目の幕営地であるP2基部にたどり着く。時刻は午後3時前。そこは「キャンプをしました!」という気配がプンプンと漂っているところで、一発でP2基部であるという事が判った。何よりの目印が、なんと「ゴミ」である。たぶん我々はこの「ゴミ」のおかげで迷わず北鎌へとりつけるのだが、それにしてもひどいゴミの散らばり様だ。そのひどさと言ったら、今日一日の疲れも手伝って思わずその場で憤死する程であった。
 かねてから思っていたのだが、一般縦走路に比べバリエーションルートにはゴミが多い。例えばハンギングビバークを余儀なくされるようなハードな山行になればなるほど、ゴミにまで気を使う余裕がなくなり管理がずさんになってしまう。しかし、自然というフィールドで活動する我々山屋は、その自然へのインパクトに対してもっとセンシティブになるべきで、どんなに困難な状況に立たされてもゴミに対しては極力気を使うべきだと思う。以後、北鎌へ入る人は十分注意をしていただきたいと思う。
 P2基部では平らな土の上に快適にテントを張ることが出来た。流木を拾って焚き火をしようとしたが、しめっていて火の付きが悪くあきらめる。
 食事はアルファ米以外は個人持ちにしていたので、各自で用意する。酒井はジフィーズの親子丼、僕はレトルトのカレーと、朝からビスケットくらいの行動食しか口にしていなかったので非常用に持ってきた餅を二切れ食べることにした。おかげで空腹は満たされ、早くも次の欲求、つまり睡眠へと身体は落ち込んでいくのであった。沢のせせらぎを子守歌に、弾力のある平らな土の上のテントは、それはそれは快適なのであった。


<P2基部への最後の渡渉(酒井)>


 8月21日(金) P2基部〜P2〜北鎌コル〜P8〜独標寸前のザレ場のテント場

 翌日、3時半起床。眠い目をこすりながら朝食を作る。僕は味噌汁に餅を二個入れた雑炊、酒井は昨日食べなかったおにぎりとスープをそれぞれ口にした。辺りはまだ真っ暗。暗い足下に注意しつつ河原に下り、水をくむ。この先は全く水の補給が出来ない。「心配なので8リットル上げます」と、酒井は言う。
 「何かあったら心配だし・・・」
 「大丈夫、6リットルあればたっぷり水を使っても稜線上に5日はいられるよ」と酒井を制し、一人6リットルずつ担ぎ上げることにする(結局、この水は余ったのだが・・)。
 軽量化を心がけたので、6リットルの水を加えてもさほどザックの重さを感じる事はなかった。
 P2基部からP2へは樹林帯の急登である。一日目は主に沢の遡行なのであまり高度を稼ぐことはなく、息を切らす代わりに薮こぎやら徒渉やらに労力をそがれるのだが、2日目は全く違った要素の行程となる。朝一の急登は、さすがに呼吸のリズムをつかむまでは大変だが、それも徐々に合ってくる。ペースをつかんでしまえばだらだら長く続く登りよりもこれくらいの傾斜は丁度良いものだ。
 所々にある目印とさすがに「良く踏まれた」とはいいがたい踏跡をたどっていくと、フィックスロープの張られた岩稜帯にでる。冬にはザイルを出すこのピッチも、夏ならばノーザイルでもなんとかいける。ただ、フィックスロープは腐っているので体重を掛けることは出来ない。手は岩のホールドか木の根で決めなければならない。
 このピッチは「木登りピッチ」とよばれているそうだが、それほど木の枝を掴んでいくという印象ではなかった。
 岩稜帯が終わるとすぐにP2の頂上である。樹林帯の中のP2はまだ北鎌と言う感じがしない。ここには2〜3張テントをはることができる。

            <P2からP6まで>
 P2を過ぎるとすぐにP3への登りが続き、ピークを踏んだと思うとまたすぐにP4への登りとなる。
 P3のピークから一旦平らになった踏み跡をたどり、P4の登りにさしかかる所でガレたルンゼにつっこんでしまった。そこで踏跡を見失う。
 ルンゼは足場が結構悪く、傾斜もある。おまけに所々草付きでとても滑る。思わずピック付きのミゾーのハンマーを出したのだが、このミゾーのハンマー、結構使える。小バイルよりコンパクトだしそんなに重さもない。夏場ならこの一本で悪路も十分に対応できる。
 とりあえずルンゼを詰めることにする。辺りを必死で見回して踏跡を探すが、一向に見あたらない。
 「さて、どうしよう・・・」
 最悪の場合、このルンゼを詰めて強行突破しても、ピークの位置さえ見据えておけばP4を越える事は出来る。踏跡にも戻れるだろう。
 大丈夫、行ける。
 そう心に言い聞かせ、冷静に辺りを見回す。すると、どうもルンゼの右側に踏跡らしきものがあるようだ。
 獣道の様な心細い踏跡だったが、確かにピークへと向かっている。これを辿ってみることにした。すると踏跡の上にゴミが落ちていた。複雑な気分だった。
 しばらく行くとピークの手前でまた踏跡が消えてしまった。ピークはすぐそこなので薮を漕いで強行突破し、傾斜がやや弱まり少し開けたところでザックをおろす。
 遅れている酒井に声を掛け、こちらに導く。酒井は思いも寄らぬ悪路にしばし消耗しているようだ。
 酒井を休ませ、一人で偵察に行く。薮を漕ぎ、辺りの地形を注意深く観察し、地形的に踏跡が付きそうな位置を探る。ここなら稜線上にルートはあるはずだと見極め、薮の薄いところを一気に上へ突破すると、あった。踏跡だ。
 一体何処ではずしたのだろう?いや、あれだけ注意深く来たのだから踏跡をはずしたはずはない。実際に踏跡が消えてしまっていたのだ。
 酒井が休んでいる所まで戻り、ザックを背負って再び歩き出す。なんとかピンチ(と言うほどでもないが・・)を切り抜けることが出来た。
 P4も、まだ樹林帯の中だった。

 P5の手前の小ピークの辺りから所々樹林帯もとぎれ、林相も変化してくる。
 ピナクル状の険しいP5の手前で懸垂。この山行で初めてロープを出す。
 見たところ高低差もなく、クライムダウンも出来そうだったが、下部の岩の状態がどうなっているのか判らなかったので一応懸垂下降することにした。
 懸垂下降を終え、P5の基部から道は天井沢側をトラバースするように続き、きつくなった傾斜を一気に詰めるとP5、P6のコルに出る。酒井のピッチが上がらないので、ここでひと休みをする。
 P6は千丈沢側をトラバースする。これが悪い。ガラガラに崩れた傾斜のきついルンゼを横切り、千丈沢に向かって切れ落ちたランペ状の道を行く。コルにハーケンが2本打たれていたので、念のためこれを支点としてロープを出した。途中、しっかりしたハイマツの根を使ってランニングを取った。
 このP5とP6の通過が前半のヤマとなる。無事通過出来て少しほっとする。
 あっさりとP7のピークを踏むと、北鎌のコルへ向かってザレた道を急降下する。樹林帯に突入する辺りから傾斜が急になり、注意して下らないと事故に繋がる。やがて開けた北鎌のコルに出た。
 夏道として知られている北鎌沢右俣を詰めるコースは、天井沢からちょうどこの北鎌のコルに突き上げる。北鎌のコルはテントを2張くらいはることができる。
 小休止をして一路P8を目指す。一気に標高が上がるP8へはかなりの急登で、道も悪く途中2級程度の岩場も出てくる。ただ、登りの途中で森林限界を迎え、一気に眺望が開けるのでごきげんといえばごきげんな道である。
 急登を登り切り、最初のピークにたつと、あれ・・・、同じ高さのピークがいくつか続いている。どれがP8なのだろう?となやむ。まあよい。どれかがP8じゃ、と先に進む。P8に上がると独標が目の前に大迫力で迫ってくる。
 いよいよやせてきた尾根を、小刻みなアップダウンを繰り返しながらすすみ、天狗の腰掛けを過ぎ、独標の登りにかかる。岩稜帯を過ぎ、やや平坦になったところで道がザレてくるが、この辺りは甲斐駒の摩利支天周辺と雰囲気がにている。
 ふと振り返ると、酒井が相当遅れている。足取りも重く、相当消耗しているように見える。
 「行けるか?」
 と、声をかけるが、彼はしばし返答に窮している。
 これから先は独標の悪場。今日の予定は独標を越えたテント場までだが無理は禁物だ。結局、独標手前のザレ場にあるテント場で、今日の行程を終えることにした。

 時間は午後3時。酒井はぐったりテントの中で寝ている。僕はテントマットを外に出し、晴れ渡った空のもと裸で甲羅干しを楽しむ。風もなく、音もなく、程良い太陽の光を体に受けながら北鎌尾根の午後を過ごした。
 遠く前方には硫黄尾根が連なっている。赤茶けた岩肌は一見して脆そうだ。鋸状のナイフリッジも北鎌よりも悪そうに見える。あの尾根はどうなっているのだろう?
 目の前に未知の稜線が現れると、そこに行かなくてはならない、という急いた気持ちにさいなまれる。北尾根を見たときもそうだった。そういえば初めてこの北鎌尾根に行きたいと思ったのも、険しくも挑発的なこの尾根を表銀座からみた時だった。それ以来、いつかあの尾根をやりたいと思っていた。
 それが今なのだなあと、時折現れる雲の流れを見つめながら頭の中でつぶやいた。。

 酒井は2時間も寝るとすっかり回復したようだった。さすがに若いなあと感心。元気になったとはいえもう時刻は午後5時であるから「今なら行けそうだなあ」という酒井を「まあまあ」となだめ、いっぱい食っていっぱい寝て、更に元気になって明日はがんばってくれい!と肩をたたき、飯の用意にかかった。
 北鎌の夜は、何とも静かであった。

<独標手前のテント場での夜明け>


  8月22日(土)   テント場〜独標(巻き)〜北鎌平の上〜槍ガ岳〜横尾〜徳沢(16:30)

 翌日、3時半起床。朝食を取り、5時行動開始。一路、槍が岳を目指す。
 目の前のにそびえている独標をまず越える。直登ルートは何本も引かれており、選べばルートグレード3級(−?)くらいの岩登りが楽しめるのだが、予定よりも少し遅れてしまったので巻くことにする。
 巻き道は基部から大きく千丈沢側にのびているはずなのだが、最近の地震の影響か踏跡がガレた岩屑で遮られてはっきりしない。下は千丈沢へ向かって切れ落ちている。とても悪そうだ。じっくりと巻き道の方向を確認する。すると、ガレ場の先にわずかだが踏跡が確認できる。とりあえずガレ場を突破してその踏跡につなげることにし、トラバースに突入していった。
 ぐずぐずのガレ場は緊張する。なるべく手がかりを使えるよう壁よりのルートを取る。時折落としてしまうガレキは真っ逆さまに千丈沢へ落ちていく。
 ガレ場を通過してようやく踏跡に戻り、しばらく行くと今度は谷に向かって切れ落ちた壁のトラバースを強いられる。ただ、ホールドがしっかりしているのでロープを出さなくても難なく通過する事ができた。
 独標を巻き終え、次のピークとのコルに本来の幕営予定地であったテント場がある。見たところ風を遮るものはなく岩もごつごつ出ていて、昨日の独標手前のテント場の方が数段快適そうだった。そして、独標を越えて開けた僕らの視界の中に、ドーンと槍ガ岳が飛び込んできた。

<槍の穂先。でもここからが長い>
 北鎌尾根では独標を越えると初めて槍が岳が姿を現す。目指すゴールであるピークを、そこで初めて見据えることができるのである。
 槍ガ岳は高かった。ピナクル状に突き上げる穂先はシャープなシルエットを描き、それが見る者にひときわ高度を感じさせる。P7から見る独標も大きく感じられるが、その向こう側に現れた槍ガ岳はそれより2段も3段も高い位置に存在しているようだった。穂先が高いというのではなく、槍の穂の基部から上がそっくり雲の上に浮かんでいるという感じなのだ。そこからのびる北鎌尾根のナイフリッジは、まさに天に向かって続く回廊といったところだ。この尾根の行き着く先は容易に姿を現さなかった。しかし、目指す者に、簡単にその姿を見せない訳がそこにはあった。表銀座からでもなく、穂高からでもなく、北鎌尾根から眺める槍ガ岳はそんなにも特別に見えるのだった。

 独標から先はさらに荒涼としたやせ尾根となった。岩は脆く、ガレた急斜面のアップダウンを強いられるためペースを上げることができない。目の前には最終点である槍が岳が手に取るように見えているのに、なかなか近づいてくれない。越えても越えても次々とピークが目の前に現れる。槍が岳がもう手の届きそうな位置にあるので、その行程は余計長く感じる。
 P11以降のピークのうち、険しいピークには巻き道がついていた。途中、千丈沢側、天井沢側のどちらにも巻けそうなピークもあったが、過去の記録も参考にして我々はことごとく千丈沢側を巻いた。
 巻き道もピークを直上する道も、踏跡が突如なくなる箇所がいくつかあった。斜面や尾根の形状をしっかりと見極めてルートファインディングをしていかないと、はまる。いざとなれば稜線上に上がってしまえばいいといっても、悪い箇所に入り込めば事故の元だ。あわてずじっくり辺りを観察する必要がある。
 ピークを一つ一つ越えるにつれて槍ガ岳はどんどん大きく迫ってくる。向かって右側には孫槍、小槍と連なる西稜が落ち込み、その奥には西鎌尾根が裏銀座へと続いている。左側には大きくそびえる大天井岳へと続く東鎌尾根がのび、向こう側には遠く前穂と北尾根が見える。きっと、槍のピナクルのてっぺんに立てば世界は四方に広がり、もっと大きなパノラマを手に入れることができるに違いない。そう思うと、一刻も早くそのピークに立ちたいと気持ちが急いてくるのだった。
 北鎌平手前の幅の広いピークを大きく千丈沢側に巻くと道は稜線への登りに転じる。この辺りからペンキによる目印が目立つようになってくる。その目印に向かってずんずん高度を稼いでいき、稜線上に飛び出すとなんと北鎌平は遥か下にあった。幅の広いピークを大きく巻いている最中にどうやら北鎌平を通り越してしまったらしい。北鎌平で小休止しようと思っていたのだが、しょうがないので目の前に槍ガ岳が迫った稜線上で休むことにする。本格的な山行はこれが初めての酒井はまたもやペースが落ちており、遅れて休憩場所に到着。軽く行動食を取って一休みし、一路槍の穂先の登りにかかった。

 槍の穂先の基部にたどり着くとハーケンとリングボルトがすぐに目に付いた。上を見上げるとルートに沿ってハーケンは上部へと続いている。一見してノーザイルで登れるが、これまでP5の懸垂とP6のトラバースの2カ所でしかまともにザイルを出していないので、練習の意味でもザイルを出そうということになった。
 出だしで2カ所ランニングを取り、岩溝にそって数メートル登ると、すっかり傾斜も緩くなって開けてしまった。とりあえず支点を見つけてそこでワンピッチ切ったが、どう考えても2級あるかないかのルートであり、あまりにもばかばかしいので酒井が登って来るのを待ってザイルを外す。その先はしばらくノーザイルで行くことにした。
 そこから目印と所々に打ってあるハーケンに導かれながら岩壁を登っていくと、再び傾斜がきつくなり、目の前に岩壁が迫ってきた。槍の穂先への最後のピッチにたどり着いたのだ。
 東鎌尾根よりの凹角の中を行けばノーザイルでもいける。が、このままではせっかく持ってきたザイルがかわいそうなので、あえて頂上に向かって右よりの、比較的難しいピッチを登ることにした。
 そこには支点もあり、ランニング用に打たれた上部へのびるハーケンも確認できる。再びザイルをつないでそのピッチに挑んだ。
 ピッチグレードはせいぜいV-級。しかし、出だしは岩が楔状につきだしており、垂直に近い姿勢を強いられるため重たいザックと登山靴ではちょっといやらしい。一本目のランニングを取ったところでつかんだホールドが浮いており、少しヒヤッとさせられる。足を大きく開き、凹角の両壁を巧みに利用し、そして登山靴の底の乏しいフリクションを無理矢理信用して、えいや!と足を上げる。3ムーブくらいで出だしの核心部は越え、ガバをつかむと傾斜も緩くなり、あとはU+位の登攀でこのピッチの終了点にたどり着く。終了点はすこぶる安定しているのだが、そこにはリングボルトが一本しかないので、岩の突起も使って流動分散をとり支点を作った。
 セカンドとはいえ重たいザックを背負っての登攀はこれが初めての酒井には、念のためフラットソールに履き替えるように言い、ビレーの準備をする。酒井もはじめは手こずっていたようだが何とか出だしの核心を越え、そこからはスタスタとランニングを外しながら上がってきた。酒井が上がってくると支点をほどき、そこからはまたノーザイルで進む。そして、いよいよ頂上に立つときが来た。
 トラバースするように岩を回り込むとすぐに人影が見えた。あっけなくもそこが頂上だった。歩きやすい岩筋に導かれて行くと頂上の祠の後ろにポンっとでる。
<槍の頂上で>
 頂上は文字通りのパノラマだった。見渡す限り視界を遮るものはなく、コバルトブルーの天空とアースカラーの山嶺とがどこまでも続くだけだった。振り返れば我々がたどってきた北鎌尾根が鋸状に険しくのびている。その最終点であり最高点である槍の穂先に立って、北鎌のピークの数々を見下ろすと、それまでの苦しさは一気に吹き飛ぶようだった。
 「へへ、やったな!」
 と言って、酒井とがっちり握手をする。一般縦走路とは反対側から上がってきた我々を見て、一般登山者は「どこから来たの?」だの「へえ〜、すごいねえ」だの声をかけてくる。少し優越感に浸る。そんな思いがけない歓迎を受け、顔がさらにほころぶ。縦走も含めて本格的な山行はこれが初めての酒井は稜線上では常に険しい表情だったが、頂上に立って初めて顔がゆるんだ。それにしても初めての縦走が北鎌なんて、ARIっぽいなあと思ってしまった(僕は初めての本チャンが丸東の開拓であった!)。まあ、計画前から彼ならやってくれるだろうと思っていたが、予想通り彼は頂上までがんばり通した。彼にとってはとても良い経験になったと思う。

 今回は夏の北鎌ということで技術的な困難はなく、身を削るようなスペシャル・ハードな山行ではなかったが、計画書の作成から資料集め等も一から自分でこなし、山に入ってからはリーダーとして徒渉ポイントの選定からルートファインディングを含めたあらゆる判断を下さねばならず、僕にとってもとても重要な、意味のある山行となった。アルパインをやる以上、岩の登攀技術とともに身につけておかねばならない重要な要素を修得するトレーニングとなり、確実にレベルアップができたと思っている。
 そんなに意味のある山行だったから、僕も酒井もすがすがしい達成感が体中に満ちていた。
 いつまでもこのまま頂上に立っていたかったが、そうもいかない。今日はビールが待っている「楽園」徳沢まで降りるのだ。
 きっとまた来るぞ、と思い、あざやかな緑が光をてりかえす槍沢を、かけぬける涼風とともに下っていた。

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