剣岳/小窓尾根(1999.12.27〜12.31)メンバー:有持、雨宮、酒井、星、福島、原

 小窓尾根を意識したのは、去年の夏、チンネを登るために三の窓に入ったときだった。

 小窓がどういう尾根であるかは知っているつもりだった。そのために、11月からトレーニングに励んだのだが、相変わらず朝から深夜まで続くクソ仕事のおかげで平日は小窓の事を考える時間がなかった。こんな状態で小窓に入って良いのだろうか、と直前まで悩み、それでも12月25日、26日の土日は出勤し、仕事をなんとか片づけ、26日(日)の夜、剣に向けて出発したのであった。小窓に挑むというのに、全く心の余裕がなかった。

<出発前。伊折にて。>
  12月27日(月) 快晴

 夜通し車を運転して富山から馬場島へ。林道は途中でゲートが閉じられているはずなので、伊折で車を止める。ここ数年に比して積雪量は多かった。
 準備をしていると黎明の際から白い剣が輝き始めた。天気は上々のようだ。しかしながら、頂上付近に上がる雪煙が風の強さを予感させる。また、この時期、剣の山域で好天が数日続くことはめずらしい。これから何日間眼前の山嶺を彷徨わなければならず、そのうちに天候が崩れることもあるだろうか。不安、期待、憂鬱、焦燥が入り交じる、いつもの複雑な感情であった。でも、行くのだ。顔を上げ、目を据え、山に分け入る。岳人の不可思議は、どの山行のプロローグでも同じだった。

 休憩を挟み黙々と馬場島を目指す。有持さんはソリを使用していたが、掘れた轍の溝にしばしばソリが反転して閉口しているようであった。
 馬場島に9:30に到着し、入山届けを済ませ山タンをもらう。詰所でもらった水が異様にうまかった。
 ここでスパッツ、ワカン等を付ける。図ったわけではないが、メンバー全員同じワカンだった。
 林道を山に向かい、河原に降り立つと急に雪が深くなり、途中からトレースも消えてラッセルとなる。6人で交代しつつ取水口を目指す。日差しがよく、汗が噴き出すのにはまいった。適度に温度調整をし、発汗を極力抑えなければ下着が濡れてしまい、冷え込んだ時にキツイ。マメに気を使うこと。冬山で生き延びる秘訣だ。
 一旦右岸に渡ったトレースは取水口で再度左岸に渡る。川面に降り立つ箇所は左の斜面からの雪崩でデブリが出来ており、若干いやらしい。ひとりづつ慎重に下り、川を渡った。
 沢を忠実に詰めるのが常のようだが、小窓に3回通っている有持さんの経験により赤谷尾根から派生する小さな尾根を乗っ越すルートをとることとする。なんでも沢筋は激しく渡渉を繰り返すため、アップダウンはないが時間を食うらしい。

<取水口を目指し、ラッセルをする福島>

 ラッセルは次第にキツくなる。トップが空身でラッセルし、セカンド、サードが固め、残りの三人で四人分の荷物を運ぶという作戦で行くことにする。その時の体力を鑑み、ラッセル隊が有持、雨宮、星、荷揚げ隊が酒井、福島、原となった。
 尾根上のコルを目指して登り、それを越えて急斜面を下り、再び河岸にルートを取る。丁度下ったところが池ノ谷出合。そこからの河岸もラッセルがひどく、平坦なピッチも遅々として距離を稼ぐことができない。雷岩に15:30にたどり着く。
 尾根側を見上げると、急峻なルンゼが走っており、新雪のこの時期に詰めるのは避けたい気持ちであるが、明らかにここが取り付きであった。さらに、上に向かえば1400M付近までビバーク適地はないはず。一気に駆け抜けなければならない。
 今までどおりのタクティクスを使って上を目指すも、途中で日没。暗くなる寸前に有持氏が空荷でビバーク適地までトレースを付けた。後続はヘッテンで続く。完全に暗くなってしまえば不思議なものでさほどの焦燥感はない。夜になりゃあ雪が締まって都合がよいわい!と闇を楽しむ余裕も出てくるものだった。
 1380M地点にたどり着き、後続を待つ間スコップで地をならす。肩状の小さなスペースであったが、バリエーションのテントサイトとしては申し分はない。丹念に地をならし、テントを張る。山にしては遅い目の夕飯を取り、初日のビールでとりあえず乾杯。しかし原はアルコールを用意するヒマがなく、他人からのお裾分けであった。
 4〜5人用のテントに6人入るのはさすがにキツイ。キツイのだが、人に挟まれてしまうと暖かく、熟睡出来てしまうのであった。

<1380M地点を出発する朝。有持親分と原>
  12月28日(火) 晴れ

 寝過ごした。普段ならまだしも、正月の剣に入っているのに高層気象を聞きそびれてしまった。高層気象天気図が書けなければ天気の予想が困難となる。荒れるのであれば撤退不能なところまで突っ込むのは、やばい。
 とりあえず天気は良い。次の気象通報で再度判断することとし、とにかく上に向かうこととする。
 痩せた急な尾根を6人でトップを交代しながらラッセル。天気が良く、こんなコンディションであればラッセルも楽しい。1600Mピーク、1900Mピークと進む。1900Mピークには、先行のグループ・ド・ミソジパーティーのテン場跡があった。ここまでは25日に降った雪のためトレースは皆無であったが、ここから先はトレースがある。少し楽になる。




<ニードル。あれを越えなければならない>
 1900Mピークからしばらく進み、岩稜が目立つようになってくるとコル状に一旦下る。ここからニードルへの登りであるが、いよいよバリエーションっぽくなり、ここでワカンからアイゼンに履き替える。日が傾き始め、風が若干強く冷たくなってきた。
 このピッチは木登りピッチであった。木を使って攀じる。壁状を越え、稜線に上がるといよいよ風が強い。ニードル基部では目出帽を被った。
 ニードル基部から1ピッチ、下がスッパリ切れた悪いトラバースがあるのでロープを出す。風のなか、ザックのなかからばらまいた荷物が飛ばないよう注意しつつハーネスを付ける。シャリバテしないよう、先行が行く間に行動食を口にする。いよいよ日が傾き始め、この時間になるとテント場が恋しい。
 ニードルを右側から回り込むようにしてのトラバースは2ポイントくらい悪い。フィックスもあるが、とても体重をかけられるような代物ではない。慎重に前爪で立ち込む。トラバースし終わると、灌木でアンカーが取れる。
 ニードルを巻き終えると、一旦コルへ下降する。そしてドームへの急登。アイゼンワークがしっかりしていれば、ノーザイルで十分行ける。
 ドームのてっぺんに出ると、ミソジパーティーのテント場があった。おそらく悪天のため1900Mピークからここまでの行程となったのであろう。地ならしする手間が省けるのは助かった。テントを張って、昨日と同様遅い目の夕飯を取り、寝た。

<ドームのテント場を撤収する。今日は天気が悪い。>
 12月29日(水)  雪

 夜半から雪であった。若干風が伴っているが、それほど吹雪いているという訳でもない。今日は寝坊せず、高層気象天気図をとる。どうやら大荒れにはなりそうにない。上を目指すこととする。
 ドームから若干下り、コルに出てすぐにピラミッド状岩壁への登りとなる。数歩の悪い岩登りがあり、バンド状まで出る。ここは結構怖かったが、ノーザイルでこなしてしまった。バンドを右に回り込み、右側の斜面からピラミッドのピークを目指す。雪壁を登り、行き詰まったところが凹状になっており悪い。ここからザイルを出す。リードは有持で、途中二箇所でランニングを取っていた。終了点は雪の中から堀り出したブッシュ。後続jは未熟者が多いため、フィックスを張って続く。しかし原はブロッカーを忘れ、マッシャーもめんどくさいのでカラビナだけフィックスにかけて登ることとした。
 ここから岩登攀が本格化する。マッチ箱への登りは2ピッチザイルをのばした。一ピッチ目のランペ状をバンドまで上がるところが若干いやらしかったが、アンザイレンすれば思い切って行けた。2ピッチ目は抜け口がほぼ垂直に切り立った雪壁であり、しかしステップが効くのでダブルシャフトで行けた。
 ザイルピッチを越えると傾斜は落ちるが、前爪で立ち込んでいく箇所は多い。マッチ箱終了点を過ぎたあたりで、雪を伴う濃霧のため稜線のコントラストがつかめず、少し迷う。コンパスと地図とリーダー・有持の判断でルートを戻す。池ノ谷側はスッパリ切れていてはずしようがないが、赤谷側にはずすとやっかいなところだ。

<小窓の王をトラバースする原。この後、三の窓へ>
 小窓の王の懸垂地点への登り手前のコルで小休止をし、今日は三の窓まで行けることを確信する。若干くずれた天気ではあったが、なんとか抜けられそうだ。
 雪壁を登り、ナイフエッジを慎重に通過し、小窓の王を右にちょっとトラバースしたところで岩壁にシュリンゲがたくさんかかった懸垂点にたどり着く。ここから池の谷めがけて懸垂。傾斜はそんなにないのだが、とにかく下は奈落の底なので緊張する。
 懸垂終了点から池の谷の側壁を一ピッチトラバース気味に進まねばならずロープを出す。雪壁の向こうには岩稜の切れ目として三の窓が確認できた。三の窓は濃霧に包まれていた。図らずも僕が三の窓に一番にたどり着いた。

 息を飲んだ。

 夕闇の幽かな光を淡く照りかえす濃霧。ときおりのその切れ目から覗く池ノ平の地。今にも仙人が湧いて出てくるようだった。霧をまとった仙人が、剣の天空に舞い上がるような、そんな幽玄な光景だった。
 とうとうここまで辿り付いたのだな、と思った。
 そこが「窓」と呼ばれる訳がわかった気がした。その向こう側を覗くには「窓」に降り立つ以外になく、それまで、向こう側は未知であった。
 ため息とともにこみ上げる感情をかみしめながら幾時間立ちすくんだ。言葉にならない感情。達成感でもなく、爽快感でもない。悲しみも混じる。いとおしさも感じる。そういった、入り交じった、複雑な、それでも山を重ねる毎にいつも感じる、「岳人」の感情であった。

 三の窓でも地ならしをし、遅い目の夕食を取って寝た。明日は山頂を目指す。

<池の谷ガリー。後方は小窓の王>
  12月30日(木)  快晴

 昨晩はそれまでテントの端でガタガタ震えていた酒井と交代してテントの端で寝たため、寒さにしばしば目がさめた。
 今日の朝飯も食事係の星が用意してくれたものだ。食事はそれぞれコンパクトにまとめられており、軽量なわりに内容も充実している。工夫が見られる。
 朝飯を取っていると、辺りが明るくなりはじめ、テントをたたむころにはヘッテンが不要なくらいになる。今日は晴れている。
 当初はチンネも登る計画だったが、入山前の大雪であきらめ、小窓に絞った。しかし、このコンディションならチンネもやれたのにと若干歯ぎしりをするが、登攀道具を持参していないためあきらめるしかなかった。しかし、明日の天気はわからない。高層気象では大荒れにはならないはずだが、今日中に安全圏まで降りるに越したことはない。そそくさと池ノ谷ガリーに出る。
 個人的には、この池ノ谷ガリーが心配だった。夏に一度トレースしたことがあるだけなので、雪の乗ったこのガリーが一体どういう状態になるのか想像がつかなかったのだ。実際には所々堅い雪壁となっており、ノーザイルで若干緊張するものの、思ったよりは簡単にクリアできた。トレースは極力チンネ側にとった。
 池ノ谷乗越まで一気に上がると、紺碧の冬空が開けた。絶景。いくつものピナクルを連ねる八ツ峰には、1パーティーが5峰を下るところであった。眼下には白い長治郎谷が続き、夏とは全くの別世界を形成していた。雪はかくも世界を変えてしまうものかと、改めて感慨した。

<本峰直下の岩稜帯(原と酒井)>
 池の谷乗越から本峰へ向かう。夏には歩きにくいルンゼ状も雪壁となっており、雪崩れないよう、間をあけながら上がっていく。途中、悪いトラバースで一ピッチザイルをのばした。
 幾つかピークを通過し、今にも崩れそうな雪壁をトラバースし、本峰との最後のコルに降り立つ。本峰への壁は、思いのほか長く、切り立っていた。これまでの疲れもあり、ふくらはぎがすぐに張ってしまう。何でもないはずの雪壁が異様に困難に見える。でも、壁に突入してしまえば、ステップもしっかり効く。難なくクリアできた。
 壁を抜けると突風が吹いていた。目と鼻の先の頂上への雪稜には雪煙が上がっている。距離が短いとはいえ、目を開けていられないのでゴーグルを装着し、一歩一歩、踏みしめるように頂上へ向かった。
 風は強かったが晴天だった。頂上は360度のパノラマが広がっており、遠望には槍も望めた。剣沢は綿菓子に覆われたように白くふっくらとしており、夏とは形状を異にしていた。
 いやはや、長い尾根だった。みんなでとりあえず記念撮影をする。とうとう来たねえ、などと言い合う。福島はかなり感動しているようだったが、僕はというと、すでに頭の中には早月尾根の下山があった。注意すべき所を怠らなければどうといったことはないが、気を抜いて下れる尾根ではない。疲れもたまっているはずだし、気を引き締めねばと思うとなんだか頂上での感慨もほんの一瞬であった。




<頂上で。前列右から有持、福島、原。後列右から酒井、雨宮>
 早月尾根はところどころフィックスが張ってあり、獅子頭等の悪いところも慎重に下れば何のことはなかった。剣の他の尾根に比べて事故が多いのは、入山者に比例しているのだろうと思った。
 重たい足をずるずると引きずりながら下った。出来れば馬場島まで下りたかったが、結局早月小屋で日も暮れ始め、ここまでとなった。しかし、6人詰めの4〜5人用のテントからは開放される。僕らにとっては「安全圏」であることを実感できる瞬間だった。小屋での酒盛りはすこぶる盛り上がった。

  12月31日  快晴

 結局今日も晴天だった。天気と同じくらい晴れやかな気分にひたりながら、気の抜ける下山路を足取りも軽やかに駆け下る。馬場島まではアッという間だった。振り返ると、白い剣が雪煙をたなびかせながらそびえていた。今日は何日ぶりの風呂だろう。その後は富山湾の寒ブリを仕込んで打ち上げの予定。ビールがうまいだろうなあとつぶやきつつ、日溜まりの林道を帰路につくのであった。

<馬場島で。右から雨宮、有持、酒井、星、福島>

















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