黒部横断(鹿島槍付近で敗退)
(2006.4.30〜5.7)
メンバー:恩田、岡野、原(ARI)



 ボストンに行く前にも企画して、そのときは恩田さんの都合により倒れた黒部横断計画をやっと実行することになった。天候もまずまずであったが、結果的に原が体調を崩して鹿島槍牛首尾根を少し下ったところで敗退となった。

<大谷原で準備>
4月30日(日)晴れ〜吹雪
当初計画では4/28(金)の夜に出る夜行バスで向かう予定であったが、原が仕事に忙殺されて金曜日出発を断念。一日出発を延期してもらう。今回のメンバーは前回一緒に計画した恩田さんと、ARIの新人岡野嬢の3人。予備日込みで1週間の計画ということではあるが、新宿都庁舎地下のバスターミナルに現れた岡野さんはタワー様のザックを背負っていたので恩田さんと二人で卒倒・・・。まあデナリ単独で登った人だからそれくらいのパワーはあるのだろうとあきらめる。夜行バスで信濃大町へ。
バスは信濃大町駅前に着く。GW入りだのに、信濃大町下車の山屋は我々のみ。山屋人口は確実に減っているのかな。バス停の前のベンチで着替え、準備をし、夜明けとともにタクシーで大谷原へ。大谷原には人の影は皆無だった。


<赤岩尾根取付>
重たいザックを背負って、大冷沢を遡行する。すぐに登山道を離れ、河原の広い雪原を行く。左の尾根を観察しながら行くが、途中で行き過ぎたかと思い、少し引き戻してしまった。時間ロス。
とににかく大冷沢沿いにずんずん進んでいくと、右から北俣本谷が合流する出合に出る。といっても、正面の大冷沢本谷より北俣本谷の方が本流という感じで、谷は大きく右に屈曲する感じ。この出合いの正面に大きな尾根が落ち込んでおり、これが赤岩尾根である。よく見るとマーキングがある。








<高千穂平近辺>
赤岩尾根の出だしはいきなりの急登。足元もしっかり踏み固められているわけではないので、1週間分の重荷を背負った身体にはきつい。ゆっくりとストックを使いながら上がる。倒木も多くかなり難儀する。休憩を取りながら、高千穂平へ。途中で何パーティーか下山していった。この時点で原の扁桃腺が腫れてくる。







<大雪面のトラバースへ>
大冷沢では晴れていたのに、高千穂平までくると濃いガスが取り巻き始めた。なんとか冷池山荘まで行きたいと先を急ぐ。積雪はかなり多い。高千穂平を過ぎると樹林はまばらになり、傾斜もましていく。このころから雪が舞い始める。尾根のどんづまりで、主稜線へは夏道どおり大雪面をトラバースするトレースがつけられていた。雪崩が嫌だな〜と思いつつ、トラバースを敢行。踏み入れてみると雪は意外にもしっかりしていた。
主稜線は風でところどころ岩が露出していた。冷池山荘に急ぐ。冷池山荘はGWから営業を始めている。このころから吹雪の様相となり、また原の扁桃腺の状態が悪いこともあって山荘に泊まることにする。食事も出してもらえるが、我々は自炊。ただ、1泊につき飲み物がサービスで付いてきた。
1日で濡れてしまった装備を乾かしつつ、食事をして日没までを過ごす。やはり山荘は快適。恩田さんから風邪薬をもらって服用。明日は体調が戻ると良いが・・・



5月1日(月)吹雪〜暴風雪
吹雪である。停滞するか迷うが、行ける所まで行動することにする。荷物をまとめて出発。消えかけたトレースを追って、またマーキングを拾いながら布引岳へ。布引岳の頂上付近で暴風雪となる。風が強すぎる。布引岳を過ぎて鹿島槍とのコルに降り、鹿島槍南峰への登り返しが急になる手前であまりにも風が強いので行動停止。ツェルトをかぶって風をよけ、様子を見ることにする。1時間半〜2時間様子を見るが暴風雪に変化なし。そのうちに午後になり、本日はここで幕営することにする。稜線の北俣谷側は雪面っぽいが、よく観察すれば堂々たる雪庇。これに乗らないように山肌にテントを張る。風が強くてテントを張るのに難儀。まずザックを中に入れて重石にし、やっとのことでポールを通す。テントの中で一息つく。夕刻になってやっと霧が少し晴れ始めた。稜線上でこのまま幕営。


<主稜線からの剣岳>
5月2日(火)晴れ
未明から晴れ出す。朝食を取り、テントをたたむ。鹿島槍から1パーティー降りてきた。当然のことだけど、原の体調は悪化。情けないことだ。かなり新雪が積もっているはずなので、牛首尾根も心配だし、この体調で黒部の谷に突っ込んで良いものやら迷うが、とりあえず鹿島槍を目指して出発。日が昇るにつれて気温がぐんぐん上がっていく。





<牛首尾根の下降>
鹿島槍南峰に着くと、東尾根から来たパーティーがいた。早出をしたのだろう。我々は牛首尾根を下る。なるほど、北峰から来ると牛首尾根が正面に延びているので迷い込む人も多いだろうと思う。牛首尾根の下降は結構な急斜面であるが、まだ雪がしまっているので降りやすい。慎重に下っていく。
牛首山との最低コルから牛首山に上がる。ここら辺で雪質をチェック。かなりぐずぐずに崩れるところもあり、また雪の量も多い。また自分の体調も悪く、どうもいまいち突っ込む勇気が出ない。恩田さんと相談して、引き返すことにする。牛首山を後に、鹿島槍に戻る。帰りは気温も上がって雪面が腐り、南峰への登りは嫌な感じであった。
途中布引岳でお茶をして、冷池山荘に戻る。今日はここで幕。GWの快晴の太陽の元、雪上でのご機嫌な宴会で盛り上がった。原は体調が悪かったので小屋泊。恩田さんと岡野さんはテント泊であった。



<冷池山荘を後に>
5月3日(水)晴れ
うだうだと寝坊。テントで朝食を取り、のんびりと準備を済ませて爺が岳を目指す。横に長い爺が岳は登山者が多くにぎわっていた。黒部側の稜線は風もあまりないが、頂上に出ると突風が吹きぬけている。南峰の頂上にあがり、360°のパノラマを堪能。黒部側の斜面には山スキーのトレースが付いていた。夏道は種池山荘から山腹をトラバースするようにつけられているが、積雪期は南峰からダイレクトに南尾根を下る。とにかくまっさかさまに扇沢に向かったガシャガシャと下って、肩状の地形に出て、2325mのピークから右側の稜線に降りていくと、夏道の柏原新道に合流する。といっても、どこから合流しているのかは定かではない。とにかく稜線沿いを下っていけば扇沢に出る。どんどん標高を下げていくと、雪もまばらになり、そうすると登山道らしきものが確認できる。まもなく扇沢出合に出て、ザックを下ろした。バスは期待できないので、タクシーを呼んで信濃大町へ。駅前の旅館で風呂を借りて体を流す。まだ上りの混雑のピークではないのであずさ号は指定を取ることができた。おかのさんは松本からバスで帰郷ということで、駅でお別れとなった。


<総括>
黒部横断はまたしても達成できず・・・。赤岩尾根は結構な急登で、これで消耗すると出鼻をくじかれる。冷池山荘から鹿島槍も結構長い。S字峡への下降を考えても、テレキャビンが使える五竜からの東山岳尾根の下降が有利な気がした。今度は五竜から入ろうと思う。
後立の尾根の黒部側は山スキーのトレースがいっぱいついていた。いろんな人が入っているのだろうなと思う。









<扇沢出合で恩田さんと岡野さん>











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