さすらい人の思い(2000.5.28)
〜Wanderer Fantasy(さすらい人幻想曲) Composed by Franz SCHUBERT〜


さすらい人幻想曲(フランツ・シューベルト作曲)





 シューベルトは歌曲の人である。僕がシューベルトを弾くときに注意することはそのことであり、だから自ら口ずさめるように弾かなければならない、とよく怒られる。彼の有名な歌曲には、日本のおじさん・おばさん達にもなじみの名曲「菩提樹」を含んだ「冬の旅」がある。

 さすらい人幻想曲も歌曲「さすらい人」から一部旋律を流用している。そして、それがこの曲名にもなっているところである。ちなみに、これはシューベルト自身の命名によるもである。なかなか粋な命名だ。この幻想曲は1822年11月に、エドラー・フォン・リーベンベルクといピアニストの依頼で作曲された。依頼人はヴィルチューゾたらんことを強く切望した人物で、そのことがこの曲のヴィルチュオジィティあふれる華やかで技巧的な作風に影響している。

 しかしながら、実際シューベルトは自ら作り上げたこの難曲をを弾きこなせなかったという逸話もある。シューベルトは、リストやショパンのように優れたピアノ奏者でなかったことは知られているが、彼はこの曲の演奏に窮した際「このような曲は悪魔にでも弾かせればよい!」と叫んだそうである。

 曲はソナタを意識した四部構成で書かれているが、各部の境目はなく、第1部から第4部まで通して弾かれるのが常である。第一部「アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ」は厳格なソナタ形式からは逸脱した自由な作曲となっており、第二部「アダージョ」は変奏曲形式、第三部「プレスト」は通常のスケルツォ形式、第4部「アレグロ」はドラマティックなフィナーレという構成。大曲であることに間違いはない。

 「走る悲しみ」という。僕がシューベルトを弾くときにはいつも思うことは、「流れ」があることだ。即興曲にしても楽興の時にしてもソナタにしても、彼独特の「流れ」がある。そしてこの曲も、例に違わず「流れ」てゆく。第一楽章の主題とその展開部のテーマは、心に一抹の孤独を携えながらさすらい、しかし目を上げて進んでゆかねばならないさすらい人の思いをそのまま写したような切なさが伝わってくるものだ。長調の明るさが、そして滞りのない「流れ」がむしろ心の孤独を表しているように感じられてならず、「走る悲しみ」という言葉を想起せざるをない。

 一人、孤独にワインでも空けながらメランコリックに過ごそうとする夜にはうってつけのBGM。是非、お試しあれ。






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