白馬主稜1999.4.17(sat.)メンバー:宮川、青木、木元、原 (ARIアルパインクラブ)



 今回の白馬主稜は結局総勢9名(うち一名は遠山氏)の「ARI、白馬に大集合!」山行になった。

 パーティーは、当初から日帰りで抜ける予定の有持組と、できたら日帰り、無理なようだったらワン・ビバークの宮川組に分かれての計画。双方0時前後に相模湖駅に集合して現地へ出発。相模湖駅ではお互いのパーティーの健闘を祈りあったのだった。

 宮川組は3時過ぎに林道末端に到着。猿倉まで車で入れると思ったら、相当手前にフェンスが張ってあり車はそこまで。翌日の林道歩きに気が重くしつつ、明朝ゆっくり出発の宮川組はフェンスの手前の駐車場で車を止め、少しばかり就寝(車の中)。有持組は「速攻なのよ!」のかけ声勇ましく、駐車場に付くや否や一睡もせずに闊歩し始めたらしい。

 宮川組、午前5時30分駐車場出発。猿倉に6時45分くらい。そこから林道はなくなり、雪道を一路白馬尻へ。たしか白馬尻には小屋があったはず、と思うが全然見あたらない。埋まっちゃっているのかな?それとも、そもそもないのかな?

 白馬の大雪渓は馬尻の辺りから見るとあまりスケールがデカイという感じではない。その大雪渓の左側が杓子尾根。右側が白馬主稜。杓子尾根をみた宮川大先生は「けっ!杓子尾根ってチンケな尾根じゃねえか!」と吐き捨てていた。どうやら杓子尾根に何か恨みでもあるらしい。

 取り付きは 末端から少し上の尾根の鞍部に向かって延びるルンゼ。すでに有持組のトレースが付いているのでラクチン!このとき取り付き付近には3〜4パーティーがひしめき合っていた。一人、単独行の男性が先にいったが、原という足手まといがいるにも関わらず順調なペースの宮川組はその男性の後をつけ、大群に巻き込まれるのを免れた。

 8峰までは若干深い雪の急斜面が長く続き、結構くるしい。8峰から先はとても綺麗な雪稜。程良いアップダウンを繰り返しながら、稜線の先にそびえる白馬岳に向かってひたすら歩く。ステップが切ってあるのでほとんど階段感覚で登れる。途中、尾根がかなりやせてくるところがあり、トレースが付いていないときにはどちら側に雪庇がでているのか見極めが必要。万が一雪稜から落ちたらかなりの距離は滑り落ちることになり、高確率で死亡事故につながると思われる。また、一カ所露出した岩稜帯をトラバース気味に行くところがあったが、注意していけばさほどでもない。

 嫌なことと言えば、所々に空いているシュルントであった。深いものだと落ちたら大騒ぎになるような穴もあいており、また、締まっているとはいえ氷ではないので越えるときの足場が安定しない。十分注意が必要。

 天気は快晴。ものすごく綺麗な雪稜登攀は爽快だった、が、軽度の火傷に至るほどの日焼けをしているとは、この時だれも気が付いていなかった。

 まあ、ご機嫌な雪稜ではあったのだが、原はこの時フラフラ。もう、めまいはするし意識はもうろうとしてくるし、なんとか気合いで足を動かしていたけど一歩間違えばあっさり滑落してしまうくらい消耗していた。後ろで木元さんにフォローしてもらいつつの登攀。おかしいなあ、なんでかなあ、と2峰へのやせた尾根をよじ登りながら考えたところ、朝からほとんど何も口にしていない事に気が付く。ぜーんぜん食欲がなかったのでまともにメシを食わなかったところ、完全に低血糖障害を起こしたらしい(というか、単なるシャリバテね。)。いや〜、低血糖障害ってつらい!脳細胞に糖分が行かないもんだから本当に意識がもうろうとしてくるし、シャレにならん!と思いましたね。今度からはいくら食欲がなくてもコンスタントに水分と食料の補給をしていこうと心に誓ったのであった。

 フラフラの原因が低血糖障害だと判明した原は、2峰で「食いまくり大会」を繰り広げた。結果、頭はすっきりしてくるし、足にも力が入ってきた。なんだか狐につままれたようだった。

 元気が回復したところでもう一踏ん張り。最後の雪壁の前でしばし気合いを入れ、頂上に向かう。抜け口は雪庇もなくすんなり頂上へ。宮川、青木、原、木元の順で日本海へ傾きかけた太陽を見たのでした。

 登攀としてはトレースもバッチリ付いておりさほど困難もなかった(結局、ノーザイル)けど、個人的には途中まで相当つらい思いをしたので頂上では一人大感動をしてしましました。

<最後の雪壁。後ろに延びているのが主稜>


 さんざん写真を撮って、軽く食事をして下山。有名な白馬の大雪渓を尻セード、腹セード(これは今回青木さんに教わりました)を加えてガシャガシャ下りる。数十メートル先には山スキーをはいたペアが気持ちよさそうにすべりおりていた。今度はスキーで下りるぞ!と心に誓い、馬尻へ。そこからは足が埋まることもなく、歩きやすくなった道を猿倉まで。途中、「あ〜、疲れた」とかいいながら頻繁に小休止をかまし、暮れなずむ谷の中で山の話(?)で盛り上がりながら(盛り上がった勢いで結局大休止になってしまったり・・・)ゆっくりゆっくり下山。なんとも心地のよい下山でした。

 猿倉から駐車場まではラッキーな事に途中でトラックに拾ってもらい時間短縮。一足先に下山した有持組は、すでに温泉に入った上、甲府まで戻っていた。というわけで、その日の宴会は有持組は甲府で、宮川組は白馬で別々になった。
 宮川組はその日、白馬47スキー場のロッカールームの建物の中でビバーク(木元さんは車の中でしたが)。結局何も文句は言われなかったし、暖かく快適であった。ただし、バカ騒ぎをしたり常識を逸脱した行為に及べば即座に追い出しを喰らうはず。今後使用する場合はくれぐれも静かに寝るだけにして、トラブルを避けた方が長く使えるであろうと思われる。
 そして、翌日の朝、ガラガラの中央道を東京へ向かったのでした。


<白馬岳頂上で(左から、原、宮川、木元)>


 寝不足が続き、体力が相当消耗していることから日帰りは無理だろうなあ、と思っていた今回だったが、結局13時間の行程で日帰りする事ができ、満足。また、後立の山は始めてであり、今までとは全く違うパノラマを堪能する事ができ最高でした。なんといっても日本海を眺めることができ、ああ、ここはもう日本アルプスの端に近いのだなあと、なんかシミジミとしてしまった。

 この山域の次なる目標である鹿島槍。来年は狙えるよう、またトレーニングに励むぞ!と心に誓いつつ、今シーズンの雪はこれで最後(?)の山行を終えたのでした。









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