北穂高岳/滝谷
ドーム北壁左ルート
(2005.8.13〜14)
メンバー:雨宮、永田、原(ARI)、石田(一同心)



 一年間アメリカのボストンに留学していた。ボストンにいる間はなにしろ1年間で学位をとろうという無謀な留学計画だったのでとにかく勉強に明け暮れ、留学先のボストン大学にあるチンケな人工壁にちょろちょろ通うだけ、ちょろっとデナリのノーマルルートに行って敗退してきたのが唯一の山行であった。そんなわけで一年以上、ほぼドライの岩にはさわっておらず、まずは勘をを戻すか、ということで7月に帰国していろいろ落ち着いてから3回くらい広沢寺に通った。通っていたらあれよあれよと8月も半ばになってしまい、いかん!と叫びつつ穂高計画を立てた。
 しかしまあ職場から留学させてもらうと費用は職場持ちだから感謝感謝なのだが、戻ってきた時の扱いといったらもう、とにかく忙しい課に放り込まれて昼は馬車馬のように、夜は深夜午前まで種馬のように働かされるっちゅうからくりになっていた。留学ボケとかそういうものに浸っている余地もなく夢からいきなりの現実に引き戻されて、まるで不思議の国のアリスよろしく「ここはどこ?私はだぁれ?」と途方にくれていたら夏休みもろくに取れず、仕方ないので穂高は週末だけとなり、それではお気に入りの奥又に入りますか、ということで話は進んだ。
 ところが!そんなときは往々にしてすべてがうまくいかないもので、日曜日に確実に雨天の予報となり、初日に奥又、二日目にアタックという計画はもろくも崩れ去り、でも何とか穂高に行くのじゃ!ということでなんと上高地のバスターミナルで滝谷転進を決めた。しかし、これはナイスな判断だった。
 メンバーは大学教員でARI古株同士の雨宮さんと昨年ARIに入会した12クライマーで国体選手の永田嬢、それから鹿島のサーファーで近頃シングルに戻っちゃった茶髪ロンゲの石田さん。自分以外の3人は初顔あわせ、しかも強烈にキャラクターの違う4人で、まあ結構面白いパーティーに仕上がった。

<上高地バスターミナルで
 左から石田、永田、雨宮>

8月13日(土)
例のごとくご近所の雨宮助教授を拾って沢渡へ。石田さんとはここで合流する予定で、いつも使う第2駐車場にたどり着くとすぐにガムテープで補修をしたおんぼろデリカを発見。その横に我がポンコツパジェロをとめて少しだけ仮眠するとすっかり世が明ける。
むっくりおきだして石田さんと挨拶。おひさしぶりっす。なんといってもボストンに飛んでいたので、どんな人と会っても一年以上ぶりということになる。
せっせと支度をしていると、乗り合いの大型タクシーのドライバーが声をかけてくる。8人乗りくらの乗り合い用のバンで、値段を聞くとたしかにバスより少し安め。いそいそと乗り込む。
上高地に着き、バスターミナルで永田さんと落ち合う予定。唯一永田さんと面識のある雨宮さんが発見して声をかけ、晴れて凸凹パーティーが出来上がった。
さて、天気はとりあえず晴れてはいるが、今晩から明日は確実に崩れる。転進先として滝谷のショートルートにしない?と打診。この山域の経験があまりない石田さんと永田さんはさして文句もなく転進先が決まった。滝谷ならショートルートがあるから何とかクライミングができるだろうというところ、奥又に入り込んだら日曜日は確実に時間切れ敗退であろう。
しかしっと。前に滝谷/ドーム中央稜の土日計画を立てたときは「涸沢経由は厳しいから、白出沢経由にしよう」と言っていたはず・・・。あれ、土日涸沢経由の滝谷って、大丈夫だったっけ?
でもまあ、他に選択肢もないので滝谷に決定。とにかく今日中にハイペースで北穂の頂上まで行かなければならないので、荷物は最小限にする。小屋迫とし、テントも寝具も炊事道具も上高地に残置。皆の分をバッグにつめて、バスターミナルにある荷物預かり所に預けた。それから、小屋泊を決め込んでしまったので、あらかじめ上高地で北穂の小屋に電話をして予約。おかげで固室が使えた。確実に小屋泊まりを想定しているのであれば予約をすることを薦める。

<梓川支流のせせらぎ>
さて、出発しましょうかというところで、登高研の人々にあった。恵川さん、中澤さん、そして元登高研の伊藤さんも。あらら、このお盆の時期、やっぱりみんな山に来るのですね〜というところでやあやあと挨拶。1年間ボストンに消えていたし、ボストンに行く前は留学受験、ピアニストと山から遠ざかっていた感があるのでひとしおだった。
さて、歩き出す。いつものようにハイカーに混じって明神へ。じゃかすか狂ったように闊歩し、ハイカーや観光客からは奇異の目で見られていた。明神を過ぎるとさすがに観光客は減り、山屋さんばかりになる。徳沢は相変わらず天国の様相だった。やっぱり山は最高なのだ。しかし我々は狂ったように先を急ぐ。横尾へまっしぐら。
しかし雨宮さん絶好調で早い早い・・・。この人は本当に大学の先生なのかしらというくらいで、平然と競歩ばりに闊歩し、それに国体選手の永田譲が続く。原も石田さんも懸命に追うという感じで、おかげで1時間半程度で横尾に到着してしまった。
さすがに横尾で大休止をする。アミノ酸などを補給する。永田さん、「雨宮さん、なんであんなに早いのですか?」と。「永田さんだって早かったじゃん」というと、「いや私負けず嫌いなんで・・」と少しはにかみつつ言ってました。やっぱり12クライマーで歩きでもクライミングでも国体に出ちゃう人はここら辺の精神性が違うのかなと思ったりして。
さて、さらに涸沢を目指す。ここから先は林道チックではなくいよいよ登山道という感じになるので、さすがに競歩のようには歩けない。しかしペースは早い。なんといっても永田さんがここから先頭で飛び出して飛ばし始めた。「あら、あのかっとび嬢を止めないと・・・」とか言っていると、石田さんが「じゃあオレが先頭に・・」といって先頭に立って永田嬢をけん制。しかし石田さん、ペースを落とすのかと思っていたらあまり落とさず、闊歩を続けていた。原は北穂までのルートを思い描き、これは付き合ってられん・・・、と一人自分のペースをキープして歩いた。横尾谷を右岸に渡る橋の手前で原は前の3人に追いつく。だいぶペースが落ちてきた感じで、橋を渡った先で小休止。原はここで先週の広沢寺で汗をたっぷり吸い込んだまま洗っていないので強烈な異臭を放っているギアを洗う。

<涸沢への登り。つらそうな石田さん>
休止をしてさらに歩き出す。なんたって今日中に北穂まで行くのだから、先を急がないと。しかしここから石田さんが急激にペースダウン。永田嬢と雨宮さんはあいかわらず飛ばす。原はその間で自分のペースを維持。しかし今回はほんとうにチキチキバンバンレース、っちゅう様相であった。
息は激しく上がり、喘ぎつつも着実に高度を稼ぎ、横尾谷のせせらぎと白い高山植物に励まされながら進む。まだ天気は良いので気持ちがよい。夏山の醍醐味といったところである。
途中雪渓が色濃く残る箇所があり、これをクリアしてなんとか前の永田さん、雨宮さんに追いつき、ほどなく涸沢ヒュッテへ。もう汗だく・・。しかし本当に気持ちが良い。テラスで穂高の絶景を眺めながら和んでいると、やっぱりビールが飲みたくなってザックから350ml缶を出す。たまらないひと時でした。結局350mlだけでは足りず、もう一缶空けてしまった。奥又とちがって北穂には小屋があるからビールも買えるしね。
しかし石田さんが遅れている。小休止地点から見えなかったが、やっぱり限界を超えてしまったのかな。結局1時間近く待って石田さん到着。
テラスで休んでいると雲行きが怪しくなる。先を急ぐため、とりあえず雨宮さんと永田さんに先に行ってもらう。原は石田さんが回復するのを待ってから遅れて出発。
石田さんと涸沢を出る頃には、穂高の山稜はすっかりガスに包まれていた。石田さんの足が限界に達しているので、とにかくゆっくり、ゆっくりと進む。少し行っては待ちという感じで、北穂の南稜を上がって行った。視界はないし、穂高の絶景もないが、うっそうとガスを纏った稜線を行くというのもオツな感じだった。
長い梯子を上がりいよいよ南稜上を行くようになり、ようやくテント場に達してホッとする。あとは北穂の北峰を越えれば小屋である。石田さんも確実に上がってきた。

<北穂南稜から前穂北尾根と雪渓>
小屋に着き、あてがわれた部屋に入ると雨宮さんと永田さんが寝っころがっていた。二人はビールを飲み終えたとのことで、石田さんを待ってビールを買いに行こうかと思ったら、石田さんが生ビールを片手に部屋に入ってきた(^^;;;「いやいや〜、やっぱりこいつがないとねぇ」なんて。さっきまで足が動かずに苦しんでいたのに〜、石田さんらしいのだ。
石田さんをテラスに引きずり出して原も800円の世にも高い生ビールを買い、乾杯。長い一日であった。
北穂の小屋の食事は本当に美味い。味噌汁とご飯はお代わり自由なので4人ともガンガンおかわり。ついでにワインなども注文して酒も進む。石田さんはテキーラを持ってきていたので、これもちびちびやりつつ、1万尺の夜を過ごした。









<出発。まずはドームを目指す>
8月14日(日)
昨日午後から天気が下り坂だったが、朝4時頃に起きたらガスだらけで、さらに小雨が降っている。当初ドーム中央稜でも行きますかってなことにしていたが、この天気では出ることも出来ず、テラスで朝食を食べ、その後また部屋に戻って少し様子を見る。7時過ぎになると少し明るくなってきたので出発することにする。今日中に東京に戻らなければならないし、初パーティーで不確定要素も多いということで懸垂してしまうとリカバリがきかないドーム中央稜はやめにし、ドーム北壁のショートルートを一本登ることにした。
北穂高の稜線を涸沢岳方面に進み、ドームの岩峰が過ぎたあたりで登山道を外れる。ここでギアをつけて荷物を残置。はるか下方にはC沢左俣を下るパーティーがあり、落石を連発する度に悲鳴、というか声が上がっていた。あそこは本当に脆くて怖い。






<取り付きでポーズの石田さん>
北壁の取り付きにトラバースする。前はノーザイルで行ってしまったのだが、パーティーの技量が分からないので一応アンザイレンしてトラバースをする。
北壁基部の広いテラスで北壁を見上げ、さて、どこを登りますかねぇ、と悩む。まえはチムニーに入り込んでいく右ルートを登ったので、今回は左ルートへ。永田さんがザイルを忘れたため、4人で3本のザイルを繋ぎ、一人リード、あとの3人でフォローすることにする。北壁は前にオールリードで登った事もあるので、フリーの上手い永田さんがリードで取り付く。









<フリーで華麗に。永田さん>
1ピッチ目 4級A1。ピトン間隔はまったく人工登攀用であるが、永田さんフリーで取り付く。出だしは少しかぶり気味でレイバックちっくに体を振って行く。それを越えるとすっきりしたフェースだが、たてホールドが多くて結構きわどい感じ。永田さんは12クライマーだけあってさすがにスムーズに進むが、フェースの核心のあたりでつまっていたので、「時間がないからA0して早く進んでくれ」と叫んでA0をさせてしまった。トポには45mと書いてあるが、25m程度で切れるテラスが現れ、ここで切る。原も最初はフリーでがんばったが、すぐに詰まり、上にいる永田さんから「時間がないですよ〜、人工してくださいよ〜」と声がかかりアブミを出す。

2ピッチ目 4級A1。ビレイポイントから直上して、右ルートと合流したところで切る。垂直に近いフェースを人工を交えて少し上がるとすぐに傾斜が緩み、あとはガシガシと岩を掴んで行く。開放感と高度感があって面白い。テラスは広くて安定している。本来であればここまで1ピッチで伸ばせる。

3ピッチ目 3級。なんのことはない岩稜を岩を掴みつつ登って、リングボルト付のレリーフが現れて終了。ドームの頂上である。




<終了点。天気も怪しくなってきた>
短いルートであったが、まあアルパインクライミングを堪能したということで握手。永田さんも石田さんもフリーが上手いが、アルパインとなるとやっぱりピトンのモロさやルートファインディングで苦労していたようだったからまあ新鮮だったと思う。
3ピッチ目から再び崩れ出した天気にせかされる様にいそいでドームを降り、荷物を回収してガチャを分け、休みもそこそこ一目散に下る。北穂の稜線を上り返し、南稜に差し掛かったあたりでとうとう雨が降り出す。時間もなく、南稜を駆け下る。涸沢に付く頃には土砂降りとなり、ヒュッテでは屋根の下で暖かいおでんを食べつつ石田さんを待った。しかし、石田さんは一向に降りてこない。上高地の荷物預かり所が5時にしまってしまうので、2時を過ぎたところで永田さんに先に行ってもらう。永田さんは颯爽と走って行った。結局1時間程度待ち、石田さんがやってきた。あまりせかしても石田さんの足はこれ以上動かないだろうし、ゆっくり下ったほうがよかろうということで石田さんとここで別れた。雨宮さんと二人で涸沢から駆け下り、結局6時前に上高地に到着。ちなみに永田さんは走りまくって2時間半程度で上高地まで下ってしまったらしい。とにかく体力もクライミングセンスも抜群の人であった。
上高地では雨の中でも一応ビールで乾杯し、山行の無事を祝う。すっかり日も暮れ、最終のバスで沢渡へ。閉まる間際の沢渡温泉に駆け込んで風呂に入り、メシを食って8時半ころに東京に向かった。


<総括>
 やはり上高地入山で滝谷1泊二日はきつい。やるのであれば、圧倒的に白出沢経由の方が早いので有利だと思った。ドームは全体的にまだまだピンもしっかりしている感じで特段特筆すべきもない。関係ないけど、C沢右俣を下っていたパーティーの様子だと、相変わらずC沢右俣は荒れている感じだった。
しかし山はいいな〜と再確認した山行であった。やっぱり自分は山が好きなのだ。





<雨の横尾谷>












戻る

<山のページ>トップ・ページに戻る