タメルの街角で



 その時、僕は激怒していた。
 パシュパティナートからカトマンドゥ空港まで60だという。
 「too expensive!!」
 この国で何度この言葉を発したことか。この距離で60はない。いいところ30(thirty:サーティ)だ。そう言うと、そのタクシーの運転手の少年は「・・ Nepari?」と聞いてくる。ネパールのお金で?当然、Rs(ルピー)だ。30ドルなんてとんでもない。「Yes」と答える。なのに空港に着くと、その少年は百万ドルの笑顔を崩さずにこう言った。
 「ネパール語のサーティ(=thirty)は英語のsixtyの意味だ」
 もう一度聞き返すが、彼はそれを連発する。「・・Nepari?」とはネパール語で、の意味だったのだ。前置詞をきちんと聞き取らずに返事をした僕も悪い。しかし、ネパール語の”サーティ”が英語のsixtyだなんて聞いたことがない。真っ赤な嘘だ。
 僕は顔色が変わっていった。いい加減にしろ!この国の人々は民族としての誇りさえも失ったか!
 「嘘をつくな。30だ。」
 ものすごい形相をしていたのだろうと思う。タクシーの少年はあきらかにおびえた表情で、Rs10のお釣りでいいところを、あわててRs50差し出した。
 僕はその中からRs10を抜き取り、残りを少年に投げつけ「terrible country!」と一言吐き捨てタクシーのドアを力まかせに叩き閉めた。ろくに英語もしゃべれない日本人観光客は笑顔で「Thank you」と言いながら要求された金を払うのだろう。彼はこの手で何人だましてきたのだろうか。

 旅行者と見ると金を巻き上げることしか考えない人々。店での値段はすべてツーリストプライスを提示し、テンプーやタクシーに乗っても法外な値段をふっかける。公正なはずのメーター・タクシーでさえも、わざと遠回りしてカウントを稼ぐ。
 カトマンドゥ空港に降り立った直後は相場感がいまいちつかめず、「そんなものか」と思っていた。思えば空港に降り立った直後、タクシーに荷物を運んでくれた少年に$1チップを渡してしまった。$6で泊まれる安ホテルを見つけて素直に浮かれていた。友達になったと思っていたそのホテルの兄ちゃんに「次はポカラに行く」と告げると、「兄がポカラで宿をやっている、いい値段で泊まれるよう手紙を書いてやるから是非そこに行け」と言われ、行ってみたら$8だった。しかし、現地の相場は一泊Rs150(約$2.5)だった。唖然とした。ボートに乗っても、食事をしても、シャツ一つ買うのだって初めから適正な価格を告げる売人はいないのだった。
 笑顔で"I like Japan"を連発したとしても、こいつらは巻き上げることしか考えていない。そう思い始めると、まわりのNepariが皆信用できなくなった。
 確かに日本円にすれば大したお金ではない。でも、金額の問題ではない。旅行者から巻き上げようというその魂胆が気にくわない。

 おそらく、彼らに悪気はないのだろう。彼らは生きるために精一杯なのだから。しかし、だからといって旅行者が高価な外貨を無神経に落としてよいのだろうか。旅行者が落としていく高価な外貨は、それを目当てにする人々を生み、その人々の生活を変える。30分で作れるブリキのおもちゃをネパールの「おみやげ」として売れば、1ヶ月畑を耕すのに相当する収入になる。そして勤勉だった人々が次々と怠惰に陥ってゆく。ニコニコ笑いながらRs500札をばらまいてゆく旅行者からいかにして大枚を引き出すかだけを考えるようになる。そして、畑は荒れ、文化は廃れてゆく。
 難しいと思う。こんな事を言う僕も高価な外貨を落としてゆく旅行者の一人なのだから。ただ、そこを通り過ぎるだけで、そこに根を張って働き税金を納め、暮らしてゆこうという覚悟などありはしないのだから。
 結局、この世界で5番目に貧しい国の人々が、気まぐれにやってくる金持ちの旅行者を生活の糧にしようと、何も言えないのかもしれない。
 この国を発つとき、もう何年かしたらこの国に来ることが出来なくなるかもしれない、と思った。

 そんな国のタメルというスラム街だった。路地裏から大通りに出ようとしていたとき「Hey!you!」と後ろから僕を大声で呼び止める声がした。振り向くと、昨日少し話をした青年がなにやら振りかざしてこちらに歩いてくる。
 「おい、これお前のだろ。ポケットから落ちたぞ」
 Rs20の紙幣だった。
 ホテルの支払いを済ませ、お釣りをチノパンのポケットにねじ込んで飛び出したところだった。札が一枚おちたのだ。
 僕は一瞬声にならなかった。なぜ?なぜ君は自分のポケットにねじ込まずに、僕に・・・。
 ホテルの横の階段で日がな一日座っていた青年だった。旅行者にネパールの(彼が言うには)宝石を売って生計を立てているのだそうだ。
 いい加減この国にうんざりしていた僕に、それはズシンと響いた。
 「Thank you・・・」

 こんな、見知らぬ人とのふれあいもあるのだ。どんなにつらい思いをしても、どんなに悔しい思いをしても、旅はやめられない。でも、豊かな国からの旅行者によって劇的な影響を受ける国も世の中にはあるのだということも、肝に銘じなければならないと思う。貧乏旅行者を名乗ったところで、所詮我々は豊かな国・日本から来たのだから。僕らが日本人であることは、消し去ることの出来ない事実なのだから。



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