舞鶴公園・福岡城跡(2000.08.02)

 福岡城は筑前52万石の領主黒田長政が慶長6年(1601)に建てた城で、別名『舞鶴城』とも言います。舞鶴公園にはテニスコートやラグビー場・陸上競技場もあり、絶好のお散歩コースになっています。また桜の季節には多くの人が訪れる花見の名所としても有名です。

@平和台球場があった頃、間もなくはじまる試合に胸をときめかせながらこの坂を登ったものです。
A球場跡はまっさらな状態。本当に何もありません。
B球場のバックスクリーンのあたりからは鴻臚館の遺跡が発見されました。奥の建物は鴻臚館跡展示場です。
C舞鶴公園にはこのラグビー場のほか、テニスコート、陸上競技場などがあります。
D花見の季節にはここは人で一杯になります。もちろん私もその中の一人。
E福岡城二の丸跡です。
F表御門櫓跡です。
G福岡城祈念櫓です。この祈念櫓は本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をする為に万延元年(1860)に建てられました。その後大正時代に北九州市の大正寺に移築されていましたが、昭和59年に現在の旧位置に移築復元されました。
Hでは天守台に登りましょう。
I天主台から天神方向を望みます。ここからは福岡の街が一望できます。
Jさて、福岡城本丸を後にし、護国神社の方向に歩いていくことにしましょう。
Kここは、初夏の菖蒲が見事です。
L城内の道路を渡り、名島門にやってきました。
この門は、天正15年(1587)小早川隆景が多々良川口の名島の陵端に築いた名島城の脇門です。天神の地を経て戦後現在地に移されました。
M旧母里太兵衛邸長屋門です。
「酒は飲め飲め」で知られる母里太兵衛は黒田二十四騎の一人で、福島正則から名槍「日本丸」を飲み取った豪傑として知られています。その屋敷は天神にありましたが、昭和40年にこの地に移築されました。
N黒田如水隠居地(三ノ丸御鷹屋敷)跡です。
黒田官兵衛孝高(如水)[1546-1604]は戦国時代の武将で、筑前黒田藩の藩祖とされます。その屋敷はここ「ボタン・シャクヤク園」にありました。
Oすごく焦げ臭い。写真では分かりませんが、ここ「潮見櫓」は先日火事で焼けました。手前の黄色いテープはその時消防局が張ったもの。まだ中に入ることは出来ません。
 この櫓は慶長6年(1601)から7ヵ年にわたって構築された福岡城の47櫓の中の一つで、遠く玄海灘博多湾の形勢を望み、海上からの防御のため築かれたものです。昭和31年この地に復元されました。
P福岡城のお堀です。一面のハスの葉で水面が見えない程。お堀端では釣りを楽しむ人の姿が見られます。
Qそしてアヒルも元気に歩き回っています。

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