過去のきまぐれ日記2000〜2001

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CONTENTS


2001年12月28日
○きのう、シティーカートで年忘れカート大会を開催した。最近はタイムが頭打ちで、もう半年以上もベストタイムを更新できずにいる。来年 2月にはコースレイアウトが変わってしまうので、その前に新春カート大会を開催して、なんとかしたいものだ。 ページtopへ戻る

2001年12月16日
○先週の札幌に続き今週は北九州へ出かけた。札幌では大雪に遭遇してしまったが、九州でも阿蘇火山や九重連山はすっかり雪景色だった。熊本から別府まで、阿蘇火山の定期観光バスで移動したが、乗客は自分1人だけだった。 ページtopへ戻る

2001年11月25日
○佐藤琢磨、福田良が欠場したコリアF3は、松浦孝亮の7位が最高で、金石年弘が8位、井出有治が12位と、残念ながら日本勢は振るわなかった。
○23日にシティーカートカップに出場した。自チームとしては過去最高の103周を周回したものの、他チームとの差が大きく、結果は8位に終わった。我チームは第1ヒートを走行して、ベストタイムが34秒2くらいだったが、第2ヒートで同じマシンを使用したチームが33秒台を連発していた。 ページtopへ戻る

2001年11月18日
○佐藤琢磨が期待通りにマカオGPで優勝し、F3世界一の座を不動のものとした。2位には全日本F3チャンピオンのトレルイエ、4位に松浦孝亮、5位に井出有治が入賞し、日本レース史上に残る1日となった。
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2001年11月12日
○いよいよ今週末、伝統のマカオGPが開催される。過去には、A・セナやM・シューマッハが優勝して、F1へステップアップしていった。今年は、日本人による初優勝の最大のチャンスであり、実現することを期待している。 ページtopへ戻る

2001年11月2日
○東京モーターショウに行った。テロの影響により演出や音量が控えめで、車が主役の本来の姿に戻ったようだ。内容的には、革新技術よりも居住性や実用性を目指したものが多く、夢のあるコンセプトカーが少なかった。
 1:ホンダNSX−Rは超GOOD!(宝くじが当たったら欲しい)
 2:トヨタF1は黒山の人だかりだったが、ホンダやBMWなど、他のF1は人気が無く閑散としていた。(フェラーリF1はブリヂストンのブースだったし。)
 3:トミカのブースに1976年の日本GPに出走した国産マシン、コジマのミニカーが展示されていて感動した。 ページtopへ戻る

2001年10月20日
○JASのウルトラ割得チケットで、12月に熊本、大分へ17,600円で行くことにした。全都道府県の制覇まで、あと9県となる。 ページtopへ戻る

2001年10月14日
○鈴鹿のF1表彰式を生で見てからすぐに出発して、10時ちょっと前に帰宅した。今、フジテレビを見ながらこれを書いている。やっぱりシューマッハは別次元の走りだった。
○鈴鹿のカートコースを走った。3周のタイムアタックで38秒を切ればAライセンスだったが、残念ながら0.2秒及ばなかった。もっと走りたかったが、90分待ちなのでやめた。 ページtopへ戻る

2001年10月8日
○連休中に桜島に行った。鹿児島市内には、ごみ集積所に灰置き場があった。南岳の火口から、絶えず噴煙がのぼっていた。今回の旅行で、ワールドパークスのマイルが10,000マイルに達する。またタダ券で旅行できる。
○ヨーロッパF3が全て終了した。日本人によるイギリス、フランス、ドイツの全シリーズ制覇が達成された。11月のマカオGPでは日本人による初優勝、さらには表彰台独占を目指して頑張ってほしい。ちなみに、全日本F3チャンピオンはフランス人が獲得した。 ページtopへ戻る

2001年9月29日
○10月8日に、お台場の特設コースでF1が走行する。見に行きたいのは山々だが、JASのバースデー特割による往復19,600円の南九州への旅行中なので残念ながら行けない。いつか、モナコやマカオのような市街地レースを都内で見たいもんだ。
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2001年9月16日
○F1GPの残り3戦は、予定通り開催されることとなり、イタリアGPでは、元CARTチャンピオンのモントーヤが初優勝を遂げた。しかし、元CARTチャンピオンで元ウィリアムズのザナルディは、前日に行われたヨーロッパ初のCARTレースで、両足切断の大事故にあった。 ページtopへ戻る

2001年9月2日
○いよいよADSLを導入した。最大8Mbpsの速度は、ママチャリからF1に乗り換えたようなものだ。でも、実際は200〜500kbpsくらいだった。 ページtopへ戻る

2001年8月19日
○M.シューマッハが4度目のF1チャンピオンを決めた。と同時に、プロストの持つ通算51勝という最多勝記録にも並んだ。フェラーリチームもコンストラクターズチャンピオンとなり、今年のF1は鈴鹿を含む4戦を残して事実上終わってしまった。 ページtopへ戻る

2001年8月6日
○佐藤琢磨がF3のマルボロマスターズで優勝した。しかも、フリー走行、予選ともトップだった。このレースは、F1関係者からも注目されており、来シーズンのF1参戦は確実と言える。早ければ、今年の鈴鹿でデビューかも!
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2001年7月22日
○7月20日の海の日に、シティーカートカップに出場した。他チームのマシントラブル等にも助けられて、12チーム中6位となった。まだまだ、トップとは差が大きいが、次回はより上位を目指して頑張ろう。 ページtopへ戻る

2001年7月15日
○M.ハッキネンが今シーズン初優勝を遂げた。これまでの不運を吹き飛ばす見事な走りだった。これで、引退説が消えるかも。 ページtopへ戻る

2001年7月9日
○ついに、エールフランスの累積マイルが50,000マイルを超えた。ビジネスクラスで香港へ行くか、それとも、あと10,000マイル加算してニューカレドニアへ行こうかな。
 7月8日にイギリスF3で佐藤、フランスF3で福田、ドイツF3で金石がそれぞれ優勝した。たいしたもんだ。 ページtopへ戻る

2001年6月25日
○ノースウェスト航空のアンケートに答えるだけで1,000マイルGETした。
 最近のF1GPにおいて、去年から復帰したBMWは常に優勝を争える地位まで上昇してきた。一方、ホンダは相変わらず完走するのがやっとで、マシンテスト中のトヨタはミナルディよりも遅く、さっぱり応援に力が入らない。
 GT3のスーパーライセンスをGETした。ちなみに、フランスのTVで、F1−2001(PS2)のコマーシャルをやっていた。 ページtopへ戻る

2001年6月11日
○ようやく今年のモナコGP観戦記をUPできました。7日間のうち5日が移動日となり、レース観戦よりも乗り物に乗っている時間の方が長い旅でした。 ページtopへ戻る

2001年5月13日
○グランツーリスモ3を購入した。とりあえず国内AライセンスをGETしたが、実際のAライ取得より難しかった。自分の愛車はゲームの中に収録されていなかった。残念。
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2001年4月29日
○スペインGPは、ドライバーにとって残酷な結末となった。トップ走行中のハッキネンが最終ラップにエンジンブローでリタイヤした。たなぼたで、ホンダが9年ぶりの表彰台をGETした。
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2001年4月22日
○20日の金曜日に、カートコースを2時間貸し切って、第2回カート大会を開いた。参加者の評判もよく、今後も続けていきたいと思う。
 ちなみに、その日に自己ベストタイムを更新して、翌日シティカートのホームページをみたら「本日のベストラップ」に掲載されていたので、ちょっとうれしかった。
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2001年4月15日
○連日、メジャーリーグでのイチローや新庄の活躍が報じられているが、近い将来F1での佐藤や福田の活躍を期待したいものだ。
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2001年4月3日
○今日、港区白金台のモナコ政府観光会議局へ行き、モナコGPチケットオーダー用紙をもらい、銀行で送金小切手を作り、中央郵便局から国際書留で送った。但し、例年より2ヶ月も遅いので、希望どおりにチケットを得られるかどうか未定だ。
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2001年3月18日
○先週末、シティカートを1時間貸し切って、職場内カート大会を開催した。7人のカート初体験者には好評で、近いうちに第2ラウンドをやることとなった。モータースポーツの底辺拡大に少し貢献できたかな。
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2001年3月4日
○21世紀のF1GPが開幕した。結果はシューマッハの圧勝に終わった。ホンダは5位に入賞したが、2強との差はまだ大きく、実力で優勝するのはかなり厳しい。
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2001年2月25日
○シティカートがコースレイアウトを変更したので練習走行をした。以前よりタイムは落ちたが平均速度は上がっている。
 いよいよF1GPが開幕する。日曜日12時からの生中継が楽しみだ。今年は、ぜひともホンダの優勝を見たいものだ。 ページtopへ戻る

2001年1月27日
○アメリカン航空の獲得マイルを使って、東京から四国往復の無料航空券を獲得した。
 ついでに、しまなみ海道経由で尾道へも行くつもりなので、過去に旅行したことのない17県のうち、愛媛、広島、徳島、高知の4県に行くことができる。
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2001年1月7日
○A HAPPY NEW CENTURY!
 アメリカン航空の10,000マイルで、3月末までならJALで秋田、または高知か松山まで往復できるので、21世紀最初の旅行は四国になりそうです。
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2000年12月23日
○イタリアから帰国しました。ミラノ半日市内観光の後にモンツァへ行ったが、F1開催時期ではないので列車の本数が少なく、モンツァに着く頃には暗くなってしまった。結局、サーキットには行かず、イルミネーションで飾られた街を歩いただけで戻ってきた。
 フランクフルトからの帰国便が、オーバーブッキングのため、幸運なことにビジネスクラスへアップグレードされた。やはり、ビジネスクラスはシートピッチや幅が広いだけではなく、食事を含めたサービス全体が、お客様をもてなすことに徹していた。
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2000年12月13日
○今週末からイタリア旅行です。今回はローマ、フィレンツェ、ミラノへの観光旅行です。でも、フリータイムに将来のF1イタリアGP観戦に備えて、ミラノから15kmの距離にあるモンツァサーキットに下見に行ってこようかな。
 ツアーの航空会社はルフトハンザだった。スターアライアンスの中で最もマイル加算が有利で、フリートラベルへのハードルが低い、スカンジナビア航空のユーロボーナスに入会した。 ページtopへ戻る

2000年11月29日
○今年のF3世界一決定戦のマカオGPとコリアGPでは、日本人の初優勝が期待されていた。結果的に、福田良のマカオGP3位表彰台しかリザルトには残らなかった。しかし、これまでバックマーカーの一員でしかなかった日本人ドライバーが優勝争いに加わるなど、着実に世界との距離は縮まっている。
 数年後には、2輪のWGPのように、F1でも優勝できる日本人ドライバーが登場することを予感した。
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2000年11月11日
○東京都足立区にあるシティカートで、カート走行を楽しんだ。1時間コース貸し切り(レンタルカート5台)で、10人で交代に乗り、約50周走行することができた。
気軽にモータースポーツを体験することができるので、初心者や子供にもお勧めです。HPをリンク集に追加しました。
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2000年10月22日
○長かったF1シーズンが終わった。復帰したホンダにとっては厳しい1年だったが、来年以降の飛躍を期待したい。できれば、来年は3回くらい生で観戦したいものだ。
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2000年10月9日
○今年の日本GPは、シューマッハとハッキネンの白熱したポールポジション争い、チャンピオンを懸けた決勝での緊迫した攻防戦と、充実した内容だった。
 シケインで観戦していたが、トップ争い以外にもヴィルヌーブの激走、バトンの限界ギリギリながら一線を超えない天才的な走りを堪能できた。
 レースは最高だったが、帰路で渋滞にはまってしまった。例年は車で行っていたが、今年は都合により電車で通ったが、サーキットから白子行のバスで大きくタイムロスした。表彰式の後、4時半頃にバス乗り場へ到着し、5時15分にバスに乗った。ところが、90分たっても、まだ、観覧車が見える始末だったので、あきらめて白子駅まで歩くことにした。雨の中45分かかって、7時半頃にようやく駅に到着した。最初から歩いていれば2時間無駄にしなくて済んだのに。
 車のときは本田技研鈴鹿工場の臨時駐車場に停め、レース終了後はそこまで歩いて戻り、裏道を通って鈴鹿インターまで渋滞知らずだったのに。
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2000年9月25日
○アメリカGPでホンダ系の3台が入賞した。これで、日本GP(シケインで観戦)が楽しみになった。
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2000年9月10日
○フェラーリの地元イタリアGPで、シューマッハがセナと並ぶ通算41勝目をあげた。レース終了後の共同記者会見で、シューマッハが泣き崩れて一言も言葉にならなかった。彼が泣くことなど考えもしなかったので感動した。
 ホンダは残念ながら6位入賞にとどまったが、直線スピードだけはトップクラスなので、次回に期待したい。
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2000年8月21日
○8月20日にイギリスF3で佐藤琢磨が今期3勝目、ドイツF3で金石年弘が初優勝した。
 ホンダF1の来シーズンのドライバーが決まった。BARはヴィルヌーブとパニス、ジョーダンはフレンツェンとトゥルーリとなり、残念ながら日本人とは契約されなかった。
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2000年8月7日
○エールフランスのマイルが30,000マイルに達した。これで、香港、マニラ、台北、ソウル等への無料航空券(JAL)をもらえる。
 8月6日にオランダで開催された国際F3レースで、金石年弘が5位に入賞した。佐藤琢磨は予選2列目、福田良は7列目だったが、決勝はそれぞれ28位、22位と入賞はならなかった。
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2000年7月30日
○ドイツGP。またもやシューマッハが0周でリタイヤとなった。今回はホンダ車4台が終盤まで上位に残っていた。しかし、雨が降った影響で、ホンダ同士が接触したり、ペナルティなどがあったりして、結局入賞なしに終わった。残念。
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2000年7月24日
○佐藤琢磨がイギリスF3第10戦で、ポールtoフィニッシュ&ファステストラップの圧勝で今期2勝目をあげた。
 シリーズランキングも3位に浮上したが、トップとの差が大きくチャンピオン獲得は厳しいだろう。しかし、昨年度シリーズ3位だったJ・バトンがF1のウィリアムズで活躍しているので、来シーズン、佐藤にはホンダ車4台のうちの1つのシートをあげたいものだ。
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2000年7月16日
○オーストリアGPの生中継を見ながら、皆既月食の様子も見ていました。
 レースはスタート直後の混乱でシューマッハがリタイヤしてしまい、ホンダ車が4台とも入賞圏外へ落ちてしまったのでがっかりしたが、ビルヌーヴが追い上げて4位入賞したのはたいしたもんだ。ルノーに移籍するという噂だが、来年もぜひホンダチームに残留してもらいたい。
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2000年7月11日
○サイパンへのフリートラベルは、往復ともビジネスクラスでした。(食事はエコノミー)
 サイパンのマリアナ・シーサイド・サーキットで、レーシングカート走行を楽しみました。
 約12年ぶりのカート走行でしたが、1コーナーをアクセル全開で抜ける快感は最高でした。
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2000年7月3日
○今週末からエールフランスのマイレージプログラムでGETしたフリートラベルです。
 ホテルもキャンペーン価格で予約でき、移動費は空港使用料だけなので、かなりの激安で行って来れます。 ページtopへ戻る

2000年6月24日
○2001年F1暫定カレンダーが発表されました。 123456789012345678
 第 1戦 3月 4日 オーストラリアGP (メルボルン)
 第 2戦 3月18日 マレ−シアGP (セパン)
 第 3戦 4月 1日 ブラジルGP (サンパウロ)
 第 4戦 4月15日 サンマリノGP (イモラ)
 第 5戦 4月29日 スペインGP (カタロニア)
 第 6戦 5月13日 イギリスGP (シルバーストン)
 第 7戦 5月27日 モナコGP (モンテカルロ市街地)
 第 8戦 6月10日 カナダGP (モントリオール)
 第 9戦 6月24日 ヨーロッパGP (ニュルブルクリンク)
 第10戦 7月 8日 フランスGP (マニ-クール)
 第11戦 7月22日 オーストリアGP (A1リンク)
 第12戦 8月 5日 ドイツGP (ホッケンハイム)
 第13戦 8月19日 ハンガリーGP (ハンガロリンク)
 第14戦 9月 2日 ベルギーGP (スパ‐フランコルシャン)
 第15戦 9月16日 イタリアGP (モンツァ)
 第16戦 9月30日 US GP (インディアナポリス)
 第17戦10月14日 日本GP (鈴鹿)
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2000年6月19日
○PSのゲーム「F1 2000」を購入した。「フォーミュラワン99」と比較して背景描写の精密さは劣るものの、車載カメラアングルを選択できたり、セッティングの効果がグラフで目に見えてわかりやすい。また、データが2000年で新しいこともあり、もう「フォーミュラワン99」の出番はないと思う。 ページtopへ戻る

2000年6月7日
○モナコGPから帰ってきました。決勝は第1コーナーで観戦していたので、サポートレースを含め10回のクラッシュを目撃しました。
 詳細については旅日記に掲載するつもりです。パリでの乗り継ぎ時間がたっぷりあったので、過去95年から6年分を書いてしまいました。
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2000年5月28日
○いよいよ今週は7年連続7回目のモナコGP観戦です。ホテルを予約していないので、現地で探す予定です。去年はニース市内に着いたのが深夜12時近くだったので、空き部屋を見つけるのに苦労したが、今年は午後2時くらいに現地入りできるので、安くていいホテルが見つかるだろう。
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2000年5月21日
○航空会社のリンク先を追加したことにともない、トップページを改良してみました。
○5月7日のフランスF3第4戦で福田良が日本人初の優勝を果たした。ランキングもトップでシリーズチャンピオンも夢ではない。一方、5月21日のイギリスF3第6戦で佐藤琢磨が初優勝した。さらに、フォーミュラニッポン第3戦では、20歳の松田次生が史上最年少優勝した。未来のF1ドライバー候補たちの将来が楽しみである。
 F1第6戦は雨のレースとなり、バトルも多く面白かった。でも、観戦に行く次戦モナコはぜひとも晴れてほしいものだ。
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2000年5月9日
○今年のモナコGP観戦のスケジュールが決まった。当初予定していた6月1日の便が満席だったので、5月31日の夜に成田を出発して、翌朝パリ経由で昼頃にニース到着となった。帰りも6月5日の昼便は満席だったので、夜にニースを出発して深夜にパリ乗り継ぎで、翌6日の夕方に成田到着となった。
 エールフランスVISAカードで支払うので、フライトマイルと合わせて約15,000マイルGETできる。
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2000年4月23日
○イギリスGPの生中継が終わった。シューマッハはスタートで前を塞がれてしまい、8位まで落ちてしまった。しかし、ピットインをぎりぎりまで遅らせることで、最終的には3位でゴールした。最近のF1はコース上ではなくピットストップでしか順位が入れ替わらないので、見ていてちょっと寂しい。
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2000年4月9日
○今日、鈴鹿で開催された2輪の日本GPでは、125ccと250ccの2クラスで日本人が表彰台を独占した。また、500ccでもノリックが1位、岡田が3位、青木が4位と3クラスとも日本人が優勝した。
 今シーズンのF1には日本人がいなくて少し寂しいが、次世代の若い日本人も着実に成長しつつある。イギリスF3の佐藤琢磨、フランスF3の福田良、ドイツF3の金石年弘など、海外修行中のドライバーたちが将来F1で活躍するのを期待している。
○エールフランスのマイレージプログラムが4月1日から改正された。
 定期的にエールフランス便を利用する限り、それまで貯めた全マイルの有効期限が更新されることになった。また、アップグレードの必要マイル数が引き下げられたので、ビジネスクラスでパリに行くことを今後の目標に決めた。 ページtopへ戻る

2000年3月22日
○モナコGPのチケットが郵送されてきました。決勝は希望どおり第1コーナースタンド最前列(A1A列30番)でした。予選はリーズナブルなTスタンド(N列58番)です。 ページtopへ戻る

2000年3月12日
○ ホンダが8年ぶりのF1復帰戦で見事に4位と7位(レース終了後6位繰り上げ)の2台完走を果たした。まだまだ速さという点では11チーム中で5〜6番手だが、観戦に行くモナコでも6位入賞、そして鈴鹿では3位表彰台を目指して頑張ってほしい。それにしても、スカイパーフェクTVのフジテレビは、視聴料を取っているにもかかわらずCMが入るのは納得できない。
○ 世間で話題のプレステ2を購入した。以前のソフトも使用でき、画像も少し補正されて奇麗になるとのことだったので、フォーミュラワン99をやったがあまり違いがわからない。それよりも、途中でエンジン音が出なくなってしまった。やっぱりうまく作動しないみたいだ。
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2000年2月29日
○ エールフランスのマイルを使って、JALのサイパン行き無料航空券をGETしました。しかし、1日に1便しかないので希望日の席がなく、日程をずらしたものの4泊パターンになってしまい、帰国日は最後の1席でした。
○ ノースウェスト航空でグァムへ行ってきました。でも、深夜1時10分到着、早朝6時10分出発なので、3泊とはいえ滞在時間が約53時間しかなく、非常に慌ただしい旅行でした。
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2000年2月20日
○車検費用をエールフランスVISAカードで支払ったので、1,070マイル(1,000円につき10マイル)をGETできる。
○グァム旅行の飛行機がノースウェスト航空に決まったので、ワールドパークス3,116マイルGETできる。
○マイレージプログラムの比較表を作成しました。リンク先も追加しました。
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2000年2月16日
○このページに来て下さった方々からメールをもらいました。ありがたいことです。ちょっとやる気がでてきたので、タイトルの表示方法を替えてみました。
○お勧めのリンク集に、「ぷらら」と「じゃんのホームページ」を追加しました。
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2000年2月14日
○HTMLタグと格闘しながら、初めて自分のホームページをつくりました。
○まだまだ未完成の部分も多いので、これから工事していきます。(写真とか)
○2月4日に今年のモナコGPチケットの申込書をモナコへ送りました。モナコGPについては旅日記のページを見てください。
○エールフランスのマイルのうち、2月29日で期限切れとなるものが13,000マイルあるので、そろそろ特典と交換しなくてはいけない。
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