過去のきまぐれ日記2002〜2003

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CONTENTS


2003年12月29日
○今年最後となる270分耐久レースに参加した。序盤にスピン、黄旗追い越しペナルティなどが重なり15位まで後退したが、中盤以降は安定した走行を続け、総合10位(クラス6位)で完走することができた。
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2003年12月14日
○去年の松島、安芸の宮島に続き、日本三景の残り1箇所、天の橋立に行った。行きの飛行機からは、雪景色の富士山とともに、改修工事中の富士スピードウェイを見ることができた。
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2003年11月17日
○ホンダコレクションホールの動態確認テストを観るため、栃木県ツインリンクもてぎに行った。テストの最後にF1がオーバルコースも走行し、RA273とロータス100Tの迫力ある走りを見ることができた。しかし、マクラーレンMP4/6は不調のためか、エンジン全開ではなく、V12サウンドを堪能することはできなかった。
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2003年10月27日
○庄内空港から大館能代空港まで縦断した。酒田では「おしんの宿」で有名な若葉旅館に宿泊した。角館はちょうど紅葉が見ごろだが、今度は桜の季節に訪れたいものだ。今回の旅行により、羽田から直行便が就航している空港の制覇まで、残り7箇所となった。
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2003年10月13日
○今年の鈴鹿も佐藤琢磨の入賞を見ることができ、よい週末を過ごすことができた。また、金、土曜日には、F1のスケジュールの合間に、ミッションカートに乗った。シフトチェンジに気をとられて走行ラインが安定せず、残念ながら昨年のタイムを更新することができなかった。
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2003年9月29日
○あいにくの雨の中、日本最北端の地、宗谷岬に行った。しかし、礼文島・利尻島では、秋晴れの週末を過ごすことができた。
○アメリカGPの結果、今年は鈴鹿までチャンピオン決定が持ち越された。もうそろそろ、日本勢にもなんとか頑張って結果を残して欲しいものだ。 ページtopへ戻る

2003年9月8日
○先週は十和田湖と奥入瀬渓流、今週は釧路湿原と霧多布岬に行ってきた。いずれの地も半袖では肌寒く、すっかり秋の気配が感じられた。 ページtopへ戻る

2003年8月27日
○JALマイレージバンクの無料航空券を使ってラスベガスに行ってきた。有料、無料の数々のショーを堪能し、グランドキャニオンへも1日観光に行ってきた。 ページtopへ戻る

2003年8月14日
○セントリーノ搭載のノートパソコンを購入したものの、有線でインターネットに接続していたが、ブロードバンドルータの価格が急に下がったので、遅ればせながら無線LANを導入した。 ページtopへ戻る

2003年7月25日
○JALグループ、全日空とも10月以降の運賃が発表された。バーゲン形割引運賃も値上げされ、魅力が半減した。まだ乗ったことのない路線のいくつかは据え置かれたので、今後はその制覇に向けて旅を計画したい。 ページtopへ戻る

2003年7月13日
○初めて旭川を訪れた。美瑛の丘や富良野はラベンダーが満開だった。しかし、雨雲が低くたれこめていて、残念ながら十勝岳を望むことはできなかった。 ページtopへ戻る

2003年7月6日
○全日空の超割で米子に行った。来週はJALのバーゲンフェアで旭川に行く予定である。最近は、割引料金で飛行機に乗るために旅行をしているようなものだ。 ページtopへ戻る

2003年6月28日
○ノートパソコンが壊れてからちょうど1年たった。なかなか購入する決め手がなかったが、ついに6月15日に発注し、23日にNEWマシンが届いた。7年前と比較すると、価格は半額で、CPUは12.5倍、メモリーは32倍、ハードディスクは40倍の性能UPとなった。必要十分な性能ではあるが、数年後には時代遅れになってしまうのだろう。 ページtopへ戻る

2003年6月7日
8時間耐久カートレース ○アップルフォーミュラにて開催された、8時間耐久カートレースに参加した。日頃の練習の成果か、各ドライバーが安定して走行した結果、総合6位、クラス2位だった。昨年の250km耐久の教訓を生かし、作戦面においても完璧だった。 ページtopへ戻る

2003年6月3日
○今年のモナコも日本勢の活躍を見ることはできなかった。特に、前座レースのフォーミュラ・ルノーV6で、期待の松浦が予選のタイムアタック中にクラッシュ、決勝では5位走行中の最終ラップ前にトラブルでリタイヤしてしまったのが悔やまれる。多くのF1関係者が見ている前での結末が、将来のF1参戦にとってマイナスにならなければいいが。 ページtopへ戻る

2003年5月18日
○波乱のオーストリアGPは、結局シューマッハの優勝で幕をとじた。BARホンダは惜しくもダブル入賞を逃したが、次戦のモナコGPにつながる好走をみせた。 ページtopへ戻る

2003年5月4日
○クレジットカードの請求書に、4月に申し込んだモナコGPのチケット代が記載されていた。まだ送られてこないけど、そろそろ航空券を予約しなければ。 ページtopへ戻る

2003年4月20日
○初めて岡山空港と関西空港を利用した。倉敷、姫路城を観光し、淡路島から高速船で関西空港に渡る予定だったが、天気が悪かったので大坂城を見学してからJRで移動した。これで、羽田から直行便の就航している中国・関西・北陸地方の空港のうち、訪れたことがないのは米子空港だけとなった。 ページtopへ戻る

2003年4月5日
アップル耐久 ○アップルフォーミュラの90分耐久レースに参加し、10チーム中6位だった。チーム内に雨男がいるのか、昨年末と同様、雨中のレースとなった。春とはいえ気温が低く、非常に厳しいレースだったが、前回の反省を踏まえ万全の雨対策をしていたため、体力的、技術的にもなんとか対応できた。でも、6月の8時間耐久レースは晴れて欲しいものだ。 ページtopへ戻る

2003年3月16日
○47都道府県のなかで、立ち寄ったものの宿泊したことがなかった滋賀県に行った。彦根城、琵琶湖を観光して大津に宿泊した。この結果、泊まったことがないのは、岐阜と高知の2県だけとなった。
○エールフランスのマイルが、80,000を越えた。これで、ヨーロッパ往復ビジネスクラスへのアップグレードが可能となる。 ページtopへ戻る

2003年3月9日
○アップルフォーミュラの1日乗り放題に参加した。50人以上が集まる大盛況で、コース改修やニューマシンの導入など、積極的な経営努力が数字に表れている。
○2003年のF1が開幕した。波乱が連続する中、予選で下位に沈んでいたマクラーレンが、気がつけば優勝してしまった。ホンダ勢は2台とも完走したものの、最低の作戦により入賞を逃したのは残念だ。
 CSで生中継を見た後、地上波でも録画放送を見たが、フジテレビはF1をスポーツではなくバラエティ番組にしたいらしい。CSでは、これまでどおり今宮、川井、森脇さんが解説しており、今後は地上波を見ることはないだろう。 ページtopへ戻る

2003年3月3日
なるとの渦潮 ○47都道府県を全て制覇したものの、列車で通過しただけで唯一着地していなかった徳島県を訪れた。観潮船と大鳴門橋の両方から渦潮を見たが、豪快な渦は迫力満点だった。
○羽田からの直行便が就航する空港のうち、石垣島を除いた九州・四国を制覇した。
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2003年2月17日
くじら ○沖縄でホェールウォッチングを初体験した。船の目前を水しぶきをあげて泳ぐくじらの姿は雄大だった。子くじらも、親と一緒にがんばって泳いでいた。
○羽田へ帰るJAS554便の機体には、JALグループの新しい塗装がされていた。その機体は太陽の光を浴びて輝いていたが、JASのレインボー色が消えてしまうのは少し寂しい気がする。 ページtopへ戻る

2003年2月7日
○シティカートのコースレイアウトが変わったので、さっそく1時間貸切で練習走行した。残念ながら、「本日のベストラップ」としてホームページに載ることはできなかった。 ページtopへ戻る

2003年1月20日
○JALとJASのマイルが順調に貯まっている。4月以降にマイルが統合される頃には、20,000マイルに達している予定である。JALとノースウェストが提携するなど、状況も変わりつつあるので、そろそろ有効な使い道を考えなければならない。 ページtopへ戻る

2003年1月2日
○明けましておめでとうございます。今年の目標は、6月に開催されるカートの24時間耐久レースで好成績をあげることですかね。 ページtopへ戻る

2002年12月19日
○佐藤琢磨がBARホンダと契約した。テストドライバーのため、来シーズンはレースに出場できないが、2004年にはレギュラードライバーとして活躍してほしい。
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2002年12月8日
○2003年のF1選手権のエントリーリストが発表された。残念ながら、大方の予想通り佐藤琢磨の名前は記載されていなかった。変更などの最終締め切りが来年3月6日なので、それまでにウルトラCでシートを逆転GETしてもらいたいものだ。
○12月7日に今年最後のカートレースに参加し、結果は5位に終わった。冷たい雨の中、レインウェアを着て走行したが、隙間から水が入り下半身びしょぬれになるなど、最悪のコンディションとなった。また、バイザーを半開きで走行したが、水溜りを通過するたびに顔に水しぶきがかかり、コンタクトレンズをはめた目には、つらいレースとなった。
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2002年11月11日
○最近、佐藤琢磨がよくテレビに出演している。彼の意気込みとは裏腹に、来シーズンのシート確保は難しい状況である。なんとか、日本企業がスポンサーとなって、F1への参加を継続してもらいたいものである。
○佐賀からの帰り、ANAの「羽田からTAXIプレゼント」に当選して、初めて羽田からタクシーで帰宅した。9,770円がタダになったが、自腹では絶対に乗らないと思う。 ページtopへ戻る

2002年10月14日
佐藤琢磨5位 ○今年のF1日本GPは、佐藤琢磨の初入賞を見ることができ、サーキット場内も一つにまとまり感動的だった。しかし、帰宅後に見たフジテレビの放送では、現場の雰囲気の10分の1も伝わってこないことが悲しかった。
○去年からの宿題であった、鈴鹿サーキット内のカートコースのAライセンスを金曜日に取り、その勢いに乗り土曜日にSライセンスもGETした。 ページtopへ戻る

2002年9月30日
○9月28日に青森空港に降り立ち、ついに47都道府県全てを訪れることができた。但し、佐賀県と徳島県は、列車で通過しただけで着地していないので、再訪するつもりではある。
 昨年10月からの1年間で13県に行くことができたのも、航空運賃の自由化による各種割引運賃のおかげである。最近は国内の飛行機で10,000円以上払ったことがない。 ページtopへ戻る

2002年9月16日
○フジテレビの地上波でF1イタリアGPの順位当てクイズをやっていたが、CSの生中継の方が2時間近く先行していたので、当然答えは正解だった。しかし、残念ながら抽選の結果、賞金100万円を獲得することはできなかった。
○JALとJASのマイレージプログラム統合の内容が発表された。それぞれのマイルを合算できたり、キャンペーンによるボーナスマイルなどにより、国内4往復くらいで無料航空券がGETできそうだ。 ページtopへ戻る

2002年9月1日
○JALのバーゲンフェアやJASのウルトラ割引などを次々と予約した結果、今週末の秋田・盛岡を初めとして、8週間で5回も旅行することになった。 ページtopへ戻る

2002年8月18日
○ヨーロッパは大洪水で、ハンガリーの首都ブダペストも被害を受けているが、しっかりF1GPは開催されていた。東欧には行ったことがないので、ハンガリーGPにはいつか行ってみたいものだ。
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2002年7月28日
○初めて富山に行った。通算100、101回目のフライトは、JALの富山就航記念サービスにより、往復18,700円でスーパーシートに乗ることができた。シートも広く、食事(ビールも)付きで、とても快適だった。 ページtopへ戻る

2002年7月21日
○アップルフォーミュラ250km耐久レースに参加した。結果はスピン、クラッシュ等のトラブルなしで466周を走り、14台中8位だった。しかし、作戦を誤りピットインを1回余分に行ったため、7位の座を失ったのが心残りである。 ページtopへ戻る

2002年7月7日
○エールフランスのマイルが72,000を超えた。これで、ニューカレドニアやハワイへの無料航空券がGETできる。東南アジアなら、JALのビジネスクラスに乗れる。あるいは、80,000マイルためてアップグレードでビジネスクラスでパリ往復など、選択肢が増えた。 ページtopへ戻る

2002年6月21日
○6月9日に、ノートパソコンのハードディスクが壊れた。バックアップをとっていなかったので、過去6年間のほとんどのデータが消滅してしまった。しかし、このホームページのデータは、サーバーに残っていたので復旧することができた。 ページtopへ戻る

2002年5月28日
○今年のモナコGPのチケットは、1番高価な席が売れ残っていて、現地でGETできた。帰国の際、ニースからパリへの便が遅れて、パリでの乗り継ぎ時間が10分しかなく、空港内を走ってやっと乗ることができた。 ページtopへ戻る

2002年5月21日
○今年は自己スケジュールが不確定で、申込書を4月19日まで郵送できず手配が遅れたため、モナコGP決勝のチケットを確保できなかった。とりあえずニースまでの往復航空券だけはインターネットでGETしたので、あとは行き当りばったりの旅になりそうだ。 ページtopへ戻る

2002年5月11日
○アップルフォーミュラランドの乗り放題サービスディに行ってきた。朝10時半から夕方5時までの間に6回、計60周を周回することができた。昼食前の3回目の走行でベストラップを記録したが、午後は、バーベキューの肉を食べすぎて重量が増したためか、それ以上タイムを更新することができなかった。 ページtopへ戻る

2002年4月28日
○スペインGPが終わった。今年度の各チームの実力差がはっきりしてきた。残念ながら、ホンダとトヨタは、11チーム中7〜9番手あたりの下位に低迷している。特に、ホンダエンジン搭載車の2チームのみがノーポイントで、1988年の16戦15勝という全盛期と比較すると、寂しさを感じずにはいられない。
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2002年4月15日
東尋坊 兼六園 ○金沢と福井に行った。残念ながら兼六園や勝山の桜はほとんど散っていた。これで、国内で未踏の地は、富山、青森、岩手、秋田の4県のみとなった。
○先月末に、カード型PHSを買ったついでに電話をH”に替えたが、福井県の田舎道や東尋坊の突端でも通話が可能で、PHSは都市部以外でも使えることが確認できた。 ページtopへ戻る

2002年4月7日
ピーポップGP ○茨城県阿見町のアップルフォーミュラで開催された耐久レースに参加した。初心者を対象にしたレースではあったが、コンスタントに周回を重ね、初優勝することができた。レース後に昼食のバーベキューがあり、とても楽しい1日を過すことができた。

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2002年3月25日
○シティカートカップの開幕戦は、貸し切り練習での105周を上回る108周を周回することができ、10チーム中6位という成績だった。しかし、上位チームとの実力差は大きく、毎週少しずつ離されて、トップから3周遅れ、3位からは2周遅れだった。 ページtopへ戻る

2002年3月17日
○マレーシアGPの生中継が終わった。シューマッハとモントーヤが接触、佐藤琢磨がチームメイトに追突するなど、波乱のレースとなった。
○24日にシティカートカップの開幕戦に参戦する。それに備えて、20日に貸し切りで60分耐久レースをする。今年こそは上位を目指したいものだ。 ページtopへ戻る

2002年3月3日
○F1開幕戦は、スタートの大波乱に始まり、22台中完走8台というサバイバル戦となった。初参加のトヨタは6位に生き残ったが、一時5位を走行した佐藤琢磨は、マシントラブルで残念ながらリタイヤに終わった。第2戦以降に期待したい。 ページtopへ戻る

2002年2月18日
○港区のモナコ政府観光会議局から、2002年モナコGPのチケット申込資料が届いた。それによると、チケット代金をクレジットカードでも支払えるとのことだ。送金小切手の作成には、手数料として5,000円かかるので、カードを使えばその分コスト削減となる。
○カウンターがついに1000人を超えた。 ページtopへ戻る

2002年2月15日
○早いもので、あと2週間後には今シーズンのF1が開幕する。シーズンオフのテスト走行では、やはりフェラーリが速く、3年連続チャンピオンの確率はかなり高そうだ。
 唯一の日本人ドライバー、佐藤琢磨が駆るジョーダン・ホンダの新車は失敗作の噂もあり、旧型車よりもかなりタイムが悪い(昨年最下位チームのミナルディ並み)。彼のデビューシーズンが悲惨なものにならないように祈りたい。 ページtopへ戻る

2002年1月27日
○初めて山陰地方を訪れた。鳥取砂丘では、すりばちを横目に一気に頂上に駆け上がると、そこには雄大な眺めが待っていた。海側はさらに急斜面だったので、慎重に海辺まで降りて日本海に手を浸した。
 松江城の天守閣は、鉄筋コンクリートではなく、昔のまま残されており、非常に壮大で重みがあった。また同様に、旧JR大社駅も趣があってよかった。
 これで、国内で未踏の地は、青森、秋田、岩手、富山、石川、福井の6県となった。
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2002年1月14日
○今年最初の旅行は、JASの無料航空券を使い、本州最南端の串本温泉へ行った。
 和歌山県を訪れるのは初めてで、国内で未踏の地は残り7県となった。
○いよいよ、F1のテスト走行が始まった。まだ、ラップタイムに一喜一憂するには早いが、スペインのテストでは、好調なホンダに比べてトヨタが出遅れているようだ。 ページtopへ戻る