F1モナコGP観戦記

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目 次 (クリックすると本文へジャンプ)
痛恨のミスとモナコGP(2019)
ドバイ観光とモナコGP(2018)
オール快晴のモナコGP(2017)
ドバイ経由のモナコGP(2016)
プロバンスとモナコGP(2015)
スイス観光とモナコGP(2014)
祝、20回目のモナコGP(2013)
初のモナコ宿泊(2012)
羽田空港発のモナコGP(2011)
駄ジャレとモナコGP(2010)
弾丸ツアー的なモナコGP(2009)
ロワール地方とモナコGP(2008)
ベネツィアとモナコGP(2007)
ニース抜きのモナコGP(2006)
世界遺産とモナコGP(2005)
ああ、白煙のモナコGP(2004)
祝、10回目のモナコGP(2003)
とりあえずのモナコGP(2002)
移動、移動のモナコGP(2001)
20世紀最後のモナコGP(2000)
1900年代最後のモナコGP(1999)
ワールドカップとモナコGP(1998)
3日間観戦のモナコGP(1997)
雨のモナコGP(1996)
再びモナコへ(1995)
あこがれのモナコGP一人旅(1994)

痛恨のミスとモナコGP(2019年)
モナコGP ニーストラム  今年は、ドバイ1泊、ニース2泊のコンパクトな行程で実行しました。
 予定していたドバイファウンテンを見学できず、モナコGPではレッドブル・ホンダが表彰台を逃し、帰国日に罰金を支払う羽目に合い、少し残念な旅になりました。



2019年5月24日(金)ドバイへ
ドバイモール  午前7時にドバイへ入国、ホテルにアーリーチェックインして一休みした後、昼過ぎに無料シャトルバスでドバイモールへ移動しました。
 モールでは、5分間の池の噴水ショーを何回か見物する予定でしたが、事前情報とは違い、全く実施されませんでした。
 シャトルバスの運行時刻の都合で、ショーの見物は残念ながら諦めました。
 おそらく、ラマダン期間中なので、日没後からは開催されるものと考えられます。


2019年5月25日(土)ニースへ移動
ネグレスコホテル  午後1時半頃にニース空港へ到着しましたが、入国審査の係員が少ないために大行列となり、通過するのに30分以上かかりました。
 バスでニース駅へ移動し、翌日のモナコ往復の鉄道乗車券を購入してから、昨年と同じホテルにチェックインしました。
 その後、徒歩で海岸まで行き、地中海を眺めながらウォーキングしたり、ベンチに座って日光浴をしたり過ごしました。



2019年5月26日(日)モナコでもなか
モナコでもなか ピット  午前8時半過ぎにモナコに到着、王宮のある丘に登り、ヨットハーバーを見下ろしながらもなかを食べました。(^o^)
 今年は、足立区梅島にある和洋菓子富士屋の富士もなかを持参しました。
 今年は、レッドブル・ホンダチームのピット正面のT1スタンドから観戦しました。
 レースの結果は、メルセデスのハミルトンが優勝、ホンダ勢は4台全て入賞しましたが、2位でゴールしたフェルスタッペン選手は、ペナルティの影響で表彰台を逃してしまい残念でした。

2019年5月27日(月)罰金
ニースの海  ホテルを9時半にチェックアウトし、マセナ広場の噴水を眺めた後、坂道を登って城址公園の展望台へ行きました。
 雨が降り出してきて、残念ながら海の色が真っ青にはなりませんでした。
 その後、海岸に沿って30分ほど歩き、暫定的な始発駅から新しいトラムに乗って空港へ移動しました。
 ところが、車内の自動改札装置にチケットを通すのをうっかり忘れたため、巡回員に指摘されて罰金40ユーロを支払い、痛恨のミスとなりました。
 今年は3泊しかしなかったものの、航空運賃が割高の影響で、総費用は約19万円でした。
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ドバイ観光とモナコGP(2018年)
ドバイモール ブルジュカリファ  毎年恒例、モナコでもなかを食べに行く旅の途中、今年はドバイに寄り道することにしました。
 地上450m以上の高所にある展望台からの絶景を楽しみました。





2018年5月24日(木)ドバイへ
展望台からの眺め  0時30分羽田発のエミレーツ航空に乗り、朝7時にドバイ空港に到着しました。
 予約していた空港近くにあるホテルのチェックイン時間は14時からですが、入国後に行ってみたら、8時半にもかかわらず無料でアーリーチェックインできました。
 シャワーを浴び、不用な荷物を部屋に残して、ホテルの無料シャトルバスでドバイモールへ移動しました。
 そこには、828mのブルジュカリファが圧倒的な存在感で建っていました。
 ホテル予約サイトの割引クーポンを利用して、割安チケットを購入、125階の展望台に上がり、景色を堪能しました。
 至るところで工事が進行中で、まだまだ高層建築物が増えそうです。

2018年5月25日(金)ドバイ2日目
ドバイモールの水槽 歴史保存地区  午前中、再びドバイモールへ行き、巨大水槽を30分くらい眺めてから、各フロアをうろうろしました。
 ラマダンの時期と重なったため、レストランは日没まで休業、公の場で飲食ができないので、スーパーマーケットでパンとラザニアを購入してホテルへ戻りました。

 午後から、メトロとトラムを乗り継ぎ、7つ星ホテルを眺めに行きました。
 その帰りに、歴史保存地区へ立ち寄り、古い町並みを散策しました。
 ドバイでは金曜日が休日なので、歴史博物館も休業日で入れませんでした。残念 (>_<)

2018年5月26日(土)ニースへ移動
ニース海岸 工事中のトラム  ドバイ空港を午前9時に離陸、イラン、トルコ、ブルガリア、イタリア上空を通過し、約6時間でフランスのニース空港に着陸しました。
 昨年までと異なり第2ターミナルに到着しましたが、時間に余裕があるので、6ユーロの直行バスを利用せず、第1ターミナルに移動して、1.5ユーロの路線バスで市内へ向かいました。
 空港から市内まで続くトラムを建設工場中で、近いうちにバス以外の移動手段が増えそうです。
 ホテルにチェックインしてから、海岸を散策しました。
 ほとんど真夏の日射しのもと、多くの人が日光浴や海水浴を楽しんでいました。

2018年5月27日(日)モナコでもなか
モナコでもなか  今年の最中は、頂き物である京都仁和寺「空海もなか」ですが、もなかの皮と餡が別々になっていて、出発前にホテルで完成させました。
 モンテカルロ駅に到着、さっそく王宮のある丘へ登り、もなかを食べました。
 その後、Tシャツとプログラム、昼食を購入してから観客席へ向かいました。
 今年は、プールシケイン正面のO スタンドから観戦しました。
 サポートレースやドライバーズパレードの後、午後3時10分にF1決勝レースがスタート、昨年までよりもタイヤのグリップ力が強くなり、予選ではコースレコードを更新しましたが、決勝レースのペースもかなり速く、次々と目の前を駆け抜けていくF1マシンが壮観でした。

 ところで、10月に開催される日本GPのアウトレットシートが日本時間の午前10時に発売されましたが、現地時間の午前3時に起床して見事にV1席を購入することができました。

2018年5月28日(月)帰国
城址公園の滝  朝から小雨が降り、最終日はあいにくの天気となりました。
 午前10時にホテルをチェックアウトし、市内の公園や城塞跡などを約1時間半かけて散策しました。
 噴水広場の前に新しくできたコンビニのイートインでランチの後、再び路線バスで空港へ向かいました。
 今年はニースに2泊しかしなかったものの、レースチケットや航空運賃が割高だったこともあり、総費用は約20万円でした。
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オール快晴のモナコGP(2017年)
北海もなか J・バトン  今年もエミレーツ航空を利用して、ドバイを経由してニースまで移動しました。
 滞在した5日間、ほぼ雲のない快晴で、雨を心配しないで旅行できたのは久しぶりのことでした。
 恒例のダジャレ写真は、函館で購入した「北海最中」を使用しました。



2017年5月25日(木)ニースへ
マセナ広場  昨年同様、午前0時30分に羽田空港を出発、トータル20時間かけて午後1時半過ぎにニース空港へ到着しました。
 空港から99番のシャトルバスでニース駅へ移動、駅の券売機で金曜日と日曜日のモナコ行の往復切符を購入してから、徒歩で約2分のホテルにチェックインしました。
 マセナ広場や海岸を散歩してからレストランでピザを食べ、帰りにスーパーでワイン、水などを購入しました。


2017年5月26日(金)モナコでもなか
モナコでもなか コースウォーク  午前7時半頃にモナコに到着、毎年恒例となった王宮の丘で「モナコでもなか」の写真を撮影しました。
 ACMのオフィシャルショップでTシャツとプログラムを購入した後、K6スタンド最上段からポルシェカップ予選とF2レースを観戦しました。
 F2レースでは、5番手からスタートした松下選手が徐々に順位を上げて3位でゴール。表彰式では大画面スクリーンで日の丸を見ることが出来ました。

 午後2時半にピットウォークがオープンすると、マクラーレン・ホンダチームの前に陣取り、ひたすらドライバーを待ちました。午後3時20分過ぎにようやくトロロッソの2人が登場して、公式プログラムに直筆サインをもらいました。
 しばらくするとマクラーレンの2人が来て、J・バトンとS・バンドーンのサインをGETしました。強い日差しの中で粘り続け、その後も3人、合計7人のサインをもらうことができました。
 約2時間居座った後、レーシングコースを徒歩で1周してからニースへ戻りました。

2017年5月27日(土)カンヌ映画祭
カンヌ プチトラン  午前中は、プチトランという汽車の形をした乗り物でニース市内観光をしました。
 旧市街地や港を巡った後、城址公園頂上での休憩時間には、展望台からニースの街並みや地中海の絶景を眺めることができました。
 午後からはカンヌへ移動し、映画祭の会場へ行きました。
 柵の外からではありましたが、レッドカーペットの前で記念撮影をしました。

2017年5月28日(日)決勝レース
T1スタンドからの眺め  プール前シケイン出口を見られるT1スタンドの一番端の席から観戦しました。
 サポートレース、ドライバーズパレードの後、午後2時から決勝レースがスタート。2番手からスタートしたS・ベッテルがピット戦略の違いでポールスタートのK・ライコネンを逆転して優勝しました。
 マクラーレン・ホンダは、2人ともクラッシュしてリタイヤしてしまい、残念な結果に終わりました。
 レース終了後、驚くほどスムーズに列車に乗ることができ、午後5時にはニースへ戻ることが出来ました。

2017年5月29日(月)帰国
ニース海岸  午前中、路面電車に乗って旧市街地へ行き、朝市を巡りました。
 海岸にある日時計を見物した後、214段の階段を登り、展望台から真っ青な海を眺めました。
 ホテルへ戻り、再び99番のバスでニース空港へ移動しました。
 ニース空港を午後3時半に出発、トータル19時間かけて日本に帰国しました。
 土曜日は観戦せず、エミレーツ航空のスペシャル運賃だったこともあり、今回の総費用は約16万円でした。
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ドバイ経由のモナコGP(2016年)
鮎の天ぷらもなか フェルスタッペン  初めてエミレーツ航空を利用して、ドバイを経由してニースまで移動することにしました。
 航空運賃がこれまでの半額だったこともあり、円安にもかかわらず総費用を20万円未満に抑えることができました。
 また、恒例のダジャレ写真は、頂き物の「菊最中」と神楽坂で購入した「鮎の天ぷら最中」を使用しました。


2016年5月26日(木)ドバイ経由でニースへ
ドバイ空港  午前0時30分に羽田空港を出発、約11時間でドバイへ到着しました。乗り継ぎに2時間、さらに約7時間のフライト、トータル20時間かけて午後1時半過ぎにニース空港へ到着しました。
 ドバイ空港を離陸する時、世界一高いビルが遠くに見えました。また、ニースまでのルートは、イラクとシリアを迂回してイラン上空を飛行しました。
 空港からニース駅へ23番の路線バスで移動しようとしたら、以前の場所にバス停が無く、案内所で確認すると、ターミナルから約150m離れた大通り(プロムナード)にありました。バスに乗車すると、途中でルートがこれまでと違うことに気づき、鉄道高架橋をくぐった先で下車、約5分歩いてニース駅へ着きました。
 券売機で3日分の列車の切符を購入し、約15分歩いてホテルにチェックインしました。
 一休みした後、徒歩5分ほどの位置にある海岸を散歩して、スーパーでワイン、水と食料を購入しました。

2016年5月27日(金)モナコでもなか
モナコでもなか  モナコには午前8時半過ぎに到着、昨年同様に王宮の丘で写真撮影しました。
 しばらく絶景を眺めてから無料解放されたスタンドへ。K8スタンド最上段からポルシェカップ予選とGP2レースを観戦しました。
 GP2の第1レースは、12番手からスタートした松下選手が徐々に順位を上げたものの9位でゴール。しかし、7位の選手がペナルティで降格して8位に繰り上がり、土曜日の第2レースをポールポジションからスタートすることになりました。
 午後2時20分からピットウォークがオープンしましたが、昨年までと違ってドライバーが誰も来ませんでした。ようやく3時過ぎに登場して、まずマグヌッセン、さらにフェルスタッペンとリカルドから直筆サインをもらうことができました。

2016年5月28日(土)モナコの街に君が代
優勝した松下選手  この日は、第1コーナーを通過する迫力あるマシンを見ることができるA1スタンドから観戦しました。
 午前中は、F1のフリー走行でたくさんの写真を撮りました。
 午後からの予選では、期待のマクラーレン・ホンダのアロンソがQ3に進出、サインをもらったリカルドがポールポジションを獲得しました。
 F1の予選後に実施されたGP2の第2レースは、ポールからスタートした松下選手が独走で優勝しました。
 モナコの街に初めて流れる「君が代」に感慨深いものがありました。いつか、F1で日本人が優勝して、また「君が代」を聴きたいものです。

2016年5月29日(日)決勝レース
Kスタンドからの眺め  日曜日はプール前のOスタンドから観戦しました。
 午前中は激しい雨の中、レインウェアを着てサポートレースを観戦しました。
 ドライバーズパレードの頃には雨も小止みになり、決勝レースがスタートする頃には雨がやみました。
 セーフティーカー先導でレースがスタート、フェルスタッペンの怒涛の追い上げに場内も盛り上がりましたが、若さからガードレールにクラッシュ。
 路面が乾いて各車がタイヤ交換するなか、トップを走行していたリカルドはタイヤが用意されていない作業ミスで2位に後退、ハミルトンが優勝しました。
 マクラーレンはアロンソが5位、バトンが9位とダブル入賞で良かったです。

2016年5月30日(月)帰国
ニース海岸 ニース海岸  月曜日のニースはとてもいい天気で、海の色がいつもより青くてきれいに見えました。
 海岸にレジャーシートを敷いて、海を眺めながら1時間半を過ごしました。
 昼過ぎにマセナ広場へ戻り、70番の路線バスでニース空港へ移動しました。
 帰りは追い風のため、ドバイまで6時間半、乗り継ぎに約3時間、ドバイから成田まで9時間半、トータル19時間かけて無事に日本に帰国しました。

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プロバンスとモナコGP(2015年)
起上もなか ベッテル  今年はJALのマイルを利用してパリまで往復ビジネスクラスに搭乗、ニースまではTGVで陸路を移動することにしました。
 ニースの前にマルセイユに2泊して、ニーム、ユゼス、そして世界遺産の水道橋があるポンデュガールを観光しました。
 モナコでは北陸新幹線の開業を祝って金沢の起上もなかを食べました。

2015年5月19日(火)パリへ
ビジネスシート  成田を午後2時に出発する便でしたが、早めに搭乗手続きを済ませ、サクララウンジで約2時間、シャンパン、ワインとビュッフェの食事を楽しみました。
 JAL SKY SUITEシートはフルフラットベットになり、12時間以上の移動でもとても楽に過ごせました。
 機内食の1回目は洋食コースを選択、メインはフォアグラ添えのビーフステーキに舌鼓。2回目以降は手元のコントローラーで好きなものを発注するシステムでした。
 パリに到着後は、PERのB線に乗ってパリ北駅まで行き、駅から徒歩5分のホテルへ宿泊しました。

2015年5月20日(水)マルセイユへ移動
マルセイユ  パリ東駅からメトロでパリ・リヨン駅へ行き、フランス国鉄のサイトで日本から予約した早得料金のTGVに乗ってマルセイユへ移動しました。
 ホテルにチェックイン後、標高154mにあるノートルダム寺院まで登り、ミストラルと呼ばれる強風に飛ばされそうになりながらも360度の眺望を楽しみました。
 ホテルへ戻る途中、スーパーでワイン、水、パンや野菜サラダなどの食料を購入しました。毎年、店で一番安い赤ワインを買いますが、3ユーロのワインでも十分美味しかったです。
 1泊35ユーロの宿は、テレビは映らず、トイレの扉は閉まらず、収納棚の戸もはずれかけていて苦笑してしまいました。

2015年5月21日(木)プロバンス観光
ポンデュガール  この日もTGVに乗り、約1時間でフランスの中のローマと言われるニームへ移動しました。
 古代競技場や神殿などを見学した後、バスでユゼスという町へ。フランスで最も美しいといわれる街並みを散策してから、再びバスで世界遺産のポンデュガールへ。
 ポンデュガールの水道橋は世界一の高さがあり、人力で造ったとは思えないほどの大迫力でした。川岸にはミュージアムもあって、ローマ時代からの歴史も勉強しました。

2015年5月22日(金)モナコでもなかとピットウォーク
モナコでもなか  TGVに乗って午前11時過ぎにニースへ到着、去年までと同様に大きな荷物を預けようとしたら、駅舎が改装工事中のために荷物預り所が封鎖されてました。
 しかたがないので宿泊するホテルまで行き、チェックインはできないので荷物だけ預かってもらいました。駅まで引き返すとモナコ行の列車は出たばかりで、次の列車は1時間待ちに。
 結局、モナコには午後1時過ぎに到着しました。さっそく王宮のある丘へ登り、もなかを食べて写真撮影。
 いつもより少し遅れて午後2時40分からピットウォークがオープン、もみくちゃにされながら約30分格闘の結果、5人から直筆サインをもらうことができました。

2015年5月23日(土)予選
Pスタンドからの眺め  予選はPスタンドから観戦、プールサイドシケインを通過するF1マシンの機敏さを見ることができました。
 気温は20度近くあったものの、海からの風が冷たく、半そでシャツの上にレインウェアを着て寒さを凌ぎました。
 期待のマクラーレン・ホンダは2台ともQ2で敗退し、少しがっかりしながらニースへ戻りました。
 ちなみに、ホンダのエンジン音は他のメーカーと違って、アクセルオフ時にブブブッと鳴る独特なサウンドでした。

2015年5月24日(日)決勝レース
Kスタンドからの眺め  日曜日はヨットハーバーを見渡すK8スタンドから観戦しました。
 一番端の席だったため、振り向けばピットロード出口やホームストレートのスタートライン、ロイヤルボックスと表彰台が見えました。
 決勝レースは終始ハミルトンの独走でしたが、レース終盤、セーフティーカーが導入された際にピットインしたために順位を落とし、大ドンデン返しでロズベルグが3連覇を果たしました。
 マクラーレン・ホンダはアロンソがリタイヤしたものの、バトンは今季初入賞となる8位でゴールしてホッとしました。
 木の隙間から見える表彰式では、ハミルトンの無念の仕草が印象的でした。

2015年5月25日(月)帰国
 ニースからシャルルドゴール空港まで、途中のリヨン駅でTGVを乗り継いで移動しました。約7時間座り続けてお尻が痛くなりました
 搭乗手続きを済ませてからビジネスラウンジで約2時間過ごし、11時間のフライトで無事に日本に帰国しました。
 帰国後、録画しておいたモナコGP決勝を観たら、フォーメーションラップ開始直前、スタンドからスタートラインを覗き込む自分の姿を確認できました。
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スイス観光とモナコGP(2014年)
都電モナカ マッターホルン  今年はレース観戦後にスイスへ移動して、ジュネーブとツェルマットを観光しました。
 モナコGPではメルセデスの圧倒的な速さに驚き、可夢偉の後半のペースダウンは残念でした。また、今年のもなかは都電もなかでした。
 スイスでは天候にも恵まれ、念願のマッターホルンを鑑賞することが出来ました。

2014年5月23日(金)ピットウォーク
ニースの噴水広場  今年は羽田空港発のJAL便(エールフランスの共同運航)を利用してパリ経由でニース空港へ午前9時頃に、モナコには午前11時過ぎに到着しました。
 GP2の第1レースに2人の日本人選手が出場していましたが、残念ながら上位入賞はできませんでした。
 午後2時からピットウォークへ行き、グロージャンから直筆サインをもらうことができました。偶然、ロータスの小松エンジニアが通りかかった時、自分を含め周りにいた日本人から一斉に「小松さ〜ん」と掛け声が飛びました。
 宿泊地のニースへ戻って市内散策をすると、池だったところが噴水広場になっていました。

2014年5月24日(土)快晴の予選
T1スタンドからの眺め  予選はT1スタンドの前から三列目だったのでコースからも近く、音が静かになったもののスピード感は変わらず迫力あるF1の走りを見られました。
 快晴だったため、11時頃から直射日光を受け続け、日焼け止めを塗っていたにもかかわらず、予選終了後の3時過ぎには腕がヒリヒリしてきました。
 4時過ぎからGP2の第2レースがありましたが、スタンドにいることが辛くなり撤収しました。


2014年5月25日(日)決勝レース
Oスタンドからの眺め  日曜日はプールシケイン前に設置されたOスタンドの下段から観戦しました。
 プール前の歩道橋が無くなり、Tスタンドの下から桟橋を通ってアクセスすることになりました。
 決勝レースではメルセデス勢が圧倒的に速く、ロズベルグが最後までトップを守り切って2連覇を果たしました。
 可夢偉はレース中盤まで順調に走行していましたが、ビアンキとの接触によりマシンにダメージを受け、完走はしたものの非常に残念な結果となりました。


2014年5月26日(月)ジュネーブへ移動
レマン湖大噴水  日本で予約したTGVに乗り、約6時間かけてニースからジュネーブへ移動しました。
 ホテルにチェックインしたのは午後6時近くになっていましたが、晴天だったのでレマン湖畔散策に出かけました。
 大噴水にかかる虹を見たり、絶景を眺めることができました。



2014年5月27日(火)ツェルマットへ
ツェルマット  天気が悪化し雨が降っていたので、ジュネーブ旧市街地巡りは中止して、予定より早い列車で移動しました。
 牧場やブドウ畑、渓谷などの景色を楽しみながら、4時間弱でツェルマットに到着しました。
 ホテルはバルコニー付きの角部屋でしたが、残念ながらマッターホルンとは逆向きでした。端から覗き込むと見える位置関係でしたが隠れていました。



2014年5月28日(水)いざマッターホルン
ゴルナーグラート鉄道  ホテルの目の前に朝焼け絶景ポイントの橋があり、朝5時半くらいに窓の外から日本人観光客の声が騒がしく聞こえてきました。
 ホテルのインフォメーション画面のライブカメラで天候を確認して、朝9時半過ぎの登山列車に乗ってゴルナーグラート展望台へ出掛けました。
 展望台では大パノラマの眺望に感動しました。ところがマッターホルン方向だけ視界が悪く、その姿を見ることができませんでした。


2014年5月29日(木)人生最高地点
3883m地点からのブライトホルン  イタリアとの国境にあるグレッシャーパラダイス展望台を目指しました。
 大勢のスキーヤーたちと一緒にロープウェイを乗り継いで中間駅まで行くと、最後のロープウェイが故障中でした。
 中間駅にある土産店や展望台で時間をつぶしている間、ついにマッターホルンが雄姿を現しました。
 その後、3時間待ってようやく運行が再開され、人生最高地点を更新する3883mの山頂まで到達しました。
 マッターホルンは雲に隠れていましたが、ブライトホルン(写真)がはっきりと見えました。

2014年5月30日(金)帰国
 朝起きて窓から覗き込みましたが、結局3日間とも朝焼けを見ることはできませんでした。
 ホテルをチェックアウトし、行きとは逆ルートでジュネーブ空港へ向かいました。
 帰りはジュネーブからロンドンのヒースロー空港を経由して羽田へ戻りました。ロンドンからはJALの新エコノミークラスで、足元が少し広くなったものの、長時間の移動には辛いものがありました。
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祝、20回目のモナコGP(2013年)
餅いりモナカ ベッテル  記念すべき20回目のモナコでは、アロンソとベッテルの直筆サインをもらうことができ、大変にラッキーでした。
 土曜日の予選では雨、日曜日の決勝では冷たい海風を防ぐため、レインウェアが活躍しました。
 なお、今年は円安に加えて、バスの運賃が1.5倍に値上げされていて、経済的に厳しくなってきました。



2013年5月24日(金)モナコでもなか
モナカでもなか  今年も昨年同様、ニース空港には金曜日の午前10時頃に到着しました。
 直行バス(6ユーロ)でニース駅へ移動し、着替えなど不要な荷物をコインロッカー(5.5ユーロ)に預け、列車でモナコへ向かいました。
 正午少し前にモナコ駅に着き、Kスタンドへ到着すると、ちょうどGP2のレースが始まるところでした。
 レース終了後に王宮のある丘へ登り、モナコでもなかの写真を撮影しました。
 コースへ戻り、開始直後のピットウォークへ行くと、バトン、アロンソ、ベッテルなどと接近遭遇。アロンソとベッテルには目前で直筆サインをもらうことができました。

2013年5月25日(土)雨の予選
Nスタンドからの眺め  土曜日はプールシケイン入口付近の桟橋に設置されたNスタンド最上段から観戦しました。
 午前中は晴れていたものの、予選開始の少し前から雨が降り始め、レインウェアを着ることになりました。
 グリッド最前列はロズベルグとハミルトンが獲得し、メルセデス勢の速さに圧倒されました。


2013年5月26日(日)決勝レース
セーフティカー  決勝はT1スタンドの上から三段目で観戦しました。
 クラッシュによりセーフティーカーが2回、赤旗中断が1回あり、やや荒れたレースとなりましたが、ポールポジションからスタートしたロズベルグは、その優位性を最大限に生かし、トップを譲ることなく見事にモナコ初優勝を果たしました。
 モナコ駅では列車待ちの大行列のため、ニース駅に戻る頃にはレース終了から2時間以上が経過していました。
 ホテルでテレビを見ていたら、カンヌ映画祭の授賞式を放送していて、受賞した是枝監督が日本語でスピーチしていました。

2013年5月27日(月)ニース散策
ニース海岸  快晴の空の下、午前中は城址公園に登り、展望台からコートダジュールの美しい海の写真を撮りました。
 昼食にピザを食べてから、Tシャツと短パンに着替え、海岸にレジャーシートを持って行き、のんびり日光浴をしました。
 しばらく昼寝をしていたら肌がヒリヒリしてきたので、3時頃に店じまいをして、スーパーで買い物をしてからホテルへ帰りました。


2013年5月28日(火)帰国
 ホテルをチェックアウトし、旧市街の朝市を巡り、海岸のベンチで過ごしました。
 前日とは違って天気が怪しくなってきたため、予定より少し早目に徒歩で駅へ移動して、路線バス(1.5ユーロ)でニース空港へ向かいました。
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初のモナコ宿泊(2012年)
栗もなか  今年はユーロ安のおかげで、予選と決勝を観戦し、レース後ではあるものの初めてモナコに宿泊しました。
 今回は過去最高の延べ5日間もモナコに滞在することになりました。
 さすがにホテル・ド・パリには泊まりませんでしたが、それでもモナコ1泊分はニース3泊分よりも高かったです。
 なお、今年は栗もなかにバージョンアップしました。



2012年5月25日(金)モナコへ
カーティケアン  今年も羽田空港発の便を利用し、ニース空港には金曜日の午前10時頃に到着しました。
 ニース市内へ移動し、モナコ行きのバスに乗ろうとしたらバスターミナルが工事中でした。しばらく乗り場を探し、ようやくバス停に着くと長蛇の列でしたが、なんとか2台目のバスの最後の席を確保し、モナコへ向かうことができました。
 午後1時過ぎにモナコに着くと、GP3のレース中でした。
 金曜日なので無料でホームストレート間際で観戦でき、ジュニアフォーミュラとはいえ、なかなかの迫力でした。
 2時半からコースが開放されたのでピットへ行くと、F1ドライバーが顔写真入りカードにサインをして自ら配っていたので、人ごみを掻き分け4人のサインをGETしました。

2012年5月26日(土)予選
プールサイドシケイン  予選はプールシケインに飛び込んでくるマシンを正面に見ることができるMスタンドの最上段から観戦しました。
 カムイには上位グリッドを期待していたのですが、Q2で敗退してしまったので非常に残念でした。
 しかし、最後にシューマッハが最速ラップを記録した時には、スタンド全体が大いに盛り上がりました。



2012年5月27日(日)決勝レース
T1スタンド  決勝はピットを見下ろすT1スタンドの最上段から観戦しました。この席は放送ブースのすぐ前にあります。
 カムイの追い上げを期待したレースは、1周目に接触して飛んだ影響により、カムイが序盤でリタイアしてしまいました。
 応援する対象が消えてしまい、また、放送席とスタンドの隙間から吹き込む風が冷たいこともあり、一気にテンションが下がりました。
 まだまだレースは長いので、サインをもらったドライバーに注目していましたが、ヒュケンベルグが7位に入賞し、コバライネンも頑張っていました。

2012年5月28日(月)モナコ宿泊
ホテルドパリ前  午前中はニースの海岸でまったりし、いつもの店で昼食にピザを食べてから、バスでモナコへ移動しました。
 ホテルにチェックインし、身軽になってから、王宮に登って景色を楽しんだ後、コースを徒歩で1周しました。
 カジノ前には高級車が何台も路上駐車しており、渋滞を引き起こしていました。
 また、トンネル出口付近に新しい建物を建築中でした。


2012年5月29日(火)帰国
ゾッカ  ホテルをチェックアウト後、バスでニースへ戻り、旧市街の朝市でゾッカ(ニース風お好み焼き)と果物を買い、海を眺めながらのんびり過ごしました。
 帰国便は夕方発なので、一旦、駅まで移動して、1ユーロの路線バスでニース空港へ向かいました。
 今年は少し贅沢したものの、ユーロ安のおかげで旅費は約25万円でした。

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羽田空港発のモナコGP(2011年)
アンティブ カムイ  今年は羽田空港を利用してパリへ向かいました。
 レースでは、小林カムイが日本人として過去最高となる5位に入賞し、大いに満足した観戦となりました。







2011年5月27日(金)、28日(土)ニースへ
ピザ  羽田便は出発時刻が深夜のため、仕事から帰ってから家を出発するまでに余裕があり、とても楽でした。
 パリで乗り継ぎ、ニースには土曜日の昼過ぎに到着しました。
 ホテルのチェックインまでに時間があったので、レストランでピザを食べましたが、あいかわらずの大きさで、1週間分のチーズを食べたような気分でした。
 スーパーマーケットで食料を購入して、長旅の疲れのためすぐに寝てしまいました。水は1.5Lで約20円の安さです。

2011年5月29日(日)決勝レース
モナカ  早めにモナコへ移動し、人の少ないスタンドでモナカの写真を撮りました。今年は中身が崩れなかったので、真のダジャレ写真が完成しました。
 決勝レースでは、カムイが徐々に順位を上げ、赤旗中断の時点では4位でした。このまま終了かと思ったらレースが再開され、最終的に5位となり、嬉しさと同時に少し残念な結果でした。
 いつか、モナコで君が代を聴くのも夢ではないと思いました。



2011年5月30日(月)近郊巡り
グラース  路線バスでグラース、カンヌへ行き、列車でアンティブに途中下車してニースに戻りました。
 バスはどこまで乗っても1ユーロで大変お得です。また、列車は小額でもクレジットカードが使えるため、現金が少なくなった旅の後半では助かります。
 グラースは香水で有名な街で、香水美術館や工場が並んでいます。カンヌは映画祭が終わり撤収作業中でした。アンティブはピカソ美術館があり、海が綺麗に見える素敵な街でした。

2011年5月31日(火)帰国
 最終日はニース旧市街の朝市でパンや木イチゴを買い、海を眺めながら遅めの朝食を食べました。
 帰国便は午後なので、昼過ぎまでまったりとして、バスでニース空港へ向かいました。帰りは成田空港着で、初めて新型スカイライナーに乗って帰宅しました。
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駄ジャレとモナコGP(2010年)
もなか  今年はニースに4連泊し、ゆったりした行程を組みました。
 モナコには金、日、月曜日の3回行き、F1の走行が無くスタンドがガラガラな金曜日に「モナコでモナカを食べる」という駄ジャレ写真を撮ってきました。






2010年5月14日(金)モナコへ
ウィリアムズ  木曜日の夜に成田を出発し、金曜日の午前9時にニース空港に到着しました。
 そのままモナコへ移動し、無料のスタンドに入り「モナカ」の写真を数箇所で撮影しました。GP2レースを観戦し、コースが一般道として開放された後、ピット ロードを歩きながら各チームの接近写真を撮りまくりました。
 ホテルはニース駅から徒歩2分の位置にあり、部屋も広くバスタブもあり、便利で快適に過ごすことができました。


2010年5月15日(土)鷲の巣村へ
サンポールドヴァンス  コスト削減のため、ここ数年は土曜日の観戦をパスしており、午前中はニース旧市街地や海岸を散歩した後、午後からサン・ポール・ド・ヴァンスへ行きました。
 ニースのバスターミナルから路線バスに1時間くらい乗ると村に着きました。山の上に城壁に囲まれた鷲の巣村があり、狭い路地を数分歩くと1周できるくらい小さな村でした。



2010年5月16日(日)決勝レース
カムイ  8時にモナコへ着き、サポートレースが2レース、ドライバーズパレードの後、午後2時から決勝レースがスタートしました。
 作戦の違いもあり、小林カムイが一時5位までポジションアップし、ポイントゲットの期待が高まりましたが、間も無くリタイアとなり、日本人としてはガッカリな結果でした。
 今年はスタンドに空席が目立ち、世界的な経済危機の影響を強く感じました。また、帰りの列車も待ち時間なしで乗ることができました。

2010年5月17日(月)エズ村とモナコ
エズ サンデボテ  路線バスで13年ぶりにエズ村へ行き、快晴の下、絶景をデジカメで撮影しました。
 13年前は歩いてエズ駅まで下山しましたが、今回はバスを乗り継いでモナコへ移動しました。
 久しぶりにコースを徒歩で1周し、途中の日本庭園にも寄りました。

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弾丸ツアー的なモナコGP(2009年)
バトン  今年は3泊5日という、短期間の行程となりました。
 ニースに土曜日の午後に着き、月曜日の朝には帰国の途に着くという慌ただしさでした。
 レースは旧ホンダチームであるブラウンGPのバトンが優勝しましたが、HONDAのエンブレムが無いのが残念でした。
 今年は円高のおかげで、旅費が約23万円となりました。


2009年5月22日(金)パリへ
エッフェル塔  エールフランスの昼便でパリへ飛びました。事前に窓側席を予約していましたが、2人掛けシートの隣が空席だったのでゆったりと過ごすことができました。
 ホテルは凱旋門付近に予約しており、チェックイン後、エッフェル塔がよく見えるシャイヨー宮まで徒歩で行き、写真を撮りまくりました。





2009年5月23日(土)のんびり過ごす
ピザ  土曜日は、シャルルドゴール空港に戻り、ニースへ移動しました。
 ビーチから徒歩3分くらいの場所にあるホテルを予約していたので、チェックイン後に海岸通りを散策し、レストランでピザを食べました。
 その後、スーパーで水やビールなどを買い込み、翌日に備えて早めに就寝しました。



2009年5月24日(日)圧勝のレース
ドライバー  プールサイドシケイン出口からピット裏にかけてのコースを見渡せるスタンドから決勝レースを観戦しました。
 一番端のシートを買っていたのでコースからも近く、ドライバーズパレードもよく見えました。
 レースはバトンの圧勝に終わりましたが、他のマシンと比較して挙動が安定しているのがはっきりとわかりました。

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ロワール地方とモナコGP(2008年)
シャンボール城  今年も世界遺産探訪としてレースの前にロワール地方の古城を訪ねることにしました。
 パリへの往復はJALのマイルを利用して無料航空券で、パリから先はインターネットでエールフランスの割引航空券で移動しました。但し、成田からの直行便が満席のため、行きは羽田発・関空経由、帰りは中部経由の成田着となりました。また、帰りのパリ・中部間はビジネスクラスに搭乗しました。


2008年5月22(木)、23日(金)ロワール地方へ
シュノンソー城  まず、羽田から関空へ移動、国際線へ乗り継ぐ前にお好み焼きを食べました。パリへの便はエールフランスとの共同運航便で、エコノミークラスでもシャンパンが飲め、機内食も美味しく、とても快適なフライトでした。
 パリではオペラ座の近くに泊り、翌日、日帰りバスツアーに参加しました。ロワール地方は北海道みたいな景色が広がり、巡った古城も素晴らしく、見ごたえ十分でした。



2008年5月24日(土)、25日(日)波乱のレース
セフティーカー  土曜日は、オルリー空港からニース空港へ飛び、宿泊地であるジャン・ラ・パンへ路線バスで移動しました。
 日曜日の決勝レースは、スタートが雨、その後、天候が回復したものの、クラッシュによる2度のセーフティーカー導入など、波乱のレースとなりました。特に、ガードレールに接触するのを目撃したハミルトンが結果的に優勝したのには驚きました。


2008年5月26日(月)、27日(火)JALシェルフラットシート
富士山  航空券の都合で、マルセイユ空港からの便しか予約できなかったので、列車でマルセイユへ行き、バスで空港へ移動しました。
 パリのシャルル・ド・ゴール空港のビジネスラウンジで寛いだ後、いよいよJALのシェルフラットシートへ乗込みました。
 シートピッチが広く、寝返りも打つことができ、ゆったりと過ごすことができました。また、名古屋着の便だったので、窓からアルプス越しの富士山を眺めることができました。

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ベネツィアとモナコGP(2007年)
ニース海岸  今年は、世界遺産探訪としてレースの前にベネツィアを訪ねることにしました。
 事前にインターネットでニースのホテルを安く予約できましたが、ベネツィアIN、ニースOUTの航空券は割高なので、いつものエールフランスではなく、JALでミラノへ行き、そこからベネツィア日帰り、ニースへ往復することにしました。


2007年5月24(木)、25日(金)世界遺産ベネツィアへ
ベネツィア大運河  木曜日午後1時発のJAL共同運航便のアリタリア航空でミラノへ向けて飛び立ちました。エコノミークラスにはシャンパン、赤ワインがなく、機内食もエールフランスと比較すると物足りなさを感じました。
 金曜日は、列車に乗ってベネツィアへ日帰りしました。往復きっぷを買ったつもりが、発車直前にベネツィア行きの切符が2枚あることに気づいたものの、変更する時間がないためそのまま出発しました。列車内で車掌に説明するが取り合ってもらえず、ベネツィアに着いてから駅員に言いましたが、もう到着してしまったので取り替えることはできないと冷たく言われてしまいました。
 しかし、初めて訪れたベネツィアはまさしく水の都で、晴れていたこともあり、青い空と運河に浮かぶ街並みが美しかった。

2007年5月26日(土)2年ぶりのニース
路面電車工事中  土曜日は5時間かけて列車でニースへ移動しました。ニースの大通りは路面電車の軌道を設置する工事中でした。
 海岸へ行くと、海水浴や日光浴を楽しむ人で賑わっていました。
 長時間の移動による疲れもあり、スーパーで水やビールなどを買い込んで、レース本番に備えて早寝をしました。



2007年5月27日(日)決勝レース
モナコ  早起きして、朝7時にホテルを出発、8時過ぎにはモナコ駅に到着しました。さっそくACMオフィシャルショップでTシャツを買い、道端でパンフレット、サンドイッチを買いながらLスタンドへ向かいました。
 最もピットに近い列の席を購入していたので、ピット作業だけではなく、片山右京、近藤真彦、鈴木亜久里などを間近に見ることができました。
 その夜、テレビを見ていたら、カンヌ映画祭の授賞式を生中継していました。日本人が受賞して、日本語でスピーチをしていました。


2007年5月28日(月)再びミラノへ
コモ  再び5時間をかけてミラノへ移動です。地下鉄でドゥオーモに行き、パンツェロッティという揚げパンを食べました。
 その後、イタリア随一の美しさと言われるコモ湖へ行くことにしました。列車で40分ほどで到着しましたが、強い雨と風のため、観光もほどほどにバスターミナルへ逃げ込むことに。ところが周りに壁がなく、マルペンサ空港行きのバスが来るまで1時間近く寒さに震えることになった。
 ビッグマックセットが920円にもなるユーロ高の影響で、今回の旅費は約28万円ほどかかりました。

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ニース抜きのモナコGP(2006年)
カンヌ映画祭  今年のモナコも、仕事の都合で決勝だけの観戦となりました。また、世界遺産探訪としてレース後にモン・サン・ミッシェルを訪ねました。
 レースチケットの購入とホテルの予約を事前にインターネットで済ませましたが、ニースのホテル価格が高かったので、カンヌに宿泊することにしました。





2006年5月26(金)、27日(土)鉄仮面伝説の島へ
マルグリット島  仕事が終わって慌しく成田へ向かい、夜行便にてパリを経由して土曜日の朝にニース空港に到着しました。バスでカンヌへ行きましたが、ホテルのチェックインまで時間があったので、海岸で時間をつぶしました。
 ホテルにチェックイン後、船でサンマルグリット島へ渡りました。この島は鉄仮面伝説で有名な島です。



2006年5月28日(日)決勝レース
ピットインする佐藤琢磨  決勝レースは、ピットに面したTスタンドから観戦しました。ちょうど正面がトヨタのピットでした。
 レースはアロンソの勝利に終わりましたが、シューマッハとアロンソとのガチンコ勝負を見られなかったのが残念です。また、佐藤琢磨選手は周回遅れながら、バリチェロと同等のタイムで走行していたものの、残念ながらマシントラブルでリタイヤとなりました。



2006年5月29日(月)モナリザ鑑賞
ルーヴル美術館  飛行機でパリへ飛び、ホテルにチェックインした後、ルーヴル美術館やノートルダム寺院を見学しました。
 以前に訪れたときに改修中だったノートルダム寺院は、すっかり工事が完了していました。また、12年ぶりのルーヴル美術館では、真っ先に「モナリザ」を鑑賞しました。



2006年5月30日(火)、31日(水)モン・サン・ミッシェル
モン・サン・ミッシェル  日本語バスツアーを利用し、世界遺産のモン・サン・ミッシェルへ行きました。
 往復9時間以上かかりましたが、昼食を含めた観光時間は約3時間半でした。干潟に浮かぶ修道院は、要塞そのものでした。
 今年も帰国便はマイルを利用して、ビジネスクラスにアップグレードしました。
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世界遺産とモナコGP(2005年)
TGV  今年のモナコは、仕事の都合で日曜日だけの観戦となりました。そのかわり、レース翌日に世界遺産のアヴィニョンを訪ねました。
 残念ながら、BARホンダは出場停止で、佐藤琢磨の応援をすることができませんでした。
 今年は、レースチケットはもちろん、ホテルも事前にインターネットで予約することができました。




2005年5月20(金)、21日(土)のんびり土曜日
ニースの海岸  金曜日の夜に出発、夜行便にて土曜日の朝、ニースに到着しました。海岸の散策やイタリアンレストランで時間をつぶした後、午後1時にホテルにチェックイン、テレビの生中継で予選1回目を観戦しました。ひと眠りした後、スーパーでビール、ワイン、水と果物などを買い込みました。
 宿泊したホテルは、レースウィークにもかかわらず、リーズナブルな価格でバスタブ付きの部屋でした。



2005年5月22日(日)レース
クラッシュしたマシン  予選2回目と決勝レースを、プールシケイン入り口のMスタンドから観戦しました。ちょうど正面からマシンが進入してくる位置だったので、ちょっと恐怖感を感じました。実際に前座レースでは、スピンしたマシンが目の前でクラッシュ、思わずのけぞってしまいました。
 レースはライコネンの圧勝に終わりましたが、シューマッハの速さは別格でした。トラブルが無ければ上位入賞は確実でした。



2005年5月23日(月)TGVでアヴィニョンへ
教皇宮殿  午前10時過ぎのTGVに乗り、午後2時にはアヴィニョンに到着しました。ホテルにチェックイン後、世界遺産のサン・ベネゼ橋や教皇宮殿を見学しました。
 快晴の空は、過去に記憶のないほど青く澄んでいました。アヴィニョンは、城壁に囲まれ、街並みはまるで中世にタイムスリップしたようでした。





2005年5月24日(火)パリ市内観光
アンヴァリッド  街からアヴィニョン空港までの路線バスが走っておらず、タクシーで移動しました。
 乗り継ぎの時間が10時間あったので、オルリー空港からシャルルドゴール空港へ移動する途中、ナポレオンの墓があるアンヴァリッド、凱旋門、ギャラリーラファイエットの屋上などで時間をつぶしました。
 帰国便はエールフランスのマイルを利用して、ビジネスクラスにアップグレードしました。初めてフォアグラを食べました。
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ああ、白煙のモナコGP(2004年)
改修されたピットレーン  初めての観戦から10年の時が過ぎ、モナコGPも少しずつ変化してきました。今年は、チケットをインターネットで購入しました。席の位置まで選ぶことができたので、予選はピットを正面に見ることができるホームストレート最前列、決勝はタバココーナー付近のスタンドを選択しました。しかし、コースが改修されていて、ピットがホームストレートの裏になっていたので、あてが外れてしまいました。




2004年5月20(木)、21日(金)いざ、ビジネスクラス
車検場へ向かうフェラーリ  エールフランスのマイルを利用して、ビジネスクラスにアップグレードしました。残念ながら、帰りは席が空いていなくて片道だけの贅沢となりましたが、座席の余裕や機内サービスに加えて、空港のラウンジの利用など、優雅な時間を過ごすことができました。
 金曜日の朝、ニースに到着後、バスに乗ってモナコへ行き、改修されたピットレーンなどの写真を撮った後、列車でニースへ戻り、5年連続で同じホテルに部屋を確保しました。


2004年5月22日(土)予選
ホームストレート  前述のとおり、ホームストレートから観戦しました。TVスクリーンが見えない位置なので、アナウンスと周りの反応だけがたよりでしたが、トゥルーリがポールを獲得したのはわかりました。

 





2004年5月23日(日)無念の決勝
白煙をあげる佐藤琢磨  日曜日の午前中、前座レースのフォーミュラルノーV6に出場した下田選手は、1周目に後続車に追突されて、残念ながらリタイヤでした。
 F1の決勝では、やり直し後、2度目のスタートで佐藤琢磨が4位に上がり、初表彰台への期待が膨らみ始めた矢先、目の前で白煙を噴いてリタイヤしてしまい、終盤のバトンの追い上げも素直に喜べませんでした。




2004年5月24日(月)ジェノアへ
ジェノア  午前10時の列車に乗り、午後1時過ぎにはジェノアに到着しました。観光船で港内を遊覧した後、市内をぶらぶら歩き、バスで空港へ向かい、短い旅が終わったのでした。
 旅行費用は、チケット代7万円を含み約26万円かかりました。




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祝、10回目のモナコGP(2003年)
チケットブース  早いもので今年で10回目の観戦となりました。予選は1994年に初めて観戦した時と同じカジノコーナー、決勝は一番高価なKスタンドの席を手配しました。いつもは、チケットを郵送してくるのですが、5月上旬に届いた手紙には、現地で引き換えと書かれていました。
 ちょっと不安だけど、何とかなるでしょう。




2003年5月30日(金)チケットを引き換えにモナコへ
車検場のマクラーレン  30日の朝にニース空港に到着するや否や、チケットを受け取るために、バスに乗ってモナコへ向かいました。
 チケットブースで手紙とパスポートを見せると、無事に引き換えることができ、ほっと一安心です。
 改修されたコースを歩いた後、列車でニースへと向かい、4年連続で同じホテルに部屋を確保しました。
 帰国後の時差ぼけをなるべく少なくするために、夜7時(日本時間午前2時)には寝てしまいました。

2003年5月31日(土)カジノコーナーへ
 9年ぶりにカジノコーナーから観戦しました。各ドライバーのコーナーへの突っ込み方の差がよくわかります。やはり、シューマッハの限界ぎりぎりの走りは芸術的です。
 午前中の2回目のフリー走行で赤旗がでました。スクリーンにはBARホンダのマシンが映っており心配しましたが、大きな怪我がなくて何よりでした。

2003年6月1日(日)Kスタンドでの決勝
Kスタンドからタバコ屋コーナーを望む  日曜日の午前中に、前座レースのフォーミュラルノーV6に2人の日本人が参加しました。残念ながら松浦選手はリタイヤでしたが、下田選手は見事に5位入賞でした。
 F1の決勝が始まると、マシンが通過するたびに前列の観客が立ち上がるため、しばらくコースが見えませんでした。すると、後方の観客からビンやごみが投げつけられ、5周目くらいには誰も立ち上がらなくなりました。



2003年6月2日(月)ぼんやり
ニースの海岸  飛行機が夜行便のため、午後3時過ぎまでフリータイムです。シャトーに階段で登ると、広場では小学校の体育授業で野球をやっていました。ヨーロッパでは超マイナーなスポーツである野球を、ニースで見られるとは思いませんでした。
 港側の階段を下りて、シャトーの裏側に行きました。そこから、海岸線に沿って1kmほどぶらぶら歩き、アルバート1世公園前で、正午から3時までぼんやり海を眺めていました。 ページtopへ戻る


とりあえずのモナコGP(2002年)
モナコ港  今年は、ホテルの予約なしはもちろんのこと、レースチケットも手元にないまま、とりあえず、航空券だけ持ってモナコへ出かけました。
 結果的には、全てうまくことが運び、例年どおり市街地でのグランプリを堪能することができました。
 帰りのパリでの乗り継ぎを除いては...



2002年5月24日(金)チケットを求めモナコへ
チケットブース BARーHONDA  23日の夜に成田を出発し、パリを経由して、24日の午前9時にニース空港に到着しました。いつもなら、ニース市内へ移動するのですが、今年はレースチケットを買うために、バスに乗って直接モナコへ向かいました。
 これまでの経験から、土曜日のチケットが残っていることはわかっていたので、1番高価な席を買って、決勝は丘の上で観戦しようと思っていました。ところが、チケットブースに行ってみると、決勝のスタンド席も売っていたので、もちろん購入しました。
 とりあえず来てよかった。ひと安心したところで、コース内をうろうろした後、宿泊地であるニースへと向かいました。
 ニースでは、3年連続で同じホテルに部屋を確保することができました。

5月25日(土)予選
モントーヤのインタビュー  予選は、ヨットハーバーを正面にしたKスタンドから観戦しました。
 目まぐるしくトップが入れ替わる中、最後の最後にモントーヤがポールポジションをGETしたときは、場内は大盛り上がりでした。
 午後4時にスタートしたF3000のレースは、混雑を避けるために、ゴールは見ずに残り10周のところで席を後にしました。


5月26日(日)琢磨クラッシュ
ドライバーのパレード  決勝は、プール前のOスタンドから観戦しました。
 スタート後、佐藤琢磨が徐々にポジションアップする中、いつ消えてしまうのかと不安な気持ちで見守っていました。しかし、不安は的中してしまいました。チームメイトに道を譲ろうとしてトンネルの中でクラッシュしたのです。
 なんで、そんなところで譲るのか理解できません。



5月27日(月)5年ぶりのカンヌ
カンヌ映画祭  帰国便は夜便です。ホテルをチェックアウトしてから、昼頃までニースの海岸でぼんやりした後、久しぶりにカンヌへ行きました。
 カンヌでは、プチ・トランという汽車型の車で町を巡ったあと、バスで空港へ向かいました。
 ところが、パリへの便が約50分遅れたため、パリでの乗り継ぎ時間が10分しかありませんでした。乗り継ぎ時間の最短記録の更新となりました。
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移動、移動のモナコGP(2001年)
マルセイユ港  今年は、なぜかモナコから申込用紙が送られて来ませんでした。まあ、新世紀にもなったことだし、新たにイギリスかベルギーまたはイタリアGPあたりに行こうかと思っていました。しかし、桜の花も散り始めた4月になって、どうやら7月から9月にかけては長期休暇が取れそうもないので、やっぱり今年もモナコに行くことにしました。
 行くと決めたからには、チケットを入手しなければなりません。そこで、1日休んで港区白金台にあるモナコ政府観光会議局へ行き、申し込み用紙のコピーをもらい、丸の内の東京三菱銀行で送金小切手をつくり、その足で中央郵便局から書留めで送りました。すると、ちょうど1ヶ月後の5月3日にチケットが郵送されて来ました。それから、航空券の手配をしましたが、ニース行きの便は全て満席だったので、往復ともパリ経由マルセイユ行きになってしまいました。

2001年5月24日(木)、25日(金)マルセイユからニースへ
marseille  今年は4年ぶりに昼便となりました。12時半に成田を出発して、パリにて乗り継ぎ、その日の午後9時(日本時間:翌日午前4時)にはマルセイユ駅に到着しました。とりあえず1泊して、翌日の午前中に市内観光として、港を散策したりノートルダム寺院まで徒歩で登ったりして過しました。
 午後2時発の高速バス(140フラン)に乗り、約3時間でニースに到着しました。今年もホテルの予約は一切していないので、まず駅の案内所にいくと、1泊900フランのホテルを紹介されました。少々高いので、とりあえずそれをキープしつつ、ダメもとで昨年泊ったホテルに直接行くと、1泊500フランで部屋を確保することができました。ラッキー!

5月26日(土)予選
LスタンドからKスタンドを望む トゥルーリ  モンテカルロ駅に着くと、駅前でラッキーストライクがポンチョ付きDバック兼クッションを無料で配っており、まず1個GETしました。
 毎年プログラムを買っていますが、去年より10フランも値上がりして、今年は60フランでした。
 予選はLスタンド最上段から観戦しました。振り替えるとKスタンドや大画面スクリーンが見えて2倍お得な席です。
 クルサードによる予選終了直前での逆転ポール奪取を見てから、混雑を避けてさっさとニースへ帰りました。
 日曜日はスーパー等が閉店してしまうので、水とビール等を買い込みました。そしてホテルへ戻り、ビールを飲みながらモナコF3000の生中継をテレビ観戦したのでした。
 ちなみに、スーパーではペットボトル6本で12フランですが、街中では1本10フラン、サーキットの売店では20フランにもなります。

5月27日(日)今年もクラッシュ
BARホンダのJ・ヴィルヌーブ  この日も、ラッキーストライクがクッションを配っていたので、人込みを掻き分け命懸けで2個目をGETしました。
 決勝はプール前のOスタンドから観戦しました。去年は第1コーナーでクラッシュを10回も見ましたが、今年も3周目にモントーヤがガツンという音とともに、ガードレールの餌食となりました。 その後レースは淡々と進み、フェラーリの1−2フィニッシュで幕を閉じました。


5月28日(月)、29(火)、30日(水)移動また移動
凱旋門  帰国便の接続が悪く、月曜日はマルセイユからパリへの移動です。まず、列車(152フラン)でマルセイユへ行き、バス、飛行機、再びバスに乗りパリ市内へ到着しました。
 オペラ座付近をうろうろしたら、490フランの3ツ星ホテルを見つけたので、そこに泊りました。
 最終日は、オペラ座からコンコルド広場、シャンゼリゼ通りを歩いて凱旋門まで行き、バスで空港へ向かいました。
 11時間のフライトで、慌ただしい旅が終わったのでした。 ページtopへ戻る


20世紀最後のモナコGP(2000年)
王宮からモナコ湾を望む  今世紀最後のモナコGPは、航空券の都合により、日本を水曜日の夜に出発し、ニースには木曜日の午後に着くことになりました。
 パリでの乗り継ぎが7時間ほどあり暇だったので、過去のモナコGP観戦記を書きました。ついでに2000年のあらすじまで書いてしまいましたが、実際はかなり違ったストーリーとなりました。



2000年6月1日(木)ニース到着
NICE  早朝4時20分にパリ(シャルル・ド・ゴール)空港に到着しました。毎年、まず2万円を両替するのですが、今年はフランが安く、過去最高の1,191フランでした。1998年には、たったの819フランだったこともありました。
 午後3時頃にニース市内に着き、私のストーリーでは余裕でホテルを確保できるはずでしたが、実際は、以前に宿泊したことのあるホテルを2泊だけしか確保できませんでした。

6月2日(金)紺碧の地中海
モンテカルロ駅 BAR002-HONDA  金曜日はF1の走行はないのですが、午前中にニースの海辺をブラブラした後、午後はモナコへ行くことにしました。モナコへはバスで行きましたが、窓から見える地中海は真っ青で、しばし感動していました。
 金曜日にモナコへ行くのは初めてですが、意外と穴場かも知れません。なぜなら、スタンドは開放されていて、ヨットハーバーを望む最高の席から記念写真を撮ったり、出入り自由のパドックでは本番に向けてのマシン調整やピット作業を目前で見ることができるからです。
 帰りは電車にしたのですが、モンテ・カルロ駅がトンネルの中に移設されていたので驚いてしまいました。入り口から200mほど動く歩道を行くと、巨大な地下空間の中にプラットホームが現れました。

6月3日(土)予選
車検中のマクラーレン  朝、ホテルのフロントに、追加でもう2泊したいと申し入れましたが、「満室だよ」と言われて、あっさり部屋を失ったのでした。
 しかたがないので、ニース駅のコインロッカーに大きな荷物を預け、予選を見に行きました。
 予選はラスカスの1つ手前のコーナーのTスタンド(400フラン)で観戦しました。これで、モナコのほぼ全てのスタンドから観戦したことになります。
 Tスタンドからは、仮設トイレに入るハッキネン、シューマッハを生で見ることができるなど、マニア向けの席かもしれません。
 ホテルを探さねばならないので、午後2時の予選終了とともに、すぐにニースへ戻りました。何件かホテルを回りましたが、どこも満室でだめでした。そこで、駅に引き返して旅行案内所で空き部屋を探してもらうことにしました。すると、5分もしないうちにあっさり予約することができました。それも、駅から徒歩3分くらいの場所でした。こんなことなら、初日にここに来るんだった。でも、野宿しなくてすんだので、めでたし、めでたし。

6月4日(日)魔のコーナー
クラッシュしたBARホンダ  快晴の下、決勝は第1コーナ(サン・デ・ボテ、2,000フラン)で観戦です。今日は前座レースを含めて10回もクラッシュがありました。
 メインのF1は、やり直しを含めて、フォーメーションラップを3回、スタートを2回も見ることができました。スタート直後に20台ものマシンが一斉にコーナめがけて飛び込んで来たときには、久々に鳥肌ものでした。
 レース中、次々とマシンがガードレールに突っ込み、その度にクレーンで吊り上げられていました。
 今年は日本人が出場しないので、ホンダ及び無限ホンダエンジン搭載車を応援していたのですが、終盤まで2位を走行していた無限ホンダに乗るフレンツェンが、不注意なミスで目の前のガードレールに接触してリタイヤしたときには、思わず「何やってんだよ!」と叫んでしまいました。

6月5日(月)帰国の途へ
 午前9時にチェックアウトして、海岸へ行きましたが、強風が吹いていたので、とっとと引き上げて、昼飯にスパゲッティを食べてから、バスで空港へ向かいました。
 ニースからパリへの便が遅れたため、帰りの乗り継ぎ時間がわずか30分程しかありませんでした。しかも、深夜のためパリ空港の免税店が既に閉まっていたので、お土産を買い損ねてしまいました。そのため、520フランも残ってしまいました。これは、また来年使うしかないかな。
 結局、今回の旅行費用は、レースチケット、航空券、ホテル等、全てをひっくるめて約22万円くらいでした。
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1900年代最後のモナコGP(1999年)
グリッドガール  1999年のモナコは仕事の都合上、3泊5日と最小限の日程で組まざるを得ず、さらに帰国便はニースからの便が満席で、マルセイユからパリ経由で帰国するというハードなものでした。おまけにホテルも予約できなかったので、金曜日の夜に現地で探すことになったのでした。




1999年5月14日(金)ホテル探し
 ニースに到着するのが夜9時頃なので、ホテル探しが不安でした。ところが、パリからの乗り継ぎ便が遅れたため、ニース市内に着いたのが深夜12時近くになってしまいました。ホテルの空き部屋を探して歩きましたが、なかなか見つからず、最悪の場合は野宿も考えました。しかし、午前1時を過ぎてようやくホテルを見つけることができました。但し、2泊しかないと言われましたが、後のことはその時考えることにして、とりあえず床についたのでした。

5月15日(土)、16日(日)観戦
Nスタンドから見たKスタンド ラルフ・シューマッハ  予選はプールの前のNスタンドで、決勝はピットレーン入り口前のWスタンドから観戦しました。
 Wスタンドは2回目ですが、ここはスタンドの前を行き来するドライバーを近くから見ることができるので、お勧めスタンドです。
 ところで、日曜日の朝にホテルのフロントで、もう1泊できるかどうか聞くと、あっさりOKとのことでした。よかった、よかった。

5月17日(月)寄り道
エクス・アン・プロヴァンス  早くも帰国日です。マルセイユ空港出発は夜8時なので、途中のエクス・アン・プロヴァンスという街に寄ることにしました。高速バスで移動中に、高速道路でミナルディチームのトランスポーターに追い越されました。
 エクス・アン・プロヴァンスは、セザンヌの生家があり、また、噴水の多い街で道路のど真ん中に噴水があったりします。そこで2時間ほど過した後、マルセイユ空港へバスで向かい、短い旅を終えたのでした。
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ワールドカップとモナコGP(1998年)
 1998年といえば、フランスでサッカーのワールドカップが開催された年です。
 この年もエールフランス・パリ経由便で行ったのですが、パリには宿泊せずに乗り継ぎだけの予定でした。

1998年5月21日(木)、22日(金)乗り継ぎの間にパリ市内へ
エッフェル塔  初めてエールフランスの夜行便を利用しました。夜10時に成田を出発し、翌朝4時半にパリに到着です。
 早朝、パリ空港に着きましたが、ニースへの便が12時発だったので時間を持て余してしまいました。
 ワールドカップのオフィシャルショップがシャンゼリゼ通りにあるのを、日本を出発する前にテレビで見ていたので、話しの種にバスで行くことにしました。
 朝7時に凱旋門に着いて徒歩でセーヌ川まで行くと、見覚えのある風景に遭遇しました。そこは、故ダイアナ妃が事故にあった場所でした。手を合わせつつ現場写真を撮り、シャンゼリゼ通りに戻りました。
ワールドカップオフィシャルショップ  開店時間が午前10時からだったので、それまでマクドナルドで時間をつぶしてから、オープンとともに店に入り、日本関連グッズを購入したのでした。
 11時頃までには空港に戻らねばならなかったのですが、バス乗り場までの移動に手間取ってしまい、非常にあせりました。結局、空港に戻るのが11時をかなり過ぎていましたが、ニース行きのチケットは成田でチェックインが済んでいたので、搭乗時刻ギリギリで飛行機に乗ることができました。
 ニースのホテルを事前に予約できなかったので少し不安だったのですが、96年に宿泊したホテルを訪ねると、空室があり日本で予約するよりも安く泊ることができました。

5月23日(土)シケイン
Eスタンドからトンネル出口を望む シケイン  予選はシケインで観戦です。
 シケインスタンドへは船でモナコ湾を横断して行きます。席がスタンド最上段だったので、シケインを通過するマシンはもちろん、振りかえるとトンネル出口から向かって来るマシンも見ることができ、大変ラッキーでした。
 前の席にカナダ人夫婦がいて、カタコトの英語で会話をしました。また、私が最も好きだった故ジル・ヴィルヌーブの写真も見せてくれました。そして、帰り際にカナダ国旗のピンバッジをくれたので、その時以来、私のパスケース入れには、そのバッジがついています。

5月24日(日)決勝
Lスタンド前コーナー  決勝は、プールからラスカスへ向かうコーナーのLスタンドで観戦しました。予選と同様、最上段の席でTVスクリーンも見えたのでお得でした。







5月25日(月)モナコ観光
カジノ  月曜日のニースからパリへの便が満席で、もう1日フリーとなったため、モナコへ純粋な市内観光に行きました。ガードレールのないモナコのコースを1周したり、王宮や旧市街を散策したりしました。



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3日間観戦のモナコGP(1997年)
 油断大敵チケット売り切れ。
 チケットオーダーにも慣れ、余裕をこいて1ヶ月くらい申し込みが遅くなってしまい、決勝のチケットは全て売り切れという手紙が帰ってきました。
 自由席は残っているとのことなので、申し込み用紙を書き直して再び郵送しました。決勝の金額が安く済んだ分、木曜日のフリー走行のチケットも追加で頼みました。
 97年はゴールデンウィーク直後の週末に開催されたので、5月5日に出発して13日に帰国するという、7泊9日の長期旅行となりました。

1997年5月6日(火)ベルサイユ宮殿
ベルサイユ宮殿  パリで2泊したため、1日フリーとなりました。
 これまで、パリ市内しか観光していないので、列車に乗って郊外のベルサイユ宮殿に行くことにしました。また、今回はルーヴル美術館をじっくり回ろうと思ったのですが、火曜日は休館日でした。




5月8日(木)フリー走行
ラスカスコーナー  フリー走行は、ラスカスコーナーで観戦しました。
 木曜日は座席指定ではなくブロック指定なので、最初のうちはコーナー近くでマシンやドライバーを身近に、後半は上段に座りコーナー全体を見ました。






5月9日(金)近郊を観光
エズから地中海を望む  モナコGPは他のグランプリとは異なり、金曜日にF1の走行はありません。その日はモナコ公国のパーティーが開催され、レーシングスーツをタキシードに着替えたドライバーたちが優雅な夜を過ごすのです。
 ということで、コートダジュール観光をすることにして、エズ村へ行きました。エズは、「鷲の巣村」と呼ばれる高い山の上にある小さな村で、狭く曲がりくねった坂道と階段、城壁に囲まれた要塞のような村です。
 頂上の植物園からは、快晴の青空と紺碧の地中海が見渡せ、最高の眺めでした。
 帰りのバスまで時間があったので、ふもとの国鉄エズ駅まで歩いて下山することにしました。大汗をかきながらも、約1時間かけて無事にエズ駅にたどり着きました。

5月10日(土)予選
Kスタンドからタバコ屋コーナーを望む  予選では、最も高価なKスタンドから観戦しました。
 確かにヨットハーバーを正面に見る風景は最高でしたが、マシンがスタンド寄りを走行するため、肝心の車を目前では見ることができませんでした。しかし、スタンドの裏がメインストレートなので、お尻の下から腹に伝わる振動と爆音はすごく刺激的でした。




5月11日(日)最悪の決勝
 決勝は自由席からの観戦でしたが、モナコに着いたときには既に超満員で、木の影からわずかにコースが見える場所しか残っていませんでした。おまけに、雨が降ってきて最悪のコンデションとなってしまいました。レースはシューマッハの独走優勝に終わりました。しかし、寒さの中、苦痛の2時間でした。この時、2度と自由席では観戦しないと心に誓ったのでした。

5月12日(月)カンヌ映画祭
カンヌ映画祭  帰国便が夜行便だったので、前年に続きカンヌ映画祭に行きました。



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雨のモナコGP(1996年)
マクラーレン  2度のモナコGPを経験し、4箇所のスタンドから観戦しましたが、観客席はまだまだたくさんあり、全てのスタンドから見てみたくなり、三度目のモナコへ行くことにしました。
 恒例のチケットオーダーにより、予選は第1コーナーを確保できましたが、決勝はプール前コーナー出口側スタンドになりました。
 当時のエールフランスのマイレージプログラムは格安航空券をカウントしなかったので、ニースへの経由地をアムステルダムかロンドンにしようと思ったのですが、思うような日程のチケットがとれず、結局、パリからニースへの便数が多いエールフランスになりました。

1996年5月16日(木)移動
 パリへは夕方6時頃到着し、そのままホテルにチェックインし、すぐに寝てしまいました。

5月17日(金)パリ市内観光
サクレクール寺院  朝8時にホテルをチェックアウトして、歩いてサクレクール寺院へ登りました。その後、メトロでオペラ座へ行き、94年の時と同じロワシーバスで空港へ向かい、ニースへ移動しました。
 日本で予約したホテルは、ニース市街地からかなり離れた西のはずれにありました。地中海に面していたので、景色は最高でしたが、駅から遠いのが少し難点でした。



5月18日(土)予選
 駅まで距離があるので、いつもより早く起きてバスに乗って行くことにしました。時間とバスの運賃を考えると、やはり駅から徒歩圏内のホテルでないと不便だと今更ながらに感じました。

5月19日(日)雨の日曜日
サン・デ・ボテ  96年のモナコは大波乱の年でした。
 大雨が降ったこともあり、スタート直後のクラッシュで数台がリタイヤしてしまい、エンジントラブルやスピンクラッシュ等もあり、ゴール時点で走行していたのは、わずかに3台だけでした。

 でも、日本の無限ホンダエンジン搭載車の初優勝を見ることができ、大変幸運だったと思います。

5月20日(月)カンヌ映画祭
 帰国便が火曜日発しかとれず、月曜日がフリーになりました。カンヌ映画祭と時期が重なっており、せっかくなのでカンヌに行くことにしました。
 列車に乗り30分ほどでカンヌに到着しました。駅から海岸へ向かっていくと、街中にポスターが貼られており、お祭りムード満点でした。
 カンヌの地を踏んだ記念に、とりあえず映画祭会場の赤じゅうたんの前で写真を撮りました。それから、海沿いの道を散歩しましたが、カンヌの海岸はニースの砂利とは違って砂浜でした。
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再びモナコへ(1995年)
OスタンドからKスタンドを望む  1995年1月初旬、モナコGPの主催者からエアメールが届きました。その中にはレースチケットの申込用紙が入っていました。また、封筒にコードナンバーが記載されていたので、データベースに登録されたようです。
 最初で最後のつもりで行った94年のモナコでしたが、申し込み用紙を目前にすると、モナコへの思いは抑え難く、結局チケットをオーダーしました。
 行くと決めたからには楽しまなければ損なので、前年はパリ経由だったので今回は別の国を経由して行くことにしました。学生時代にドイツ語を勉強したこともあり、フランクフルト経由に決定しました。もちろん、ルフトハンザ航空のマイレージプログラム「マイルズ&モア」に入会したのは言うまでもありません。

1995年5月24日(水)初めてのドイツ
 12時間のフライトののち、無事にフランクフルト空港に到着し、列車で市内へ向かいました。
 ホテルは駅の近くだったのですが、裏にあるビアホールか何かの店から大音響のバンド演奏の音が深夜までうるさくて、よく眠れませんでした。

5月25日(木)ライン河下り
マインツ ローレライ  今日はライン河下りです。列車でマインツまで行き、駅からライン河まで歩き、観光船に乗りました。ジェット高速船もありましたが、ゆっくりと普通の船で行くことにしました。




5月26日(金)再びニースへ
 移動日です。
 フランクフルトからニースへの飛行機では、窓からアルプスの白い山々が連なる姿を見ることができ感動しました。

5月27日(土)、28日(日)観戦
ヒル  予選は最終コーナーのピットレーン入り口で、決勝はプール前のスタンド最上段から観戦しました。
 予選では、パドックからピットへ向かうドライバーを金網ごしではなく間近に見ることができました。決勝では、ヨットハーバーを背に街全体に響き渡るマシンのエンジン音に酔いしれていました。
 そして、レース終了後には再び自分の足でコースを1周したのでした。



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あこがれのモナコGP一人旅(1994年)
MONACO GP
 私は、1976年に日本で初めて開催されたF1GPのテレビ中継を見て以来、そのスピードと迫力に魅了され続けているモータースポーツファンの1人です。世界各地を転戦するF1GPの中でも、最も華麗で伝統があるモナコという聖地を訪れることが、私にとっての長年の夢でした。

カジノコーナー  ところで、今でこそ日本におけるF1GPの認知度はかなりのものですが、1977年を最後に日本GPが開催されなくなってから、1987年にフジTVがF1全戦中継を開始するまでの間、F1に関する情報は皆無に等しく、英字新聞かレース専門誌でしか入手できない時代でした。その後のホンダ及びセナによるF1ブームの到来とともに催行されるようになった観戦ツアーは大変に高額であり、モナコGP観戦は夢のままになっていました。


DREAMS COME TRUE
 しかし、1990年代に入り格安航空券がかなり出回り始め、20万円未満でヨーロッパ往復ができる時代になりました。1994年元旦、20歳代最後の年の記念に、個人旅行によるモナコGP観戦を実行することに決めました。
 まず、モナコGPのチケットを入手するためにはどの席がいくらかを知らねばなりません。
 そこで、モナコGPを主催するACM(AUTOMOBILE CLUB DE MONACO)にチケットインフォメーションを送付してもらう旨の手紙を出したところ、約3週間ほどでチケットオーダー用紙が送られてきました。その用紙に希望券種と枚数等を記入し、外国為替を扱っている銀行で作ったフランスフランの送金小切手とともに書留で送ると、約1ヶ月後に待望のモナコGPの指定席券を手にすることができました。
 次にホテルと航空券の手配です。
 宿泊はモナコから列車で30分程のニースに、航空券は日本からの直行便がないので当初はロンドン経由で考え、今は倒産して存在しない某旅行会社に手配を依頼しました。ところが、出発の3週間前になっても両方とも予約が取れず困ってしまいまいた。しかし、職場の同僚から紹介してもらった旅行代理店でニースのホテルを予約することができました。また、航空券もパリ経由AF便に変更することで何とか手配することができました。
 あとは、モナコでのセナの走りを見るのを楽しみにしていたのですが。
 残念ながら、セナが走行するのを生で見るのは、この年の4月に開催された岡山県でのパシフィックGPが最後となってしまいました。

1994年5月12日(木)、13日(金)初ヨーロッパ
 さて、ボンジュールとメルシーだけのフランス語とカタコトの英語しか話せないものの、パリで1泊した翌日、何とかニースのホテルまでたどり着きました。

5月14日(土)ついにモナコの地を踏む
 ニースから列車で移動し、モナコ駅を降り、坂道を下ってヨットハーバーを目にしたときは感動しました。
 初めて訪れたモナコGPは最高でした。予選はカジノ前の仮設スタンド2列目から観戦しましたが、鈴鹿などの常設サーキットと異なり、市街地の特設コースなので、エンジンの排気音が建物に反響し、すばらしい音を体感することができました。

5月15日(日)決勝レース
最終コーナー  決勝は最終コーナーの最前列から観戦しました。最終コーナーではパドックからピットへ歩いていくF1ドライバーを間近に見ることができ、レースでは目の前2mを走り去るF1マシンの迫力に圧倒されました。







ウィリアムズ レース後  決勝レース後には自分の足でコースを1周してモナコの思い出を胸に刻み込んだのでした。










5月16日(月)、17日(火)パリ市内観光
凱旋門  GPの翌日、パリの空港で荷物をピックアップするためにターンテーブル前で待っていると、鈴木保奈美さんを見かけたので同便だったようです。
 手荷物以外を空港に預けて、その日の午後から出発までパリ市内観光をしました。
 まず、空港から凱旋門までバスで行き、ルイ・ヴィトン本店でバッグを買い、シャンゼリゼを歩いてルーヴル美術館へ行きモナリザを鑑賞して1泊。翌朝ノートルダム寺院からセーヌ川を船で下り、エッフェル塔に登り、メトロでオペラ座へ行き、そこからバスで空港へ戻るというハードなものでした。
 というわけで、初めてのモナコGP観戦の総費用は約28万円でした。

AND THEN
 最初で最後のつもりが毎年恒例の行事となり、なんと23回連続で観戦しています。いつかは日本人ドライバーの表彰台を見たいものです。
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