Live History #02 1978
BLOOM
【コラム】 演奏時期の考察


 ライナーでも述べてきたが、この演奏が公式盤の発表前なのか後なのかという疑問が残っている(さすがのオールドファンの諸兄も正確なエアチェックの日付を記憶(記載)している者は、残念ながらいなかった)。


 このライブ演奏の第一印象は、公式盤発表前の演奏であろうというものだった。 一般的に、ゴダイゴにおける他のライブ演奏を考えると、公式盤の発表以前という例が多い。 ライブで未発表曲を演奏し、徐々にアレンジを整えていって、公式盤にてPublishされるというパターンである。

 公式盤発表の前とする理由として;

1 .全体の曲のアレンジが公式盤の方が完成度が高い。

このライブ演奏のアレンジを未完性とみるか、Re-Arrangeと取るかは意見が割れるところではあるが、前とした場合、このセッションの後にレコーディングに入って、アレンジを変えながら公式盤を完成させたと推測される(理由「前@とする)

2.タケやトミーの歌い方が公式盤と違っている。

映画『Magic Capsule』をご覧になった方なら記憶にあると思うが、タケが歌い方を、プロデューサーのジョニー野村氏に直されているシーンがある。 英語の歌い回しは、レコーディングまでに徐々に修正されていく。 そして、公式盤発表後は、あまり歌い方を変えないものである。(「前A」

 逆に、いや、これはやはり公式盤製作後の演奏であると思われる論拠も、充分存在する;

1. アレンジが違うところも、アルバムアレンジを元に変えていった感じがする。 

コードも基本的にアルバムと違わない(「後@」)。

2. 歌詞がアルバムと違わない。

これは上記「前A」の例の逆の捉え方であ  る。歌い方を直すと同時に、歌詞の変更もしばしば行なわれていた。 「Magic Capsule」の歌詞もかなり修正されたことが映画を見ていると判る。 また、タケカワのソロアルバム『Lyena』の楽譜集「ミュージックエッセイ/レナ」にても「Final Show」のレコーディング風景が紹介されているが、大胆な歌詞の変更を奈良橋陽子に要請する、ジョニー野村氏の様子が描かれている(「後A」)。

 以上がそれぞれ「前」か「後」かの理由である。

 アレンジに関しては「前@」も「後@」もあくまで主観的意見である。

 「前@」を推す理由として、特にこのライブでの浅野氏のギターアレンジの未完成が挙げられる。 「The Last Hour」のサビの部分のバッキングなど、レコーディングの後にあえて完成フレーズをカットするとは思いにくい。

 一方「後@」も、「Stop & Look Around」の遊び心たっぶりな演奏を聴かされると、確かに、元の曲があってはじめて、あそこまで派手に手を加えることができたのではと、考えられなくもない。

 「前A」は、この後の79年のライヴ演奏を聴くと判るが、「Holy & Bright」の歌い回しが、ライブ盤と公式盤とでは、明らかに違う。 公式盤発表後は、2度とそのライブバージョンの歌い方は見られない。 その、ちょっと寸詰まりな歌い回しが、実にこのライヴ演奏の「Stop & Look Around」に酷似しているのである。

 一方で「後A」を打ち消す理由として「DEAD END」の歌詞が異なるか、と思われた箇所があったが、残念ながら、そこはタケの間違いだったようで、どの曲も、歌詞は公式盤と同じである。

 以上、どの理由も、もっともらしくもあるが、相手の意見をねじ伏せるだけのパワーに欠ける。


 ところで、昨今、便利な世の中になったもので、リーダーのミッキー吉野氏の公式ホームページに出かけていって、質問すれば、もしかすると正解が得られるかもしれない。 あるいは、図書館に出向いて1977年当時の新聞のラジオ欄を片っ端から調べていって、この放送日を確定して、そこから推測することもできる(但し、収録日と放送日が大きく異なる場合がある。 放送日が「前」の場合のみ有効か?)。

 いずれにせよ、特定できる手段は、なきにしもあらずではあるが、ファンとして、あーだこーだと言い合うのも、これまた、一つの楽しみなので、考察を続けたいと思う。


 次なるアプローチとして、様々な文献を当ってみて、当時のライブのSet Listなどから、時期を特定できなかとも考えた。

 当時、ゴダイゴは1977年の7月〜9月に全国7ヶ所の初の単独ツアーを行なっている。 このときには『ゴダイゴ号の冒険』を演っているようである。 そして1977年11月に『DEAD END』が発売。 同年12月に新潟でだけスペシャルイベントとして、ライブを行なっている。 が、このイベントは、上記77年夏のツアーと同じタイトルがついてる(同じSet Listだったと推測)。 ミラージュボウルが同年12月に開催。 その後、コンサートはなく、1978年3月、久しぶりの単独コンサートが九段会館(ここ1箇所のみ)。 このときのセットリストが以下のとおりである。


   TAKE IT EASY

    WARNING

  UNDER UNDER GROUND

    WATER MARGIN

 ○ SPRINTER

    WHAT DID YOU DO FOR TOMORROW
    
SYMFONICA

  
MORNING

 ○ THE MORNING AFTER

    SOMEWHERE ALONG THE WAY

THE LAST HOUR

    PANIC

 ○ IN THE CITY

    CRIME

 ○ A FACE IN THE CROWD

STOP & LOOK AROUN

DEAD END

    MIKUNI

    TAKE IT EASY


 (FC会報No.10より)

 今回このライブで演奏された曲は、ほとんどこの時に演奏されている。(○印)

 後は、イベントやロックフェスなどに出演。 中野公会堂で5月に1回コンサート。 このセットリストは未確認であるが、7月からチャ−とのツアーが始まる。 この中では、『DEAD END』から「Dead End」と「Under Underground」「A Face in the Crowd」の3曲を演っている(CM SONGからはなし)。

 1977年が『ゴダイゴ号の冒険』、1978年前半が『DEAD END』と『CM SONG』の混成。 後半は『DEAD END』のみ。  それから考えると、今回のライヴ演奏は、1978年3月の九段会館前後なのではないかと推察される。 ちなみに九段会館のライブは、後に彼らが語っているように “ゴダイゴとして、ひとつの形ができた”“ ”これでやっていける自信がついた“ という非常に内容のある有意義なコンサートであったようだ(ラジオ番組『アブラカダブラ』)。 メンバーのコンディションとしても最高に近い状態だったと考えられる。

 いずれにせよ1978年に入ってからの演奏ということになれば、このライブは、公式盤発表の後ということになる。

 ただし、九段会館のセットリストを見ると「MIKUNI」が演奏されている。 ライブで演奏されているのであれば、このスタジでも演奏されてもおかしくない。 各曲ライナーの「Face in the Crowd」の箇所で述べたように、当時、シンセサイザが発展途上にあり「MIKUNI」のイントロのメロトロンに替わる楽器が用意できなかったが故の「MIKUNI」の選曲落ちという推測を行なった。 が、ライブで演奏するのであれば、そのアレンジで、この番組内でも披露されても良さそうなもの。
 勿論これは「MIKUNI」が当時のゴダイゴのバラード曲として最右翼にあるという前提に立っての話であり、バラードなら「The Last Hour」をやっているので十分だ、と見る向きからすれば、「MIKUNI」が演奏されなかった理由もみつかる。 また番組の限られた時間の中でこの2曲を演奏するのは、バランス的にも無理があったであろう。


 一方77年12月の新潟でのスペシャルイベントも、夏のコンサートと同じタイトルだからといって、Set Listも同じであったと決めつけるのも早計ではある。 この12月に、このスタジオライブに近い内容(つまり、『DEAD END』『CM SONG』の混成)でライブが行なわれていたとしたら、『DEAD END』発売の前後に、このスタジオライブ演奏が行なわれていたという可能性も捨てきれない。

 文献からの拾い上げても、なかなか決定的な確証は得られないようだ。


 また、こんな推測も成り立つ。

 この音源を聴いたときに、アルバムのライナーにあった、あの写真が思い浮かんだ。 ということは、あの写真こそは、このライブの時に撮られたものではなかったのか。 あの写真は、けっしてレコーディングの際のものではない。スタジオライヴ、あるいはそのリハーサル風景と考えるのが普通。 そうなると、このスタジオライブは、公式盤の発売前ということになる。

 ただし、音が完成し、レコーディングなどアルバム製作から、実際の発売まで最低1か月はある。その間という可能性もある。 たとえ発売前であっても、アレンジは、オリジナルの完成後ということにもなる。 また、単純に、あの写真はライナー用に撮影しただけと言われれば、それまでである。 (※文末【弟の独り言】ご参照ください)

 どの時期に演奏されたにせよ、確固たる証拠に欠ける。

 やはり、最初に戻って、アレンジや歌い方から判断すべきなのだろうか?

 音楽を自ら演奏したり作ったりする者にとっては、あのアレンジの凝り具合は、どうもオリジナルありきと感じるものらしい。

 しかし、反例を挙げれば、このライブヒストリーで年代を追って演奏される「Gandhara」「Monkey Magic」は、公式盤の発表まで何パターンものアレンジが在ることが判る。 また『FLOWER』発売前のスタジオライブでは、見事なまでに公式盤と異なる演奏を披露している。 公式盤にたどり着く前に様々なアレンジが存在する曲の例は枚挙にいとまがない。

 勿論、逆に、公式盤発表後にアレンジが変わった曲として「Steppin into Your World」などが、挙げられるが、それは、ライブの常連曲に見られるケ−スが多い。

 歌い方から論じれば、これまでたくさんのゴダイゴの音源を聴いてきた立場からすると、公式盤のレコーディング後に、タケが歌い回しを変えたというは、どうも納得し難いものがある(タケはそれほど器用じゃない、という失礼な印象も、ないわけではないので)。 歌い方というより「音への歌詞の乗せ方」の違いと言おうか。

 ただ、歌い回しが変わったしまった理由に、『DEAD END』の場合、録音まで、あまり歌ってないのでは?と言う考え方もある。 それほど公式盤のボーカルはストレートな、あるいは、よそよそしい感じがする。 「A Face in the Crowd」の歌い方などは、明かにライブの方が歌い込んだというか、しっかり気持ちが入っているという気がする。 発売後に、タケの歌い方がこれほど変化するとしたら、レコーディング前に、それほど歌い込んでいなかったということもあり得るかもしれない。

 なにしろ『DEAD END』製作時を回顧して

「作っている時、僕は全くわかんなかった。何を言ってんのかもわかんないし、何か暗いなーっていう感じだけで」

 とタケ自身が語っていたりするのだから。

 だとすると、この演奏での、情感のこもった歌い方は、かなり歌い込んだからと考えられる。 つまり、レコーディング後に、歌い方の“改善”があったのではなかろうか。


 いずれにせよ、結論は出ないままである。 こういう状況を何と言ったか・・・

 そう、『DEAD END』だ(笑)


 やはり、最後は、直感しかないかもしれない? 自分の思うままに。

 Its all in your decision!




(2001 Apr.)






 その後、さまざまな資料をあたった結果、このライブ演奏は、公式アルバム発表後、少なくとも、そのアレンジが完成した後のものと、判断するに至っている。 

 また、FC会報32号で、アルバム『DEAD END』についてミッキー吉野は、以下のようにコメントしている;

「未完成なゴダイゴだけど、好きですね。 ”孤独な面影”や”血塗られた街”なんかアレンジがもうひとつだけれど・・・一番好きだね。」

 この証言は、アルバム完成後に、それぞれの楽曲に手を加えアレンジを改良したものがこのライブ演奏だということの証左となりはしないだろうか? 

 FC会報33号では、浅野氏が
「曲として大作にできるものを3分なり4分なりにまとめなきゃならなかったりでね。 LPのサイズというのはきまっているでしょう? フェィス・イン・ザ・クラウドとか曲としてはのばせるわけでもったいないな。」
 と述べている。

 アルバムに対して、かなり過剰なまでのこのライブ・アレンジは、こういったメンバーの思いを実現したものではなかっただろうか。

 尚、このライブアレンジは、現在、ゴダイゴのコピーバンドBUDDYのステージで再現されている。 ご興味の諸兄諸姉は、一度彼らのライブ会場に足を運ばれ、このアレンジを楽しまれるのも一興かと思われる。


(2002.Feb)


◆【弟の独り言】
 「 『DEAD END』のライナーの写真は1977年7月23日の六本木・俳優座でのライヴ「10 Days Rock Carnival」のものです」 (Feb.23 2002)

  



参考資料 ■ビデオ『マジックカプセル/ゴダイゴ』@日本コロムビア
       ■『ミュージックエッセイ/レナ』@リットーミュージック
       ■FC会報10号
       ■ラジオ『アブラカダブラ』(日本放送)
       ■『GODIEGO BOX』ライナーノーツ @日本コロムビア
       ■FC会報32号
       ■FC会報33号





Back to INDEX
Back to Einstein's Dilemma