Live History #04 1979
MAGIC I

【コラム】 ライブとライブ盤


 
 公式盤『Magic Capsule』との違いは、このライブ音源と比較して初めて語れることであるが、レコード制作に対するゴダイゴの姿勢、アプローチが垣間見れて非常に興味深いテーマである。

 みなさんは、ゴダイゴのライブ盤『Magic Capsule』を初めて聴いた時、どんな感想を持っただろうか。 ミッキーが弾くであろうピアノとオルガンが同時に聞こえて違和感を感じたというマニアックなファンは少ないとしても、まだダブルトラックなんて言葉も知らなかったあの頃、「このタケカワさんとそっくりの声でハモっている人は、一体誰だろう?」 「この重厚なコーラスワークは、ステージにバンドとは別のコーラス隊がいるに違いない」などと思っていたという話を後年になって耳にする。

 少し耳かじりの知識でマルチトラック、ミキシングなどを知ってからは、ライブ盤といえどもかなり手を加えることが可能なんだなと思いながら聴いていたものである。

 そして、当時、ライブになかなか足を運ぶことが叶わなかったローティーンだったファンとしては、ゴダイゴのライブアルバムは、ややもするとライブらしさが、あまり伝わってこないものだった。 実際のライブにあまりにも手を加えてしまっては、ライブ盤としての魅力、ライブの持つ、まさに“生きた”パワーが損なわれているのではと思ったファンもいたに違いない。
 ライブ音源に手を加えるという手法は70年代後半からの傾向だが、それにしてもライブアルバムとしてここまで作りこんだ作品は珍しいとも言える。

 が、しかし、ゴダイゴほど大幅な修整は珍しいとしても、演奏ミスの補整などは、どのミュージシャンの場合でも通常行われていることではある。 おそらく賛否両論のテーマであるが、古今東西他のアーティストのライブ盤とも聞き較べながら、考察してみたいと思う。

 「ライブ盤の歴史を変えたアルバムは?」とロック好きの人間に訊いたならばディープ パープルの『Live in Japan(日本以外でのタイトルは『Made in Japan』)』(1972)を挙げる人が多いと言われる。 やはり、ロックはライブであり、演奏の迫力という観点ではスタジオ盤以上にすごいのである。 8トラックのシンプルなユニットで録音され、基本的にオーバーダブも行わなかったにもかかわらず、スタジオ盤以上に、バンド全盛期の勢いを生々しく伝える名盤である(日本武道館の最悪な音響状況にもかかわらず、録音状態の圧倒的な音質の良さも評価されたが、演奏状態が特筆に値する内容であり、歴史の賜物と呼べるものでる)。 そして、それが売れるとビジネスサイドでも判断されたからだろう(この『Live in Japan』も当初は日本国内でだけリリースする予定だったのが、盤の仕上がりがよかったので、急遽、ワールドワイドの発売が決まっている)、それ以降、ロック音楽界はライブ盤全盛期を迎える。

 そしてライブ音源の加工・修整については、年を追うごとにその度合いが強まる傾向にあった。 つまり、70年代のライブ録音アルバムの多くは無修整の傾向が強く、逆に80年以降の作品はオーバーダブして多くの加工、修整を行うことが通常化してくる。 おそらく半数ちかくがライブの実況録音というより、ひとつの作品と定義して制作されたのでは推測する。

 年代を追って例を挙げると、イエスの1972年ツアーのベストテイクを集めたライブ盤『Yessongs』(1972)は音をいじっていない。 その後、70年代半ば、レッド・ツェッペリン『The Song Remains The Same』(1976)や、エアロスミスの『Live Bootleg』(1978)など音を加工したアルバムが多くなり、それこそ枚挙に暇なくなってくる。 クイーンの『Live Killers』(1979)も、作り込みすぎたライブ盤として、当時も今もファンの間では賛否両論だったりする(ロジャー・テイラーも批判的なコメントを残している)。
日本では、高中正義(ギタリスト)の1982年にリリースされた『Ocean Breeze』というアルバムは、メインであるギターを全部さしかえたと言われている。 かなり極端な例であるが。

 そうした時代背景にあって、1979年に出されたゴダイゴ初のライブアルバム『Magic Capsule』は、当然のことながら(?)、元のライブ音源にかなり手が加えられている。 公式ライブ盤『Magic Capsule』は、言ってみればライブっぽさをたっぷりと残したスタジオ盤と言えるかもしれない。 マルチ(MTR)を会場に持ち込んでスタジオ録音とほぼ同じマイクセッティングで、せーの!で一発録音したものを素材に、部分的に後から差し替えたり、足したり引いたりしている音作りである。

 そして、この「MAGIC I」のライブ音源と比較して聴くことで、おそらくゴダイゴは、ライブ盤といえども、ひとつの作品として定義し、より完成度の高いものにしようと努力していたことがはっきりと伺える。 特に、アルバム収録バージョンと大幅に異なる「Suite: Genesis」において顕著であり、ミッキーが“もっとも理想型に近いもと”と言うのも頷ける。 オリジナルを、ここまで派手に変えてしまったのかと驚かされる「Suite: Genesis」を聴くにつけ、この年FNS音楽祭編曲賞を受賞したミッキー吉野の才能とセンスがくまなく発揮されているアルバムと言っていいだろう。 4月の群馬では、まだ、そのライブならではの計算しつくされた楽曲のアレンジを表現しきれていなかったため、公式盤のほうで更にリアレンジが加えられた。 10月に放送されたスタジオライブでは、公式盤とほぼ同様のアレンジを無修整のまま楽しむことができる。 それは「MAGIC II」で取り上げる。

 さらに公式盤『Magic Capsule』には、複数のライブ会場(4月の群馬県民会館、7月の大宮市民会館、8月の東京晴海貿易センター)から音源を採択するなど、あの多忙な1979年のことを思うと、より良い演奏とあの年のゴダイゴのライブの全容を届けようとする、その徹底ぶりは賞賛に値する。
 複数のライブからの取捨選択については、果たして是か非かという問題提起はある。 事実、『Magic Capsule』のDisc1B面に収められた「Suite: Genesis」は、4月の群馬でのコンサートのオープニングを飾る曲だった訳で、ライブの起承転結を考えたとき(おそらく、どのアーティストも個々のライブでは、序破急などライブの流れを意識したSet Listを構築していたはずである)、その位置を入れ替えてもいいものか、オープニングの曲をそに入れて良いのか?という疑問も残らないわけではない。


 他のアーティストで見てみると、曲順を実際のライブと大幅に変えているもの、複数公演から採択しているライブ 盤は、上述のエアロスミスの「Live Bootleg」(1978)や、ヴァネッサ・パラディ 「Live」(1994)、ローリング・ストーンズの「Flashpoint」(1991)および「No Security」(1998)など、枚挙にいとまがない。 ストーンズは、「No Security」をリリースするにあたって、「単なる実況録音盤にしたくない」という姿勢を打ち出してもいる(キース・リチャーズの発言より)。 ついでに言うと、「Flashpoint」は、ボーカルやギターのオーバーダブもしているという話である。

 ゴダイゴが、この公式盤『Magic Capsule』のSet Listを決定したことに対する明確な意図は、残念ながらFC会報や、当時の資料などを見ても残されていない。 メンバーが存命のうちに、なんらかの証言が得られればと思うのだが・ ・ ・。

 ライブそのままの音源、これ絶対という方にお薦めなのはパール・ジャム。 ツ アーの全日程ぶん、公演の数だけライブ盤をリリースするという思い切った手段に出 ている。 これはブートレッグ対策、というか、「業者に出されるくらいなら自分たちでイイ音のブートを出しちゃおう」という姿勢らしいが、完全無修整、無編集がウリで、現段階(2002年)で、2ツアー分の正規ライブ盤が市場に出ている。 その数実に70枚余。各公演で内容が違う上、未発表曲も含まれているので、ファン は買わずにいられない地獄のマスト・アイテムである。

 ゴダイゴも、噂に聞く名ライブが数々存在する。 もし音源が残っているのであれば、公式ブートレッグとして出してくれないかと思うのは、ファンとしては恐ろしくも、ワクワクさせられる企画ではある。
 ちなみに、上述のディープ パープルの『Live in Japan』は、大阪フェスティバルホールと武道館、3日間のライブからベストテイクをピックアップして2枚組にまとめた“編集ライブ”だが、1996年に、各日のライブを1枚ずつにまとめた3枚組としてリリースされている。 『Magic Capsule』も、そういう完全版再リリースがあったらいいのだがと思わずにはいられない(特に停電騒ぎのあった8月24日の晴海貿易センターのライブなど是非聞いてみたいものである)。

 音作りの点では以上のような理由があるとしても、些末な意見ではあるが、公式ライブ盤のMCの少なさが不満だったという声もある。 時折TVで放送される、ライブの映像では、極めて印象的なMCがあったり、また会報などを見ていても、メンバー同士の楽しいやり取りがあったと記されている。 公式ライブ盤ではそのあたりが極めて手薄では、ある。  しかし、これは意見の分かれるところであり、MCを入れるくらいなら、1曲でも多くOuttakesから採択してほしいという思いも根強いわけで、その点では、こうした放送音源など、MCが多く収録されているものが残されていることを感謝するに留めるとしよう。 そのほうが、このライブ音源のありがた味が増すと言うものである。

 あと着目点は、歓声の音量をコントロールしている点だ(「Cherries were Made for Eating」の途中の黄色い声が入る部分など)。 これは、この時代(70年代)のトレンドで、他の同時期のアルバムでも歓声の音量をコントロールしているアルバムは多い。 これもコンサートの雰囲気を作り出すためのアイディアで、当時の業界では一般的だった。

 とにかく、ゴダイゴのレコーディングに対する徹底ぶりは、やはり賞賛に値する。 ライブのドライブ感、ライブならではのアレンジなど、コンサート会場の空気感をたっぷりと残しつつ、演奏やミックスの荒れを、リミックス、再録することで最小限に抑えて、最高のコンディションの演奏記録を残せたのであるから。

 当時のゴダイゴは、特にスタジオワークに注力していたことが数々の文献でとりあげられているが、ライブ会場で、せっかくマルチで録音したのだから、部分的に直し、より良いものを作ろうという意見が、おそらく出たのではないかと推測する。
 ある時は、スティーブが「この音、演奏は納得できん!!」と言い、またある時は、ミッキーが「ホーンアレンジが未完成だ」と言い、浅野氏は「演奏の粗さが気になる!」と言い(もちろん推測です)、そして、あの多忙な1979年のスケジュールを縫って、長時間におよぶ地道なスタジオワークに挑んだ精神力に、ただただ感服するのみである。

 また、1979年の過密スケジュールの中で、この作業の重要性について、多くの人の理解とコンセンサスを得、そして作業時間の調整を行ったジョニー野村のマネージメント能力も公式ライブ盤『Magic Capsule』を“光り輝く作品”に仕上げた大きな要因であったろうと思う。



参考資料 ■ゴダイゴBOXライナーノーツ(日本コロムビア)


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