Live History #06 1979-80
CROSSROADS

【コラム】 G's WEPON

 2003年10月。 コルグ40周年記念楽器フェアが横浜の赤レンガ倉庫で行われた。 その記念ライブで、ミッキー吉野がプロデュースする”Godiego Art Ensemble”に、浅野孝巳、スティーブ・フォックスが加わっての演奏を聞くことができた。 ライブのMCでミッキー吉野は、当時使用していた楽器はローランドが多かったが、チューナーはコルグを使用していた、と笑いを誘っていた。

 ここで若干ながら大ブレイク当時の彼らの使用楽器について書いておく。


 70年代当時としては異質の多国籍バンドのゴダイゴではあったが、使用楽器は主に国産で固めていたというのは意外な気がする。 もっとも、ミッキー吉野がローランド、浅野氏とスティーブがローランドとグレコ、トミーがTAMAのモニターをしていたという、いかにも製作集団バンドであったという理由もあってのこと。 全てミッキー吉野のツテで来た話だそうだが、モニターを引き受けながら、楽器開発や、さまざまな事をメーカーの人間と意見交換しあっていたということが、スティーブの著書「Who am I?」や当時多くの雑誌記事で取り上げられていた。


■GUITAR(浅野氏)
 氏のギターフリークは当時からも有名。 中には自ら改造、調整したものも多く、スタジオ、ステージで使い分けていたと言われる。
 ステージで映えるのはやはりグレコのGOIII(3Pickup、6段切り替え) 白とナチュラルを保有していた。 また特注ギター、白いグレコのBW-600もあった。 武道館ライブでは、GOIIIが2本(ボディ中央の茶色のストライプが2本のものと、3本のもの)、GOII1000が1本確認できる。
 スタジオ、ライヴの両方で活躍していたのはフェンダーのストラトとグレコ・ファイアバード(12弦)だ。 どちらもトレモロ・アームが付いていたのが何より浅野ギターの特徴だったと言える。
 アンプは、 ローランドGA120R&P(グラフィックイコライザー内臓)を使用。 音色を変化させることができる。 他にはベッサー・アンプ。 ここでも国産愛用ぶりが伺える。
 エフェクタは、アナログ・コーラス・エコー(DC-30)とMXRのディストーションを接続して使用。 曲によってDC-30をもう1台使ってフットスイッチで切り替える。


■GUITAR(スティーブ)
 テレビ出演の際によく目にしたのはグレコ GOBII750(24フレット、Wポールピースのシングル・コイル)。 特注である。 メロディアスで重量感あるサウンドを聞かせてくれる。
 ステージではフェンダーのジャズベースや、MUSIC MANのスティングレイを使用。  スティングレイについては、「ベースマガジン」2000年2月号で

「バンド脱退時にメーカーに返却しなくてはならなくなり、ともて残念だった」

 と語っている。 『Magic Capsule』のジャケット見開き画像群の一番左下の写真がそれであろう。この武道館ライブではプレベ(プレシジョンベース)の使用が確認できる(フェンダーかグレコかは不明)。 
 アンプはローランド、STAGE BASS-200(SB-200)。 ハイパワーのベース用R&Pスピーカーが2個内臓されている。 エフェクタ―類は全く使っていない。
 またスティーブはペースの教則本(&カセット)も出している。


■KEYBOARD
 シンセはすべてローランド製。 SH-5、SH-7、Jupiter-4(4音ポリフォニックのシンセサイザー)。 ローランドが世界を相手に開発したポリフォニック(和音も出せる)シンセを、商品化される前からレコーディングに使用(パラフォニック505)していたことは有名な話。 他にボコーダーVP-330も忘れてはならないだろう。 プロマースも使用していた。
 オルガンはステージではWLM(ウルム)・HIT。  オルガンといえばハモンド社のものが有名だが、独特のWLMサウンドを好んで日本で発売される前から使っていた。 これにレスリースピーカーを接続して使用。 独特の音色を生み出していた。 レコーディングではハモンドのB-3とWLM・HITを使い分けていたようだ。
 エレピはヤハマ CP70。 ステージでPAとの兼ね合いでアコースティック・ピアノの代わりとして起用していた。 他にはローズのスーツケース・ピアノなど。
 アンプはローランドの JC-160、JC-200。  本来ギター用のものをJupiter4に使用していた。


■DRUMS
 TAMA 22インチバスドラ、6インチ半のスネア、10インチのコンサートタム(=シングルヘッドタム)。 タムタムが12,13,14インチ。 これに16インチのフロアタム。
 それ以外に、1979年当時忘れてならないのがチャイナ・ゴング(銅鑼)であろうか。 もっともこれはタケが叩くことが多かったかもしれない。 この武道館ライヴの演奏で聞くことのできるシンセドラムも一時期使用していた。 他にはゴングバスもトミーの右側にセットされているのが見られる。 またどこで使用していたのかは不明だが、オクタバンも確認できる(TAMAのモニターをしていただけに使わないまでも置いていた?)。


 また、これらの楽器から発せられた音を確実に観客に届けるためのPAシステムについても、ゴダイゴは常に最良の音質を求め、最新のシステムを導入していた。
 「キーボードマガジン」'79年11月号別冊では、同年7月17日の川口市市民会館で日本初公開というKlipsch社(米国)のスピーカーシステムを導入したことが記されている。 かなり反響があった、と当時の総合舞台の音響部長は語っている。
 翌80年にも、同じくKlipsch社の同新システムを、これまた日本で初めて使用したことが「Player」誌10月号で報じられている。 7月末のポートピア開催前の野外ライブでのことだ。 TV放映もされたものだったので、ステージの両サイドにウズ高く積み上げられた巨大なスピーカーシステムに見覚えある方も多いと思う。

 一般家庭の音響機器も充実度を増してきた80年頃。 コンサートの質も、ただ大勢が集まり大騒ぎするだけのものから、音を聴く、楽しむものに変貌しはじめ、耳の肥えたリスナーの要求に応えるべく技術もその進歩を余儀なくされていた。 総合舞台の社長西尾栄男は語る;

 「何かきっかけがないと進まないわけで、そういう素材になるグループがなければ技術も伸びないんですよね。 そういう意味でゴダイゴがそういうことをやっていくことで、一般のレベルが上がっていくわけです。」

 ゴダイゴをはじめとする先人たちの、こうした営々たる試行錯誤の上に、80年以降の僕らの時代の音楽のProgress & Harmonyは築かれているのである。



参考文献:



■1979年11月「キーボードマガジン」別冊 GODIEGO DATA CAPSULE4
■1980年10月「Player」 P.A.SYSTEM IN PORTPIA

■2000年2月「ベースマガジン」 THE AXES
■FC会報 No.17 スタッフ紹介 総合舞台編



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