Live History #07 1980
DISCOVERY

● 旅情あふれるセットリスト

 1980年春。 昨年の大ブレイクの勢いはまだ衰えてはいない。 バンドとして次のテーマを見つけることもさることながら、この年の3月をもってスティーブが脱退したことから、次のメンバーやバンドとしての新たなバランスを見いだすことが必要な一年であった。 ミッキー吉野はこの年、リーダーとしてふたつメッセージテーマを掲げた。 ひとつが、21世紀に向けて自分達に出来ることの確認、もうひとつが常に新しい体験と再発見の旅をしよう、ということ(「SEA SIDEエッセイ vol.3」より)。
 「アブラカダブラ」(第14回放送)で奈良橋陽子も1980年のプランの一つとしてシルクロードの旅を発表し、先人たちの旅路の“Retrace”と”Rediscovery“をキーワードとして挙げていた。 その放送収録時にスティーブの脱退が明らかだったかどうかは不明だが、1980年のテーマを“再発見”としていたのは偶然であれば奇妙な符合と思えるくらい。

 そして、“再発見”のフロンティアを日本の外に求めたのか、ゴダイゴ活動史の中でも極めて海外雄飛の際立つ一年であった。 その長期の国内不在の後行われたのがこの5月10日のNHKホールでのライブである。 放送は同年6月7日にテレビ(NHK第1)で、8月5日にラジオ(NHK FM)でオンエアされている。 ここではFM放送をメインに語っていく。

 この一年の過ごし方が、果たして正解であったかどうかについては、熱烈なるゴダイゴファンとしても、いろいろ意見のあるところだが(バンドを売るというマーケティングの観点からも)、まずは海外の様々な場所で見聞を広めてきた彼らのお土産、成果を拝聴することにしよう。

 ライブのセットリストは、観客にも彼らと同じ旅情を追体験してもらおうとするかのような構成となっていて、1979年のヒット曲、アルバム曲を並べただけのライブよりは、コンセプトが練られているような印象を受ける。 
 また、この年の春のツアーから演出として、ブラインドカーテンの緞帳を効果的に使用したオープニングを取り入れていた。 テープ演奏による「時の落とし子」が流れる中、このブラインドにヒマラヤやアフリカの風景を映し出す趣向だったようだ。 ブラインドカーテンは夏のツアー(「ゴダイゴライブは母親公認」参照)や、後の中国天津公演でも使用されたことが確認されている。
 そして観客の熱狂振りは昨年の全盛期を上回る勢い。 あるいは低年齢層化が加速して、その黄色い声の周波数も高くなっているのか。 とにかく物凄い歓声だ。

 さて、まずは、世界のどこへ、我々を連れて行ってくれるのだろうか。


「Return To Africa」
 同曲は、この年の第1弾シングル。 TV番組「アフリカの黒い太陽」という、2月16日にアフリカで皆既日食を見ようという朝日放送創立30周年記念番組とのタイアップ曲(番組内容は最近UPされた当時の番組スタッフの日記「GONZO通信」ご参照)。 2月1日に日本を発って、ネパール、タンザニア、ギリシャを巡る3週間の日程の中で、彼らはタンザニアのババティ村というところで皆既日食を体験している。
 ワールド・ツアーを終えた後で、どこが印象的だったかと訊かれたミッキー吉野は”アフリカのタンザニア”と答えている(FC会報No.16)。

「地球はここからはじまった − そういう感じでね」

 この曲を1曲目に持ってきたのは、そんな思いも込められていたのかもしれない。
 また当時の新聞論評に「原点を見直すシンプルさ」と題してこの曲を絶賛している記事もあった(音楽家:長洲忠彦氏による連載記事。 長洲氏は「ザ・ベストテン」のオープニング曲の作曲者らしい)。 6音構成の全体がオクターブに収まっているシンプルなメロディを、リズムとハーモニーの付け方(曲構成)で全体の完成度を高めている、と。 良い作品ほど世間は背を向けがちで、この曲のリリースにはレコード会社にも勇気が必要であったとしながらも、音楽学校の生徒にアナリーゼ(分析)のテーマで出題したいとまで記している。

「音楽的に言いますと、彼らは原点の見直しをやっている(中略) こういう作品を作った心底(思想)が興味深い」 

 シンプル=原点というのは安直な気がしないでもなく、また何の原点(音楽の?ロックの?ゴダイゴの?)か、氏の意図するところは定かではないが、ゴダイゴにとっても1980年代の新たなるスタートへの決意が込められた作品だったのかもしれない。 87年の「ロック大系」のインタビューでミッキー吉野もシングルではこの曲が好きだったと語っており、また同書には宮川泰がこの曲を誉めていたことも記されている。

 ライブ演奏のほうは、イントロでは機材トラブルなのか、ノイズ(かすかにメロディを奏でるギターの音が聞える)から、急にキーボードの音が入ってくる。 イントロのひとフレーズ目で誰もメロディーを弾いていないことや、 大げさなトリルをやりながらフレーズの切れ目にキレイにキーボードが入ってくることなどから、PAエンジニアの不手際ではなくステージ上の何か操作ミスであろう。 異変に気付いた浅野氏が気をきかせてか、ふたフレーズ目からメロディーを弾いたのかもしれない。

 Aメロからスティーブの代役を務める富倉安生のチョッパーが炸裂し、間奏では低音域をつくトロンボーン(井口秀夫)のソロが曲を盛り上げていく。 トロンボーン・ソロはスタジオ盤のアレンジを踏襲したものであろう。 スタジオ盤では小さかったアウトロでのトロンボーンのバランスを大きく荒々しくフィーチャーした感じである。 同曲のライブ・バージョンが聴ける公式盤『Intermission』でのサックス・ソロ(松風鉱一)も音域の低いバリトン・サックスが使われていたことからイメージ的にはトロンボーンが近かったのではなかろうか?
 浮かぶ情景としては、例えば”燃えるようなサバンナの夕焼けの中を走るアフリカ象の群れ”と言った、逞しくしたたかな自然の疾走感だ。  ギタリスト渡辺香津美の同時期の人気曲「ユニコーン」の後半、 ビブラフォン・ソロあたりからも似たような絵が浮かぶ。

 エンディング、一瞬のブレイクの後に、さらにピアノ・ソロが次の曲へと誘ってくれる。


 続いて、「Return To Africa」のB面に収められた曲。
「Sights And Sounds」
 “ゴダイゴは意外とB面にいい曲が入っているんだよね”と言われる代表格のこの曲。 曲自体が『ゴダイゴBOX』でも「Rare Track」に収められているくらいレアであることに加え、ライブバージョンが聴けるのは、この放送のみというレアの極致ともいえる演奏である。

 「Return To Africa」の最後の静かなピアノが終ると同時にトミーの力強いドラムでスタート。 いきなりのサビをタケカワが朗々と歌い上げる。
 ”Through every street〜”の箇所からもバックビートがなくならないのがこのライブ・バージョンの大きな特徴。 この演奏を先に聞いていたファンにとっては、シングル盤B面や『Godeigo BOX』収録のスタジオ盤のあまりの静かさに違和感を覚えた人も少なくなかったかもしれない。

 全体としては、ミディアムなテンポの曲なので、ミッキーと浅野氏のバッキングの絡み具合、センスの良さに注目したい。 ミッキーはCPのアルペジオ、そしてサビではボコーダーという演奏。 浅野氏はオブリガードを含んだアルペジオ(ミッキーとは違うパターン)を絡めるプレイである。 ミディアム〜スローな曲だと“間”がありがちになりそうな演奏をこの2人が全体のプレイを邪魔せず、効果的に盛り上げているのは流石である(後のポートピアでも同様にセンスのよいバッキングを聞くことができる)。

 間奏部分、公式音源ではアコースティックギターによるソロが印象的なこの曲。 ライブではエレキ(セイバーII)を使用したソロとなっている。 メロディも変え、小節数を増やして演奏している。 公式音源でアコースティックギターによるバッキングは比較的多用されているがソロは希少である。 ライブでも、エレアコに持ち替えて演奏して欲しかったところ。 しかし、このライブの、クリーン・トーンな音色を、ピッキングで細かく強弱をつけてゆく、ほんのちょっぴりジャズっぽい感じが浅野氏のプレイとしては珍しく、それでいて、いつもながらに歌心あふれるフレーズが実に”らしく”、素晴らしいことは言うまでもない。

 TV放送ではこのソロの部分を見ると音と映像にズレや食い違いらしき部分が見受けられ、オーバーダビング、演奏の差し替えをニオわせる。 タケの歌い方も、かなりよそよそしい。
 その点ラジオ放送はライブの臨場感をそのまま伝えている。 印象的なコーラスワークも見事で、サビはもちろん、エンディングのコーラスもきれいにキマっている。


 一方手を加えられた可能性のあるTV放送ではあるが、使用楽器の確認には重宝する。 ここで浅野氏の使用機材について触れておこう。
 このライブでは、MUSIC MANセイバーII(色:ブラック、指板:ローズ)をメインに使用している。 このギターはアーム(ビブラートユニット)が付いておらず、その分チューニングが安定する為、ライブ全編を通して使用された(GOIIIなど当時のアーム付きギターは、アームを使用するとチューニングが狂ったり弦が切れやすかったりするなどのデメリットがある)。 このセイバーIIは、プリアンプ内臓による高出力により、ドライブした(歪みがちな)音色を特徴とする。
 セイバーIIは当時もう一本所有していて(色:シルバー、指板:メイプル)、2月のカトマンズ公演で使用が確認されているが、今回は使用している様子は見られなかった。 スペアとして置いてはある (「Where’ll We Go From Now」の1コーラス、サビで浅野氏のアップの時画面左下にヘッドが確認される)。
 オベーションのエレアコ(グレンキャンベル、カスタムレジェンド)も確認できる(LD『シルクロード -インド&ネパール』編Chapter5に収録されているNHKライブより)。 ラジオ、TVともその使用は確認できないが、FC会報や雑誌の記事、画像から推察すると、このNHKホールでもタケカワと浅野氏のコーナーでステージに腰掛けて2人だけで「We」を弾き語ったと思われる。
 他には「Kathmandu」、「Gandhara」でグレコGOII1000(12弦)を使用している。 アンプはローランドのJC-160らしきアンプが見える。


 いきなりの旅情あふれる2曲の洗礼を受けて、気分はもはや上空1万メートル。 ジェット気流に乗って、遥か眼下を流れ行く雲、緑の大地、きらめく大海を睥睨している気分である。

 ここでオープニングMC。 タケにしては饒舌極まりないと言っていいだろう。 インドでの体験をとめどなく語る。 いかに海外での体験が彼らにとっても刺激的だったかということが、その話し振りからも、よくわかる。 

 日本人もかなり海外旅行へは出かけるようになってはいたが、70年代後半から1980年当時、円はまだ1ドル200円代半ばを行ったり来たり。 未曾有の海外旅行ブームまでは、まだもう少しの時間が必要であった。
 それだけに、当時10代の少年少女だった多くのファンにとって、彼らの海外雄飛は偉業であると映ったし、心から声援を送ってやまなかった時期である。 まだまだヒートアップした前年の余熱の渦中にいたし、冷静に彼らの行動に批判を加えられる年齢でなかったのも事実。
 ただ、少しずつTVのヒットチャートへの食い込みの勢いに衰えが見えることや、会報などに“海外ロケで忙しく、なかなかTV出演できない” “せめてラジオで聴けるようリクエストしよう”と書かれた文字に、一抹の寂しさを覚えはじめていたのもちょうどこの頃であった。

 タケカワのいつにない長めのMCにつられて、話が脱線しそうなので、海外戦略、マーケティングに関しての話は別項【コラム】にまとめる。 再び彼らの旅に視線を戻そう。 旅路は中央アジアに向けられている。


● 6万人の Coming Together

 1980年のトピックスとして、その前半を特徴づけるのは、やはりなんと言ってもネパールはカトマンズでのライブである。 イランにサントゥールという楽器があるが、それが中央アジアから欧州に渡り、チェンバロやピアノのルーツになったという話に興味を抱き、ゴダイゴにネパールからアフガン、イラン、トルコ、欧州に至るルートを辿ってもらいたくカトマンズへの旅を提案したという映像プロデューサーの話がラジオ番組「アブラカダブラ」で紹介されている(第18回放送)。 残念ながら当時の政治情勢およびゴダイゴのスケジュールから、全ての行程を辿ることは叶わなかったのは残念だったが、その一大紀行の目玉とされたのが、カトマンズでの6万人を集めての野外大コンサートであった。

 FC会報で誌上レポートを連載していた浅野氏をして

「感動というにはあまりに強い衝撃だった。 あんな一体感を持ったコンサートは二度とできないのではないか」

と言わしめた。 メンバー全員にとっても、大きな大きな体験だったに違いない。

「Kathmandu」
 この年の2月7日、実際にカトマンズでのコンサートを体験した後の演奏である。 そして全部を英語で歌うバージョン。 現地に入る前に、誰もネパールを体験したことがない状態で、詞が作られ曲がつけられアレンジが施された同曲であったが、当日、カトマンズで行なわれたコンサートに立ち会った奈良橋陽子は、なんとその場の雰囲気にこの曲がマッチしているのかと感動を覚えたという。 ジョニー野村はこのツアーを通じての感想として

「まるで空間を動いているんじゃなくて、タイムマシンで時間の中を旅してるみたいなんだ。」

 と語っている(FC会報No.20)。 彼もそこに”Questions of then and now”を見たのかもしれない。 タケカワもネパール王立競技場でのコンサートを回顧して

「自分の歌っている英語の詞をいつもより肌で感じながら歌えた」

 と語っている。 カトマンズでのライブ当日、2月7日の時点ではすでにスティーブの脱退はメンバーの知るところであった。 離ればなれになると分かっていながらも、異国の地で自分達の気持ち(All our hearts)が”Coming Together”していることを感じながらネパールでは歌ったと、タケは述懐している。 奈良橋陽子もこう語る。

「日本で書いたこの曲が不思議にカトマンズに来た我々の気持ちを一番良く表現していると思いました」

 英詞の意味をじっくり噛み締めながら聞きたいライブ演奏である。
 この曲のアレンジの特徴のひとつが、イントロにはっきりとしたメロディーがないこと。 ゴダイゴのシングル曲としては珍しく、後のとあるインタビューでミッキー吉野は、キャッチーじゃなかったという意味で、”失敗だったかも”と語っていたことがある(それで後に『中国后醍醐』などで聴けるブラスのフレーズを入れたか?)が、そのイントロも含めて実に美しい曲である。
  「Sights And Sounds」と同様に各パートの静かな絡みが素晴らしい。 特に歌の冒頭から”〜who are you”までの、メロディー自体が持つ抑揚に寄り添うような演奏が見事である(スタジオ盤も同様に)。
 また、サビでキーボードとギターが一緒に奏でるフレーズも、 はっきりとは意図していないかもしれないが、掛け合いメロディーに対するもうひとつの対旋律に聞こえて これもまた美しい。
 これこそがゴダイゴ・アンサンブルだ、と言い切ってしまいたいほどの名曲の一つである。

 これらの絡みの質は、ウェザー・リポートのジョー・ザビヌルとジャコ・パストリアスの二人、または、ビル・エヴァンス・トリオの エヴァンスとスコット・ラファロの二人の絡みに通ずるもの、とまで言ったらこじつけが過ぎるだろうか? 
 しかし、以前どこかでミッキー吉野は、目標とする音の形として「ウェザー・リポートとローリング・ストーンズをかけ合わせたような〜」というような表現をしていた。 つまり、先進的なジャズの広がりとロックのダイナミズムの融合である。 この曲におけるゴダイゴのアンサンブルは、その融合のひとつの到達点と言えるのではないだろうか。



続いて「Gandhara」
 「Kathmandu」との連続は浅野氏がギターをスイッチしなくてすむので、都合がよい選曲と思われる。 上記の通り12弦でプレイしている。  後々ファンの間で賛否の分かれる「パン・パパン」という手拍子がこの頃既に会場全体を覆っているのが判る。 その手拍子を振り切ろうとしているわけではないだろうが、テンポはかなり速めだ。
 タケのコンディションもよく、声もよく通っているが、サビでは、スティーブのコーラス(正しくはオクターブ下のボーカル)が抜けて寂しく感じるのは止む無しであろう。

 カトマンズでは現地の人に「この曲はネパールの曲だ」と言われたというエピソードを81 年5月の「Denon ライブコンサート」で司会の菅野沖彦氏に話している。 現地でサランギという民族楽器の国宝級の奏者にも特に良かったと、この曲のテープを求められ渡して喜ばれたという話が「永遠のオデュッセイア」にも記されている。 むこうの音楽を聞いて「音楽が信仰と関わり深く、神聖なもの」とタケカワは語っているが、その現地の音楽と同じと言われ、評価されたことは作曲家冥利に尽きるのではなかろうか。 
 またカトマンズのライブでは、ヒマラヤにインスパイアされてこの曲が出来たとMCで語っていた(”You have so many wonderful things in your country. And one of the greatest thing is the HIMALAYAS, which gave us the idea for our first big hit in Japan.” ) 。



● 新生ゴダイゴにむけて

 ソロコーナーからは、トミーの曲がまず放送された。 FC会報によると、春のツアーではトミーのソロコーナーも今年から2曲に増え「Changing Dream」と「So Hard To Leave」が歌われたとレポートされている。

「So Hard To Leave」
 その年4月に出されたばかりのトミー初のソロアルバム『There Comes A Time』から。  2001年のミッキー吉野のライブにゲストでトミーが参加し、その際この曲が演奏され狂喜乱舞したファンもいる程、実は隠れた人気曲でもある。 サビのコーラスが印象的で、そのライブでも観客席から期せずしてコーラスが飛び出し、トミー自身も驚いていたほど。

 このライブでもコーラスの掛け合いがいい。 ただしアレンジはスタジオ盤(つまり岸本博アレンジ)とは、かなり違う。
 公式盤の印象的なピアノのフレーズに代わりイントロはベースから。 ドラムは2拍目アタマに入りそうなスネアが16音符分前にズレるパターン(ちょっぴり「Red Chapeau」?)。 ギターの細かいカッティングは少なく、ミッキーもまずオルガンで切り込んでくる。 スタジオ盤もカッコいいが、ゴダイゴ・アレンジには流石!と唸らされる。
 この曲の魅力はなんといってもイントロの「デレーレデッッデッッ!」っというリフの人懐っこさと、サビのコードのオシャレさの対比の妙にある。 作曲者も編曲者も違うが、どこか「Take It Easy」に通じるものを感じる。

 そして、ここでも富倉氏のチョッパー(スラップ)を多用したプレイが印象的。 スティーブに比べて高音域での装飾的プレイが多いように思え、全体にタイトで上手く”当時の”洗練を感じる。 ただ、例えば「Return To Africa」では人さし指で引っ掛けるチョッパーが多いせいかベースの低音域が少なくなりアンサンブル全体の音が軽く感じられてしまうなど、曲によりその理解に差があるようにも思えるが、そこは助っ人の助っ人たる所以か。 全体としては、プロとして当たり前に、見事に仕事をしていると言える。

 この日、”富やん”は、白いボディ、メイプル指板のプレベタイプを使用。 コンポーネントと思われる。 ブリッジ側にジャズベース用ピックアップが見える。 つまり俗称PJタイプの走りともいえるモデル。 スタジオミュージシャンとしても活躍していた富倉氏としては、多彩な音色作りができるベースとして使用していたのだろう。
 改めて紹介するまでもないが、富やんはトランザムというバンドのベーシスト。 ゴダイゴと所属事務所が一緒だったことから、この時期行動を共にしている。 スタジオミュージシャンとしては、上述の『There Comes A Time』の中の「Gypsy」でベースを弾いているほか、タケカワのソロアルバム『Lyena』のレコーディングにも参加している。

 FC会報には、トミーが歌う時ドラムは岸本氏が叩いたと記されている。 その情報を元にドラムのプレイを聞いてみると確かに岸本氏っぽい(というか、トミーっぽくない)。 トミー独特のスネアのフラムが明らかに少ないし、音もトミーとの比較という意味で軽いような気がする。 また管のほうも音が少なく感じるし、サックスが良く聞こえてくるのも、岸本氏のトランペットが無いからと推測する。
 いずれにせよ、バークリー音楽院の選択科目でドラムを取っていただけあって、岸本氏のプレイも、なかなかイケているのであった。


「Just Be Yourself」
 続いて登場のミッキー吉野。 まだどことなくスティーブの抜けた後の淋しさを滲ませつつのMC。 1979年はピアノ演奏のみのミッキーのソロコーナーだったが、今年は弾き語り。 ずっと近年のソロライブでも歌い継がれている同曲であり、今ではすっかり貫禄のあるボーカルとして完成されているが、当時はまだ曲も出来たばかりということで、ボーカルが初々しい。 
 ただ、せっかくの弾き語りバラードを、観客の手拍子が聞き苦しくしてしまっているのがなんとも残念。


 そして、お約束のヒット曲集。
「The Galaxy Express 999」
「Where’ll We Go From Now」
「Beautiful Name」


 「999」のイントロではトミーがまだシンセドラムを使用している事が確認できる。 富倉氏のベースがここでもチョッパー奏法しているせいか軽い印象を受ける。 サビ前にはシンセによるバッキングも確認できる。

 そしてメドレーで「Where’ll We Go From Now」へ繋げ、短いイントロから歌へ。 ライブの盛り上がりもどこまで行くのかという怒涛の勢い。 間奏では浅野氏が松風鉱一のサックスとユニゾンプレイをしている。 アウトロではブラスではなく浅野氏が主旋律を弾いている。 前奏と同じメロディに戻るアレンジも珍しい。 とにかくライブでは浅野氏のギターの力強さが際立つ。
 タケの”we lost in a cloud“のところ歌詞が怪しい。 ど忘れか?(2回目も同箇所で口ごもるように歌っている) TV放送のほうでは後からスタジオでの録音がかぶせられており、口の動きと歌詞が異なる。 また次の「Beautiful Name」との声質の違いが明らかで、先の「Sights And Sounds」などTV放送はいくつかのオーバーダビング、あるいはボーカル・演奏の差し替えが行われていることが判る。

 「Beautiful Name」は、♪Harek keta keti ko naun ramro tsa !と、ネパール語バージョン。 カトマンズで歌った時よりもタケのネパール語の発音(間違いが少ないという意味で)が良くなっている。
 お約束の歌合戦は、スティーブが抜けたので、浅野組とミッキー組に分かれて行われた。 ミッキーが、スティーブを真似て「ガンバロゥ!」と一言。 TV放送で歌合戦はかなりの部分がカットされている。


「A Good Day」
 心地よいブラスによるイントロから入る。 この曲のアレンジの布石ともなった「Peace Like A River」より若干テンポは速め。 1番を日本語、2番を英語で、歌詞はGood day “brother and sister”のバージョン。 間奏にてエレピのソロを聞くことができる。 同曲はアンコールで、もう一度演奏されていて、TVでは、そちらの演奏を視聴することができる。 画像ではミッキーの7時方向に、この曲のソロなどで活躍しているエレピ(フェンダーローズと思われる)が確認できる。

 ブラスをフィーチャーしたアレンジは「Portopia」「平和組曲」などのイントロ、「Beautiful Name」など、様々な曲で聴くことが出きるが、ライブ演奏では管の特性からか時に音程が不安定になる場面も散見され、ファンの間では必ずしも無条件で必要不可欠なものではない、という意見もある。 ゴダイゴ・ホーンズの起用についてはSTUDIO-Gでも考証がなされているのでご参照を。
 良し悪しはともかくホーンズが全面に出た楽曲はご機嫌なものが多い。 このライブ演奏も、極めて陽気で、アカペラで転調していくアレンジも秀逸。 ホーンズいてこそのハッピーな演奏だ。 ホーンズ一番のライブ演奏ではないだろうか。

 エンディングのミッキーのアドリブも、いい。 この「A Good Day」の演奏は、ミッキーもついノリすぎてしまうのか、別のスタジオライブの演奏ではこのエンディングをついついやりすぎて自分でも収拾がつかなくなり「長すぎるな、終わろう」と笑いをとって締めくくったこともあった。

 余談になるが、タケカワのファンクラブ会報「T-time」に、これまでの作品についてのこぼれ話をアルファベット順に紹介していく企画が連載されている。 「A」でこの「A Good Day」が取り上げられ、当時、この曲についてトミーが、ステージの上から観客に向かって「いらっしゃーい!」(=Good Day)と呼びかけるのはオカシイと、クレームしていたらしい(「T-time会報」vol.29)。
 元々、この年の正月に池袋の西武デパートで行われたゴダイゴフェア―のテーマ曲として制作され、タケカワも西武デパートのCMソングとして使われるかもしれないということを想定して作った曲。
「奈良橋さんは、きっと、デパートのCMを意識してこういう歌詞を書いたのだと思う。」
 とタケも語っている(同会報)。 それ故トミーが店の呼び込みにしか聞えなかったというのも無理からぬこと。 英語のネイティブスピーカーにはかなり奇異に聞える曲だったのだろう。


 さてデキシーランド(ジャズ)風のこの曲は、このライブのアンコールでも再演され(サビのみのショートバージョン)、中央アジア、アフリカと巡ってアメリカ大陸へ辿り着いた旅を締めくくっていた。

 アメリカといえば、このラジオ放送では確認できないが、TV放送で「Close Ups」「Deep Red」の演奏を聴くことができる(曲順としては「Sights And Sounds」の直後に演奏)。 MCでタケカワがニューヨークのネオンや喧騒を音に例えるとこんな感じだったと『Our Decade』からこの2曲が演奏されている。 どちらも浅野ギターが、文字通り“Close Up”されたライブ・アレンジ。 特に「Close Ups」の、公式盤にはない長いギター・ソロは圧巻である。 「Deep Red」も公式盤のシンセソロに代わって浅野氏のギターがフィーチャーされている。

 ステージの片翼を担っていたスティーブが抜けた後、観客の目を楽しませるためにギターの浅野氏を前面に押し出すような演出がこの頃は目立つ。 浅野ファンが急増した時代だったかもしれない。
 ステージ上の配置はタケカワを中心に、向かって左に浅野氏、右にキーボード群に囲まれたミッキー吉野がせり出してきている。 トミーとホーンズが背後に並び、富やんはあくまで助っ人として浅野氏の背後に控えていた。



● 21世紀に向かって

 そして最後のタケのMC。
 ここで、ゴダイゴの歴史的MC“21世紀に向かって”をもう一度繰り返すタケ。 この発言は、1979年12月19 日の武道館コンサート(「CROSSROADS」参照)で語ったもので、TV放送としても「音楽の魔術師」として79年12月30日に全国的に放送された。 当時多くのファンの心に残っている言葉である。

「あとさ、20年ぐらいでさ、21世紀になっちゃうんだよね、それに気づいたことある人っている?」

 と、いう語りかけではじまるそのMC。 冒頭に述べたゴダイゴとしての1980年のテーマのひとつ”21世紀に向けて自分達に出来ることの確認”である。 そして、21世紀に向けてのプロジェクトとして神戸市が推進しているポートピア’81が紹介される。
 このプロジェクトのテーマソング制作をゴダイゴに依頼しようと発案したのは、芥川賞作家で当時電通マンだった新井満氏であった。 70年代は“歌う電通マン”として名を馳せた同氏(ヒット曲「ワインカラーのときめき」)も、80年以降は人類が迎える21世紀を危惧して環境ビデオを作るなど、常に人間の存在と自然の関わりをテーマに著作活動を続けている。
 タケのMCに話を戻そう。

「僕らもそれらに負けないように、どんどんと、こう、21世紀に向かって準備をしたいんだけども・・・  みんな、一緒にやらないかというのはどうかな? やる?」 

 この言葉に、当時どれほど心動かされ、感動させられことか。  20年も先の話を、未来を語ってくれる彼ら。 そして、一緒にやらないかと、我々を導いてくれるかのようなひと言ひと言。 何か自分たちでも動かなきゃと、当時、小さな胸を躍らせたファンも多かったに違いない。
 そして、このライブでもその言葉を反芻するかのように、

「21世紀に向かって、どんどん、ずっとやっていきますから」
「一緒にできるなら、一緒にやっていきたいし」

 またも、大きくうなずく、若かりし日々の我々であった。


 そして曲は「Portopia」
 上述の「Kathmandu」しかり、タケカワの曲作りでよくあることだが、作曲時点(1979年11月)彼はまだポートピアの現場を訪れていなかった。  が、まだ埋め立てられた土くれの島だけを見るよりは、かえって思い描いたままの理想を曲に出来たそうだ(「Student Times」 No.70 1980 May.31)。
 武道館時と較べると、ギター・ソロが完成形(中国ライブでの演奏を指す)により近づいている。 チョーキングで音を伸ばし気味など、まとまりに今一歩というところだが、歌い上げるような浅野氏特有のソロは見事の一言。


 今も、こうして「Portopia」のエンディングのギター・ソロを聴きながら目を閉じれば、ゴダイゴと共に21世紀を夢見たあの頃が想い出される。

“さぁ 胸に描く世界を創り出そう・・・”

 ゴダイゴの旅路は、海を越え数千里彼方の未踏の大地へ赴くことでだけではない、 時空を越え遥か遠い21世紀までも見据えた壮大なものなんだと、自らの未来にも思いを馳せたあの日。
 胸に去来する自分自身の未来像をおぼろげながらも描きつつあった10代の自分がそこにいる。



 こうして、ゴダイゴは、新たな方向性を模索しながら、再び歩き始めた。
 新たなるHuman Encounterを探して、胸踊る Living Wonderを求めて・・・


     There is no End
        To what my eyes can see


           The world for me is a lasting pace of
                 Sights and Sounds





参考資料:











「SEA SIDEエッセイ vol.3 憧れの風来坊生活 その3
■「アブラカダブラ」 第14回/第18回放送
■「ゴダイゴ ‘80」 NHK 第1放送
■ 朝日放送創立30周年記念番組「アフリカの黒い太陽」
GONZO通信
『日本ロック大系1957-1979[下]』(月刊『ON STAGE』特別編集) @白夜書房
■ 「Student Times」 1980 May.31/Sep.05,12,19
■ FC会報 No.16.19.20
■ 「はやり歌の方程式<8>」  長洲忠彦
■ 「T-time」vol.29
■ 「永遠のオデュッセイア」(徳間書店)
■ 「音楽の魔術師」  1979年12月30日



【コラム】 羅針盤


Live History #08 [PROMISE]へ続く





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