Live History #08 1980
PROMISE

【コラム】 在羅府的誓言

 音源がないことで、残念ながらこのLive Historyで取り上げることが出来なかったライブがある。 中国ライブに先立つ10月の11、12日に、アメリカはロサンジェルスで行われたロス市制200周年記念祭に於る”ストリート・シーン”での演奏だ。 中国でのライブ同様になかなかの評判だったこのライブであるが、ある意味、この後のゴダイゴの方向づけをしたという点では重要なライブであったかもしれない。

 このコンサート、”ストリート・シーン”としては3回目になるらしいが、ロサンゼルスの市制施行200年の記念行事として、アメリカ国内外のロック、ジャズのアーティストが招かれて行われた。 日本からはゴダイゴのほかに、渡辺香津美やChar(ジョニー・ルイス&チャー)が参加している(出演に至る経緯等はSTUDIO-Gに詳しいので、そちらもご参照ください)。 ロスのリトル・トウキョー近くの官庁街に大小いくつかのステージが設けられていた。 今後アメリカでの展開を目されていたゴダイゴは野外特設会場のメインステージをあてがわれ、その登場は11日の夜19時からであった。

 「Where'll We Go From Now」を皮切りに、いわゆるヒット曲ではないアルバム内の曲を中心に演奏された。 おそらく”ロック”を意識して『Dead End』の曲などを中心にセットリストを組んでいたと思われ、吉沢は

時の落し子とかサムの息子、パニック、血塗られた街なんかはアメリカに行く時練習しました」

 と語っている(FC会報No.33)

 残念ながら FC会報No.21の浅野氏のレポにあるように、機材トラブルで開演が遅れたため”結局曲目を半分に減らして演奏することになった”のは、ファンとしても誠に遺憾。 上述の「サムの息子」は演ったようだが、他には

“Silk&Spice”などのアルバム“Kathmandu”から数曲。“Our Decade”から数曲。そして”威風堂々”などを中心に組みました。従来のヒット曲は演奏しなかったと思います」

 と、後年、公式サイトのQ&Aでミッキー吉野は答えている。

 「威風堂々」については、エルガーの原曲が欧米では卒業式などで演奏されることが多いだけに、演奏開始すぐは観衆のほうに「なんでこの曲?」という戸惑いが漂ったとStudent Timesの中でタケカワは語っている。 組曲構成になっている後半に入って、なるほどと観客も納得してくれたそうだ。

 ”ロックの本場”での演奏だけに”緊張した”と浅野氏は語る。 

 「その緊張と興奮がステージではいい方に出て、迫力ある演奏ができたと思う。」

 とのこと。

 当時アメリカではTV映画「将軍」がヒットした後だけに、ちょっとした日本ブームが起っていた。 日本から来たゴダイゴの演奏には当然注目が集まった。  浅野レポにも

「最初3000人くらいだった観衆は演奏中にどんどん増え、最後には5000人にふくれあがっていた」

 と記されている。 
 ビーチ・ボーイズ、チャック・ベリーなど多くのアーティストが参加する中での演奏となったが、アジア代表としての存在感は示せたようで、

「ゴダイゴみたいなグループはなかったみたい。(中略) これからゴダイゴみたいなグループはアメリカでも受けるんじゃないか」

 と、ミッキー吉野も手応えを感じている。
 
 故郷に錦を飾った形のトミーも、コンサートに家族を招き、数曲でリードボーカルを取りMCをこなすなど大奮闘。

 「お客がまずは熱心に聴いてくれたという感じ。 騒ぐというんじゃなくてね」

 と、トミーらしい感想を残している。 トミーのリードボーカルとなると「In The City」あたりも演奏されたのであろうか。 ロスで他のアメリカ人のバンド連中から”中国で初めて演奏するロック・ミュージシャンになる”と、盛んにエールを送られていたという。 アメリカの期待を一身に背負った気分で中国に臨んだに違いない。

 ロスでのライブの内容は、”日本の子供たち向けのステージとは打って変わって、ハードでパワフル、およそ日本でのイメージとはほど遠いものだった”との雑誌の評がある(この雑誌記者がTVのシーンしか知らないのでは、という懸念もなくはないが)。
 新メンバーの吉沢に浅野氏とのツインギターを組ませ、夏の間ずっと助っ人だった富倉安生を再びベースに迎えてのステージは、確かに、さぞかし迫力があったのではと思わせる。 今で言う「ロクダイゴ」?にホーンズの3人を加えた最大級の編成であった。
 ”アメリカでも充分通用するグループ”との評価を聴衆からも得たようだ。

 日本でも徐々にこういったスタイルに移行させていくつもりとミッキー吉野も語っており、アメリカで今後の方向性を試したとされている。 日本でこのスタイルをとるのはまだ時期尚早との判断があったそうだが、スティーブが抜け、新しいゴダイゴの形を模索してきた1980年であるが、このアメリカでの成功をどうのような形で日本で実現させていくかで、1981年以降のゴダイゴの形が見えてくるのかもしれない。

 「このパワフルなゴダイゴのステージが日本でも見られるのもそう遠いことではない」

 リップサービス的要素を多分に含んでいるとは思われるが、ミッキー吉野の力強い言葉が残っている。

 ただ、上記の雑誌記者による聴衆へインタビューの中には”演奏は問題ないが、奈良橋陽子の詩がきれごとばかりで面白くない”との批判もあったという。 また、ハードなナンバーに対するタケカワのボーカルの不向きを指摘する声もあった。

 とはいえ、アメリカでも上々の評価を獲得し、ツアーもまずまずの成果をあげたようだ。 カトマンズ、ロス、天津と海外のいたるところで旋風を巻き起こしてきた1980年。 海外でのその経験を、このアメリカでの実験の成果を、どのような形で展開していくかが、1981年以降の彼らの課題となっていったに違いない。
 




参考文献:




■ FC会報No.21 No.33
■ Student Time 「Chattn' About Music」 Oct.21/Nov.24
 海外レポート「威風堂々ゴダイゴ 天津・羅府行」(署名記事:田川律/増渕英紀)

■ 大陸制覇etc.ゴダイゴ最新NEWS8

※Y's注)羅府=ロサンジェルス



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