Live History #08 1980
PROMISE

● 臥龍覚醒!

 「経済活力」なる新しい経済指標が、2001年の2月にフランスの元蔵相により提唱された。 これまで国内生産(GDP)や経済成長率の数値をバラバラに見ていたものを物理学の法則を応用して、その国の持つ“勢い”として表したものだそうだ。 それによると中国が堂々の1位ということになる(ちなみに日本は8位)。 21世紀、いよいよ眠れる巨人、臥龍中国の時代が訪れつつある。

 80年代はアジア、中国の時代。 ゴダイゴが1979年に発表した『Our Decade』で「Sun Is Setting On The West」や「Dragon's Come Alive」などで予言したアジアの台頭。 第2次世界大戦後、敗戦の傷跡や植民地支配から脱し、未曾有の経済発展を遂げた国は確かに多い。 だが、まだまだ世界の中心と言うには程遠く、アジアの時代の到来は、いましばらくの時を要した。 しかし、今や中国は、2001年12月1日にWTOへの加盟を果たし、未曾有の“大躍進”の真っ最中。 欧米や日本の企業はアジア各地に散らばっていた生産拠点を一気に中国に集中し始めた感もある。 人、カネの流れが怒涛の勢いで中国に注がれている。

 20年も前にそんな予兆を感じとってか、我らがゴダイゴは大陸に乗り込んでいった。 そして、中国悠久の歴史に於ける初のロックコンサートを実現する。 このライブは第一次中日友好音楽祭として1980年10月に天津市第一工人文化宮での演奏の様子を、翌年元旦にTV東京が放送したものである。 当時の中国、そして日本を取りまく環境と合わせながら、このライブの様子を見ていきたいと思う。

 10月23日、天津市は雨だった(中国でもタケの雨男伝説は健在!)。 冷たい秋雨にうたれながらも、当日券を求め多くの人が集まり、定刻の19時15分には2,370人の会場は満席となる。 小編成のオーケストラ、女性歌手、手品、演芸など5演目が披露され、司会者の紹介の後、20時40分頃ゴダイゴの登場だ。 司会の言葉は確認できないが、当日のコンサートパンフに天津テレビ局の副経理(=副社長)のコメントが載っており、「ゴダイゴの歌は国際上、トップでクリエイティブな歌曲」とある。 おそらくそのような紹介がなされたのであろう。

 そして、コンサートは、その記念すべき“第一歩”を象徴するこの曲で幕を開ける。


 「Steppin' Into Your World」

 アルバム『西遊記』では「Monkey Magic」の導入部分である「The Birth Of The Odyssey」が、露払いとして会場に鳴りわたる。 残念ながら放送では「The Birth Of The Odyssey」はカットされている。 おそらく、まだ暗い舞台から音だけが響いてくる演出ではTV映像として映えないと判断されたからだろう。 公式盤では確認できるがTV放送ではその最後の残響が聞こえるのみである。 そして、号砲一発ドラの音と共に「Steppin' Into Your World」が始まる。 この曲をこのライブの1曲目に持ってきたのは大納得。 ロック未踏の大地へゴダイゴ自身が第一歩を踏み入れた、まさに“Steppin' Into”の瞬間である。 黄色い歓声のない、どこか躊躇したような拍手が、初めてロックの響き、未体験の大音響に接した中国人民の驚きを表しているようで興味深い。

 この音楽祭でゴダイゴは、リハーサルも含め都合3回演奏を行なっている。 前売券が事前に全てハケてしまい、急遽リハーサルにも政府要人を含む招待客を1000人ほど入れて演奏したそうだが、そちらもなかなかの盛り上がりだったようだ(FC会報情報)。 ちなみに入場券は1元(=約150円)。 当時の中国の物価から考えると、約3000円と換算されるというが、チケットは飛ぶように売れたと雑誌などの記事には記されている。
 このTV放送用の音(および映像)は、初日(=10月23日)の模様。 つまり一般の観客を前にしての初の演奏である。 それだけに、ゴダイゴ及び会場全体の緊張感も並々ならぬものがあったに違いない(ちなみに公式盤『中国后醍醐』に収められたものは主に2日目の10月24日のもの)。

 歌い出し、そしてしばらくしてからもパラパラと拍手が入る。 これは当時ゴダイゴがライブで使用していたブラインドカーテン状の緞帳のせい(「DISCOVERY」等ご参照)。 ライブが始まるとライトを浴びたメンバーがそのブラインドカーテン越しに浮かび上がる。 そこで拍手。 そして曲が進んでこのカーテン自体が上がり、もう一度拍手という寸法である。 それにしても間奏までブラインドで隠してしまう大胆な演出が目を引く。

 かつて元英国首相チャーチルが喩えたように、当時ソ連および東欧諸国が“Iron Curtain(鉄のカーテン)”で遮られていると言われていたのに対し、中国もその内情の不透明さから“竹のカーテン”と表現されていた。 しかし70年代は、少しずつではあるが共産圏との壁、とくに中国との障壁は取り払われつつある時代であった。 ゴダイゴが結成された1976年、中国建国の父、悪名高き文化大革命を推し進めた毛沢東が逝去。 1978年には日中平和友好条約が締結されている。 この音楽祭は日中の国交が正常化してから6年後のこと。 
 第二次世界大戦前から、この1970年代までの不幸な30数年間は確かに日中間に存在した。 しかし日本と大陸の有史以前からの長い交流の歴史から見ればほんの僅かな期間だったのかもしれない。 悠久の昔から日本人にとって常に憧れと畏怖の念に覆われた大陸のベールが、竹のカーテンが、ようやく取り払われつつあった時代であった。
 そんな時代背景の下で開催された第一次中日友好音楽祭でのライブ。 そのライブの幕、ブラインドカーテンも静かに上げられていった。 まだ、とまどいを隠せない観衆の拍手に向かって、タケカワが舞台の前面に駆け出して行く。


 いつにも増してタケの声が苦しげであることに気づく。『中国后醍醐』に収められた2日目ですら苦しげだ。 コンサート前、タケのコンディションは最悪で、風邪を引いて熱が続いていた。 本番の2日前、発熱と下痢で倒れたという。 FC会報の浅野氏のレポによると「ゆうべ意地きたなく食べすぎたらしい。」とコトもなげに語られている。 翌日には全快したらしいが、その翌日というのは10月22日。 タケ、29回目の誕生日だ。 中国ケーキで祝ったそうだ。 祝酒でも飲みすぎたか、ベストコンディションではなさそうだ。


 さて、楽曲解説。 ホーンアレンジが少し変わっているくらいで、基本的に前年の演奏とあまり違わない。  最後のボーカルの掛け合いが見事だ。
 そして注目すべきは、この年の夏からスティーブに代わる新メンバーとして加入した吉沢洋治のプレイだ。 加入当時は、まだまだ人気絶頂の余韻の残る頃でもあり、FC会報、雑誌の記事などでも、新メンバーを温かく、好意的に迎える記事が多い。 メンバーからも同様のコメントが目立つ。 リズム隊を組むことになるトミーも吉沢のことを絶賛するコメントが多い。 

「金八(=吉沢のこと)は、才能あるヨ。 ぼくら、レコーディングの時、ヘッドアレンジで自分のパートを作っていくネ。 けっこう難しいけど、金八は平気でやるネ。 1ヶ月半前からベースに持ちかえたとは、思えない。 すごいヨ。」

 ヘッドアレンジについてはスティーブ在籍時にも同様にあったと思われる。 映画『Magic Capsule』でもそういうリハの場面が確認できるし、スティーブの自伝『Who am I?』でもアレンジについては、アイデアを出し合うとの記述がある。 高度な演奏技術を持つゴダイゴのメンバーに加わってさぞ苦労もあったと思うが、上記のコメントから吉沢の非凡な才が伺える。  余談ながらゴダイゴはミッキーによる譜面アレンジが比較的多いけど、それでもバンドのヘッドアレンジに任せた部分はあったはず。 その比率がどのくらいだったのか、そこはものすごい興味があるところである。

 吉沢が加入してからのサウンドの違いは、ベーシストとしてのキャリアの違いにあるのかもしれない。 スティーブがベーシスト一筋なのに対し、 ゴダイゴ加入前まではギタリストだった吉沢。  元々クラシックも弾くギタリストで、Jazzのステージにも参加している。 吉沢はべーシストというよりも“ベースギタリスト”であり、よって、サウンドやプレイに違いが当然現れていると思われる。
 吉沢のベースプレイの特徴は(あくまでスティーブとの比較においてであるが)、バスドラムときっちりとあわせるという意識が高いように思う。 ギタリストからロックベーシストへ転身するにあたり、吉沢が一番強く心がけた点なのかもしれない。
 また、ゴダイゴのサウンド的にはこの頃から、音が硬めになっているようだが、スタンリークラークをはじめ、ベースサウンドに変化が出始めた時代なのでは?と思う。 後に吉沢はターナーのベースを使用する事からも、ベースのサウンドメイキングにこだわる人ではなかろうか(これは、けっしてスティーブが無頓着だったという訳ではない)。 結果スティーブよりも高音(ハイポジ)のプレイ(「HOLD ME」のソロなど)も聴かれるようになる。 また、ギター弾きがベースを弾くと、音の抜けがよくなるようにベースアンプを調整する傾向があるのではないかと思われる。
 ベースギタリストというと、ストーンズのビル・ワイマンや、WHOで亡くなられたジョン・エントホィッスルなども、低音を弾かず、ハイ・ポジションでガンガン、ブリブリ、プレイしてる姿が思い出される。
 今後、そんなことにも思いを馳せながら、吉沢のプレイにも注目していきたい。



 こうしてゴダイゴの中国大陸への第一歩が刻まれたわけである。
 ミッキー吉野は、その後も中国人アーティスト郭峰(Guo Feng)のアルバムプロデュース(『Yellow』1980年 日本コロムビア)や、1995年大連人民政府に招かれての「Return To China」の披露、台湾地震救済チャリティーコンサートに参加するなど、中国との関りは深い。 当時の雑誌の記事の中でも

「中国はあこがれの地でした。 だから、10年来の夢が、やっとひと区切りついたカンジです。」

 と語っている。 バンド名の由来のひとつとなった後醍醐天皇も目指していたという中国に到達した感慨もひとしをだったことだろう。 もっとも、後醍醐天皇が中国をを目指していたということは「ゴダイゴとして中国へ行ってから知った」そうだ(「桜のシンフォニー in 蔵王堂」ライブでのMCより)。 ライブ後も

「とにかくゴダイゴ始まって以来最高のコンサートだったよ」

 と語るミッキー(FC会報21号)。 ひとつの達成感を味わったライブであったことは確かなようだ。


 ところで、タケカワの父武川寛海氏はかつて満州映画会社の音楽監督をしており、終戦の前後に新婚時代を大陸で過ごしているのだが、当時は、タケカワが特に両親の思い出の土地ということで中国についてのコメントをしていないのは少し不思議な気もする。 敗戦、引き揚げと辛い時代だったとの両親への配慮、あるいは満州という土地に対する日中のビミョウな感情への配慮があったのかもしれない。
 ようやく父親の満州時代の想い出を語ったのは2004年の春から読売新聞で連載を始めたコラム『遊友録』が最初ではなかろうか。 



● 我們叫后醍醐!

 そして、いよいよオープニングMCである。 公式盤同様タケは中国語を交えながらMCをこなして行く。 

「我們叫后醍醐」(我々はゴダイゴです)       
 “うぉめんちゃお ほーてぃふぅ “

 字面だけで持っていったものだから「后醍醐」と書いて“ゴダイゴ”とは発音されないということを後から知ったという笑い話があるが、中国語で自己紹介するタケ。 一応、当日のコンサートパンフには、「后醍醐」の文字の下に”Gao-dai-gao”と英語の振り仮名(?)が書かれている。 中国の人にも”ゴダイゴ”と呼ばせようと思ったのであろう、ところが中国語には”ゴ”の発音が無い。 ”Gou”(ゴゥ)という音はあるが名前には不向きとされる(溝、鉤、垢の他、足りる、なおざりにする、などと言った意味の文字など、あまり芳しくない)。 そこで”Gao-dai-gao”(ガォダィガォ)と書いたのではないかと思われる。 ”高”(Gao)などは名称にもよく使われる音でもある。 中国では”可口可楽”(コカコーラ)など、外来語を中国語にする際、発音の近さよりも当て字の意味のよさを大事にして当てはめることが多い。 しかしそれにしても”hou ti fu”は外しすぎか?  コンサート告知の看板などには「日本后醍醐楽団」と記されていた。

 この番組ではライブの模様だけでなく、リハーサル風景や、タケの即席中国語習得の様子も映し出されている。 
 中国語はその発音もさることながら“四声”と呼ばれる音の上下が難しいとされる。 タケもこの上がり下がりでは苦労していたようで、“もっとゆっくり、はっきりと”と指導されている。 しかし、こうしてMCを曲がりなりにも中国語でこなすことが、どれほど中国人民の心を捉えたかを考えると計り知れない効果があったはず。 ライブ後の観客へのインタビューで、40歳くらいの女性が

 「特に、歌を唄っている人が、直接自分に語りかけてくれているみたいで、うれしかった。」

 と言っているのを聞いて、タケカワ自身も嬉しかったと後に語っている。 還暦を越えた今も積極的にワールドツアーをこなすポール・マッカートニーは、ザ・ビートルズの頃から各国の言葉で簡単な挨拶をしていたのは有名な話で、当然タケカワの知るところでもあったろう。 憧れの大スターと同じ心境だったかもしれない。 

 一方、中国側が用意した通訳がリハーサル時に正確に通訳しなかったため、いくつかのトラブルがあったことがFC会報に報じられている。 リハーサルとは言え、招待客1000人を入れた公開リハ(となってしまったらしいが)で、最後の「威風堂々」を前にタケが「次は最後の曲です」と語ったのを「コンサートはこれで終りました」と訳してしまい観客を帰してしまったというのだから可笑しい。 本番では日本から同行した大友氏が通訳を担当して無事進行を果たした。 
 ちなみに曲の歌詞も壁にスライドで投写され観客の理解に一役買った。


 タケの中国語レッスンと並んでリハーサル風景が映り、使用楽器の確認が出きる。 主なものを挙げておこう。

 ミッキー周りには、YAMAHA CP、 Roland Jupitar4、VP330、などいつもの機材が見える。 またアナログ公式盤に付いていた歌詞カードの画像などでWLMらしきものも確認できるが、ライブ映像ではVK-1っぽいのが見える。 1段鍵盤でドローバーの位置が鍵盤のすぐ横となるとこの時代コルグのCX-3が考えられるが、ミッキーが使うとは考えにくい。 楽器進呈のシーンの画像で見られるのもVK-1っぽく、中国側への寄贈を想定して持ち込んだものか。 WLMらしき画像もあるので、1日目と2日目でセットが異なる可能性もある。

 トミーはTAMAのドラムセット。 ただしこちらも、いつものサンバーストの”スーパースターモデル”ではなさそう。 これもライブ後の式典写真に出てるので、進呈用として持ち込んだものではなかろうか。少し廉価の”インペリアルスター”あたりか?(廉価と言っても、ポリスのスチュワート・コープランドも使っており、ただの廉価版ということではないと思う)。 同年5月のNHKホールでのライブ(「DISCOVERY」参照)で確認できるシンセ・ドラムは見られない。

 新メンバー吉沢は、GRECO GOBIIのナチュラル。 サンバーストのGOBIIが、後ほど中国側に進呈されたことがLPのライナー写真で確認することができる(ライブで使用したかは不明。 ナチュラルのスペアとして持ってきて、進呈したのであろう)。 アンプは未確認だが、恐らくRolandであろう。

 浅野氏はGRECO GOIII1500。 量産品のマスターボリュームのツマミのみを交換したものだ(これも中国に進呈)。 GOII1000(12弦)、 それと浅野カスタムの12弦、6弦のダブルネックギター。 サンバーストのレスポールカスタムも見れるが、これはGibson製か、Greco製コピーかの確認が難しい(当時、GrecoもGibsonも神田商会が扱っていたのでどちらの可能性も高い)。 これも中国に寄贈された。 アンプはRoland。 アンプの上にはエコーマシン(Roland)が見える。

 浅野氏の曲ごとの使用ギターは以下; 
 M1([The Birth of〜含む):GOIII、 M2-3:GOW、M4-5:レスポールカスタム(以下LPC)、 M6:GO II、 M7-10:LPC  M11:GO II 、 M12: LPC  アンコール1-2:GO III


 さて、ライブ。 「Monkey Magic」「Gandhara」と、明らかに中国を意識した選曲が続く。 珍しく浅野氏は「Monkey Magic」をWネックで弾いている。 これは次の「Gandhara」へスムーズに繋げたいがためのことだろう。  ところで意外なことに「Monkey Magic」は、公式盤『中国后醍醐』の方にはこの1日目のテイクが収められている。
 スティーブ脱退後しばらくはトミーがオクターブ下を歌っていたことが判る。 が、残念ながらあまり効果的とは思えない。
 「Gandhara」は、演奏としては特筆すべき点はないが、オーディエンスが日本人でない、こうした場合にこそ英語で歌って欲しかったところ。 日本語で歌ったのは、後々ライブアルバムで出すことが念頭にあったためだろうか。

 続いて

「“西遊記”に興味を持っていた頃、同じく“シルクロード”にも興味を持ちまして」

 と、「The Road Of Silk And Spice」「Leidi Laidi」が演奏される。 日本人が中国に抱いているプラスのイメージ、憧れの部分をそのまま表現した実にスムーズな展開である。 
 「The Road 〜」は、ショートバージョン。 編集で中を抜いた様子はないので、この時かぎりの特別短縮バージョンであろう。
 その「The Road〜」とメドレーされることの多い「Leidi Laidi」。 しかし順序はこの逆のパターンのイメージが強い(後の81年のDenonライブなど)。 あの定番的つなぎは、この時点ではまだ考案されていなかったということが判る。 公式盤『Kathmandu』ではマリンバで演奏しているフレーズをシンセ(Jupiter-4)のブラ ス音で演奏しているが、あれはちょっといかがなものか。 この音色では軽すぎる。もうちょっと重厚感のある音色がよかった。 たとえばピアノとギターのユ ニゾンにしてもおもしろかったのではないか。シンセでも Prophet-5 ならよ かったのかもしれない。 そういえばミッキーがProphet-5を弾くのを聴いてみたかった。 ローランドとのしがらみで、あり得ないこととは知りつつも。 


Namaste」 
 ホーンズも元気にコーラスに参加している様子が映像で見て取れる。




● 文化交流

 そして、お得意の曲プレゼント。 「在天津的誓言(A Promise In Tianjin)」が披露される。
 放送時の中国語の曲題テロップが、公式盤記載の「ニイハオ!天津!」と異なる。 タケカワは「ニイハオ!天津!」と曲紹介している。
 当時、さだまさしや、少し後にサザン・オールスターズ(中国語で“南天群星”と綴る)も、北京でライブを行なっており、その後あまたのアーティストが大陸を訪れてはいるが、その土地の都市名を冠した曲をプレゼントしたアーティストは、他にいただろうか。  ちょっと赤面モノのアカラサマなタイトルのプレゼントではあるが、当の中国人民にはストレートに伝わったのは確かであろう。

 
公共の音源として残るものは、恐らくこの中国ライブでの演奏しか音源が無い曲であろうから、曲そのものについてコメントしよう。 明るいメロディーに、ちょっとひねったアレンジ。 ベースがスティーブでないのが不思議なほどに、メロディー、アレンジとも黄金期そのものだ。 79年の、あの黄金期のニオイを消し去った「Kathmandu」の後に、こういう曲が作られたというのがちょっと意外である。


 天津市に歌を贈った後で、その天津市の友好都市神戸へ話題を移し、その神戸市が進めているプロジェクト、“ポートピア‘81”のことを紹介するタケカワ。 そして、そのテーマ曲「理想之港(Portopia)」へ。 無理のない、”理想之”展開である。  
 コンサートパンフのジョニー野村の言葉にも「神戸の代表として参加、出演する」とある。「新鮮で、感動、興趣で、みんなで(ゴダイゴの音楽を)楽しむことを希望する」と。 余談であるが、ジェニカミュージックは中国語で「祐人音楽」と記されている。

 演奏のほうはフルスケールだ。 実に長い。 でも良い。 この曲は、このぐらい長くてプログレっぽいのが似合う。 また、不思議なことに、この曲は日本語のほうが良い。 英詩には繰り返し(メロディが違うにも関わらず)があったりと、日本語を聞き慣れたからだけではない違和感が残る。 逆に日本語詞バージョンは ”山の心が〜”の部分など詞先だったのかもしれないと思わせるものがある。
 そして最後のギターソロは、やはり泣ける。 この曲のライブバージョンの完成形と言っていいだろう。TV放送では浅野氏の表情と指の動きが両方同時に楽しめる素晴らしい映像も見られる。

 またギター・ソロ部分のドラム・プレイにも特徴がある、というか解釈に非常に悩まされる部分である。 ここはドラムだけ半拍ズレているのか、何なのか。 バスドラとスネアのみキメのクイに合わせているドラミングが、なんとも不可思議。 パターンと見るかフィルと取るかであるが、4拍子で数えていくと最後はきちんと辻褄が合うので、ドラムだけ半拍ズレているという解釈もある。 あるいは、ここは“こーゆーフレーズなんだ“と理解した方が、8ビートの基本パターンをズラして演奏していると考えるより、実際演奏する時には混乱は少なそうである。
 仮に自分であの部分のリズム・トラックを作った場合、裏拍を強調したパターンにしたとしても心配で表拍にスネア入れてしまいそう。 また普通のゴダイゴ的発想(?)だと「Taking Off!」や「Cherries Were Made For Eating」のイントロのようにフィルでリフに絡むプレイをしそうであるが、その直前に管が暴れるところがフィルフィルしているので、ちょっと違った方法を取りたかったのかもしれない。
 いずれにせよシンプルであるが非常に変態で面白いプレイである。


「Happiness」
 なぜこの曲が入っているのか不思議ではある。
 ロック初体験の中国人民に対して、ソフトな曲として選ばれたか、「幸福」(中国語タイトル)という意味を重視したからだろうか。 位置的には「Portopia」でお腹一杯のところ、次の「Beautiful Name」も長くなるので、ひと呼吸いれたということは考えられる。
 
1番日本語2番英語のライヴヴァ−ジョン。 ミッキーのピアノが79年と較べて、軽やかに活き活きとして、テンポも速め。 最後はシャウトなしで、あっさりと終る。


「Beautiful Name」

 そして、いよいよ登場「Beautiful Name」 。 今やすっかり定番であるサビの部分の現地語バージョン。 まず、観客に中国語による歌詞を覚えてもらうことから。 一生懸命、中国語で説明するタケのMCが、観客の、いい意味での笑いを誘い、会場の雰囲気が和んでゆく様子が判る。

 このサビの部分"Every child has a Beautiful Name" に、中国語では“Every child has”までしか歌詞が当てられていない。 中国渡航前には英語の歌詞と同じく“a Beautiful Name”にあたる“漂亮的名字”までが歌われるバージョンが存在した(出発前のTV番組で、そのバージョンは披露されている)。
 が、このライブ特番の放送でのタケの中国語特訓に見られるように、中国語は四声による、音の上がり下がりが重視されるので、早口で“漂亮的名字”までを歌ってしまうより、ゆっくり歌ったほうが良いと判断されたのであろう。
 中国人民に向けてタケによる、熱心な歌唱指導が続く。 日本で制作された当日のプログラム。 5分(約8円)で売らていたこのプログラムに、歌詞が印刷されており、

「念一下(もう一度読んでください)」

 とタケ。 曲目を紹介したパンフの下に「来場の皆様! みんなで一緒に”ビューティフルネーム”の詞を歌いましょう!」との記載がある(勿論中国語で)。 三つ折の中央のページ(背表紙)に記載のある「Beautiful Name」の歌詞の中国語訳だが、これは日本語バージョンを直訳したものなので、全てをこの中国語歌詞で歌うのには無理がある。

 「請捻了マ?(わかりましたか?)」、「再来一次(もう一回)」、「請大声(大きな声で)」。 この放送で、どれだけこれらの中国語を覚えたことだろう。 後年、中国を旅行し、筆談に交えて“ティンドンラマ?”を連発して中国人民との交流を楽しんだ経験を持つ者もいたという。

 曲が始まり、いよいよ大合唱の部分。 最初はなかなか躊躇して声が出ない観客。 でも、笑いと共に徐々に徐々に大きくなってゆくその声。 浅野氏や吉沢洋治は観客席にまで降りていって、一生懸命歌ってもらおうとするなど、なんとも微笑ましいシーンが展開されている。 ミッキーもトミーも観客を盛り上げようと舞台の前面まで出てきて応援している。 この時、ドラムはホーンズの岸本博が叩き、トミーと入れ替わるシーンがTV映像の片隅で確認できる。


 途中、この歌合戦のサポートのため舞台に中国側の出演者たちが招き入れられる。 YU淑珍、楊新英や天津市雑技団など音楽会の第一部を務めた面々だ。 この中国側出演者の中に当時中国の人気歌手関牧村の姿がある。 ゴダイゴの前のステージで、中国現代歌謡のみならず、「知床旅情」や三波春夫の「日中友好音頭」を披露してくれた。 彼女は現在も中国で活躍中である。

 この音楽祭での共演が縁で、関牧村に「愛のつばさ - No Place for My Love -」という曲をタケカワが提供し(英語詞:奈良橋陽子、編曲:ミッキー吉野)、レコーディング演奏をゴダイゴが行なっている。  同曲は第10回東京音楽祭参加曲として発表された。 この音楽祭での交流の成果のひとつといえよう。
 関牧村はレコーディングなど事前打ち合わせでは来日を果たしているが、残念ながら予定してた3月19日のポートピア開幕コンサート、29日の東京音楽祭には病気のため来日できず、もう一度ゴダイゴと同じステージに立つことは叶わなかった。
 一方、天津市長は、翌年の3月17日に、天津のもうひとつの姉妹都市四日市で行われた両市の友好都市提携記念祝賀大会に招かれ、そこで「ニイハオ天津」や「Beautiful Name」などゴダイゴの演奏を再び聴く機会を得ている。

 さて、ステージのほうは、会場全員での大合唱から、“Every little child can laugh and sing in the sun”の通常演奏へ。 タケのボーカルが粗い。 ライブも後半にさしかかり、疲れも出てきたかと思ったが、次の曲では声の調子が戻るので、よほど観客の指揮に神経を使ったのであろう。  
 間奏のアレンジは『Magic Capsule』の頃とは変わっているが、いつから変わったのだろうか。 「Discovery」(同年5月)の時点では既に変わっているから、それほど後のことではないことは確かだ。
 その間、タケは、ヘルプしてくれた中国側の出演者を舞台の袖へと退場を促す。 きちんと会釈し“謝々”を繰り返しながら。
 なんとも心温まるシーンではあるが、残念ながら公式ライブ盤『中国后醍醐』には、このシーンは収録されていない。 もっとも公式盤は主に2日目の音源だったので、2日目も同じようにタケが会釈しながら“謝々”と言ったという保証はないが、異文化交流を音楽で果たし、礼をもって報いた良いシーンなので、収録されていないのが実に惜しい気がする。

 ロックバンドとして、ある意味垢抜けない、あるいはハッタリの効かないゴダイゴではあるが、こう言った、実に真面目で真摯な態度に好感を持つファンも多く、些細な場面ではあるが、こういう心温まるシーンは、この音楽祭の主旨を考えれば公式音源にも残しておいて欲しかった部分である。

 公式ライブ盤『中国后醍醐』は選曲からいってもあまり新鮮味は感じられなかったし、発売のタイミング(1980年12月25日)にしても、『Kathmandu』リリース(同年10月1日)の直後で、有り難味に欠けるものでもあった。 “式典バンド”としての、いわゆる記念碑的アルバムだったと言わざるを得ない。 ならば、いっそ、“式典”としての意義を重視して、中国人民との交流を印象付けるシーンや、もっとこの音楽祭の意義を称えたMCを多く公式盤には採用してもらいたかった。

 後述するが、メンバー紹介のシーンや、「Celebration」の前のMC、それに「威風堂々」など、公式盤に入れるべき音源は、もっともっと存在していたのにと、このライブ演奏を聴くたびに思ってしまう(もっとも「威風堂々」は著作権問題で発売出来なかったという理由はあるが)。

 ただ『Magic Capsule』の後、再び2枚組にも出来なかった事情もあろう。 当時のLPレコードのキャパを考えると、最新作『KATHMANDU』から3曲、『MAGIC MONKEY』から4曲、「ニイハオ天津」「ポートピア」「ビューティフルネーム」と、全体の雰囲気を網羅しており、”実況中継盤”としてはよくまとまっているとも言える。


「加徳満都(Kathmandu)」
 『中国后醍醐』にはこちらの1日目のテイクが収められている。 イントロにはホーンズによるメロディが入る。 「Discovery」で触れたが、ミッキーがイントロにメロディが無いことを悔やんだ故のライブアレンジであろうか。 スタジオ版とライブ版でアレンジが大きく異なる曲の1つだ。 先の「Portopia」など、聴き込むほどライブ版のほうがいい曲もあるが、この曲はどうだろうか。 スタジオバージョンにおいて、イントロのシンセが実にイカしていると思う向き、あるいはアコギのストロークが琴線に触れるという向きには、ライブバージョンは寂しいのではないだろうか。  それでもボコーダをきちんと使ってくれているのは嬉しい。


「Wave Good-bye」
 公式盤に採用された演奏。 公式盤との違いは、ミッキーのキーボードのみで、オルガンの音はない。 公式盤『中国后醍醐』では、『Kathmandu』同様にオルガンの音がオーバーダブされている。 放送音源の方は間奏にもミッキーのオルガンがなく、サックスのソロが際立つ。 サビのコーラスがほとんど聞こえてこない。 これほど聞こえないと、オルガン同様、アルバムで補いたくなるのも判る。

 パンフレットには以上12曲が記載されており、予定通り全曲を披露し終えた(曲の記載がこれ以上なかったので、ここで観客が帰ろうとするような素振りがTVで見受けられる)。 パンフレットの記載では、曲順が一部違っており「A Promise In Tianjin」は「Beautifu Name」の後になっている。 ただこの放送及び、公式ライブ盤のほうも「Portopia」の前である。  流れるようなこのライブの進行を考えると、その位置のほうが納得いくのだが、実際のところどうだったのだろうか? 

 アルバム『中国后醍醐』のライナーに10月23日についての記載がある。「Beautiful Name」で盛り上がったとの記述に続いて、”天津での公演を祝うオリジナル「ニイハオ天津」 最新のヒット曲「カトマンドゥー」と続き、ラスト・ナンバーは「ウェイブ・グッドバイ」 アンコールは・・・(後略)」とある。 少なくとも23日は、どうやらパンフレットの記載の通りのセットリストだったようだ。 24日は詳細が報らされていないので、ひょっとしたらアルバムと同じ流れだったのかもしれない。 それに併せこの23日の放送も曲順が変更された可能性もなくはない。

 いずれにせよ、続くアンコールの2曲を含めコンサートのほぼ全容が明らかにされているライブも珍しい。 1時間ちょっとの間に見事に凝縮されたライブだったと言える。 このあたりも、過去最高のライブと言った、メンバーの充実感、手応えの要因となっているのかもしれない。




● 在天津的誓言

 アンコールの拍手に迎えられてメンバー再登場。 そしてこのライブ放送の、ひとつの目玉であるメンバー紹介。 ここは、メンバーがそれぞれの楽器で、簡単なソロ演奏を披露するのだが、その時に映し出される会場の様子が興味深い。 中華風旋律を織り交ぜた浅野氏のギターに喜び、吉沢のCoolなプレイに思わず拍手する人たち。 トミーのドラム・ソロに身を乗り出して見入ったかと思えば、ミッキーの楽しい演奏に笑い出し喝采を送る観衆。 音楽を通して人と人同士が打ち解けていく様子が見てとれる、とてもいい場面である。 上述の「Beautiful Name」の場面と共に、公式盤の方にも是非収録してほしかったシーンである。
 タケが中国語で自己紹介した他に、ミッキー吉野も通訳に「鍵盤奏者の”米基吉野”(MiJi JiYe)、彼らのリーダーです」と紹介された後、自ら「我是 吉野光義(JiYe GuangYi)」と自己紹介している。

 そして「この音楽祭の成功を祈りながら、それから世界平和を願って」(タケMC)、次の2曲が贈られる。

 「Celebration」

 演奏と同時に湧き上がる手拍子がなんとも感動的。 ライブが始まった時の、とまどったような拍手とはまるで別モノ。 ゴダイゴのサウンドを聴いて自然に体の中から湧き上がる躍動を、体全体を使って表現している様子がよくわかる。

 タケと浅野氏が、81年春に受け持ったラジオ番組「ゴダイゴ・ウィング」でも“観衆が最後には、ほんとに喜んでくれるようになった、心から笑ってくれるようになった、その様子が舞台の上から見ていても判った”と語っている。 演奏終了後の大歓声は、オープニングの様子からは想像できない、心からの快哉ではないだろうか。 

 中国におけるコンサートは、ゴダイゴにとっても更に自信を深める経験となったようで、FC会報にレポートを寄せる浅野氏は、

「どんなところでもやれるという自信とパワーを感じる。今度はもっと大きなことがやれるような気がする」

 と記している。 雑誌のインタビューに答えてミッキー吉野は語る;

「これが新しいぼくたちのスタートという予感。 演奏はみんなの息がピッタリ合って、5年間のゴダイゴの中でも一番よかった部類に入る」

 「Celebration」もこのテイクがアルバムに収録されている。 後半は公式盤に採用されたテイクが続く。  演奏は前年のものと基本的にあまり変わっていない。 ただし、ベースだけは違いがある。 特にサビ。 スティーブは8分音符中心だったが、吉沢は4分音符中心のフレーズに変えている。


 番組では、ここで、ライブを見終わって会場を後にする観衆の姿とそのインタビュー風景が映し出される。 一様に感動を顕わにする人々。 ゴダイゴの演奏は、新しい音楽に触れる喜びと、そして明るい未来への希望を中国の人たちにも届けることができたのではないだろうか。

 1977年、文化大革命の終結宣言を経て、現実路線へと転換してゆく中国。 日本そしてアメリカとの国交が正常化されていく‘70年代後半。 おそらく中国の近代史の中でも対外的に開放へ向かう機運が一番高まっていた時期であったろう。
 しかし、その流れのままにコトが動いてゆかないのが、混迷の大陸、中国の難しいところ。 80年代に入り、西側の資本導入などに極めて積極的になってゆく反面、行き過ぎた民主化運動を批判され、時の党書記胡耀邦、首相の趙紫陽が失脚するなど(1989年天安門事件)、まだまだ、行きつ戻りつの、うねりを繰り返す中国である。
 2003年になっても西安市の西北大学で日本人留学生の思慮に欠ける行動から日本人排斥運動のデモが起こっている。 2004年サッカーアジアカップでの排日暴動も記憶に新しい。 現代が日中関係最悪の時期であるとする評論家もいるほど。 
 国際政治は、その時代々々のパワーバランスでしか語れないものであるが、いつしかそんな国家と国家の、あるいは民族間の利害を超えて、人と人とが互いに手を取り合って世界平和の実現のためにひとつになれたらと、心から思う。


 そして、そんな揺れる大地、中国での演奏の最後に贈られた曲が「威風堂々」である。 まさに、こういったライブには相応しい楽曲である。
 放送ではミッキーのピアノの部分から映像が流れる。 ホーンズのイントロ部分は、放送時間の都合でカットか、あるいは日本でのライブのように、この部分はテープ演奏だったかで映像を流すまでもないと判断されたか、会場を後にする観客へのインタビューと重なるように最後の和音が聞き取れるものの映像は無い。 またゴダイゴホーンズ参加の「威風堂々」としては、最後の公式放送音源となる(ショートバージョンは「ホープインホープ」という番組(日本テレビ1981年2月14日放送)で、ローマ法王の御前で演奏されたものが放送されている)。


 こうして、ライブは成功裏に終了する。 開演直後のまばらな拍手と、最後の「威風堂々」終了後の喝采と較べるだけでも、十分に音楽交流の成果があったということが判るというものである。
 
 
  “We can love each other

        This, we will believe“



 いつかはきっと信じあえる。 その信念さえ失わなければ、世界はいつの日か、ひとつになれるはずである。 中国人民と共に、素晴らしいライブを ありがとうと言いたい気持ちで一杯である。


 そして、あれから間もなく四半世紀が経とうとしている2004年。

 「機会があれば何度でもこの天津に来て演奏したいと思います」 (タケ MC)

 あの時、交わした約束(PROMISE)は、まだ果たされていない。 我々も、中国人民と一緒に、ゴダイゴの再渡航を夢見たいと思う。


  “May our PROMISE always be steadfast!“





参考資料:



■ 「ゴダイゴ・ウィング」 第1回・第2回放送
■ 「遊友録」読売新聞コラム 第9回
■ FC会報 No.21、22、23、24
Student Time 「Chattn' About Music」 Oct.03./Nov.7.14


【コラム】在羅府的誓言(A Promise in L.A.)


Live History #09 [HYMNAL]へ続く





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