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There'll Always Be A Chorus
関東と関西、まったく違った土地で育ったnecco&YAJが、それぞれの青春時代にどのようにGODEIGOと出会い、
そして、どのようにして今日を迎えたのか!? お恥ずかしい限りのY's company版「G年表」です。
| GODIEGO | necco | YAJ | ||
| 1976(昭和51年) 4月 「僕のサラダガール」でレコードデビュー 7月LP「新創世紀」 |
千葉市内の小学4年生。 読書好きの、おとなしい(?)女の子だった。 |
奈良の片田舎の小学5年生。 田んぼで泥だらけになりヘビやカエルと戯れる日々。 |
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| 1977年(昭和52年) 6月サントラ「ハウス」 11月LP「デッド・エンド」 |
生徒会長、児童会会長、野球部主将・・・人生のピークを既に迎えてしまう。 TVのCMで「ゴダイゴ」の文字を目にした記憶あり。 アメリカ中西部の映像だったような・・・ |
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| 1978年(昭和53年) 1月LP「CMソング・グラフィティー」 7月サントラ「キタキツネ物語」 10月LP「西遊記」 |
中学生。 日夜テニスに明け暮れる。 部活の帰り先輩宅で「赤い狩人」を聞く。 大いに感動。 父親に「買って」とおねだり。 翌日父親はLP「キタキツネ物語」を買ってきてくれら。連日、大音量で聞きまくる日々。 「西遊記」をリリースと同時にお小遣いで購入。 大音量で聞きまくる日々が続く。 ザ・ベストテンの初出場シーンは見覚えある。 |
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| 1979年(昭和54年) 5月「走り去るロマン」再販 6月LP「あわー・デケイド」 7月LP「交響詩 銀河鉄道999」 10月LP「マジックカプセル」 映画「マジックカプセル」全国一斉公開 |
中学1年。 7月、お昼に全校生徒の投票による歌謡曲「ベストテン」が校内放送される。当時の流行歌に疎かったので友人に頼まれるまま「銀河鉄道999」をリクエスト。こんな曲が流行っているのかぁと漠然と聞いていた。 11月友達に誘われ映画「マジック・カプセル」を観に行く。本当は同時上映の「星のオフフェウス」がお目当て。 しかし映画のライブシーンに魅せられる。 映画終了後、最後の1冊しかなかったパンフレットを友達を差し置いてGet! 数日後初めてのLP「マジックカプセル」を購入。 少し後に「アワー・デケイド」も購入。 どちらもテープに落し擦り切れるほど聞きまくる。 12月30日 日曜特番「音楽の魔術師」で武道館ライブを見る。「あと20年で21世紀だって気づいた人いる?」というタケカワさんのMCに感銘を受ける。「一緒にやらないか、というのはどうかな?」と言う呼びかけを反芻する(幼かった私の夢:東京外大→外交官→地球を救う???) |
中学2年。 英語で過去形を習い「西遊記」の歌詞が過去形で書かれていることに気づき驚く(遅い!?) クラスの男子でゴダイゴかサザンか?で論争。男性はゴダイゴ少数派(くやしかった)。洋楽好きの1人が支持してくれたが。 リリースの度、なけなしの小遣いからLPを買い続ける(「走り去るロマン」「アワーデケイド」「交響詩 銀河鉄道999」「マジックかプセル」)。 同時に、少し筒過去の作品も揃えてゆく(「デッドエンド」「CMソング」)。 「新創世紀」はB面が「マジカプ」とダブるので、財政的判断で断念。 EPは「ガンダーラ」「ビューティフルネーム」のみ。 コンセプトアルバムという考えが好きで、以後もEPよりはアルバムをメインに買い揃える。 24時間TVの深夜ライブをTVから録音。 「威風堂々」は宝物音源だった。 「音楽の魔術師」のメッセージに感動。 21世紀に思いを馳せる。 このライブ音源も宝物 ^^ |
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| 1980年(昭和55年) 4月「ゼア・カムズ・ア・タイム」(トミー・ソロ) 7月「レナ」(タケ・ソロ) 10月「カトマンドゥ」 12月「中国后醍醐」 |
年初にファンクラブに入る。 2月ネパールでのライブを紹介したTV番組、「アフリカの黒い太陽」を見る。 ネパールの空の青さとンゴロンゴロのピンクのフラミンゴの群れが目に焼きつく。 いつか自分の目で見ようと思う。 友達のお兄さんから「組曲:新創世紀」と「デッド・エンド」を借りる。 「アワーデケイド」やヒット曲との違いに驚く。 最初は馴染めないものを感じるが、やがてドップリはまっていく。 この頃から、お小遣いを貯めてはレコードを買い集める。 3月 ラジオを聞く習慣がなかったが、やっと「アブラカダブラ」と「ハッピートーク」を親に隠れて聞くようになる。 ・・・と思ったら終ってしまった(涙) 4月 スティーヴ脱退に愕然(どうなる、ゴダイゴ!) 10月 アルバム「カトマンドゥ」購入。 初予約購入。 勉強するフリをしては、自分の部屋にこもり歌詞を書き写す日々(ペンだこまで作る)。 映画「遥かなる走路」を鑑賞。 映画の内容はまったく記憶に無い。 テレビ放送は欠かさずCheck(テープレコーダーで録音しながら)。「NHKホールコンサート」「クリスマスコンサート」「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」etc.etc.... |
中学3年生。 受験勉強もさることながら、突然読書の虫に(現実逃避!?) 畑正憲関連を買い漁る(お小遣いが乏しくなる)。 妹を洗脳しファンクラブに入らせる。ファンクラブ名が「Walk On」になる少し手前から。 「レナ」「カトマンドゥ」を購入。 レコード屋のサービス券が10枚貯まって、それを使ってトミーの「ゼア・カムズ・ア・タイム」をGet。 スティーブ脱退のショックは、それほどでもなかった。 吉沢ヨージ加入のほうが、ちょっとショックだったかも(笑) 受験生、テレビもラジオも見ず聞かず。 メディアでの活躍ぶりには疎かった。 |
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| 1981年(昭和56年) 1月 TV特番「中国にロックが入った日」 2月 ローマ法王御前演奏 3月 東京音楽祭出演 9月「M.O.R.」 |
中学3年。 TV鑑賞続く。 1月「中国にロックが入った日」 2月「ポープinホープ」 とても魅力を感じていたローマ法王とゴダイゴの共演に感動する。 3月「東京音楽祭国内大会」の「In You勧進帳」 9月「MOR」購入(ゴダイゴとタケソロの全部揃う) 10月 ラジオ「とびきりPOP 愛の1,2,3.」を毎回欠かさず聞く(放送日の前日、決まって夢にうなされる)。 12月 NHK「ゴダイゴinクリスマス」で踊るゴダイゴを見る。この頃、唯一ビデオを持っていた友人に録画を頼むが失敗でショック。 |
TV放映された「中国にロックが入った日」を見て感動。この録音も大切に聞いていた。 LP「中国 后醍醐」は友達の田中君が買ったのをダビングさせてもらった(なにしろ、内容はTV放映のほうがだんぜん良かったから。財政問題も、もちろん大きな要因)。 春、高校生になる。 アコギに夢中になり、S&Gをコピーするなど、音楽の志向も、洋楽のアコギ・サウンドへ傾倒してゆく。 LPはリリースをチェックするも、すべて貸しレコード屋でダビング(「M.O.R.」)して済ます、ゴダイゴ離れ(?)の日々。 |
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| 1982年(昭和57年) 6月「CMソンググラフィティvol.2] |
1月「世界の初日の出」をテレビで見る。 ザ・サンライズに感動する。 一応受験生。 社会が苦手科目。周りから「勉強しろ!」とせっつかれる。 しかしタケがFC会報で「なにかひとつ好きなこと、得意なことを伸ばしてみて他人の追随を許さなくなった時に、ほかの勉強のやり方もわかるし、気持ちのゆとりも違うと思います」といっていたので、好きな英語ばかり勉強(”勉強”というかゴダイゴの歌詞を訳したら「百万人の英語」を聞いていた)。 高校受験の二次試験、小論文のテーマは「道」 当然、最後を「MOR(Middle of the Road)」にひっかけて締めくくる。 春、東京の女子高へ通いはじめる。 5月 初めてのコンサート。 船橋西武の「ベストヒット・スペシャルコンサート」(無料 ^^)。 西武の中の喫茶店「HAPPINESS」(命名:タケ)のオープニング記念だった。1週間前からスケジュールを立てて(何の?)興奮して眠れず。 船橋西武では、ファンクラブのイベントも開催される。VTRコーナーに何度も足を運び、ゴダイゴ・ウイング番外編やゴダイゴ名画座を繰り返し見る。 10月 津田沼の習志野文化会館でコンサート。これも船橋西武の関係で無料コンサート(^^)/ |
LPは貸しレコード屋で調達の日々。 「CMソングVOL.2」も貸しレコード屋で。 音楽的にも、ゴダイゴ離れの一年。 というより、音楽離れのラガーマン人生を送っていた。 |
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| 1983年(昭和58年) 1月「白い街角」(タケソロ) |
ラジオ「Live in’83」スタート。日曜お昼の生放送。日曜はどこにも出かけられなくなる。 11月 東京外語大学でのタケの講演会 12月 「キャリーラブコンサート」 東京郵便貯金会館 この年か翌年頃(記憶が定かでない)、奈良橋陽子(YOKO)演出、タケカワユキヒデ音楽担当のミュージカル「新・西遊記」を新宿シアターモリエールで見る。その後も、「新・西遊記」の別バージョンや、池袋サンシャイン劇場での「MONKEY」も見に行く。 出不精で行動力のなかった私が、ゴダイゴのことになると「即行動!」で、一人で知らない場所にも出かけていくので親はあきれる。 |
LPは貸しレコードやで調達の日々続く。 「白い街角」 文化祭でギターデュオで舞台に立つ。 でも、開催数日前、夢で見たのは、ゴダイゴのメンバーが助っ人で駆けつけてくれて、ゴダイゴの演奏で「銀河鉄道999」を熱唱する自分の姿であった(バカYAJ)。 受験勉強のためギターを封印。 でも、ついつい、妹のエレクトーンを触ってしまう。「ハピネス」のイントロが弾きたいがためだけに、勉強の合間をぬって練習していた(ギター封印の意味ナシ!) |
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| 1984(昭和59年) 1月 「フラワー」 2月 イメージアルバム「百億の昼と千億の夜」 8月 「泥棒日記」(タケソロ) 9月 「平和組曲」 10月「ワン・ディメンジョン・マン」 |
8月 タケのシングル「トゥナイト」のジャケットに一目惚れ! 8月 タケと浅野氏が出演した日比谷野外音楽堂で開催された反原発イベント「Atomic Cafe Music Festival1984」を母と観に行く(尾崎豊、伝説の骨折ダイヴ現場を目撃する)。 9月 「平和組曲」購入。念願の「威風堂々」に感動(でもイヤな予感が)。 10月「ワン・ディメンジョン・マン」購入。久しぶりのコンセプトアルバムに胸躍る。でも、なぜかイヤな予感が不吉な予感に変わっていく。 |
受験に失敗。 浪人生となる(T‐T)。 貸しレコード屋調達続く「フラワー」「泥棒日記」 相変わらず貸しレコード屋の日々だったが、「平和組曲」をレコード店で見つけるや否や速攻で購入!’79年に聞いて以来、実に5年間待ちつづけた「威風堂々」の公式音源。 続く「ワン・ディメンジョン・マン」も勢いで即購入! しかし浪人中の身。 ゴダイゴに迫る解散の危機を知る由もなく、来春の大学合格後のライブ鑑賞を夢見る。 |
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| 1985(昭和60年) 4月 ファイナルツアーを主要都市で行う。 6月 「インターミッション・ファイナルライブ+2」 |
ファンクラブからファイナルツアーの案内が来る。目の前真っ暗になる。「一緒に21世紀への準備をしていくんじゃなかったの!!??」と心の中で叫ぶ。 春4月、大学生。 4月ファイナルツアー。 新宿厚生年金会館で号泣! 「インターミッション」は聴くのが辛くて、あまり聴いていない。「The Great Sea Flows」は歌詞をどう受けとめていいのか判らず、何度も歌詞を読む。 |
春4月。大学合格。 上京。 上京を期に、コンサートに行くぞ!と心に誓っていた(これまで、田舎育ちだったので、コンサートに行くという発想が全くなかったので)、が、しかし!大学生活が始まってすぐ、とある雑誌で「ゴダイゴ解散!」の記事を読み、ヒザから崩れ落ちる(T‐T) 泣く泣く「インターミッション」ご購入。 |
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| 1986(昭和61年) 1月 タケソロ「ドント・ターン・バック」 5月 「コマーシャルライフ」 |
タケのソロコンサートが東京であれば行く。 1月 「ドント・ターン・バック」購入 5月 「コマーシャルライフ」購入 東京学生英語劇連盟のミュージカル「Tarzan〜Return to Africa」(主演:別所哲也)を見に行く。奈良橋陽子演出で全曲オリジナル、YOKO&TAKEコンビの作詞作曲!感動・号泣!おまけに翌日の通学電車で、打ち上げ明けのスタッフと会う(運命?)。思わず、声をかけ「来年は私も参加したいです」と言ってしまう。 |
2月、スキーツアーでじん帯損傷。 一人だけ日程を早めて帰郷。 帰りの電車の中でウォークマンで聞いていたのが「ドント・ターン・バック」。長野山中の冬景色と「ウィンター・グリーン・アンド・サマー・ブルー」が、心に染みました。 車中で涙にくれる(T‐T) 8月 初の海外旅行。「中国」へ。 筆談以外に、「ティンドンラマ?」が通じて、嬉しかった |
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| 1987(昭和62年) 2月 「ハロー/グッドナイト」(タケソロ) |
大学3回生。 ゼミに入る。テーマは中国政治。入った動機もやや不純(と、まわりに言われる。。。そ、それだけじゃないんだけどな。。。) あいかわらず、東京でタケのコンサートがあれば行く。 2月「ハロー/グッドナイト」購入 東京学生英語劇連盟に裏方として参加。「アマデウス」上演。合宿で奈良橋陽子さんと一緒に夜の海を見ながら少しお話したことも素敵な思い出。 春4月、ゼミ旅行のバスの中、一人一曲づつ歌うハメになり、歌の苦手な私は、とっさに「ハピネス」を歌ってしまう(超ハズカシー!) 合宿所の居間で「トライ・トゥー・ウェイク・アップ・トゥ・ア・モーニング」を弾くYAJさんを見る(が、異性として、なんとも思わなかった)(爆) 合宿後、「ハロー/グッドナイト」をYAJさんに貸すが、返してもらったその日、電車の中に置き忘れる。そのうちまた買えばいいやと思っているうちに廃盤。(未だに入手できていない。 大後悔! T‐T) |
大学3回生。 ゼミに入る。 テーマは中国政治。 入った動機はゴダイゴではなかったが、親しみを持っていたのはゴダイゴのお陰だと思う。 春4月ゼミの新歓旅行で「ハピネス」を歌うneccoさんと出会う。 飲み会の席で「僕もファンだった」と言うと、「・・だった!?」と切り返される。 「だって、解散したでしょ・・・(オドオド)」(YAJ) 「いえ、あれは、一時休養であり、解散ではない!」(necco) 「スイマセン」と平謝りのYAJ(T‐T)(泣いてばっか) 翌朝、ピアノで「トライ・トゥ〜」を弾いてご機嫌をとる(^^;) 後日「ハロー/グッドナイト」を借りる。 こちらからは、ラジオのエアチェックしたものを、貸してあげた(異性としては、全然意識してませんでした)。 |
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| 1988(昭和63年) |
2月 ゼミのメンバーで、中国へ。初の海外。いきなり1ヶ月のバックパッカー。上海〜昆明〜成都〜西安〜北京・天津。タケが着ていたのと同じ軍用の綿入れコートを着て万里の長城に立ち、感無量!天津のコンサート会場にも足を運ぶ(冬の天津はとにかく寒かった^^;;)。
昆明までは、一緒だったらしいYAJさんの記憶は、ない。。。 大学4回生 6月 渋谷パルコ・スペース・パート3でのミュージカル「スター・シャイン」。脚本・演出・作詞:奈良橋陽子、音楽監督:ミッキー吉野、作曲(一部):タケカワユキヒデ。音楽はもちろん、熱気にあふれたダンスシーンもとってもよく、「舞台っていいなぁ」とつくづく思う。思わず、パルコに入社したくなって、入社説明会にまで行ったりして。。。^^; (パルコ・フェ―ム・プロジェクトってまだ続いてるんでしょうか?) この他にも、MLSのミュージカル「ピーターパン」(奈良橋陽子演出、タケカワユキヒデ作曲)を見に行ったり、テレビでタケが音楽監督をした野田さんの「十二夜」を見たりした。タケとミュージカルはとっても相性がよいので、もっとやってほしいなぁ。 |
大学4回生。 就職活動も終わって、一息ついたころneccoさんに連れられてタケのソロコンサートに行くようになる。郵便貯金ホールでやった、タケの自分の音楽の変遷をたどる構成のコンサートで「白い彷徨」の英詞ヴァージョン「Vagabond」をギターで弾き語ってくれたのは感動でした。 neccoさんから、昔のラジオ放送(ホンダ・ライブイン’84)の中の曲「If you Love me」(「フラワー」収録の「オンリー・サイレンス」の元歌)「You Know・・・」(未発表)の入ったテープをもらう。 「あれ?」っと、勘違いする(バカYAJ)。 自作でタケ風の曲を作ってプレゼントしたりする(ますます、バカYAJ) |
| 1989(昭和64年・平成元年) 7月 「アイ・ラブ・ユー」(タケソロ) |
卒業を期に、なんとなくお付き合いが始まる。 ともに東京で就職。社会人1年生。YAJは商社マン、neccoはシンクタンクの研究員(老人福祉・児童福祉)。 この年も、コンスタントにタケのソロコンサートにでかける。 LP「アイ・ラブ・ユー」購入。 このころ新譜は、どちらか(主にYAJ)が買うようになる。 |
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| ★ 1990〜1991(平成2〜3年) |
タケソロアルバム(「予感」)はコンスタントに購入するも、だんだんゴダイゴのイメージから遠ざかることに寂しさを覚えるふたり。 だんだんとコンサートにも通わなくなり、その音楽からも離れていくことに。ただしデートの車中は昔のゴダイゴサウンド全開! |
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| 1992(平成4年) |
10月 結婚 披露宴の入場曲は「威風堂々」(エルガー・バージョン) (しかし招待客入場の時は、ゴダイゴ版「威風堂々」が大音響でガンガン流れていた。 "Can't cure the hate!"とかのシャウトが宴会場の外まで聞こえていて、恥ずかしかった #^^#)ゞ |
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| ★ 1993〜1998(平成5〜10年) |
neccoは念願のインド&ネパールへ。カトマンドゥの街を歩きながら既視感にとらわれる。 タケソロ「ファンタジア」 「ガンダーラ伝説」(および、各シングルCD)、 ミッキープロジェクト「Sprit of Godiego」「ゴダイゴ記」などを購入するが、何かが違うんじゃないかと、都度都度、ふたりで論議になる。結論は、いつも、”やはりゴダイゴはミッキーとタケが一緒にやらなきゃ!” 「ザ・ベストテン同窓会」の放送には、ふたりしてがっくり。 「あぁ、ゴダイゴは終わってしまたんだ・・・」と。 一方で、再販になる旧譜のCD化は嬉しかった。 一家にLP2枚づつ以上あるのにもかかわらず、出るCDは全て、ご購入。 家族旅行の車中は相変わらずゴダイゴ一色。 愛車の名前は「ゴダイゴ号」(笑) 1997年10月 息子のKOが生まれる |
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| 1999(平成11年) 6月 再結成の発表(10月〜12月の期間限定) 10月 「ワット・ア・ビューティフル・ネーム」 11月 再結成ツアー開始 12月 紅白歌合戦出場 |
6月 再結成の知らせに狂喜乱舞。 10月 ゴダイゴ再結成。neccoも3年前にいったん辞めた会社に復帰。(最高の偶然にまたもや運命を感じる!?) 新譜に無我夢中。 neccoは、ウォークマンで電車の中で聞きながら、人目もはばからず落涙。 そして、再結成コンサート初日神奈川県民ホール。YAJにとっては、初「生ゴダイゴ」。「ライティング・マン」のイントロを聞いた瞬間、涙で何も見えなくなる。 neccoも初スティーブに大感動 いろんな曲で涙、涙。ミッキーが「ゴダイゴは21世紀に大人になる子どもたちのために何かをしよう、ということをテーマの一つとしてやってきた。この再結成はその答えです」と言ってくれた。覚えていてくれたんですね。neccoのトラウマも解消されました。 その後、ゆうぽうと、新宿厚生年金会館 と都合3回足を運ぶ。 「紅白」もTVで堪能し、充実の1999年を、終える。 |
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| 2000年(平成12年) 7月 再々結成 アンコールツアー |
5月 HP Y's companyを立ち上げる。 7月 岡山へ「威風堂々」を聴きに行く。 感動。 |
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★ 紆余曲折はありましたが、めでたく現在にいたる。 いろんなHPで知り合った人たちと、オフ会などで楽しく過ごさせてもらってます。 |