まあ、何と言うか。
絶望的?
これは死んだなぁ、と、酷く冷静に観察している自分にびっくりです。
眼前に迫りくるトラック。
後数秒もすれば僕はひき肉だ。
ふと、漫画や小説での登場人物の死因には、異様にトラックによる事故が多いのは何故だろうと考えてみる。
勿論意味は無いし、無かったけれど。
――さて。
正面から眺めると強く感じることに、トラックは車高が高い。
だから、撥ねると言うよりは轢くんだろうね。
バンパーの下をちら見して、ああ、駄目だな、と改めて思った。
走馬灯のように人生のダイジェストが脳裏を過ぎったり――は、しない。残念なことに。
そもそも生きてて良いことなんてあんまり無かったしね。
僕がこの世に生れ落ちてから16年間で、そこそこは浮き沈みもある人生を歩んで来たけれど、残念ながら僕が死んでも大して悲しんでくれる人なんていないんじゃないかなあ。
両親?
もうとっくに鬼籍に入ってます。
兄弟姉妹?
いません。欲しいなあとは常々思ってるんだけどね。特に男兄弟は。
養父母?
悲しむより、喜ぶかも。厄介者だったろうし。まあ、保険金が入るだろう事は唯一僕が出来た孝行かも知れない。
友達?
一人くらいは欲しかったな。一人もいないってどうよとか思った? 僕も少し思う。でもいない。言ってて虚しいけど。
恋人?
ありえないです。大体女の子には怖がられる。話しかけただけで泣かれたこともあるくらい。だから恋人なんて夢のまた夢かな。それ以前に友達もいないのに恋人とかありえないしね。
……はあ。
そう考えると酷く惨めな気分になった。
もしかして僕っていてもいなくても良い人間だったりするかも。
むしろ死んで喜ぶ人たちだって少なくないんじゃないかな。
それは言い過ぎ? 被害妄想?
うーん、そう思いたいのは山々だけれど。
物心ついてから気がついたんだけど、どうも僕は感情を表現するのが苦手らしい。
いや、そんな生易しいものじゃなくて、そもそも僕には表情が無いらしい。言葉にさえも。
人形、と呼ばれた。
感情がないと。
勿論そんなことは無い。
僕だって殴られれば痛いし、辛いことがあれば悲しい。
怒りもするし、恋もする。
妬んだり、落胆したりもする。
まあ、当たり前のこと。人間だものね。
だけど全く顔に出ない。表情筋が麻痺でもしてるのかも知れない。そう言う機能がきっと実装されてないんだ。
言葉にも気持ちは乗らない。養父母にはロボットが喋ってるみたいだって言われた。さすがに酷いのでへこんだ。
だけどそれすら伝わることは無くて、こんな風に言われても何も感じないなんて、なんて不気味な子供だと気味悪がられた。
いや、感じてますから。超傷つきましたから。
そう言う気持ちを込めてじっと見つめたら、何か怖ろしいものでも見たように目を逸らされた。
……痛いね。色々。
学校に行っても大体そんな感じで。
去年の僕の担任だった新卒の先生はノイローゼになって実家に帰ったらしい。
やっぱり僕の所為だったとか。教師としてやっていく自信をなくしたって。
勿論それを聞いてショックを受けたのだけど、クラスメートには最低だの冷血だのと罵られた。
最低の気分なのは確か。でも、僕はそんなこと、欠片だって望まなかったのになあ。
侭ならないものだね。
まあ、何と言うか。
絶望的?
だから死んでもいいかなぁ、と、酷く当然に諦観している自分に納得です。
眼前に迫りくるトラック。
そうして数秒もして、僕はきっとひき肉になった。
だけど最後の最後で僕が思ったのは。
死にたくないなあ、なんて情けない哀願。
くるくるくるくるくるくるくるり。
くるりくるくる。
落ちていく。堕ちていく。
真っ白な闇に。
刹那の永遠に。忙しない悠久に。
ふっと気が付いて目を開けたなら、そこは全き不明の庭。
くるりくるくる。
くるり。
僕は昇り、吸い取られた。
真っ黒な、大いなる光の中に。
幻視するのはただ。
咲き誇る、桜の、花。
かつん、と。
手を伸ばそうとしたら硬い感触にぶつけた。
足を伸ばしてみる。
かつん。結果は同じ。
何だろう?
どうも僕はとても狭い部屋――あるいは箱の中に寝転がされているらしい。
体勢が苦しいので寝返りを打とうとして失敗。狭い。超狭い。そんな余裕すらないくらい狭い。
とにかく訳が分からない。
まずは状況を確認しないと。
ゆっくりと目を開けて……開かない。暗いから? いや、暗いのだろうけど。そもそも目が開きません。
失明!? じゃあ、ない。
目は開かない。見えない。でも、何故か見える。説明し辛いけれど、見える、というのとは違うかも。
とても不思議な感覚だった。
半ばパニックになって手足をばたつかせても、がたがたとここは揺れるだけ。
揺れる? ということは部屋じゃなくて箱なのだ。
そもそも何で箱詰めにされてるのか? そこがまず問題。
贈答用? って、そんな馬鹿な。でも、人が箱詰めにされるような場面ってまず思いつかないなあ。
大体人間は箱詰めにされるとすぐに発狂するしね!
変な宗教の怪しい修行とか、マジックとか? 後は棺桶とかくらいじゃないかなあ、人間箱詰め。
……棺桶?
……。
…………。
………………。
……棺桶!?
かつん、と。
手を伸ばそうとしたら硬い感触にぶつけた。
足を伸ばしてみる。
かつん。結果は同じ。
そう言えば、たまに聞くよね。
死んだと思って埋葬したら、実は生きてて、奇跡の復活を遂げたとか言うやつ。
ほとんどありえないけど、でも確かに世界には報告例が何件かあるらしい。
でも日本だともっと絶望的確率になるとか。何故って? 日本は火葬だからね。 生き返ったとしても焼かれたら死ぬ訳で。
火葬場に着くまでに息を吹き返したりなんかしたら、それこそ生きたまま焼かれる地獄の苦しみですよ。
え?
天井らしき部分を軽くノックしてみる。
えーと?
ま、まさか、ねえ?
がこん。
暫く呆然としていたら、なんか箱(?)ごと持ち上げられました。え? 運ばれてる?
どこにって、そりゃあ火葬――ばあ?
ぎゃーーーーーーーーーー。
死にたくない。焼かれたくない。生きてます。生きてますから!!
え? こんなときでも声に出ない? いや、ありえないですから。
そりゃ良いことのない人生でした。
思ってることが上手く表現できなくて誤解されたりね。まあ、そんな生易しいものじゃなくて、本気で憎まれたり怯えられたりしたけど。
挙句トラックに轢かれ、て、そうか、それで棺桶行き? 原型が残ってるだけでも奇跡ってものだ。
実は生きてましたって、これは奇跡かなあ。なお悪いような。不幸中の不幸とは言うのはこのことだよね。
いや、そんな暢気な事考えてる暇じゃないし。
がたがたと暴れてみる。効果なし。
だーーーーーーー、狭い。狭すぎて上手い具合に力が入らないし。幾らなんでもこんな狭い棺桶はどうよ?
大体詰められてる姿勢がおかしい。普通直立仰向けだよね。でもこの状態は、なんと言うのかな、胎児の姿勢というか。
横向けにされて膝を抱えるような。とにかく、そんな姿勢な上に僕一人でぎりぎりのサイズみたいなので全く持って自由が利かない。
兎に角どこかに口はあるはず。
内側から開けられるものかは分からないけど、じっとしている訳にも行かない。
じたばたじたばた。
がちゃ。
って、開いた!?
横開きに開いてる。力の入れ加減で割りと簡単に開くものだったみたいだ。
一度開くと特に苦もなく外に這い出すことが出来た。
外の様子を確認しようとして……見えないことに改めて気づく。目、本当に開きません。
でも、不思議とそのことにあわてる気持ちにはなれない上に、見えないなりに何故か見えるのと同様に外界が把握できるのが不思議な感覚だ。
こりゃあ、あからさまに普通じゃないよね。
全く、どうなってるのやらさっぱり。
まあ、下手にパニックになって自滅するよりはいいけど。
よいしょ、と、体を引っ張り出して、何とか箱から這い出した。棺桶ではなさそう。
これは――トランク。トランク? って、よく入ったものだなあ。確かにそう言う芸があった気がするけど。
そうするとここは火葬場じゃあない。床は、感触からするとカーペット。民家だろうか。
ちなみに僕の実家は畳か板床しかないので、少なくともどこか知らないところに連れて来られてしまったのは間違いなさそう。
部屋はそう広くはない。一般的な個人の私室程度かな。明かりは落ちている。見えはしないけど、分かった。
立ち上がると、手探りで部屋の様子を探る。
どうも違和感がぬぐえない。自分の体が自分のものじゃないみたいだ。まあ、トラックに轢かれたはずがこの状況なので、少なくともまともな目にはあってないだろう。
無事で済んでいることがあり得ない。無事じゃないとして、五体満足なのがおかしい。目は見えないとしても。
何が起こったのだろう。何が起きているんだろうか。
ここは病院じゃない。勿論、火葬場でも。そもそもトランクに箱詰めされていたというのが謎です。
分からないなあ、さっぱり。
記憶を辿ってみても、碌な事は思い出せない。
トラックが近づいてきて、大した人生じゃなかったなあと思って、それでも死にたくないと願った。
そうしたらふっと気が遠くなって、何かくるくると、堕ちて。落ちた。
落ちた?
そう、そして確か桜の花を――
「……あなたは、誰?」
凛とした声が、耳朶を打った。
「私の知らないドールだわ。まさか、だとすれば、七番目の……」
言葉の意味はさっぱり。人形(ドール)? まあ、よく言われることだけれどね。
だけど初対面で断言されるのは辛いなあ。てか、七番目? 僕みたいなのが後六人ってこと?
だとしたらびっくり。そんな訳ないだろうけど。はあ。
明かりが点いた。
声のする方を振り向いて、僕はバラのような紅を見た。
真紅のドレス。金紗の髪がさらと流れ。
高圧的にも見える意志の強い瞳が、警戒と僅かでない敵意を織り交ぜて僕を射抜いていた。
それは全く美しい、開け放たれた扉の外から差し込む、朝の光を背にして佇んだ《彼女》は、僕が嘗て見たこともないほどに確かな幻。
――紅い人形、だ。
って、人形!? しゃ、しゃべってる! ひぃぃ、の、呪いの人形ってやつですか?
や、止めてくれよぅ。僕、そう言うのだめなんだってば。
「あなた、何て目をしているの? いいえ、見えないのね。だから、見ないのね? とても虚ろで、怖い目だわ」
ひどっ。
でもお前のほうが怖いわ、という言葉は怖いので飲み込んだ。
ええ、怖いとかはよく言われますよ。ただぼーと景色を眺めているだけなのに、不良さんに「なにガンつけてんだ!? って、いえ、文句などはございませんが、はは」とか凄まれる位の目つきの悪さですよ。
でも、さすがに虚ろとか言われたのは初めてだなあ。
あのさ、僕は確かに口下手って言うか、顔にも口にも出せないけど、別に何も感じないわけじゃないから、そう言うことを言われると傷つくしむかつくんだよ?
いや、そもそも今の僕は目を開けてすらないし。
意味分からないし、とにかく怖い。やばい。関わらない方がよさそうだ。
「……知ったことか。お前など相手にする気はない」
思わず端的な拒絶の言葉とともに、引きつった愛想笑いを浮かべてしまう。
チキンとか言うな。怖いし。超怖いから仕方がない。
恐る恐る反応を見たら、何か怒ってるし。
薄暗い部屋に、端正な造詣の人形が怒りも顕わに睨んで来るって言うビジュアル。
こ、こわ……ゾゾーーーーー。
「随分な事を言うわね。あなた、アリス・ゲームを降りるのかしら? どちらにせよ戦いは避けられないというのに。あなたが薔薇乙女であり得る以上」
は? アリス・ゲーム。どんなゲームなの? 聞いたこともないゲームだし。
薔薇乙女? 何? もう何がなんだかさっぱりです。
さすが呪い人形。会話が成立してないというか、そんな自分が分かるから相手もわかって当然みたいな前提はどうよ?
「……降りるも何もない。アリス・ゲームなど知らない」
まあ、そんな訳で残念ながら遊んであげられません。
それよりもまずはこの状況が分からないので、そっちが知りたいのだけれど。
「知らない、ですって? あなたはアリスにならないと言うの? お父様――ローゼンの定めた作法に従うつもりはないと」
「……ローゼン? 違う、僕の父は太郎だ」
誰?
僕の一族は純和風であって、そんなハイカラな名前の人はいないし。
「何ですって……違う? Tarot(タロー)……そう、Tarocco(タロッコ)ね。聞いたことのない銘だわ。でも、間違いなく一級のマエストロ。お父様以外にも、まさか」
太郎子って誰やねん! 思わず関西弁で突っ込みですよ。
しかもマエストロって、うちの養父はただの土建屋ですから。
ぷっ、だめだ。あの厳ついおっさんがマッシブな野郎どもにマエストロ呼ばわりされてる現場を想像すると笑えて来た。やるな。
まあ、こいつ、ユーモアはあるね。コミニュケーション力は致命的にないけど。
「イレギュラー……分からない。これもお父様の意思なのかしら。今回のアリス・ゲームは一体――」
僕はお前が分かりません。
「おい、呪い人形! 一体何なんだよ。何を急に……!! な、何だこいつ!!」
と、そこで。
事態はよく分からないままに新たな登場人物が現れた。
年の頃は若く、中学生くらいの少年だ。いまだ成長途中の、中々可愛らしい顔立ちが目に付いた。
少年は、なにやら不機嫌そうに喚き散らして部屋に入ったかと思えば、途端に絶句する。
上擦った声を上げ、震える瞳で僕を見ていた。
ああ、いつものパターンだなあ。
別に、僕は特に脅すような真似をした覚えは無いのだけど。
「……怖がることは無かろう。とって食われるわけでもあるまいに」
にこり、と。
無駄を知りつつも、一応友好を示してみる。
勿論、当然のようにいっそう怯えが深まった気がするけれど。
「騒がしいわ、ジュン。それと、あなたも私の下僕を脅さないで欲しいわね」
「……下僕?」
「そうよ。ジュンはこの私――ローゼンメイデン第5ドール、真紅の下僕。ミーディアム(媒介者)なのだわ」
「……ミーディアム(半焼き)、か」
分からない。さっぱり分からない。
でも、とにかくこの人形――真紅? が、非常に危険らしいことはよく分かる。
ジュンとか言う少年も呪い人形呼ばわりしてたしね。
それにしても、下僕とか、あまつさえミーディアム(半焼き)って、食べるの?
なにそれ。呪い人形界ではカニバっちゃうのが流行だったりするのかなあ。「私は、レアで」「くす、やはりミディアムレアですわね」「何を。判っていないわね。何をおいてもウェルダンこそが――」とか。
こ、怖すぎ。
あ、とって食われるとか僕が言ったのを、ジュンが妙に怖がったのもそう言うことか。
そりゃあ、仕方ないね。
「……ミーディアム(半焼き)など。僕はレア(生焼け)でいい」
「レア(希薄)でいい? 分からないわ、あなた。それだけの存在感をもってして何故」
「……わからない」
何を言っているのかさっぱり分かりません。
肉の焼き方の好みと存在感に何の関連が?
正直、もう嫌になって来た。
この人形、まともに話が出来ません。
「おい、お前ら、僕を無視するなよ! 真紅、これは一体何なんだよ。説明しろよ、それにこいつは一体……お前の、仲間か何かなのかよ?」
「……うるさいわ」
「な、何だと!?」
放置していた少年――ジュンが切れた。
少し会話から置いて行かれた程度でそんなに激昂するなんて、カルシウム不足か。それとも、キレる若者って言うやつなのかなあ。
どちらにしても、話がややこしくなるので少し黙っていてもらいたいのだけど。
「私は、まだこの子に聞きたいことがある。それに、私はこんな子は知らない。お父様の子ではないというなら、なおさらよ」
「お、お父様って何だよ。さっぱりだ、いい加減に――」
「……煩い」
「ひっ」
軽く嗜めると、必要以上に慄いた表情でジュンがあとずさった。
そんなにビビるような声を出したつもりはないのに。つくづく侭ならない。
納得が行かない気持ちで暫くジュンの方を眺めていると、真紅が僕の視界を遮る様に立ち塞がった。
「だから、私の下僕を脅さないで、と言ったわ」
「……欺瞞を。食餌なのだろう?」
「何ですって?」
「……ミーディアム(半焼き)と。糧とすると言ったのだから。それとも、家畜は大切にする性質か?」
「――なっ」
食べる気の癖に、庇うのがよく分からない。
いや、人食いを奨励するわけじゃないけれど、呪い人形の行動原理は謎だ。
「しょ、食餌? 家畜って何だよ!」
「違うと言ったでしょう。ミーディアム(媒介者)を食い殺すなんてあり得ないわ、真紅の名に賭けてね」
うーん、やっぱり意味が分からない。
食い殺すというか、殺して食うんだと思うけど。
ジュンはジュンでなぜか納得してるし。いつか食われる身でよくそこまで信頼できるものだと関心。
「……」
「何かしら?」
「……いや」
「そう、それよりも大切なことに答えていないわね。あなたは誰? そして、一体何のためにここへ現れたのかしら?」
いや、それはこっちが知りたいわけで。
全く、どうしてこういう目に僕が会うのだろうね。
本当に良い事がなかった。良い事がない。
両親は物心つく前に他界するわ、預けられた先の養父母には疎んじられるわ、友達の一人も作れないわ、あまつさえトラックに轢かれたと思えば、何がなにやら訳の分からない事態に巻き込まれるわ、ですよ。
人形が喋るとかあり得ないし。いや、まじで。
その人形は人形で呪い人形らしく、話も全然通じない。
一体僕が何をしたと? それとも何かあれですか? 呪いとか祟りとそう言う。
ご先祖様が罪を犯したとかそう言うの? もしくは、水子とか。
……。
…………。
………………。
え、水子!?
そ、そら怖い。水子はいかんですよ。
あれはね、駄目。何故って、当事者が死んだらもう誰も分からなくって、祟られても何をどう祓えばいいか困るわけで。
……つまり、両親は物心つく前に他界しました。
ぎゃーーーーーー。
水子、水子の霊! 間違いない。
だって人形に取り付くとかそれっぽい!
しかも何か、人間食うとか言ってるし。
ど、どうしよう。どうすれば。
「(と、とにかく供養。水子供養を――)」
「……黒曜。そう、それがあなたの名前ね」
へ?
何言ってるの?
いや、水子供養。みずこくよう、ですから。黒曜? 名前?
何かものすごく勘違いをされているのだけど。
「喪服のような黒衣。鴉の濡れ羽色の髪。閉じたままの瞳。そして切り付けるような鋭さも。そうね、確かにあなたは黒曜なのだわ」
はあ。話が通じないというか、ここまで早とちりが凄いと最早妄想の域だなあ。
いい加減疲れる。
ふと視線をずらすと、この部屋には様々なものが置かれている事に気が付いた。
様々、と言っても殆どがガラクタの類だ。物置と言っても良かったけれど、それよりは少し価値のありそうに見える。
アンティーク、と呼べる物も多い。
「何を見ているの? いえ、――これは」
「……何だ? それ」
僕の見ていた物のどれかに興味を示したのか、真紅が何かに気が付いたような声を上げる。
ジュンが、それに反応する。
どうも、僕とは目をあわせないようにしながら。
僕は、そのことに気が付いて少し遣る瀬無くなった後、真紅がじっと見つめる先に視線を合わせた。
「……?」
それが何かは分からない。
白い布が被さった、平たい大きな板状の。
随分と大きい。一体なんだろう?
好奇心から近寄って、僕はそっと布に触れる――刹那。
轟、と。紫色の業火を吹いた。
「うわあぁあ!! な、何だよこれ!!」
「これは一体――」
え? 何? 何で燃えるの?
僕の触れた箇所を中心に、白い布は一瞬で焼け、爛れ、煙も上げずに鮮やかな焔とともに黒ずんだ灰に姿を変えて。
煌々と輝きを放つ。
「も、燃えてる! 火事だ! しょ、消火器はどこに……ないっ? くそ、どうすりゃいいんだよ」
殆ど狂乱のジュンの姿に、何だか申し訳ない気持ちになる。
わざとじゃあないんだけど。あの、やっぱり僕の所為になるのかな。
でも、ちょっと触れただけなんだけど。
ど、どうしよう。
心では焦りながら、体は一向に動かない。
そう言う自分に少し嫌になりながら、取り敢えず何とか差し出した腕を引いた。
同時に、布は最後の輝きを皓と上げ、包んでいたもの――大きな姿見を顕わにした。
姿見は扉から微かに差し込む光を映し、ほの暗い明かりを放つ。そして、そこには。
少年と、紅(ルージュ)と黒(ノワール)の、二つの少女人形。
? 何かおかしいような。
勿論、目も見えないのに何故か見えるこの感覚がおかしいのはともかく、もっと何か致命的な部分で間違えているような気がするなあ。
ええと。だから。
「な、何だ? 消えた?」
「全く、物覚えの悪い下僕ね。あれはこの子――黒曜が白布の”在る力”を飲み乾したのだわ。それよりも見なさい。ここからなら繋がる」
「ったく、何だよ。……鏡?」
もはや真紅の電波発言は気にしない。
それより、鏡。
なのに、おかしい。”だから”、おかしい。
「そうよ、私の探し物。黒曜が見つけてくれたわ」
「……探し物って、これが? そういや、こんなのあったな。でも、鏡がどうしたんだよ」
「いいえ、鏡でなくてもいいのよ。けれど、ただの鏡ではいけない。それは――」
鏡。鏡。
鏡!
そ、そういえば鏡だから、目の前のものが映るはずで。
映っているのは少年と、紅と黒の人形。
少年は、ジュンで、紅の人形は、真紅で。
そうしたら、黒の人形は?
怖ろしげにこちらを、閉じたままの瞳で射抜くような、漆黒のドレスに闇色の髪の。
え? いや、まさか、そんな、ねえ。
信じられない光景に思わず下ろした腕を、また伸ばした。
思った通り、願わない通り、鏡の中の黒い少女人形も対称の動きを持って応えた。
「……認めない」
「黒曜? あなた何を」
あ、あり得ない。
それは、既に分かりきった事だったけれど、さすがにここまでの事態は想定外だし。
トラックに轢かれ、トランク箱詰めにされ、目が開かなくなった上に、よく分からないままにどこかの民家に運ばれたと思えば、散々不思議なことばかりまくし立てる人形と出会い。
布が燃えるとかそう言うのさえ最早些細なことですよ。ええ。
それでもなお、この衝撃には敵わない。
いや、だって、気づいたら人形(♀)になってるなんてどこの怪奇小説ですか、という。
ひぃぃ、だからそう言うのは嫌というか、こわっ、鏡の中の僕(?)こわすぎ。
何この最悪の呪い人形。そりゃあ、ジュンがびびるのも納得。
うわあ、自分でやっておいてなんだけれど、鏡に向かって手を伸ばすと、おぞましい人形があちらの世界に手招きしているとしか思えないし。
僕は引き攣った笑みを浮かべるのだけど、何故か鏡の中の彼女はうっそりと邪悪に唇を三日月に歪めた。
悪い夢でも見てるみたいだ。
「……おぞましい」
思わず呟いた瞬間に、突き出した指先から爪が伸びた。
へっ?
意味が分からない。
だけど、僕の戸惑いを無視するように、まるで黒曜石のメスを思わせる禍々しいそれは凶悪にぎらついて一気にメートル単位に伸張し、掻き破らんと姿見に迫り――。
「やめなさい!」
真紅の叫び声に静止した。
と、止まった。
何だか自分の体が不思議ギミック満載なんですけど? って、え? か、改造?
まさか、実はあのトラック事故で僕は死んで、あり得ない超科学か何かで改造人間として復活したとか?
ジュンは博士の息子? 真紅は同僚ですか?
い、嫌すぎ。
まあ、とにかく止めてくれて有難う、という意味を込めて真紅の方を向いたら、何かめちゃ怒ってるんですけど。
何で?
鏡壊そうとしたと思われたから? いや、わざとじゃないんだよ。
でも、そうか、なんか探し物だとか言ってたからなあ。ただじゃないとか。
値打ち物なのかも。うん、よく見ると確かにどことなく風格が。
僕(?)と真紅と、ジュン以外に、銀髪の人形を映し出す、その姿見は確かに。
……銀髪?
げ、と思うまでも無かった。
「今日は本当にどういう日なのかしら。ねえ、水銀燈」
誰?
って、嘘。何か鏡から出てきましたよ。この銀髪の人。
にゅっにゅっ、と。
「あら、お久しぶりねぇ、真紅」
「な、な……またかよ、何だよこいつは」
またもビビって腰を抜かすジュン。
まあ、気持ちは分かるけれど、さっきからそれしかしてないのは少し憐れ。
「……それに、そちらのあなたもね。随分なご挨拶――」
いや、挨拶をした覚えは。
思わず否定しようと手のひらを振ったら、怖ろしげな風鳴りと共に黒羽が舞った。
黒く鋭い剣が紙一重で掠め、銀髪の人形が宙を泳ぎ。
直後に。とん、と何か軽いものが着地したような音がした。
あれ? ……あ。
そういえば、爪が伸びてるんだったなあ。
これを人に向けると危ないね。いや、失敗。
これは僕が悪い。と、銀髪の人形――水銀燈の方へ視線を向けると、何か凄まじいまでに怒ってました。
「――どういうことかしら? 有無を言わさずなんて、随分と好戦的ねぇ。……それは、宣戦布告と受け取ってもいいのかしらぁ」
「……それは、」
言いかけた僕の意思をまたも無視して、向けたままだった黒い爪の先から凄まじい紫焔が吹き上がり。
――かけた所で、水銀燈の背中から黒翼が生えると、そこから黒羽が殺到して爪を覆い隠して消し止めた。
その勢いのままに全身に群がってきたので、慌てて振り払うと、黒羽は何故か甲高い悲鳴のような音と共に灰となって消えた。
色々突っ込みたいところはあったけれど、まあ、火事が防げてよかったかと。
「私ね、お馬鹿さんも、話の通じない子も嫌ぁいよ」
先方は、相当にお怒りみたいだけれど。
背中の翼を広げて、色のない双眸で僕を睨む。感情の見えない無表情が余計に怖ろしい。
っていうか、浮いてる!?
いや、それはいいとして――良くないけれど、とにかく僕が悪いのは確かだしなあ。
もともとコミニュケーションに不安のある僕が、何と言って謝ればいいのか皆目見当もつかないけれど。
「その”目”、気に入らないわぁ」
だから眼は開かないのに、最早事態は一触即発だった。
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