くらの!


第二晶(裏):血華一輪




 人生が侭ならないのは最早語るまでも無く。
 例えば、ただ単に忘れ物を取りに夜の学校に出掛けただけで、何故か十数人の死傷者を出すに至った広域指定暴力団同士の抗争事件を扇動或いは首謀したことになっていたり、倒れていたのを介抱した外国人が実は絶賛逃亡中のテロリストで、次の日にはニュースで国内に協力者がいる可能性ありと報道されていたり、僕の場合は呪い染みて最悪だと断言できるけれど。

 それにしたってこれは酷い。と言うかありえません。


「その”目”、気に入らないわぁ」


 いや、だからね? 眼は閉じているわけで、確かにさっきのは全面的にこっちが悪いんだけど、でも悪気があったわけじゃなくて。た、確かに悪気が無いからって何でもごめんねで済むとは思ってないけれど。

 かといってどうやって謝ればいいかというと。
 こ、こわーーーー。無理! 超、無理!!

 なに? 何なの?
 真紅も怖いけど、こいつはそれに輪をかけて怖すぎ!
 だって、眼が笑ってないし。
 間違いない、これは人殺しの眼だ、なんて思わず自分を棚に上げてみたりしてしまうくらい怖い。

 ど、どうすればいいのかな。

 救いを求めるように、ジュンの方を向くと、彼は地べたに腰を着いたままでひっと短い悲鳴と共に更に一歩あとずさった。


「し、真紅。どうなってるんだよ、こいつら急に殺し合いを!」


 いや、そんな大げさな。


「――これは、いえ、止めなさい、二人とも。これはアリス・ゲームではないわ。水銀燈、この子は、黒曜はローゼンメイデンシリーズではないのだから」

「っ……そう。それが本当だとしても、先に仕掛けたのはその子の方よ。何よりどうして私が真紅の指図を受けなければならないのかしらぁ? 本当にお馬鹿さぁんね、あなた」

「何ですって? 誰がお馬鹿よ」


 え、えーと。
 何か真紅が取り成してくれるみたいだけど。
 二人ともかなり相性が悪そうなので、期待が持てない感じだなあ。

 まあ、僕のことで二人が喧嘩するのも忍びない。
 やっぱり僕が一言謝れば済むはずだし。す、済むよね? 多分、きっと。できれば。


「……、」

「お馬鹿はお馬鹿よ。そんなことも分からないお馬鹿さんの真紅」

「っ、馬鹿って言った方が馬鹿なのよ」


 遮られた。


「……、」

「うふふふ、相変わらず怒った顔も――ブサイク」

「な、ブサイクですって? どこが、私のどこがブサイクなのか説明しなさい」


 また、遮られた。
 そもそも、何か今度は二人の雲行きが。


「ぜんぶ」

「!!!! きーー、ジュン、私の鞄を開けなさい。早く!」

「え、いや……ハ、ハイ」


 真紅の命を受けて、ジュンがわたわたと放り出したままの真紅の鞄の方へ向かった。
 鞄で何をするのかは分からないけど。必要なら自分で取りに行けばいいのになあと、ジュンに同情してみる。

 呪い人形の下僕なんて、それはそれで辛いね。
 まあ、その呪い人形そのものになってしまった僕も辛いけど。

 はあ。思わず溜息が漏れる。
 そこで、唐突に。
 くるりと、水銀燈がジュンの方へ向いた。

 足を踏み出しかけたジュンが気配に振り返り、二人の目が合った。


「あっ……か、はあ。ああぁ」


 かと思えば、ジュンがその場にうずくまっていた。
 ま、また何が何だか。水銀燈が何かしたのだろうけど。これは酷い。
 だってジュンからしたらとんだ災難というか。

 そりゃあ、僕も悪かったし、水銀燈と真紅の仲が悪くて、思わず喧嘩になってしまうのも仕方ないのかも知れないけれど。
 それでも殆ど関係の無いジュンにばかり酷い目を見せてって言うのは、ちょっと違うと思った。
 これは、理不尽だろう?

 何にしても争いは良くない。平和万歳。仲良き事は美しき哉、ですよ。


「……くだらん。醜い争いを止めろ」


 口をついて出たその言葉に、空気が凍りついた。

 あれ? 何か間違ったかな。
 まあ、何だ。
 喧嘩両成敗ですよ。

 止めなさい、とばかりに僕は両手のひらをかざす。
 ――そうしたら、何故か、天井から鋭い黒曜石の槍が降った。
 大小あわせて数十。それはさながら黒い雨のように。

 す、凄いよね。
 って、またかよっ!!

 部屋は一瞬にして、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図と変わった。

 床は貫き、散乱した古物を粉々に損ない。
 高価な壷を割って破片を周囲にばら撒いた。

 水銀燈は器用に、大きな槍を危なげなく避けながら、背中の翼を打ち振って細かな欠片を飛ばしていた。
 その瞳には、不満と不平と苛立ちと、何より怒りを浮かべながら。

 そして。
 動けないままのジュンの前には、真紅は無防備な身を晒している。
 どこからか吹きつけた風に乗った薔薇の花びらは、凶悪な鋭さの黒曜石の槍を覆い隠そうとして、果たせずに散る。

 避ける事も適わず、真紅のドレスはぼろぼろになった。

 あ、球体関節。
 じゃなくて!

 ひ、ひぇぇぇ。ど、ど、どうしよう。
 こんなつもりじゃなかったと言うか、いや、やばいよね、これは。
 と、とにかく止めないと。ぐ、具体的にどうしたら止まるかは分からないけど。

 ええと、落ち着け。
 僕がまず、手のひらをかざしたらこうなったんだから。
 た、多分逆にこの手を下げればいい……は、はずだよね?

 よ、よし。
 そうっと、そうっと。
 下ろした!

 ――同時に、今まさに真紅の胴を貫かんとしていた槍がふっと消える。
 呼応するように、部屋を支配していた全ての災厄は掻き消えた。
 どうやら正しかったみたいだった。

 何かいい加減というか、都合がいいというか。
 これじゃあ危なくて手のひら一つ挙げられないじゃないか。
 困ったなあ。

 ええと、水銀燈は……や、やっぱり超怒ってる!?
 まっ、当たり前だけどねっ!


「つまらなぁい」


 戦々恐々とする僕をじっと見て、彼女はポツリとこぼすように告げた。
 詰まるとか詰まらないとかいう問題だったかなあ、と思ったけれど、まあこれ以上余計なことは言うまい。


「つまらなぁい。面白くなぁい。情けない真紅も、役立たずの人間も、何より、黒曜だったかしら? あなたが一番嫌ぁいよ、私。決めたわぁ、アリス・ゲームとは別に、あなたのローザ・ミスティカは、私が貰う。有効活用してあげる」


 こ、壊れた?
 いや、怒ってるんだよねえ。
 とても怖い。致命的に嫌われたなあ。弁解の余地はなさそう。
 てか、ローザ・ミスティカってなんやねん! 持ってないですから、そんなもの。

 いつもの事といえばそうなんだけど。いつの間にか麻薬捜査官に目をつけられてたとかね。
 あの人たちも、何度言ってもただの小麦粉を吸うと幸せになれる魔法薬だと信じ切ってたし。
 何故か僕を見て麻薬探知犬が吼えたのが拗れた原因なわけだけど。

 ま、まあ今回に限っては明らかに僕が悪いので、余計に居た堪れない。
 よく見れば、水銀燈も余裕に見えて、完全には黒曜石の槍を防ぎ切れなかったのか、背中の黒翼がぼろぼろになっていた。
 まあ、そりゃあ、怒るよね。


「今日は帰るわ。興ざめだものね。じゃあね、真紅、それから黒曜。また逢いましょ。今度はnのフィールドでね」

「ま、待ちなさい……っく」

「お、おい真紅」


 最後に一度。
 真紅の制止を無視して僕を睨むように一瞥すると、水銀燈は手にしていた何かを僕に投げつけた。

 え、何?
 ぬいぐるみの手? いや、足かも。
 思わず受け止めたけど、全然意味が分からないのだけれど。


「それ、あげるわぁ。うふふふふ」


 戸惑う僕を尻目に、水銀燈はそのまま不気味な笑い声と共に鏡の中に沈んで消えた。
 またあり得ないし。つ、突っ込まないよ? もう。


「追って、ホーリエ」


 と、言う僕の内心の決意を無視して、今度は真紅がなにやら人魂を鏡の中に飛ばした。
 ひぃ、忘れてたけどこいつら水子の霊の疑いがあったんだよなぁ。
 よりにもよって人魂ですよ。何か堀江とか言ってる。多分堀江さんの霊。
 もう、決定的というか……あれ? すると僕も水子? 違うよ?

 あら? でも霊?
 僕はだから、トラックに轢かれたので……って、ぎゃーーーーーーーー!!
 死んだ? やっぱり僕死んだ?
 しかも死に切れずに呪い人形になった?

 酷い。それは酷い。
 何となく謎は解けてきた気がするけど、こういう決着は嫌と言うか。

 どちらにしても人形供養が必要なのかなあ。
 自分で自分の供養というのもぞっとしないけれど。
 いや、でもこのままのこのこ自分の足で出かけていったらそれこそパニックだよね。
 そもそも、供養とかされたことが無いし、進んでされたいとは思わないのが問題だ。

 うーん。
 確かに生きてて良い事は無かったけれど、死んでも良い事は無いのか。
 こういうのってあれだよね、やっぱり生前に犯した罪が――とか。
 まあ、取り立てて悪事を働いたつもりは無いとしても。
 働いていたことになってたかも知れない事には眼をつぶりたい。

 しかし、分からない。
 これからどうしよう、と少し現実を考えると目の前が真っ暗になった。
 少なくともまともな人生(?)は望めそうも無いし。
 真紅とか水銀燈とか、似たような呪い人形が実在するだけまだましかも。
 でも、水銀燈には残念ながら致命的に敵対されたわけで、これからを相談するとしたら真紅か。
 こっちも、大して友好的とは言えない。けれど。

 よし。
 やっぱり他に道もないし、ここは真紅と分かり合う方向で。
 生前一人の友達も作れなかった僕には相当難易度高いけど、それでも何とか生きて行けたあの頃とは状況が違うからなあ。
 まさに死活問題。出来ればジュンとも友達になっておきたい所だけど。
 まあ、それは追々と言うことで。

 とにかく、声をかけよう。


「……真紅」

「っ……なに、かしら」


 かろうじて、というような苦しげな声で答えた。
 確かに、ぼろぼろだった。
 意図は無くとも、それが僕の所為というのが申し訳ない。

 分かり合おうという前に、まずは謝らないといけない。
 ええと、どう言えばいいかな。慎重に行かないと。
 大体いつも、ここで言い方を間違えて致命的に関係に亀裂が入るからなあ。

 そうして暫く真紅を見つめ、何と言ったものかと躊躇していると、金縛りも解けたのかジュンが立ちふさがる様に前に出た。
 先ほどとは真逆の体制。それだけで、ああ、何だか羨ましく思った。
 ジュンの足が小刻みに震えているのが、不謹慎にも微笑ましくなる。


「くそっ、何がおかしいんだよ! お前、自分が何をしたのか分かってるのかよ」


 どうも馬鹿にされたと思ったみたいだった。
 難しい。


「止めなさい、ジュン」

「真紅? 何を言ってるんだ。こいつは僕を、お前も殺そうとしたんだぞ!」

「違うわ、それは。だって私もあなたも、誰も死んでなどいないのだから」

「それは、結果としてはそうかも知れないけど。だからって!」

「だから、違うのよ。この子が本気だったなら、私もジュンも、水銀燈だってきっと無事ではすまなかったわ」


 いや、そんなつもりは全くなかったのだけど。

 ま、まあ、思った通りとは違うけど、中々いい雲行きかもしれない。
 うん、とりあえず敵意がないことだけでも分かって貰えれば。

 納得の行かない表情のジュンを押しのけ、真紅が前に踏み出した。
 だけど、ぼろぼろのドレスが目に痛々しく、折角の機会にも拘らず何も言葉がでない。

 きっと高いんだろうなあ、と埒もないことを考える。
 だってドレス。めったに目にする機会はないわけで。
 それもこの人形サイズであれば特注なのは確実。まさに目の飛び出るような値がつくに違いない。

 弁償、と言っても残念ながら僕にそんな能力はない。
 ここまでされてなおも僕を庇おうと言うんだから、真紅は電波だけど凄く優しい子だと思う。


「もう一度問うわ、黒曜。あなたは誰? どうして、ここへ来たの?」

「……分からない」

「分からないだと? よくもお前、こんなことをして、それでそんな――」

「ジュン、少し黙っていなさい」

「っく、何だよ。くそ」


 激昂するジュン。嗜める真紅。
 気持ちは良く分かるんだけど、そう言われても僕も何がなにやらさっぱりだしなあ。
 じゃあ、謝れよ、と自分に思わず突っ込みを入れてしまうけれど。


「それじゃ、質問を変えるわ。あなたのお父様――Tarot(タロー)と言ったかしら、その方はどうしたの?」

「……それも、知らない。正確に言えば、知ったことじゃない。僕は気が付いたらここにいたのだし」

「っ、そう……あなたは、”どうしてここにいるのかも知らない”のね」


 お、何となく会話になっているような。
 通じてる? 凄いな。 何故か真紅が悲壮な決意を秘めた眼で見つめてくるのが気にはなるとしても。
 いやはや、ここまでの会話が成立するのはもしかしたら人生初めてかも知れない。言ってて悲しくなるけど。

 ここで何か気の利いたことを――と言うのは無理かも。
 余計なことは言わずに、そうだな、態度で示そう。
 ええと、友好的な態度といったら、やっぱり握手とかかなあ。
 あ、でも、爪が。ん? いつの間にか引っ込んでる。これならいけるかも知れない。

 よし、刺激しないようにそうっと。
 ほら、こっちは敵意はないですよ、と言う気持ちを込めてね。


「それは……」


 と言う僕の心の声は伝わらず、真紅は何故か僕の手の方をばかり見ていた。
 いや、そんなに珍しいものでもないでしょうに。勿論、人形が握手を求めるのは普通じゃないだろうけれど。
 それとも何かついてるかなあ。

 あ、そういえばさっき水銀燈に投げ寄越されたぬいぐるみの手だか足だかをまだ持ってた。
 確かに、これじゃあ握手は出来ないね。
 投げ捨てるのもなんだし、とりあえずその辺に――と、思ったところで真紅の両手に掬うように取り上げられた。

 え? 欲しかったってこと?
 分からないなあ、さすが呪い人形。
 いいや、とりあえずそれが贈り物と言うか、僕の気持ちで。
 友好ですよ。友好。


「何てこと……まさか」


 聞いてないし。僕も声には出してないから当然なのだけど。
 真紅は心ここに在らずと言った風で、何故かきょろきょろと辺りを見回したかと思うと、ちょうど僕の背後で目を留めた。
 え? 何かあるの?

 真紅の視線の先を追うと、これはまたぼろぼろのくま(?)のぬいぐるみ。
 拾い上げると、その酷い有様が良く分かった。
 まさかこれもさっきの槍で? それで、その手だか足だかが真紅の手元に?

 真紅は愕然とこちらを見ている。
 じ、地雷踏んだ? くまさんバラバラ殺人犯ですか?
 ち、違うよ? もともとボロボロだったんだよ? いえ、根拠も証拠もないですが。

 こ、これは辛い。
 折角上手く行きかけてたのに、酷い話だなあ。
 本当にいいことがないよね、僕って。

 どうして良いやら分からなくて、一先ずくまさんを差し出すと、真紅はそっと引き取って抱きしめた。


「おい、真紅。それって」

「可哀想に。この子は、迷子になってしまった」

「……死んだってことなのか?」

「いいえ。人形に”死”はないわ。ただ遠くに行ってしまうだけ。全ては観念なのよ」


 う。泣いてる。
 やっぱり人形だけにぬいぐるみが死ぬと相当悲しいんだろうなあ。
 もしかしたら僕の所為かもと思うと遣り切れない。

 そんな積もりはなかった、じゃあ済まないよなあ。
 例えば僕を轢いたトラックの運転手だって、さすがに僕に殺意があった訳じゃあないだろうしね。
 取り返しがつかないことなら、なおさら。


「ここにいる。ここに生きていると言う想い。それ自体が生きていると言うこと。最早ここは居場所ではないと感じたなら、それは死んでいるのと変わりはないわ。……だからきっと、黒曜は水銀燈を赦せないと思ったのでしょう?」


「え?」


 へ? 何の話?
 そんな唐突に絡められても、さっぱりなんだけれど。


「この子の為に怒ったのだわ。とても優しい子ね。やり方は少し、乱暴だったかもしれないけれどね」

「そんな、だからいきなりあの水銀燈って人形に――いや、だからってこんな無茶苦茶な! こっちだって巻き込まれたんだぞ!!」


 えーと、何だか分からないけど水銀燈がぬいぐるみをバラしたのを怒って戦いを挑んだことになってる?


「だったら、それだったらもっと他にやりようが……っ」


 いや、全く。どんなツンデレですか。それ。
 ま、まあ、ジュンにも微妙に好感触を得たみたいだから、それはそれで良いかも知れない。
 結果オーライと言えなくもないか。


「くそ、どいつもこいつも何て勝手な……おい、ちょっと待ってろ」

「ジュン、どこに行くの?」


 苛立たしげに吐き捨てると、ジュンは部屋を飛び出した。

 それにしても随分思い込みが激しいなあ。
 大体ぬいぐるみを見つけたのもついさっきだし、そもそも初対面の水銀燈が犯人だって言うのを僕がどうやって見抜くと言うのやら。

 それはそれとして、真紅のこの格好はやっぱり居た堪れない。
 改めてみると、やっぱり凄く綺麗な造詣をしているだけに煤を被って掻き裂かれたドレスが痛々しい。
 せめてもの救いとすれば、ナイフのように鋭い黒曜石が付けた傷は、縫い合わせれば元に戻りそうなほどに殆ど繊維を傷つけていなかったらしいことくらいだ。

 尤も、こういうドレスを縫い合わせるなんて、かなりの技術が要るのだろうけど。
 僕じゃあどうにも出来ないか。

 そんなことを考えていると、いつの間にか真紅の裂けたドレスを撫でるように触れていた。
 相変わらず思考と行動が分離するなあ。僕は。


「黒曜?」

「……ドレスが」

「……それは、構わないわ。このドレスはただのドレスではないのよ。この程度の綻びは一晩もすれば元通りだわ」


 それは凄い。
 いや、だからと言って僕が破いたのは間違いないし、申し訳ない気持ちに変わりはない。


「……それでも」

「そう、やっぱり優しい……ジュン?」

「え、いや……ったく、おい、ちょっとそれ貸してみろ」


 いつの間にか戻っていたジュンが、真紅の腕からくまさんを取り上げた。
 何故か不貞腐れたような顔で、ジュンは手にしていた裁縫箱を開けると、針に糸を通す。


「言っとくけど、完全に元通りとは行かないからな。だけど、これじゃあんまりだから、気休めみたいなもんだけど」


 言い訳めいたことを口にしながら、ぬいぐるみを修繕していく手際は確かだ。
 僕は裁縫は良く分からないけれど、間違いなく卓越した技術で持ってそれがなされていることは良く分かった。
 だからこそか真紅も、感心とも呆然とも付かない様子でじっとそれを見ていた。

 見る見るうちにぬいぐるみは再生していく。
 最後に糸をきゅっと縛ると、余計な長さを切り落として、ぬいぐるみはあっという間に完全な姿を取り戻した


「これは……凄いわ、ジュン。こんなことが出来たなんて」

「そ、そんな大した事じゃない。昔、ちょっとやっていただけだよ」

「……もしかして」


 真紅が、そう呟いて手にしたくまさんをそっと掲げると、そのままふうっと宙に滑り出した。

――ポン。
――ポン。
――ポン。

 そんな音を立てて。
 タンポポの花びらが弾けるように開いた。


「すごいわ。呼び戻したんだわ」


 す、凄いね。マジで。
 もうなんでもありって感じだよね。
 呼び戻す? 何を? まさか霊!?


「迷子になっていた魂が、あの子に戻った」


 やっぱり!

 え? これ、ポルターガイスト?
 こ、こわ! 冷静に考えたらぬいぐるみが宙を漂って、辺りに謎の花がぽんぽん咲いて、それを人形が凄い凄い言ってるわけです。
 こわ!!

 どう考えてもこの状況そのものが凄いです、はい。
 凄いあり得ない。


「……あり得ない」


 などと、思わず呟いていてしまう。


「こ、黒曜? な、何だよ、あり得ないって。だったらさっさと直せばよかったんだ。お、お前もこんなことで怒ったのかよ」

「違うわ。これは本当にあり得ないことよ、奇跡といってもいい」

「奇跡って、そんな大げさな」

「一度離れた魂は、普通二度と元に戻すことは出来ない。それこそ、一級の腕を持った職人でもなければ。だからこそ黒曜の感想はもっともよ。まさしく、これは普通あり得ないことだわ」

「そ、そう……なのか」


 ソウミタイデスヨ。

 いや、あり得ないのは確かなのだけれど。職人って何ですか? 呪いの人形職人? 嫌な職人もいたものだ。
 全く、おかしいのは真紅だけかと思えば、ジュンもおかしかった訳で。
 だから真紅に目をつけられたのかも知れないけれど。


「素晴らしいわ、ジュン。あなたの指はまるで、美しい旋律を綴るよう」


 いや、最早僕には悪魔の手さばきにしか思えない。
 も、もしかして、このままジュンが長じるとこういう呪いの人形とか作るようになるのかなあ。
 何て怖い世界だ。
 ジュンはジュンで割と満更じゃなさそうだし。

 それにしても修繕、と言う意味では本当に見事だなあ。
 うん、あれだけボロボロだったのにもう綻んだ所が見当たらない。

 僕は、宙から落ちてジュンの腕の中に収まったくまさんにそっと触れて。


「まあ、私の下僕としては及第点といったところね」

「っく、この――って、おい、お前何を!!」


 何故か、意図せずにまた、凶悪な黒い爪が伸びだした。
 黒い爪は、横合いから生えた茨に弾かれ、辛うじてジュンの頬を掠めて背後の壁を抉る。

 ぎいんと嫌な音を立て、命拾いをしたジュンの顔に嫌な汗がびっしりと浮き上がる。
 超びびっていた。まあ、び、びびるよね。
 僕もびびった。

 ふと、嫌な気配を感じて振り向くと、柳眉を吊り上げ茨の剣を構える真紅の姿が目に入った。
 わ、わざとじゃないんだけど。と、言っても無駄だろうなあ。

 もー嫌だ。
 何でこのタイミング?
 さっきまで凄くいい雰囲気だったと言うのに。


「あなた、どうして? わからない、分からないわ。どうして、そんなことをするのよ」


 裏切られた、と言わんばかりの声音で僕を詰る。
 ぼ、僕も分かりません。


「分からない。あなたは、どうして、そんな……っ」

「し、真紅?」

「そんな……どうして、悲しい……」

「真紅!」


 え? いや、ちょっと待った。
 思わず僕が真紅の方へ向けて腕を伸ばした直後。

 かくんと。
 言葉の途中で真紅がくず折れるようにして倒れた。
 まるで糸を切られたマリオネットのように。

 ジュンが金縛りを解かれたように真紅に駆け寄り、何か叫びながら激しく揺さぶった。
 人間じゃないのだから、意味があるとは思えないけれど。

 でも、何このタイミング。
 も、勿論僕は何もしてないよ? 本当だよ?


「くそっ、お前! 黒曜、一体真紅に何をしたんだよ!!」


 周りがどう感じるかは別として、だけれど。


「……別に、何も」

「――お前!」


 ひ、火に油!
 本当に何もしていないのになあ。全く欠片も信じられていないみたい。
 ま、まあ、舌の根も乾かぬうちから、行き成りくまさんをジュンもろとも殺そうとしたようにしか見えない僕を、信じろだなんて虫が良すぎるかもしれないけれど。


「何だよ! 少しは見直したのに、こんな、酷いことを。 お前は、あの水銀燈って人形と一緒だ。いや、それより酷い。分からないよ、だってお前、この、プーさんのぬいぐるみをバラバラにされて怒ったんじゃないのかよ! それに、真紅はお前なんかを庇ったんだぞ! それを、それをお前は――!!」

「……」

「何とか言えよ! おい!!」


 あ、え、あ、その。ちょっと待った。
 そんな一気にまくし立てられても、整理しないと、僕はしても喋れないくらいなのに。

 その、何だ。
 不幸な行き違いと言うかすれ違いというか誤解というか。
 だ、駄目だ。
 困った。何て言ったらいいのか見当もつかないし。

 物凄い目つきで睨まれた。
 そんなに怒らなくても……いや、怒るよねえ。やっぱり。

 その剣幕に思わず一歩後ずさると、かつんと足元に固い感触。
 あら、と思う間でもなく、それに蹴躓いて僕は後ろ向きに倒れこんだ。

 うわ。
 え? か、鞄? あ、僕が箱詰めにされていたトランク。
 気が付いたときには、どういう奇跡の力が働いたのやら、そのまますっぽりと箱詰めになって、トランクの扉ががこんと閉じた。

 え? え? ええ?
 ま、また振り出しに戻った!?
 ちょっと、それは幾らなんでも――って、何でまた運ばれてる?
 じゃなくて、勝手にがたがたと、と、飛んでたり?

 うわ、うわ、わわわ。
 ……あ。と、思ったのもつかの間。

 ガツンと、強い衝撃に僕は頭をぶつけて――。

 いや、本当に。
 いいことは無いなあ。と。

 恐らくは鞄の外からもれ聞こえるジュンらしき罵声をBGMに、そんなことを考えていた。








 ぷつんと、意識はモノクロームに染まる。








 くるくるくるくるくるくるくるり。
 くるりくるくる。

 落ちていく。堕ちていく。
 真っ白な闇に。

 刹那の永遠に。忙しない悠久に。
 ふっと気が付いて目を開けたなら、そこは全き不明の庭。

 くるりくるくる。
 くるり。

 僕は昇り、吸い取られた。
 真っ黒な、大いなる光の中に。

 幻視するのはただ。
 咲き誇る、桜の、花。



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後書き by XIRYNN

 遅くなりました。
 このままフェードアウトを予想されていた方も多かったかと。
 すみません。が、一応少しずつでも書き続けてはいました。

 いや、しかし中々難しいですね、こういうの。
 今までダークな性格の主人公ばかり書いてたので、こういうアフォの一人称の描写は結構悩みます。

 さて、とうとうこれで真紅、水銀燈の両陣営に敵対してしまった主人公ですが……。
 次回は表編です。

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