野火             大岡 昇平


新潮文庫

 丸谷才一の「文章読本」で、文章のうまさを絶賛し、文体とレトリックの章で全面的に引用、検討されていたので読む気になった。
 太平洋戦争末期、レイテ島。私、田村一等兵は、軽い喀血のために病院行きを命ぜられ、三日で退院したが、食糧不足のおり、所属の中隊では治癒と認めず、再び病院行きを命ずる。しかし病院がいれてくれるわけもなく、前に座り込んでいる連中に加わった。やがてその病院も米軍機に砲撃され炎上、あてもなく逃げ出した。
 椰子の林で二日ほど過ごしたあと、川に沿って下って行くと、住人の逃げ出した比島人の廃屋を見つけた。鶏が騒ぎ、畑には芋が植えられ、灌木には豆の房が熟れてはじけていた。まさに楽園だった。斜面に座り、遠くの海を眺めるのが日課になったが、海の側の丘の上に十字架に気がついた。海まで8キロ、遠いが私は行ってみようと決心した。
 教会の周囲は比島人の部落だったが、人影はない。私は水道の水と海の塩を心ゆくまで味わった。教会には無数の日本兵の死体、恐らく米兵が通過したこの村に現れ、略奪して住民の報復を受けたのだろう。しかしその後も日本の敗残兵の出現に住民は再び村を捨てた。私は教会の中で塩を発見したが、逢い引きをする比島人の男女に遭遇、思わず女を撃ち殺してしまった。
 罪の意識にさいなまれながら、村をようように脱出すると伍長、安田、永松の三人の同胞に出会った。日本軍はみなパロンポンへ退却中という。塩で恩を売り、彼らと行動を共にする。しかし途中米軍機の攻撃、威張りくさっていた伍長が撃たれ、残りの二人とも離ればなれになった。飢えと疲労は極限に達し、死者の肉までも食いたい衝動に駆られるが、私の左手がそれを許さない。
 沼に切られて間もない片足が一本流れていた。私は安田、永松に再び遭遇した。彼らは私を受け入れ、猿の肉と称するものを食わせた。何日かが過ぎる。永松に安田に手榴弾をわたしたことをなじられ、永松が日本の敗残兵を襲う現場を見たとき、猿は日本の敗残兵で、それがなくなればお互いの殺し合いであることを知った。永松が安田を倒し、私が永松を倒した後、私の意識は薄れていった・・・・。
 あれから6年、私はこの手記を東京の精神病院で書いている。私はあの後山中でゲリラとして米軍に捕らえられ、病院に運ばれたらしい。すっかり私は人が変わったようだ。それでも自分の意志で人肉を食わなかったことだけを神に感謝したい気持ちだった。

 巻末の吉田健一の解説を読んだが、この作品を通して私が何を感じたか、解説の難しい作品である。強いて言えば人間は他者を求めながら、結局は一人で孤独な物、偶然に翻弄されながら、それでいてそこにわずかな意志を挟もうとする。主人公が人肉を食らわなかった、と言うことはささやかな意志の現れであり、それによってかろうじて彼は人間としての尊厳を保ち得た、と言うことなのだろうか。

・愚劣な作戦の犠牲となって、一方的な米軍の砲火の前を、虫けらのように逃げまどう同胞の姿が、私にはこの上なく滑稽に映った。彼らは殺される瞬間にも、誰が自分の殺人者であるか知らないのである。(43P)
・「恋愛とは共犯の快楽である」の如き西洋のカトリック詩人の詩句に、事実において私が性愛の行為に、少しもそう言う実感を持たなかったにも拘わらず、私の心の一部が共感した不思議を私は思い出した。(59P)
・銃は国家が私に持つことを強いたものである。・・・私が孤独な敗兵として、国家にとって無意味な存在となった後も、それを持ち続けたということに、あの無睾の人が死んだ原因がある。(86P)
・新聞紙上に現れるのはすべて徴候にすぎない。(165P)
・一度戦場で権力の恣意に曝されて以来、すべてが偶然となった。生還も偶然であった。その結果たる現在の私の生活もまた偶然である。・・・しかし人間は偶然を容認できないらしい。偶然の系列、つまり永遠に耐えるほどわれわれの精神は強くない。出生の偶然と死の偶然の間に挟まれた我々の生活の間に、我々は意志と自称するものによって生起した少数の事件を数え、その結果我々のうちに生じた一貫した物を、性格とかわが生涯とか呼んで慰めている。(166P)

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