文章読本           丸谷 才一


中公文庫

 文章の名手がいかにしてよい文章を書くか、豊富な例をあげて説いているわけだが、こうだという回答を見つけることは難しいようだ。作者自体も迷っているように見える。各章ごとに何が書いてあるのか、まとめてみた。しかしこれを機会にいわゆる多くの「よい文章」に接し、何かが得られた感じはするが、まとめるとなると「名文を沢山読め、そして真似をしろ、型のない文章なんて物はない。」という以上の事は言えない気がした。
1小説家と日本語
 谷崎潤一郎の「文章読本」は傑作で自分自身の文体をかえるきっかけともなったが、「文法にとらわれるな」の壁頭などに問題がないわけではない。この五十年間は、伝統的な日本語と欧文脈との折り合いをつける技術が要求された小説家が、文章入門をものにするかたわら小説を書いた時代といえるかも知れない。
・谷崎の論は「文法にとらわれるな。」の文法を英文法とおけば明快になる。(12p)
2名文を読め
 われわれは、自分自身が名文と信ずるものを繰り返し熟読玩味し(場合によっては音読し)、心の底に貯え、文章の書き方を教わる。また口語体は文語体からでたものだから文語体の名文を読むことが肝要である。一葉、鴎外、露伴、幸徳秋水等。
3ちょっと気取って書け
 型に乗っ取って書くべきだ。思った通りに書いて良い文章になるのは相当修行を積んでからである。まずちょっと気取って書け!気取るには5−9章の考え方が必要である。
4達意といふこと
 どんなに美辞麗句を並べて、歯切れがよくとも、伝達の機能をおろそかにした文章は名文ではない。駄文である。文章としての資格すら怪しい。代表的な悪文は明治憲法だ。第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」からおかしい。しかも臣民の権利を第十九条から第三十条まで、あれこれ保証しているのに、第八条の緊急勅令、第十四条の戒厳令、三十一条の非常大権でこれを見事に裏切っている。
5新しい和漢混淆文
 新しい和漢混淆文が求められているが、どうでもなければいけないと決めにくく、実物に接して学ぶしかないようだ。「吾が回想する大杉栄」をかかげる。
6言葉の綾
 基本的には谷崎潤一郎の言う「分かり易い語を選ぶこと、なるべく昔から使い慣れた古語を選ぶこと、適当な古語が見つからないときに、新語を使うようにすること、造語は慎むこと、難しい成語よりは、耳慣れた外来語や俗語の方を選ぶ」が正しいが、これを破っても言葉と言葉の組み合わせ方さえ間違えなければ名文を書くことが出来る。一語、一語の意味と関係を精査する必要がある。
7言葉のゆかり
 引用という形で過去の文をひくのだから、由来を出来るだけ知っておく必要がある。同時にそれが身についたものでなければならない。
8イメージと論理
 論理的であると同時に文章から読者が得るであろうイメージを大切にしなければいけない。ただイメージは補助的な手段で、但し書き等で行き過ぎをおさえる事も時に必要。
9文体とレトリック
 この章が一番参考になった。レトリックを駆使して表現を豊かにする必要がある。レトリックには隠喩、直喩、擬人法、迂言法、頭韻(畳語法、首句反復、結句反復)パリソン、対句、修辞的疑問、換喩、擬声語などがある。また準備、伏線、但し書きなども論証を重ねる上で大切。大岡昇平の「野火」を中心に豊富に例を挙げ説明している。
10結構と脈絡
 文章を一本の紐のように考えて、緒論、本論、結論に分ける三分法にはとらわれず、面の連続と考え起承転結のように構成する方がよい。ただ実際は論理の正確さと形の整いの美しさが求められるのであり、型にはまらない物も多い。幸徳秋水の「兵士を送る」の例が印象的。
・われわれが書かなければならないのは、一本の紐が螺旋階段さながらに屈曲しながら宙へ登る、古代の魔術のような文章なのだ。(290p)
・パラグラフが一センテンスであるという呼吸で、つまりちっともパラグラフを重んじないで書いたとて、論理的に進行してさえいれば、それでもかまわないのである。(302p)
11目と耳と頭に訴える
 谷崎潤一郎の「盲目物語」における平仮名書きは盲人の訥々たる語り口をじかに聞くように感じさせる。ほかに竹越与三郎の「新日本史」の一節、柳宗悦の「朝鮮の木工品」等を通じ、読者の目と耳と頭に訴える方法を探る。
・句読点には手を焼く・・・・文の構造を鮮やかにするために読点をおく。(327p)
12現代文の条件
 江戸時代の様式過剰にげんなりし、西洋十九世紀の露骨と率直に感服したせいで、われわれは様式嫌いになった。伝統を否定し、綾に富んだ言葉やレトリックが嫌われだした。その結果口語文は非常に貧弱になってしまった。しかしものを語り、ものを書くに当たって型なしですませることなど不可能だ。われわれは今一度原点に立ち返る必要がある。最後に追加の一言「書くに価する内容がなければ字を書いてはいけない。」
・日本語の文章は本来、ぞろぞろと後に続いて行く構造の物で・・・句読点はなかった・・・(348p)
・「である」づくめを即刻やめなければならない。(371p)
・肝心なのは、現代日本の文章が、われわれの現実・・・いっそう複雑な物になったこの新しい現実に、対応するだけの機能を備えていないと言うことなのだ。これに立ち向かうだけの物をもし創造できないならば、それはすなわちわれわれの敗北を意味する物なのに。(377p)
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