第1回 安曇野検定
一般の部 試験問題
問題51 飛騨・木曽・赤石の3つの山脈の総称として「日本アルプス」という呼び名があるが、「日本アルプス」と命名したイギリス人は? 1 ダウランド 2 サザーランド 3 ウェストン 4 ゴーランド(ガウランド) 問題52 古くは「まゆみ岳」と呼ばれていた北アルプスの山は? 1 燕岳 2 蝶ヶ岳 3 常念岳 4 大天井(おてんしょう)岳 問題53 古来より名峰有明山を詠んだ和歌は多いが、「かたしきの衣でさむくしぐれつつ有明山にかかるむら雲」と詠んだのは? 1 後鳥羽上皇 2 後醍醐天皇 3 後白河法皇 4 白河上皇 問題54 扇状地といえば、上から扇頂・扇中・扇端と大きく3つの部分に分けることができるが、縄文時代から現代にかけて集落形成が進展した順序として正しいのは? 1 扇央→扇端→扇頂 2 扇端→扇央→扇頂 3 扇央→扇頂→扇端 4 扇頂→扇端→扇央 問題55 安曇一族の英雄、阿曇(安曇)比羅夫が、大将として唐・新羅の連合軍を相手に交えた戦は? 1 白村江(はくすきのえ)の戦い 2 鴨緑江(おうりょくこう)の戦い 3 漢江(はんがん)の戦い 4 イムジン河の戦い 問題56 拾ヶ堰の正式名称は、「拾ヶ村組合堰」であるが、次に挙げる村の中で、10ヶ村に含まれていないのは? 1 熊倉村 2 柏原村 3 等々力町村 4 成相町村 問題57 長野自動車道・豊科インターチェンジが開設されたのはいつか? 1 昭和43年 2 昭和53年 3 昭和63年 4 平成3年 問題58 安曇野には多くの用水が引かれているが、縦堰に対する横堰の説明として、適切でないものは? 1 水量が多い 2 水量がほぼ一定である 3 水温が低い 4 流れがゆっくりしている 問題59 安曇野の水田を潤す横堰として、最初(1654年)に開削されたのは? 1 矢原堰 2 勘左衛門堰 3 新堀堰 4 新田堰 問題60 明科地域で筑北村との境界に位置する場所で、標高最高地点(944,2メートル)はどこか? 1 長峰山 2 萱野峰 3 虚空蔵山 4 四阿屋山 問題61 長野自動車道の明科トンネル付近で発見された「北村遺跡」の調査成果で、内陸部から発見されたものとしては考古学・人類学史上の大発見とされるものがあるが、それは何か? 1 縄文時代の丸木舟 2 ドルメン式古墳 3 完全形の甕棺(かめかん) 4 縄文時代の多数の人骨 問題62 大正15年、地元の先覚者である倉科多策や武田新平の尽力により、長野県水産試験場の前身である県営犀川ふ化場が明科地域に誘致されたが、その決め手となったのは? 1 篠ノ井線・明科駅が近くにあったことから都市部への大量輸送が可能であった 2 犀川からの取水が容易であった 3 大正時代に犀川の護岸堤防が築かれ、わさび田を造成したことにより豊かな湧水が生じた 4 明科地域では、小規模ながら既にマスの増殖が行われていた 問題63 かつて化学肥料などが使用される前は、里山で採取した草や樹木の茎葉を緑のまま水田や畑に敷き込むことが行われていた。明科地域の山もほぼ全域がその頂上まで里山の範囲にあり、この方法がとられていたが、これを何という? 1 苅敷 2 緑敷 3 生敷 4 青敷 問題64 三郷地域では最古の遺物であり、縄文時代草創期(10,000年〜12,000年前)、既にこの地で縄文人の活動があったことを裏付ける遺物が東小倉遺跡から出土しているが、それは何か? 1 投げ槍の先に取り付ける有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき) 2 四頭石斧 3 土製紡錘車 4 けつ状耳飾り 問題65 三郷地域の楡(にれ)住吉神社西側に位置する三角原遺跡から、奈良〜平安時代に政府が発行した皇朝十二銭の11番目の銭貨が出土しているがそれは何か? 1 和同開珎 2 万年通寶(つうほう) 3 貞観通寶 4 延喜通寶 問題66 三郷地域には、黒沢川・鳴沢川の2つの河川が流れているが、両川とも流れが途中で消滅している。このような川を何と呼ぶか? 1 消滅川 2 尻(末)消え川 3 迷い川 4 末無川 問題67 豊科地域の東山山地、大口沢の土採場から、その動物の仲間としては世界最古の化石が発見されているが、その動物とは? 1 アシカ 2 クジラ 3 イルカ 4 アザラシ 問題68 大正時代のある時期を境にわさびの生産が盛んになり、生産量が飛躍的に伸びた。その一番の理由は何か? 1 スーパーわさびともいうべきわさびの新品種が開発され、生産が容易になり、収穫量も増えた 2 県が農業政策の一環として、わさび生産奨励金を出した 3 伊豆・静岡のわさびが関東大震災により大打撃を受け、安曇野わさびの需要が一気に伸びた 4 信濃鉄道が開通し、東京方面への大量出荷が可能になった 問題69 明治10年代後半、当時の南安曇郡の諸官庁が設置されたり、近郊の養蚕景気等で、豊科成相周辺において花柳界が急速な勢いで形成されていった。かつての繁華街の中に今も地名として残っているところは? 1 呑みせぎ橋 2 きつね小路 3 うろたえ橋 4 三軒横丁 問題70 明科塔ノ原の「犀宮(さいのみや)社」で立てられる幟旗は、珍しいことに赤い色をしている。そのゆえんとして泉小太郎にまつわる一つの伝説が伝わっているが、それはどういうものか? 1 小太郎の母の犀龍は自分の姿の醜さを呪い、流した涙が赤い血の色をしていた 2 犀龍は体が赤かったことから「赤龍」といわれていた 3 犀龍が山清路の巨岩を突き破った跡には、幾つもの赤い筋が残っていた 4 犀龍が現れると、たちまち赤い雲が生じた 問題71 安曇野市には、県宝に指定されている仏像が3件あり、その内の2件が明科地域にある。1件は光久寺の木造日光菩薩立像・月光菩薩立像である。さて、もう1件は? 1 雲龍寺の木造大日如来坐像 2 長光寺の木造薬師如来坐像 3 泉福寺の木造金剛力士立像 4 龍門寺の木造聖観音菩薩坐像 問題72 堀金地域にあり、当初は下堀金村の畑作用農地として開墾された地区はどこか? 1 扇町 2 倉田 3 上堀 4 中堀 問題73 堀金地域9地区の成立過程は、開墾・開田の歴史そのものであり、先人の並々ならぬ苦労がしのばれるが、9地区の1つである倉田、その命名にも住民の切なる願いが込められている。その願いとは? 1 畑を水田に変え、田の耕作をして稲を栽培し、倉が建つように 2 それまでの小さな田んぼを整理して大きくし、収穫量を上げ、倉が建つように 3 貧弱な水路の改修をして水の安定供給を図り、収穫量を上げ、倉が建つように 4 他の村に負けないほどに米倉の多い土地になってほしい(倉多が倉田になった) 問題74 堀金地域には岩原村(現在の堀金岩原)宮大工であった豊八兄弟の手による社殿が多く残されているが、兄の浅川豊八が棟梁として腕をふるった最初の作とされ、素晴らしい彫物の残る本殿は? 1 岩原山神社本殿 2 下堀諏訪神社本殿 3 田多井加茂神社本殿 4 田尻諏訪神社本殿 問題75 烏川の支流小野沢の西におたね沢(一名薬師沢)があり、その水源には小さな祠とおたね薬師如来が祀られている。この泉で洗えば眼病が治るなど不思議な力があるとされ、遠くからも水を汲みに来たといわれているが、さてこの「おたねの泉」の名の由来は? 1 この水を飲むと子が授かるといわれていた 2 この水に種もみを浸せば、良い苗が出来、旱魃にも強いとされた 3 飛騨から父を尋ねて来た姉妹があり、その目的を果たせないまま妹はすげくぼで、姉のおたねはこの泉のほとりで亡くなったという話が伝わっている 4 大旱魃に困り果てた堀金の農民が雨乞いをしたところ、おたねという娘の夢の中に水神様が現れ、水の出る場所を教えてくれたので、その場所を少し掘ると清水が湧き出したという話が伝わっている 問題76 道祖神は古来から民間信仰の対象であったが、安曇野に道祖神が多い理由の説明として適切でないものはどれか? 1 拾ヶ堰開削以降、生活が豊かになり、増産増収の願いの高まりとともに道祖神への信仰が深まった 2 材料となる花崗岩が烏川水系で得られ、また、梓川水系のものも得やすかった 3 安曇野の石工の存在は勿論、有能な高遠石工が近世高遠領だった山形、朝日など比較的近くにいた 4 松本藩が豊かになった安曇野の治安維持対策として道祖神の造立を積極的に進めた 問題77 人々が信仰してきた道祖神は、ある仏様が神様の姿に形を変えて現れたものであるといわれている。道祖神と深いつながりのあるこの仏様は何という仏様か? 1 勢至菩薩 2 地蔵菩薩 3 聖観音菩薩 4 如意輪観音菩薩 問題78 安曇野では、道祖神と並んで多くの庚申塔を見ることが出来るが、庚申講で祀る仏様は? 1 青面金剛 2 不動明王 3 愛染明王 4 馬頭観音 問題79 豊科地域の成相・新田2地区で催される初市(飴市)、その際に行われる珍しい伝統行事があるが、それは何という行事か? 1 えびす様おっころがし 2 福俵曳き 3 福だるま担ぎ 4 道祖神担ぎ 問題80 堀金地域・岩原山神社の神様は、子宝の神として、ある変わったものが奉納される安産の神様であるが、奉納されるものは何は? 1 よだれかけ 2 穴のあいた皿 3 底を抜いたひしゃく 4 底を抜いた桶 問題81 明治42年5月から火災で焼失するまで4年という短い期間であったが、官営の「明科製材所」が操業していた。長野県唯一の官営製材所が明科に設置された主たる理由の説明として適切でないものはどれか? 1 北アルプス一帯の国有林で伐採された材木を筏にして流し、集積するのに適した場所であった 2 他の候補地がいずれも山間部で、製材所として用意できる敷地が不十分であった 3 明治35年に開設された明科駅が、材木集積地に近かった 4 多数が候補地として名乗りをあげる中、地元の倉科多策ら多くの有力者の強力な誘致運動があった 問題82 明科廃寺跡は長野県内最古の寺院跡の一つと考えられているが、ここが寺院跡と考えられている理由は次のうちどれか? 1 建物の跡などから軒丸瓦や布目瓦が大量に出土した 2 溝で区画された中に古代の墓の跡がたくさん見つかった 3 溝の中から寺の名前を記した木簡が出土した 4 建物の跡から奈良時代の仏像が出土した 問題83 三郷地域とその周辺に室町時代末まで実在した荘園は? 1 二木荘 2 住吉荘 3 小倉荘 4 長尾荘 問題84 旧三郷村・小倉官林は大正9年から12年の歳月をかけて491町歩(491ha)が開墾されたが、昭和5年の頃、この開拓地において栽培されたもののうち、最も面積の大きかったものは? 1 大豆 2 たばこ 3 そば 4 桑 問題85 槍ヶ岳開山を念願した修行僧播隆は、槍ヶ岳偵察登山をした際、岩小屋を発見し以後の登頂ルートの探索基地とした。この岩小屋は現存しているが、何と呼ばれているか? 1 坊主の岩小屋 2 播隆の岩小屋 3 阿弥陀の岩小屋 4 開山の岩小屋 問題86 安曇野の道祖神の特色として双体像が多く見受けられるが、双体像の中で最も多く採り入れられた形態はどれか? 1 酒器像 2 握手像 3 笏軸(しゃくじく)像 4 笏扇(しゃくせん)像 問題87 江戸後期、南小倉(三郷地域)に生まれ、槍ヶ岳開山を念願する播隆の片腕として、開山実現の大きな力となり、また飛騨への新道(飛州新道)開削、開通に大きく貢献した人物は? 1 務台伴語(ばんご) 2 中村英碩(えいせき) 3 松岡平臣(へいしん) 4 中田又重(またじゅう) 問題88 一日市場(三郷地域)に生まれ、信濃鉄道(現大糸線)松本〜大町間の開通を実現させた最大の功労者であり、また中房温泉の6代目でもあった人物は? 1 百瀬豊三郎 2 百瀬謙三 3 百瀬亥三松(いさまつ) 4 百瀬茂八郎(もはちろう) 問題89 1835年、当時の新田村(豊科地域)に生まれた安曇野近代教育の先駆者藤森桂谷(けいこく)は多才の人であったが、次の中で、彼の残した業績にないものはどれか? 1 私塾「実践社」の開設 2 有明山神社里宮の建設・復興 3 文人画家として多くの作品を残す 4 豊科という村名(当時)の発案 問題90 1894年、豊科村新田に生まれたドイツ文学者であり、詩人でもあり、また童謡「めえめえ児山羊」の作詞者でもある人物は? 1 藤森秀夫 2 堀口大学 3 吉丸一昌 4 尾崎喜八 問題91 安曇野市名誉市民である社会派映画監督の熊井啓は多くの傑作映画を残しているが、彼の映画作品の中で、最大のヒットとなった作品は? 1 帝銀事件 死刑囚 2 黒部の太陽 3 忍ぶ川 4 天平の甍(いらか) 問題92 温(ぬる)堰の用水分配方法は、嘉永6年(1853)、分水(上流の堰が揚口(あげくち)の流入量を制限して下流へ融通)方式から、流す時間を上流と下流で完全に分ける方式に変わり、やがてこの方式が慣例化していった。分水方式に対してこの方式を何というか? 1 時水 2 別れ水 3 番水 4 上下分け 問題93 リンゴの中産地として全国的に有名になった安曇野であるが、小倉地区の場合、リンゴ栽培が始まったのはいつからか? 1 明治45年 2 大正5年 3 大正10年 4 昭和5年 問題94 貞享騒動が起きた頃に作られていた米には、籾に長いノギ(モミの先から出ている鋭い毛)が付いているという大きな特徴があったが、この籾は何と呼ばれたか? 1 ふくれ籾 2 のぎなが籾 3 こぼれ籾 4 あばれ籾 問題95 明治31年(1898)、穂高の地に誕生した私塾「研成義塾」は、清沢洌(きよし)など多くの人材を輩出しているが、この塾を開設した教育者は? 1 高島章貞(しょうてい) 2 井口喜源治(きげんじ) 3 相馬安兵衛 4 臼井喜代(きよ) 問題96 大正8年(1919)、当時の小倉村村長に就任し、小倉官林開墾事業を中心となって進め、簡易水道施設、黒沢川架橋などの成果もあげた人物は? 1 植原悦二郎 2 三村惣平(そうへい) 3 二木柄伍(へいご) 4 降幡数太郎 問題97 穂高出身の相馬愛蔵とその妻である良(りょう)が、明治31年(1901)、東京に開いた菓子店は斬新な経営で大繁盛し、またサロンとしてわが国の文化の発展に大きく貢献した。この店の名は? 1 白金屋 2 穂高堂 3 中村屋 4 相馬堂 問題98 明治初期、穂高出身の松沢求策は自由民権運動のリーダーとして国会開設の実現に大きな貢献をした。求策等の運動はある主張を伴ったもので、他の運動家と一線を画す説得力を持っていた。この「ある主張」とはどういうものか? 1 治安維持法の撤廃 2 不平等条約の撤廃 3 請願権 4 選挙権 問題99 天平宝字8年(764)、安曇郡前科郷から朝廷に税のひとつ(調)として納められた、墨書銘のある布袴(ぬのばかま)が残っているが、この布袴はどこに保存されているか? 1 正倉院 2 奈良国立博物館 3 穂高神社 4 法隆寺 問題100 明科出身の安曇野市名誉市民、青木祥二郎はどのような業績を残した人物か? 1 安曇野市のニジマス養殖の礎を築いた 2 重要無形文化財保持者(総合指定)の能楽師。明科で開催される薪能のきっかけを作った 3 漆芸家、文化勲章を受賞 4 高山蝶の生態研究に情熱を傾けた山岳写真家 |
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