アルサーンスの空の下で                  
 
  エピローグ  
                 
 
 

「遅刻の罰は、そのくらいでもうよろしいのでは? 本人も、相当反省しているようですし」
「バジル――さん?」
「ディオ、心配いらないよ。アンジュは帰ってくる」
「本当ですか?」
「ああ、本人がそう言っていた。わたしはここの人間です。わたしにはここしかない。父が愛した、エルダが愛した、アルサーンスの町だけが、わたしの居場所だと。そして何より、わたしはこの町が大好きなのですと」
「アンジュが……」
 脳裏に光の中のアンジュを浮かべながら、ディオが呟く。
「……そんなことを」
「ああ、そう伝えてくれと、頼まれたんだ」
「伝えてくれって?」
「お前にな」
 バジルがそこで、ぽんとディオの肩を叩く。
「確かに伝えたぞ。そうそう、バラザクスの使者の話では、長くとも裁判は一週間くらいで片がつくとのことだった。心配しなくても、直ぐに戻ってくるよ、アンジュは」
「ただし、彼女が戻る理由はこの町にあって、お前にあるわけじゃないからな」
 釘をさすようなベッツの言葉が、ディオの顔を複雑に歪める。満面の笑みを浮かべかけた顔の上に、不服そうな表情が被さる。
「分かっています、そのくらい」
 子供のように拗ねた調子でそう言うと、ディオはへたり込んでいた床から立ち上がり、くるりと背を向けた。
「なんか……すっごく、疲れました。俺、先に分署の方に戻ってますから」
「おい、バカ、どこへ行く」
「そんなにバカバカ、言わないで下さい。俺はただ、先に署に戻るって」
「お前、署内の連絡盤、ちゃんと見たか?」
「連絡盤って?」
 振り返り、丸い目を向けるディオに、ベッツがやれやれと肩をすくめる。
「連絡盤は連絡盤だろ。っていうか、三日前に直接、フラー副署長が話をされたろう?」
「話?」
「もういい、ベッツ。どうせアンジュのことが気になって、毎日毎日ぼおっとしてたんだろう、こいつは」
「フ、フラー副署長」
「だが、それも昨日までだ。いい加減、しゃきっとしてもらわんと、私が恥をかく。新署長に対してな」
「新署長って――あっ!」
 ようやくディオが、事態を呑み込む。
「確か、やっと決まったんですよね。新しい署長が二十三日の朝、こちらにいらっしゃると。二十三日――って、今日?」
「胸を張れ、ディオ!」
 ベッツの声が太く響く。
「いらっしゃるぞ」
 その声に、ディオは再び転移魔法陣を見た。薄っすらと文様に、黄金の光が満ちている。急いで姿勢を正す。ぴんと背筋を伸ばし、きっちりと踵をつけ、右腕を胸元に翳し、敬礼する。
 揺らめく光が、強く溢れた。天井までを照らし、中に人影を滲ませる。淡く、やがて濃く、その姿が色を持つ。
「あっ」
 小さくディオが、声をあげた。それを聞きとがめた新署長が、硬い靴音を鳴らし、ディオに近付く。
「あっ、とは何だ」
「――いえ」
「いえ、とは何だ」
「だから、その」
「お前、名は?」
「……へっ?」
「私の声が聞こえなかったのか? 名は何だと聞いている」
 ディオの口から、思わず溜息が零れる。とたん、新署長の眉が吊り上る。それが、ひどく懐かしい。  伸ばした背をさらに伸ばし、ディオは声を張った。
「ディオ・ラスターであります!」
 うるさいくらいにその声が、辺りに響く。しかし新しい上官の、少し肉厚な唇の両端は、下げられることなく、むしろ逆に上がった。
「ではディオ・ラスター。及び、フラー副署長、バジル、マーチェス、ベッツ。私が、本日付けでアルサーンス聖務署長に就任した、セシルア・フェルバールだ。諸君等が優れた上官を求めるように、私も優秀な部下を必要としている。そのことを、常に心に留め置くように。分かったな」
「はっ!」
 全員が踵を鳴らす。それを満足そうに見ると、セシルアは階段に向った。かつかつという響きを、みなで追う。礼拝堂を過ぎ、聖会の扉を開き、外に出る。
「あのう」
 ようやく追いついたディオが、セシルアを呼び止めた。
「何だ」
「あの、何でここに?」
 セシルアの眉が、再び吊り上る。
「不服か」
「いえ、そうじゃなくて。もう、いらしては頂けないと思っていたので。署長はバラザクスの方に行かれると、そう聞いていたので」
「そのつもりだった、が」
 セシルアの表情が和らぐ。
「気が変わった。もう少し、ここにいるのも面白かろうと」
「面白い?」
 その問いかけに、セシルアの猫のような瞳がきらりと光る。獲物を捕らえる瞬間、よりは幾分控えめな、戯れるような、そんな目でディオを見る。
「これほど無能な聖務官がいる町は、珍しいからな」
「…………」
 言葉をなくしたディオに、軽快な息の音を残し、セシルアは背後を顧みた。しばらく自失の時を経て、ディオもそれに倣う。
 遠く、きらきらと輝くザラード海が見える。パイチ色に染まった町が、楽しげに活気付く。誰の心をもつかむ、不思議な魅力がここにはある、そんな風に思う。
『わたしにはここしかないから。わたしもここが大好きだから』
 そうだね、アンジュ。俺も、俺もここが好きだ。自然も、町も、そして人も。アルサーンスの全てが好きだ。
 風が強く頬を洗う。その風に乗って、セシルアの声が響く。
「ぼやぼやするな。全員、速やかに各部署につけ」
「はっ」
 空が――。
 音の消え行く彼方を見据えながら、ディオは陽の差すような笑みを湛えた。

   今日も、青い。

 

 
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