リリア(ロイ&モイラ・シリーズ1) | ||||||||||
第四章 結末 | ||||||||||
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「どうも、お世話をおかけしました」
モイラ達三人が応接室に入った時、モーガン氏はそう言って、デュバル所長と握手を交していた。
「いえいえ。しかし、そうですか。ベルツァーナ学校の寄宿舎にね」
「ベルツァーナ?」
所長の発した単語を受けて、モイラが尋ねた。
「ベルツァーナ学校って、確か、E−四○三地区のアイフロウ通りにある?」
その声にモーガン氏は振り向くと、軽く会釈をしながら答えた。
「ええ、そうです」
「随分とご自宅に近い学校を選ばれたのですね」
モイラの声は軽く弾んでいた。
「それなら会いたい時に、それこそ、毎日でも会いに行けますね」
「そこしかなかったんです」
モーガン氏が、抑揚のない口調で言った。
「この時期に編入させてくれる所は、そこしか……」
「…………」
モイラは何も言い返さなかった。いや、言い返せなかった。目の前のモーガン氏の顔に、深い哀しみと苦悩が、くっきりと刻まれていたからである。
彼の心も宙に浮いたままなのだ。
ロイは思った。
そして今、自分の心が何を求め、何をやらなければいけないのかを、見失っているのだ。
「リリア、帰るぞ」
モーガン氏はリリアの顔も見ずにそう言い放つと、自分だけ先にドアの所へ向かって行った。
その声がまるで起動スイッチであるかのように、リリアは反応し、モーガン氏の後に続く。
「待って、リリア!」
モイラはそう叫ぶと、リリアの元に駆け寄った。膝を突き、リリアの顔を覗きこむ。
「リリア……元気でね。元気で――」
次の瞬間、モイラはリリアを引き寄せた。しっかりと、抱く。あの時空港で、母であるアイラがそうしたように、強く、強く抱き締めた。
「リリア……」
その時である。この部屋にいる誰もが、予想し得なかった光景が繰り広げられたのは。
それは、ゆっくりとした動きから始まった。
人形のように棒立ちしていたリリアの両手が、少しずつ持ち上がっていったのだ。やがてその手はモイラの長い黒髪に触れると、しっかりとそれを抱え込んだ。次にリリアは少し小首を傾げた。まるでモイラの頬にキスするように顔を寄せた。そして――。
そして、微笑んだのだ。
あまりにも、微かな動き。リリアを知らない者なら、とても微笑んでいるようには見えないであろう。それほど、微小な変化だった。だが、ロイも、モイラも、デュバル所長も、モーガン氏も、それを見逃さなかった。
「リリア?」
上ずった声で、モーガン氏が近づく。
「リリア――」
しかし、その時はもう、リリアの表情は硬く、再び人形のような無表情に変っていた。何人も撥ね付けるような冷たい顔。失望し、思わず目を背けるモーガン氏。
重苦しい沈黙が続く。だが、モーガン氏は諦めなかった。意を決っしたような表情で一つ頷くと、リリアを見つめた。
「リリア……お前、お母さんに会いたいか?」
リリアに動きはない。表情は全く変らない。
それでもモーガン氏はリリアを見つめ続けた。祈るような、縋るような目で。
だが、リリアは人形のままだ。何の動きもない。エメラルドグリーンの瞳が何かの加減で一度だけ、きらりと輝いたようにも見えたが……。
駄目か――。
そうロイが結論付けた時、またしても予想しなかったことが起きた。ただし、それはリリアにではなく、モーガン氏にであった。
「そうか、そうか」
モーガン氏はそう言うと、リリアの頭に手を置いた。その顔には、先ほどまでの苦渋の翳りはなかった。穏やかな、柔らかな顔。初めて見る、モーガン氏の姿であった。
彼は、あるものを感じたのだ。そしてそれは、リリアの中にではなく、おそらく自分自身の中にあるもの。
人は、人には、その力がある……。
「それじゃあ、今からお母さんに会いに行こう」
静かで、それでいて力強い声だった。
何かが――。
何かが震える音が聞こえたようだった。何かが、揺らめいたようにも見えた。暖かく、優しげな何かが、そっと肌に触れたようにも思った。
リリアとモーガン氏の姿がドアの向こうに消えるまで、ロイはその感触に浸っていた。
「ねえ、ロイ?」
振り向くと、勝ち誇ったような微笑みを浮かべたモイラがいた。
美しい……。
ロイは素直に、そう思った。