姓名 | 松平容保【まつだいら・かたもり】。号は逸堂、芳山など。号は忠誠【まさね】霊神。 | ||||||||||||||||||||
誕生 | 天保6年(1835)12月29日 −尾張藩支藩美濃高須10代藩主松平義建【まつだいら・よしたつ】の六男として江戸四谷藩邸で誕生。*母は古森氏の娘千代 | ||||||||||||||||||||
身分 | 9代会津藩主。弘化3年(1853)、数え11歳で会津8代藩主松平容敬【かたたか】の養嗣子となり、容敬の急死により、嘉永5年(1852)、数え18歳で就封した。 | ||||||||||||||||||||
役職 | 溜間詰(弘化3)→幕政参与(文久2)→京都守護職(文久2〜慶応3)守護職在任中、一時、陸軍総裁職・軍事総裁職に任じられた。明治になって、一時日光東照宮宮司を務めた。 | ||||||||||||||||||||
死没 | 明治26年12月5日−病死。前日に正二位に叙せられた。 | ||||||||||||||||||||
詩歌 | 和歌・漢詩をたしなみ、『芳山公和歌集』を遺している。 | ||||||||||||||||||||
家族 | <会津松平家関係> 義父:会津8代藩主容敬【かたたか】。公式には会津6代藩主容住の3男で7代藩主容衆の弟だが、実際は、水戸6代藩主徳川治保の次男義和(のち高須藩に入り、9代藩主となる)の子。つまり、容保の実父義建の兄弟で、容保には叔父にあたる。水戸9代徳川斉昭とは従兄弟同士である。ただし、このことは当時は極秘として扱われていた。 <実家:美濃高須藩家関係> 容保の実家、美濃高須藩は尾張2代藩主徳川光友の子・松平義行を藩祖とする尾張藩の支藩である。 父:美濃高須10代藩主松平義建。水戸9代藩主徳川斉昭の従兄弟。 母:古森氏の娘、千代 祖父:高須9代藩主松平義和【よしより】=水戸6代藩主徳川治保の次男(容保は徳川治保の曾孫に当る。斉昭の子・慶喜はまた従兄弟になる)で、水戸徳川家から養子に入った。 叔父:松平容敬(父義建の弟)=会津8代藩主 兄弟(異母兄弟も含む):
*「高須四兄弟」徳川義勝、徳川茂徳、松平容保、松平定敬の4名は幕末政治に大きな役割を果たしたので四兄弟と呼ばれている。 |