01/3/24

年表トップ HPトップ

幕末年表(7)元治2/慶応元年(1865)

下線をクリックすれば関連コンテンツに跳びます。ブラウザーの「戻る」で戻ってきてね^^。



幕府/一会桑の主要なできごと 朝廷・諸藩・浪士の主要なできごと


1 1.4(1.31)−慶喜参内。天狗党鎮撫を賞される。将軍上洛の勅書。
1.8(2.3)-ぜんざい屋事件
1.11(2.6)-新選組、天誅予告状を張り出す
1.15(2.10)-幕府、長州処分の江戸での決定&将軍進発延期を布令。慶勝、寛典と諸侯会議の開催を進言。
1.18(2.13)-田沼、入京
1.19(2.14)-慶喜、田沼への引渡しを奏上
1.25(2.20)-幕府、参勤交替の復活を布告
1.28(2.22)-慶勝、慶喜に長州処分のため諸侯召集を求める。容保、慶喜に京都招集猶予を求める。
1.30(2.25)-加賀藩、田沼に天狗党引渡し。容保、東下願いを朝廷に提出

1.15(2.10)-五卿、筑前藩へ



2 2.1(2.26)-将軍上洛を促すための容保の東下願いが許可される
2.4(3.1)-容保東下をやめるべきとの内旨。
2.5(3.2)-老中本庄宗秀・阿部正外の率兵上洛(慶喜・容保の江戸ひきあげ&幕兵による京都守護と朝廷牽制)
2.13(3.12)−容保に御符を下賜。幕府、総督・守護職の月1万両賜金を停止
2.22(3.19)-老中、朝命で参内。慶喜召還を叱責される。将軍上洛の勅書が下る。
2.23(3.20)-容保の東下停止の勅命。山南切腹。
2.24(3.21)-阿部、帰府。本庄、下坂
2.28(3.25)-西本願寺、新選組に寺の使用を許す
2.4(3.1)-幕府、敦賀で天狗党武田ら斬殺を始める

2.19(3.16)-朝廷、幕兵の御所内外の徘徊を禁止

2.23(3.20)-五卿、大宰府延寿王院へ
3 3.1(3.26)-容保、病につき黒谷に本陣移転。土方、屯所西本願寺移転を知らせる書簡。
3.14-老中本庄参内。将軍上洛の朝命を受ける
3.29(4.24)-老中、会藩への疑問氷解

3.17-長州藩、激派の主張する武備恭順を藩論に。
3.25-水戸藩、天狗党武田の妻らを斬刑
4 4.2(4.26)−容保、将軍上洛要請のため公用人外島を東下させる。
4.5(4.29)−土方・伊東・斉藤、隊士募集の東下・江戸着。
4.6(4.30)−井深帰京。老中の反省を伝える
4.7(5.1)−慶応元年に改元
4.8(5.2)−容保病状回復・参内。井深を東下させ、将軍上洛を促す。
4.18(5.12)−征長宣戦の令
4.22(5.16)−公用人外島帰京。老中の返答。
4.27(5.21)−土方ら江戸出立。大阪で新選組の悪評
4.28(5.22)−容保召されて参内。病状回復を祝われる。
4.7(5.1)−慶応元年に改元




4.28(5.22)−朝議で警衛のため諸藩召集説起こる.。一会桑の反対でやむ。
4.30(5.24)−春嶽征長反対の建白
5 5.6(5.30)−幕府目付由比図書・会津藩公用人外島、江戸老中と将軍上洛について面談。入朝問題に容保の尽力を乞われる。
5.10(6.3)−土方ら帰京。
5.16(6.9)−将軍征長に江戸進発/会津藩への手当て支給開始
5.18(6.11)−桑名候、老中同様に御用向き取り扱うよう幕命
5.25(6.18)−新選組、藤井藍田捕縛
5.28(6.21)−容保下坂


6 閏5.14−新選組、河瀬太宰ら捕縛(膳所事件)
閏5.22−家茂、入京参内。一会桑に頼るよう、長州処分を清算するようにとの勅愉。
閏5.23−防長評議。容保・定敬、将軍に慰労される。将軍、慶喜を忌む発言があり、容保これをいさめる。
閏5.24−将軍二条城出発
閏5.28−容保下坂

この頃、伊東、井上謙三赦免に口きき
閏5.16−尾張徳川慶勝、将軍に先発
閏5.22−家茂、入京参内。一会桑に頼るよう、長州処分を清算するようにとの勅愉。また戸田越前守、戸田大和守に
7 6.15−容保帰京
6.17−一会桑、老中阿部、参内して長州支藩召喚を奏請・勅許され
6.23−幕府、毛利淡路・吉川監物に上坂命。
6.29−容保下坂

8 8.1−容保帰京。加俸の命。
8.8−新選組武田観流斎、薩摩藩士を補殺
8.18−幕府、広島藩に再度召喚を命ず
8.4−大久保、征長は会津のアイデア等会津批判
9 9.1−京都下立売に守護職邸完成。
9.4−小笠原長行、老中格に任命
9.15(11.3)−将軍上京
9.16(11.4)−4国艦隊、兵庫沖来泊・容保、登城。
9.21−将軍参内。朝議で防長の幕府委任(将軍進発)
9.22−長州再征の勅許
9.23−幕府、四国代表と会談
9.25−大阪幕府(老中阿部正外・松前崇弘)、兵庫開港を独断決定
9.26−慶喜、大阪城到着。阿部・松永と激論・家茂落涙。
9.28−公用方広沢帰京
9.29−慶喜、容保・定敬と関白に面談して下坂の暇を乞うが、容保には許可下りず。

9.16(11.4)−4国艦隊、兵庫沖来泊
9.21−将軍参内。朝議で防長の幕府委任(将軍進発)
9.22−長州再征の勅許


9.27−春嶽、征長の不可を論ずる
9.29−朝議により、阿部・松前の改易・謹慎命令
10 10.1−幕府、両老中罷免&謹慎令。
10.2−条約勅許&兵庫開港の秦請と将軍職辞表を提出
(関白二条斉敬)
10.3−家茂、大阪を発って陸路江戸へ。龍馬の勅許にかんする書簡
10.4−家茂、伏見到着。慶喜の説得。二条城へ。
10.5−慶喜、条約勅許を獲得
10.10−小笠原、老中に再任。
10.12−会津、外島機兵衛を通して薩との関係修復はかるも大久保利通拒否
10.22−老中に板倉勝静再任

10.7−岩倉、一会批判

10.12−会津、外島機兵衛を通して薩摩との関係修復はかるも大久保利通拒否
10.13−西郷、幕府の因循を批判

10.25−西郷・小松、率兵入京
11 11.3−将軍下坂
11.4(12.21)−幕府、長州再征の諸藩部署決定。長州訊問使京都出立。近藤・伊東ら長州訊問使に同行して西下のため京都出発。
11.20(1.6)−訊問使、国泰寺で長州使者宍戸備後介を訊問
11.25−長州副使木梨彦右衛門広島到着
11.30−永井、再び訊問
11.4(12.21)−膳所十一士処分。
11.20(1.6)−訊問使、国泰寺で長州使者宍戸備後介を訊問
11.25−長州副使木梨彦右衛門広島到着
12

主な参考文献:
『開国と幕末変革』、『人物叢書山内容堂』、
『人物叢書藤田東湖』、『人物叢書松平春嶽』、『会津歴史年表』、『幕末の天皇』、
『徳川慶喜公伝』

『徳川慶喜』・『勝海舟』(中公新書)、『京都守護職始末』・『昔夢会筆記』(東洋文庫)
『幕末政治と倒幕運動』(吉川弘文館)、『新選組史料集コンパクト版』・『新選組日誌』(新人物往来社)

年表トップ  HPトップ