「赤報隊と年貢半減令」の研究に関連して、情報を求めてこのページにこられた方へ


こんにちは。「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」管理人のヒロです。

お越しいただき、ありがとうございます。当サイト掲載の赤報隊関係史料(写し?)の写真が、皆さまの赤報隊・年貢半減令に係るご研究に役に立てば幸いです。

ところで、当該ページで史料の赤報隊史における重要性に触れてはおりますが、実は、管理人は赤報隊自体にはさほど深い関心がございません。皆さんは、おそらく「赤報隊」「年貢半減令」などの検索で、史料写真のページにたどりつかれたと思いますが、こちらは赤報隊ではなく、御陵衛士のサイトです。衛士の生き残りが赤報隊二番隊の中核を成していたことから、参考情報として赤報隊関係史料写真も掲載しております。そういうわけで、何かご要望をいただいても、対応はできかねますので、ご容赦くださいますようお願い申し上げます(詳しくは後記をご覧ください)。

特に、史料写真につきまして、当該写真の下及びサイト・ルールには「転載・転用禁止。利用許可も一切だせない」と明記してございます。このような注意書き・ルールを設けておりますのには、それなりの経緯と事情がございます。なにとぞ、こちらにも事情があることをご理解いただき、注意書き・サイトルールを尊重していただきますよう、お願い申し上げます。ほとんどの皆さんはそのような方ではないと思いますし、このようなことをわざわざ書かねばならぬのは、非常に残念なことです。しかし、これまでに、ご自分の事情第一で、自分は(単なるファンではなくプロの研究家である、出版目的である等々の理由で)特別扱いが当然だという態度で、写真の生データ提供を求めてこられた方がおられましたので、再発防止のため、書かせていただきました。

末尾ながら、皆さまのますますのご活躍をお祈り申し上げます。


>後記

管理人は、衛士の生き残りが赤報隊結成に参加したということから、以前、赤報隊について少し調べたことがあります。そのときに、沙汰書の原資料が研究者の間にも確認されていないこと、それを理由に年貢半減令を疑問視している方がいることを知りました。ご子孫宅にあるのではないかと思っていましたが、実際に、所蔵されている古文書の中にサイト掲載3点の史料を確認したときは、「やっぱり年貢半減令は存在したんだ」と感慨深かったことを覚えています。そういうわけで、これらの史料の貴重さ・重要さは理解しておりましたが、赤報隊サイトではありませんし、史料の写真は、主要国公立図書館に納められて誰でもアクセス可能な家伝に収録されていますので、特に当サイト上で「貴重」「再発見」だと喧伝することもありませんでした。興味のある方が「あ、これは裏づけ史料だ」と思って、利用してくださればいい、そう思っていました。

ところが、ご親切な方から、(1)沙汰書の原資料の存在・所在が一般に知られていないこと(研究者を含め)、(2)それゆえ年貢半減令そのものを疑問視するひとがいること、(3)史料写真は貴重であること、について指摘をいただくというケースが何度かありました。このままにしておきますと、今後も、同様のケースがあるかもしれず、その方に、お手間をとらせることになりますし、「実は知っていました」と回答するのも相手の方のことを考えますとよい気分のするものではありませんので、沙汰書写真の掲載ページに(1)〜(3)について書くことにしました。WEBは誰でもアクセスできるという利点がありますので、サイトに注記をすることによって、赤報隊に関心のある方の間に情報が少しでも広まればよいという思いもあります。(逆に赤報隊に関心のある方が衛士にも興味をもってくれたら、という思いもあります)

史料の重要性についてサイトで触れているのは、上記のような消極的理由であり、管理人が赤報隊(一番隊)や年貢半減令について研究するという意図をあらわしたものではございません。撮影した史料写真の公開以外で、皆さまのご研究にお役に立てること・ご協力できることは、残念ながら、ございません。この点につき、なにとぞ、ご理解いただきますようお願い申し上げます。



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