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「新発見伊東甲子太郎書簡」に関する
市居浩一氏・松浦玲氏の公開状

(2005/10/1更新)

管理人より:去年(2004年)に新聞紙上及び『龍馬と新選組』(講談社選書メチエ)にて、菅宗次氏が「新発見(大原重徳宛)伊東甲子太郎直筆書簡」と発表された「彦次/武明書簡」について、今年9月末に、市居浩一氏(『新選組高台寺党』(新人物往来社)著者)及び松浦玲氏(『横井小楠 儒学的正義とは何か』(朝日選書)、『勝海舟』『徳川慶喜』(中公新書)、『新選組』(岩波新書)等著者)が、(1)伊東書簡ではなく、(2)岩倉具視宛香川敬三書簡である、との判断を示す公開状を連名で出されました。両氏からHP上での公開の許可をいただいておりますので、全文を掲載いたします。テキストは原文どおりです(但し、原文は縦書き。また、テキストをHTML文書へ変換する過程で、体裁を整えた部分が若干あります。文尾の両氏の名字の後の()には、原文ではお二人の署名が入っています)。
追記:当サイトブログのこのページに関する記事に対していただいたコメント中に、関係者への誹謗中傷ともとられかねないものがありました。非常に驚き、また悲しく思いました。このページの内容を特定個人に対する誹謗中傷に結びつけぬよう、心よりお願い申し上げます。(2005/10/4)


<公開状(全文)>

拝啓 時下益々ご清祥の事とお慶び申上げます

 さて昨年(二〇〇四)十一月十八日に京都東山泉涌寺山内の丈六戒光寺に於て禁裏御陵衛士(高台寺党)の法要と座談会とが開催され、出席者の一人管宗次氏から、伊東甲子太郎の書簡を新発見したとの報告がありました。菅氏はそれに先立って新聞発表されており、また著書『龍馬と新選組』(講談社選書メチエ・二〇〇四年)には書簡全文の写真および「釈文」と内容解説があります。

 私ども(市居浩一と松浦玲)は座談会に於てそれぞれ別の問題について発言いたしましたが、菅氏の新発見書簡については判断を下すだけの条件を持っておらずノーコメントでございました。

 しかし後日、前記菅氏の著書に掲載された書簡写真を慎重に検討し

   一 これは伊東甲子太郎書簡ではありえない

   二 これは香川敬三の書簡で、宛先は岩倉具視である

 との結論に達しました。

   簡単に理由を申します。

@ 書簡の日付が「二月廿六日」で、文中に「仏夷大坂之要地に入込竟に登城いたし将軍謁見・・」と出るので、これはフランス公使ロッシュが大坂城で将軍慶喜と面談した直後のもの、慶応三年の二月廿六日付であることが疑問の余地なく確定する。ところが伊東はこのとき九州旅行中。この手紙は旅先から京都の公卿に宛てた文面ではない。
A この書簡の筆跡が伊東甲子太郎のものだと確認できない。
B 管氏著書の当該書簡「釈文」と解説には同意いたしかねる箇所が多く、私どもの判断では誤読と誤解釈が書簡筆者誤認と結びついている。

@ 宛名書の「北山御殿様/言上」の下に小さく「彦次/百拝」と記されており、「彦次」を香川敬三の変名の一つ「小林彦次郎」と考えると「北山御殿様」は北山岩倉村に幽居中で香川と親しい岩倉具視ですんなり落着く。書簡末尾、日付下の「武明」も香川が使用した署名の一つである。
A 香川敬三は書簡原本(自筆本)が多数残っており、そのコピーを取寄せて検討した結果、当該書簡は香川書簡の特徴を充分に備えていると確認できた
B 文面も慶応三年二月に香川敬三が岩倉具視に宛てたものと考えれば何の不都合も生じない。伊東甲子太郎書簡と考えた場合の不都合と対蹠的である(一のBと関連)。

 私どもはこの判断を年長の市居が書面で菅氏に御伝えするなどの手段を講じたのですが、的確な御回答をいただけないまま推移しております。

 いつまでも放置できないので公開討論会を行ない、管氏の反論を御伺い致したく思います。その際、私どもは右に略記した問題点を、拡大コピー等を使いながら詳述する所存でございます。

 ただし公開討論会を私どもが主催したのでは公平を欠くので、昨年の法要と座談会を開催された戒光寺の御住職に御願いしたいと考えております。                      敬具

  二〇〇五年九月                                            

                                    市居(浩一)

                                    松浦(玲)

各位


再び管理人より
  1. リンク・引用・転載について:公開状ですので、リンクを自由に行っていただいて結構ですが(アドレスは、http://www4.plala.or.jp/bakumatsu/ichii-matuura1.html)、関係者への個人攻撃・誹謗中傷を意図したリンクは固くお断りします。リンクの際、親HPへのリンクは特に必要ありませんし、管理人への連絡も不要です。(もし、「連絡帳」にご連絡いただければ、ありがたく思います)。その代わり、文章の引用は、一部だけを引用されると意図が違って伝わる場合もありますので、一切ご遠慮ください。また無断転載・配布もご遠慮ください。万が一改変された場合、フォローすることが不可能で、市居氏・松浦氏にご迷惑をかけることになるからです。
  2. 討論会に関する戒光寺さんへのお問い合わせ:ご迷惑になりますのでご遠慮ください。日程等についてご連絡をいただけば、またHP上でご報告させていただきたく思います。→【追記】戒光寺さんでは、2005年12月に執り行う第2回法要・座談会を討論の場にできればとお考えになり、菅氏に法要の案内を送られましたが、欠席するとのご連絡があったそうです。松浦氏は法要に出席し、この件についての意見を発表されましたが、菅氏不在のため、公開討論にはなりませんでした。(管理人は海外出張中だったため、松浦氏の発表をレポートすることはできませんでした)。なお、菅氏から両氏へのご返答もないそうです。
  3. 管理人の「御陵衛士覚書」「新発見伊東甲子太郎直筆」書簡(『龍馬と新選組』収録)に異論あり」(2005.1.25初出 こちら)を読まれた方へ:既にお気づきだと思いますが、文中にある「ご指摘をいただいた」方々は市居氏・松浦氏でした。もちろん、両氏は「覚書」upには無関係で、文責は管理人個人にありますし、文中に誤り・勘違い・不適切な表現等があった場合、すべて管理人に帰します。両氏のこの件に関するご見解は上記公開状、及び今後討論会で詳述される内容の通りとなります。



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